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「シムズ理論」が日本経済のデフレ脱却に有効である理由ハイパーインフレは起こらない 独居老人を巻き上げる手口 労働は苦役か
http://www.asyura2.com/17/hasan120/msg/454.html
投稿者 軽毛 日時 2017 年 3 月 24 日 21:58:47: pa/Xvdnb8K3Zc jHmW0Q
 

「シムズ理論」が日本経済のデフレ脱却に有効である理由

ハイパーインフレは起こらない

安達 誠司エコノミスト
プロフィール

「シムズ理論」とは何か

このところ、筆者が色々な人と経済についての話をする時に、必ずと言っていいほど話題に上るのが「シムズ理論」である。最近は様々な論者が「シムズ理論」を解説しているらしい。

筆者は他人が言っていることにあまり関心がないので詳しくは知らないが、どうも、論者によって内容も解釈も大きく異なっていて、多くの人は「シムズ理論」の意味がよくわからないと言う。

先週も述べた通り、「シムズ理論」とは、「物価の財政理論(the Fiscal Theory of Price Level)」といわれるものであり、「FTPL」という略語が使われている。この「FTPL」自体は、決して新しい経済理論ではなく、1990年代の終盤から2000年代前半にかけて、主にアメリカのマクロ経済学者の間で「理論的な可能性」として議論されてきた。「シムズ理論」のクリストファー・シムズ教授(プリンストン大学)はその主な提唱者の一人である。

最近、筆者もこのFTPLに関する論文に苦闘している。その内容は多岐に渡っており、一言で説明するのはなかなか難しい。簡単に言おうとすると、省略しすぎるきらいがあるので、枝葉末節にこだわる人には不満かもしれない。だが、誤解を恐れずに単純化していうならば、以下のようになるだろう。

まず、「通常の財政政策」では、(短期的に)積極財政に転じることで生じた政府債務は、将来の財政黒字(増税、もしくは景気拡大による税収増など)によって返済されるとみなされる。だが、そこで、ある事情で、政府がそれを保証しない場合はどうなるか、という議論がFTPLである。

FTPLでは、政府が将来の財政黒字で政府債務を返済しない可能性を示唆した場合、政府債務は、物価の上昇によって「実質的に」減少していく可能性が示唆される(正確にいえば、政府債務の水準そのものではなく対GDP比率が一定水準に「収斂」していくと考えたほうがよいだろうか)。

何人かの論者が、日本で「シムズ理論」を実践すると、物価上昇が止まらなくなると懸念を表明しているが、FTPLの世界での物価上昇は「ハイパーインフレ」を意味しない。財政赤字拡大にともなう景気拡大で税収が伸びれば、将来の財政収支が改善するので、それも政府債務を減らす源泉にもなる点が考慮されている。

そのため、「通常の財政政策」が実施される場合と比較すると、確かに物価は上昇するが、やがて、ある一定の水準に「収斂」していくことになる(「ハイパーインフレ」の場合は「発散」していく点に注意)。よって「ハイパーインフレ」の懸念が生じるのは、FTPLとは「別の世界」に入ったときであると考えた方がよいだろう。

金融政策と財政政策、4通りの組み合わせ

ところで、これまでのFTPL研究は、専ら理論的分析がほとんどであったが、最近の研究では、過去の経済政策において、「金融政策と財政政策の組み合わせ」がどのようなものであったか、そして、FTPLは、その中でどの組み合わせなのかという点が強調されるようになっている。

すなわち、FTPLは、いくつかある金融政策と財政政策の組み合わせの中の1つであるとみなされるようになっている。

この「金融政策と財政政策の組み合わせ論」では、金融政策と財政政策をそれぞれ、「積極的(Active)」、「受動的(Passive)」の二種類に分類する。したがって政策の組み合わせは、4通りあることになる。

そこで、ここでいうところの「積極的な金融政策」とは、インフレ率の変動幅を上回る規模で政策金利を変動させることと定義している。従って、現在の日本のように政策金利を操作する余地が小さい場合は、たとえ、大幅な量的緩和政策が実施されていたとしても、この議論の世界では、「受動的な金融政策」に分類される。

一方、「積極的な財政政策」とは、政府債務(の対GDP比率)の変動幅が、税収の伸び率を上回るように国債を発行する(簡単にいってしまえば財政赤字を拡大させる)財政政策であると定義している。

この議論では、「積極的な金融政策と受動的な財政政策」の組み合わせ(頭文字をとって「AM/PF」)が「平時」の経済政策とされている。

すなわち、「平時」では、中央銀行が、金融政策でインフレ率の変動を上回る幅で政策金利を操作できれば、あえて政府債務を拡大させるような財政拡張策を用いなくてもよいという考え方である(ただし、一時的な財政出動による財政赤字増はその後の財政黒字ですぐに返済されると仮定されている)。

NEXT ?? 日本の経済政策にあてはめると…

そして、話題の「シムズ理論(FTPL)」の世界は、「受動的な金融政策と積極的な財政政策」の組み合わせ(PM/AF)となる。すなわち、「シムズ理論」の世界では、政府は、積極的に財政支出(減税でもよい)を拡大させる一方、金融政策は、財政支出拡大で新たに発行された国債を「受動的に」購入する(その結果、金利は変動させない)という組み合わせになる。

ここで注意すべきは、「シムズ理論」の世界では、拡大した財政赤字を、金融政策が「受動的(もしくは「自動的」といってもいいかもしれない)」にファイナンスしている点である。これは、財政拡張と同時に、中央銀行は国債買いオペを拡大させていることを意味する。従って、「シムズ理論」は必ずしも「金融政策無効論」を意味するものではないと思われる(ただし、政策金利の操作を通じた金融政策はできない)。

次に、積極財政の下、中央銀行が国債買いオペを実施しない場合、(長期)金利が上昇する可能性が高まる。このケースは、「積極的な金融政策と積極的な財政政策(AM/AF)」の組み合わせとみなされることが多い。

国内での「シムズ理論」の議論では、この「AM/AF」の組み合わせも「シムズ理論」の一部として議論されることがあるようだが、この組み合わせは、「シムズ理論」の世界とは別の世界である。

また、この「AM/AF」の組み合わせの下では、金利の上昇、物価の止まらない上昇、そして、政府債務(対GDP比率)の上昇が持続的に(発散的に)実現する可能性が指摘されている。

すなわち、多くの人が懸念する「ハイパーインフレ」や「財政破綻」は、「シムズ理論」を実践した場合に発生するのではなく、財政拡張が実施される局面で、同時に金利上昇をもたらすような金融政策(AF/AF)を実施した場合に起こりうるシナリオということになる。経済政策がこの組み合わせになった場合には注意しなければならない。

残る金融政策と財政政策の組み合わせは「受動的な金融政策と受動的な財政政策(PM/PF)」の組み合わせである。実は、この政策の組み合わせの下での政策効果は極めて不確かであることが指摘されている。

すなわち、持続的な低金利によってデフレが解消する可能性がある一方、デフレが長期化する可能性もある。この組み合わせが実現する最初の段階で、経済がどういう状況にあるかに依存しており、どちらになるかは事前にはわからない。

デフレ脱却はまだまだ先

そこで、以上のような考え方を今後の日本の経済政策にあてはめてみよう。

ここまでの話を踏まえると、現状の日本の経済政策の組み合わせは、意図せずして「受動的な金融政策と受動的な財政政策(PM/PF)」の組み合わせとなってしまっている可能性があるのではないかと考えている。

筆者は、現在の日本経済の状況は、決してデフレに逆戻りしているわけではないが、デフレ脱却に向けて力強く前進しているかといえば、そういうこともない状況だと考えている。最近、やや景況観が改善しているのは、中国におけるスマートフォン買い替え需要の拡大や不動産の再ブームによる世界的な輸出の回復という外部要因からであろう(米国の景気が強いということもあるだろう)。

このような状況は、2014年4月からの消費税率引き上げによって、財政政策のスタンスが「積極的な財政政策(すなわち、財政再建により重きを置いた財政政策)」に転換し、経済政策の組み合わせが、「PM/AF」から「PM/PF」に転換して以降、ずっと続いている(その意味で、日本はアベノミクスの初期には既に「シムズ理論」的な世界に入っていたのではなかろうか)。

前述のように、「PM/PF」の局面では、外部環境が偶然良い方向に向かえば、経済がデフレ脱却の方向へ向かう可能性もある。従って、「運だめし」という側面が強いが、このまま世界経済の回復が続き、外部環境が好転するという見通しを持てるのであれば、とりあえず現状維持で進むという選択肢もあり得る。

一方、もちろん、ここでもう一度、「積極財政(Activeな財政政策)」に転じ、「シムズ理論」に飛び込むという選択肢もあり得る。

特に、現在、日本銀行が採用している「イールドカーブ・コントロール政策」は、典型的な「受動的な金融政策」である。もし、国債増発で金利上昇圧力が生じても、現行の「イールドカーブ・コントロール政策」がある限りは、ほぼ自動的に国債を購入することになるため、金利の急騰の可能性は極めて低いと思われる。

NEXT ?? 日本経済の現状を考えると…

出口政策をどう設計するか

実は、この議論については、もう一つ重要な問題がある。それは、経済政策の効果を考える場合には、「現時点の」組み合わせだけではなく、将来、どの組み合わせに転換すると人々が予想しているかという点である。

つまり、もし、デフレ脱却に有効な政策の組み合わせになったとしても、人々がその組み合わせはすぐに別の組み合わせに転換してしまうと予想してしまうと、その効果はほとんど殺がれてしまう可能性があるのだ。

そして、これは、昨年6月の消費税率引き上げの先送りに際して実現してしまった可能性がある。消費税率引き上げを見送ったという判断については正しかったものの、2年後に引き上げることを表明したために、人々は、「場合によっては再びデフレ脱却前に消費税率引き上げが実施されるかもしれない」という予想を形成し、予備的な貯蓄増に走ったのではないかと考えられる。

その意味で、もし、政府が、デフレ脱却のために「シムズ理論」の世界に飛び込むのであれば、正常な経済政策への転換(すなわち「AM/PF」)は、「2年後」といったような「(実現が不確かな)期間」にコミットするのではなく、シムズ教授が言及したような「日銀・政府の共同声明であるインフレ率が2%近傍で安定的に推移することを確認してから(筆者は、安倍政権が掲げている「600兆円の名目GDPが達成された後」というコミットメントルールでもよいのではないかと考えているが)」というような「(デフレ脱却の実現という)経済状況」にコミットしなければ、効果を十分持ち得ないかもしれない。

さらにいえば、「シムズ理論」の世界では、「正常な政策の組み合わせ(AM/PF)」に戻る出口政策をどう設計するかが重要となる。

まず、「出口政策」では、マーケットなどに「サプライズ」を与える必要はない。また、正常化の局面では、金融政策と財政政策がともに政策転換する必要があるが(金融政策は、「PM」から「AM」へ、財政政策は「AF」から「PF」へ)、両者のタイミングがずれてしまうと、経済政策が不安定化してしまい、経済にショックを与えてしまう懸念がある(例えば、「AM/AF」の組み合わせになってしまうなど)。

両方の政策がうまく協調して転換していくことが重要だと考えるが、現実世界でこれをどう設計していくかが課題となろう。

一方、前述の「PM/AF」の組み合わせでは、金融政策の「出口政策」のみを考えればよいので、「シムズ理論」の世界よりもやりやすいのではなかろうか(といっても、実際はこれだけでも議論は複雑だが)。

以上より、日本経済の現状を考えると、経済政策を「シムズ理論」の世界へシフトさせていくことかどうかは政権の判断次第だが、デフレ脱却のためには有効であることは確かであろう。

ただし、単に財政支出を拡大させればいいのではなく、将来の出口政策のことを考えて、かなり周到に政策のコミットメントルールを考える必要があるのではなかろうか。

トランプは経済で“大化け”する可能性を秘めている。気鋭の人気エコノミストが、世界と日本の動向を鋭く予測する!
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51278

 

独居老人の心細さにつけこみ、カネを巻き上げる悪質業者の手口
NHK元アナが広告塔…
長岡 美代

親族に頼れない高齢者を対象に、入院時や老人ホーム入居時に必要な身元保証をはじめ、安否確認や身の回りの世話などを引き受ける事業が好評だという。

だが、中にはひとり暮らしの心細さにつけ込み、高齢者の財産を狙う悪質な事業者もいるなど、トラブルも相次いでいるようだ。

あなたの親御さんは大丈夫か――。

ひとり暮らしの老人がターゲットに

これで少しは気が休まる高齢者も多いに違いない。

今月9日、老後に不安を抱える“おひとりさま”から多額のカネを集め、ずさんな経営で破綻に追い込んだ一般財団法人「日本ライフ協会」(東京都港区、破産手続き中)の元役員3人が、大阪府警と三重県警に出資法違反の容疑で逮捕されたからだ。

府警によると、元代表の濱田健士容疑者(63歳)らは、これまでの捜査で判明しただけでも2014年4月中旬から15年6月下旬にかけて、金融庁などの許可を得ずに高齢者ら約40人から葬儀・納骨代として預託金名目で計約2000万円を集めた疑いがあるという。

日本ライフ協会は、親族に頼れない高齢者らを対象に、入院時や老人ホーム入居時の身元保証をはじめ、安否確認や緊急時対応、身の回りの世話、死亡後の葬儀・納骨などを支援。一括で約165万円を払うプランが基本で、このうち葬儀や納骨に充てる預託金は約58万円だった。

昨今、ひとり暮らし高齢者の増加や親族間の付き合いの希薄さも相まって、こうした支援へのニーズは高まる一方、事業者は全国に100社以上あると言われる。

約3000〜4000人の会員を抱える大手も存在し、日本ライフ協会も公益法人の認定を受けていたことやNHKの元アナウンサーを広告塔(元理事)にするなどして、全国から約2500人の会員を集めていた。

ところが昨年1月、内閣府公益認定等委員会の調査で、預託金約8億8000万円のうち約2億7000万円が不足していることが判明。日本ライフ協会は2010年、弁護士ら第三者の事務所で預託金を管理する「三者契約」で安全性をアピールし公益認定を受けていたが、その直後に同協会が直接管理する契約(二者契約)に勝手に変更し、預託金を関連法人に貸し付けるなど流用していたことも明らかになった。

破産管財人によると、二者契約だった会員は約1500人に上る。

「貯金のほとんどを費やしてしまった」

その後、日本ライフ協会は同年4月、約12億円の負債を抱えて破綻。事務所の高額な家賃の支払いなどで資金繰りが悪化していたにもかかわらず、代表自らと息子の専務理事らは多額の役員報酬を受け取っていたほか、都心の高層マンションを借り上げて家賃の一部を同協会に肩代わりさせていたことも筆者の取材でわかっている。

公益法人を私物化して好き放題にやっていた代表を、元役員らは誰ひとりとして止めることができず、さらに内閣府のチェックも機能していなかったことから最悪の事態を招いたというわけだ。

元会員の男性(73歳)は、「頼れる身内がいないので、病気になったときに助けてもらいたいと思って2015年春に加入したばかりでした。ようやく精神的にラクになったと思ったら、こんなことに……。貯金のほとんどを費やしてしまったので、もう他に頼めるお金もありません」と肩を落とす。

ひとり暮らしの心細さを解消するために日本ライフ協会に頼っていた高齢者を、不安のどん底に突き落とした代表ら元役員の罪は重い。せめて受け取った報酬を返還するくらいの責任を果たすべきだが、いまのところそれさえ覚束ないようだ。嘆かわしい限りである。

そもそも同種の支援への社会的なニーズが高まっているにもかかわらず、事業を始めるにあたって行政の許認可がいらないことも問題だろう。第三者によるチェックもなく、悪質な事業者を排除することさえままならないのが現状だ。

NEXT ?? 驚きの手抜きサービス

肝心のときに頼りにならない

モラルの低い事業者は、ほかにも存在する。

つい先ごろも、愛知県内にある事業者が利用者から遺贈された現金計約1億5000万円を隠し、法人税を免れたとして名古屋国税局から告発されたという報道がなされたばかりである。

内閣府消費者委員会は今年1月、日本ライフ協会の事件を受けて、ようやく事業者の実態把握とそれを踏まえた措置を検討するよう消費者庁や厚生労働省、国土交通省に対して建議を申し立てたばかりだが、早急な対策が望まれる。

「確かにまとめて支援を依頼できるのは便利ですが、サービス内容が多岐にわたり、契約形態も複雑なので高齢者には理解が難しい。何を契約したのかすらわかっていない例も見受けられます。葬儀や納骨などの預託金は事業者の倒産に備え、保全措置を義務づけるなど法的な対応が望まれます」(東京都消費生活総合センターの消費生活専門課長)

実際、預託金を事業者みずからが管理している例は、日本ライフ協会以外でも見受けられる。別法人で管理しているところも存在するが、勝手に引き出されてしまえば、結局は同じだ。入出金の状況を客観的に把握できるよう会員に情報開示できればいいが、そうした事業者は数少ない。

肝心のサービスについても、緊急時に事業者と連絡がつかなかったり、呼び出しに応じてもらえなかったりするなど“期待外れ”に終わる事態も起きている。

身の回りの世話など日常生活の支援を別法人に委託している例は少なくないが、そうした事実を知らないまま契約してしまう高齢者もいるのだ。

途中解約をめぐる苦情が続々

介護が必要になったときの支援も事業者によって差が大きい。東京都内にある某有料老人ホームの営業マンはこう打ち明ける。

「自宅での生活が難しくなって老人ホームへの入居が必要になった際、事業者が本人の希望や予算を踏まえずスタッフが通いやすい場所に決めてしまう例もあります。なかには老人ホーム側に紹介料を要求してくる事業者もあるくらいです」

必ずしも本人のために支援してくれるところばかりではないようだ。とりわけ認知症などで判断力が低下した場合は、サービスの手抜きが行われていても誰にも気づかれない。

預貯金・不動産などの財産管理や遺言書の作成まで引き受けている事業者も存在するが、第三者のチェックが届かないなかで都合よく使われてしまう懸念もある。

全国の消費生活相談センターには、「払い込んだ費用がほとんど戻らない」「高額な違約金を請求された」などといった途中解約をめぐる苦情も相次いでいる。

悪質な事業者にこれ以上老後の大切な蓄えを食いつぶされることのないよう、国には早急な対策を検討してもらいたい。


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http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51263

この国は老人を捨てるつもりか? 疲弊した介護現場に落とされる爆弾
私たちは大きな代償を払うことになる
中村 淳彦ルポライター
プロフィール

とっくに限界は超えている

2025年には、日本国民の3人に1人が65歳以上、5人に1人が75歳以上となる、超・超高齢化社会――。世界でも類を見ない未来が待ち受けるいま、介護政策についての是非が問われている。

以前のルポでお伝えした通り(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/47873)、介護を取り巻く現状は、「職員の質の低下」に加え、職場のブラック化やモンスター親子の出現、介護報酬が減額されるなどの問題が山積し、崩壊寸前のところを何とか持ちこたえている状況だ。

もはや「幸せ」や「豊かさ」といった福祉の理念は影もなく、なかには生き地獄のような現実を暮らしている者もいる。

そんな限界寸前の状況にある介護業界にさらなる追い打ちがかかる。厚生労働省が現役世代並みの所得がある高齢者を対象に、2018年8月から介護保険の自己負担費用を現在の2割から3割に引き上げる方針を固めたのだ。

現在の介護保険料の総額は、10年間で2.5倍以上に膨れ上がり、おおよそ年間10兆円。2015年4月に介護報酬を2.27%に減額した上でのさらなる改正だ。

限界を超える人手不足に加え、容赦のない報酬の減額によって、ただでさえ介護業界はパニック状態に陥っている。そんな混乱の渦中に介護サービス利用の自己負担3割という爆弾が落とされる。

介護保険は2000年の制度開始以降、利用者の自己負担費用は1割という時代が長く続いた。現政府が進めている制度縮小の始まりは、2015年4月の介護保険の改正からで、介護事業所の経営の根幹となる介護報酬が大幅に減額された。

この改正により特にあおりをくらったのは、利用定員が10人以下の小規模デイサービスで、平均利益率を超える約10%の報酬減となり、経営の危機に瀕した事業者が続々と閉鎖に追い込まれた。

残酷な牙は、介護サービスを受ける高齢者にも向けられている。介護保険による介護サービス利用料が従来の1割負担から、2015年8月に年収280万円以上は2割負担にアップ、さらに次期改正では年収383万円以上は3割負担となる。

これまでわずかな費用で受けられたサービスの急な値上がりによって、介護施設の利用をやめてしまう高齢者も出てくるだろう。しかも、この改正は単なる通過点であって、年収制限はいずれ撤廃され、最終的に介護保険は一律3割の自己負担、もしくはそれ以上となる可能性が高い。

こういった、介護保険の財政が逼迫するなか、厚生労働省は市区町村に対して「地域包括ケア・総合事業」を促している。

認知症高齢者の増加が見込まれる2025年を目前に控え、重度な要介護状態になっても、住み慣れた場所で生活が送れるよう、地域で認知症高齢者の生活を支えるという趣旨で考案されたこの施策は、「高齢者の尊厳の保持と自立生活の支援の目的」という理念を謳っているが、実際のところは【要支援1, 2】、【要介護1, 2】の高齢者を介護保険制度から切り離す施策だ。

要するにお金のない高齢者には介護保険は使わせず、お金のある高齢者からは介護保険の自己負担アップで貯蓄を吐かせる。

簡単にいえば、地域包括ケアや総合事業を謳って、介護が必要な軽度高齢者を介護保険から切り離し、市区町村に面倒を看させるという事業なのだ。地域包括ケアは、財政を圧迫する介護政策を国が市区町村に押し付けたという敗戦処理の色が濃い。

あおりをくらう軽度要介護者

では介護報酬の自己負担アップ、軽度高齢者の切り捨てで、なにが起こるのか?

NEXT ?? 激増する徘徊

当然だがまずは事業者が潰れる。

2016年1月〜9月までの老人福祉・介護事業の倒産は77件(東商リサーチ)に達し、過去最悪のペースで推移している。2015年4月の介護報酬の引き下げによってデイサービスや訪問介護を提供する介護事業者の経営が厳しくなり、体力のない中小零細事業所が続々と閉鎖に追い込まれている。

厚生労働省は2025年に介護職員は38万人不足すると発表、しかし、これは各都道府県の介護人材獲得の施策の成果が100%織り込み済の数字であり、実際は100万人が不足する事態となっている。

2015年、安倍政権は「一億総活躍社会」の緊急対策として、2020年までに「介護の受け皿50万人の創出」を掲げたが、実際にやっていることは、介護保険の自己負担費用を上げて利用する高齢者を減らし、さらに介護事業所を続々と潰して支出を減らそうという方針だ。

国は高齢者が支払う介護保険自己負担を簡単に2割負担、3割負担と言うが、その額は2倍、3倍と跳ね上がることになる。

介護保険には、サービスを利用した際の自己負担の上限を定める「高額サービス費支給制度」があり、現役世代並みの所得者に相当する世帯は、月額4万4400円が上限だ。もっとも重い介護度5の利用限度額は36万円。3割負担では12万円だが、高額サービス費支給制度で実質の支払いは4万4400円となる。

一方、介護度1の限度額は16万6000円だが、3割負担額は4万9800円になる。これまで1万6000円で受けられたサービスが2倍、3倍に膨らみ、その金額が家計を直撃する。次期改正以降、介護が必要な軽度高齢者は、圧倒的に介護保険を使いづらくなる。

多発する事故、万引き、徘徊

軽度高齢者をターゲットにお金がかかる仕組みを作り、一部の高齢者以外は介護サービスが使えなくなる。思惑通りに要介護1にあたる【要支援1, 2】【要介護1, 2】の高齢者を介護保険から追いだすと、なにが起こるのか?

介護経験者ならば誰でも知ることだが、介護にもっとも手がかかるのは【要介護1, 2】の歩行ができる認知症高齢者だ。つまり徘徊する層である。

これまでの1割負担の時代は、高齢者は自宅のほかに小規模デイサービス、ショートステイなどを併用して、誰かの目が届く環境で過ごしてきた。しかし次期改正以降は、支払能力のない利用者たちはこれらのサービスを使えなくなる。多くの軽度認知症高齢者が自宅で過ごすことになれば、徘徊による高齢者の迷子が日常茶飯事となる。

認知症高齢者は住み慣れた地域であっても、自宅から一歩外に出れば、道がわからず帰ることができない。なかには赤信号を平気で渡ろうとする人もおり、安全に道路を渡る判断のできない高齢者が、昼夜を問わず自宅を探して徘徊する。環状七号線、環状八号線などの主要道路を赤信号で横断したら、当然車に轢かれる。

2007年に線路に立ち入った91歳の認知症男性が、電車にはねられ死亡する事故が愛知県で起こった。この事故をめぐりJR東海は、家族に約720万円の損害賠償を求め、揉めに揉めて、最終的には最高裁で請求は棄却された。

東京や大阪など都市部の沿線は踏切が多い。線路に侵入した認知症高齢者たちが自宅を求めてひたすら歩けば、鉄道事故が常態化する上に、最悪のケースとして死亡事故が頻発する可能性もある。鉄道事故を起こせば、当然、損害賠償などの責任問題は家族にも及ぶ。

行方不明になる認知症高齢者は年間1万人近くで、8年間に少なくとも64人の認知症高齢者が鉄道事故で死亡しているという。訴訟は認知症高齢者を介護する家族の監督義務を争点に、一審では家族に全額支払いを、二審では約360万円の支払いを妻に命じており、認知症高齢者を抱える家族は気が気ではない。また、鉄道の遅延などが頻発すれば、都市機能が失われて経済活動にも悪影響を及ぼす。

さらに、コンビニなどの商店での万引きも増えるだろう。本人は万引きするつもりはなくても、商取引を忘れている。店内の商品を持って、そのまま何も思わずに外に出てしまう。万引き犯として捕まえても、本人に悪気はないので話にならない。

NEXT ?? 結局、社会に跳ね返ってくる

一般的に在宅で過ごす認知症高齢者が迷子になれば、家族は警察に捜索願をだす。通報があったり、人が少なくなった深夜に保護されたりして、ようやく自宅に戻る。一人の高齢者が迷子になっただけで警察沙汰になり、かなり多くの人が動き大騒ぎなる。

さらに近年右肩上がりで増えている、家族のいない単身世帯の認知症高齢者に関しては、捜索願が出ることはほぼない。担当ケアマネジャーや地域住民が気にかけていたとしても、すぐに行方不明に気づくことはできない。

高齢者はカラダが弱い。地域や季節によっては、一晩で凍え死んでしまうことも起こりうる。朝方、路上に遺体が転がるような絶望的な事態も当然あり得る話だ。

しわ寄せの矛先はどこへ?

高齢者による交通事故も近年多発しているが、そのなかでも特に、認知症の高齢ドライバーが事故を起こしているケースが大きな問題になっている。

歩行ができる要支援・軽度要介護高齢者は、交通法規は忘れていても車の運転はできる。認知症高齢者が自宅で過ごすようになれば、交通事故も間違いなく増える。

「車で徘徊」「高速道路の逆走」「アクセルとブレーキ」を踏み間違えるおそろしいミスを犯す認知症高齢者たち。現在、すでに交通事故全体の28%が65歳以上の高齢者によるものだ。

重大事故が起これば家族に高額の賠償金が請求される。交通事故は事故被害者だけでなく、家族をも破綻させかねないのだ。介護保険から切り離すことによってそれに拍車がかかる。

不幸なことに事故を起こしてしまっても、短期記憶が失われている認知症高齢者は事故を起こしたことすら忘れてしまうので、もはや話にならない。

実際に2016年10月28日、横浜市で起きた小学生の集団登校に軽トラックが突っ込む事故で逮捕された87歳の男性は「どうやってあそこに行ったのか覚えていない」と供述している。責任どころか、反省すらしようがない。

免許証を返納したとしても、認知症高齢者には免許がないことは抑止力にならない。免許返納の自覚はなく、無免運転は犯罪ということもわからなければ、普通に車に乗る。そして信号無視、運転ミスをして取り返しのつかない事故となる。

ではどうすればいいのか。

家族や介護事業所が縛りつける、鍵をかけて閉じ込めるという虐待は違法だ。やはり認知症高齢者には、介護保険を利用して介護職による見守りが必須なのだ。

現代はGPSが発達し、徘徊による迷子は工夫によって避けることができるかもしれない。地域包括ケアが順調に進行して、地区によっては認知症高齢者の見守りができるかもしれない。しかしバラつきがでるのは当然で、まったく機能しない市区町村も膨大に現れるはずだ。

介護にもっとも手のかかる要介護度の低い認知症高齢者に対する、介護保険負担増という抑止力は、すぐに大きな打撃として社会にはね返ってくる。取り返しのつかない荒れた社会になる前に、軽度要介護高齢者の介護保険切り捨ては見直してほしいと切に願う。


http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50297?page=3

 

働くことはいつから「苦役」になったのか ?余暇を楽しむのが人生?
残業時間の量よりも大事なこと

2017.3.24内山 節

労働はいつから「苦役」になったか

労働を意味するフランス語のトラバイユは、ラテン語のトリパリウムを語源としている。元々は重い荷物を載せた車輪がきしむ音からきた言葉であり、古代の奴隷たちの労働をさす、労苦、苦役というような意味で使われるようになった。

といってもヨーロッパの人たちが、労働を単なる苦役だと思っていたわけではない。

実際に働いている人たちが書き残した文書としては、古くは石工の書いたものが残されているが、それを読むと労働には苦しいことも楽しいことも達成感もあって、けっして労苦だけだと感じていたわけではなかった。

おそらくそれが、中世までの普通の人たちの感覚だろう。

ところが労働=労苦というとらえ方が、近代になると甦ってくる。

産業革命が起こり、近代的な労働者が生まれてくると、労働者のなかからは自分たちの労働を労苦だととらえる人たちがふえてきた。その原因はヨーロッパの近代社会が、階級社会として形成されたことと関係していた。

労働が労苦になるかどうかは、その労働がどのような関係のなかでおこなわれているのか、が強く影響している。

たとえば自営業者はしばしば長時間労働をしているが、疲れることはあっても労苦と感じることはないだろう。命令された労働でも監視された労働でもなく、自分の意志でおこなっているのだから苦役ではないのである。

近代に入って労働=労苦という感覚が甦ってきたのは、階級社会の下で、労働者は命令に従うだけ、監視下におかれるだけの労働に従事しなければならなかったことが原因だった。

それではお金と引き替えに自分の労働力を消耗させるだけになってしまう。とすればこの労働を労苦としてとらえる人たちがふえていくのも当然のことである。

もちろん身体や生活を壊してしまうような長時間労働が許されるわけではないが、労働を苦痛なものに代えてしまう要素としては、どんな関係のなかでその労働がおこなわれているのかが大きいのである。

こんなこともあった。

日本は1960年代に入るとさまざまな工場で技術革新が進んでいった。ベルトコンベアの前に立ち、一日中単調で単純な同じ労働を繰り返す。そんな工場が各地に生まれていった。

それは疎外された労働という言葉を一般化したが、当時の調査結果を見ると、労働者たちが疎外感を感じていたのは、このような労働の変化以上に職場の人間関係の変化だった。

技術革新に伴ってそれまでの横に結ばれた職場の雰囲気が変わり、管理職と一人一人の労働者という縦型の職場ができたことに、労働者たちは「疎外」を感じていたのである。

NEXT 人生の楽しみは余暇にアリ?

人生の楽しみは労働以外で

さらに次のことも付け加えておかなければならない。

20世紀に入るとアメリカで、生産管理の方法として時間管理という手法が広がっていく。

産業革命自体は、すでに18世紀にイギリスで起こっていたが、このときからすべての労働が単調労働に変わったわけではなかった。とりわけ金属機械などの分野では、工場のなかの生産は職人的な労働によっておこなわれていたのが現実だった。

ところが20世紀になると画期的な手法が「発明」される。

職人的な労働の内容を分解し、単純労働を横につなぐことによって、熟練の職人と同じ生産ができる方法が生まれたのである。

その創始者はテーラーやフォードであったが、労働が単純化されればその労働のスピードが最大になるように管理することができる。このことによって労働の効率性を最大化させることができるようになった。

労働が「何かをつくりだすこと」から、その作業に従事する時間に変わったのである。経営者たちは時間管理をとおして、労働を統制することができるようになった。

ところがこの変化は労働者たちには不評だった。自分の腕に誇りをもって働いていた人間たちが、管理された時間労働をするだけの人間になってしまったからである。

この不満を解消するために、20世紀前半のアメリカでは余暇という考え方が出てくる。

たとえ労働は苦役でも、そのことによって高い収入を得て余暇を楽しむ。それが人間的な生き方だという提案である。労働のなかにあった誇りや楽しみを奪い去る代わりに、労働の外に楽しみをつくりだそうとしたのである。

私たちが直面しているふたつの課題

現代社会はこの変化の延長線上につくられている。

退社後の時間や休日、夏休みなどを楽しむ。さらには家を購入したり車や電気製品などを買いそろえる。子どもたちを進学させる。そういうところに人生の楽しみを設定し、労働自身の楽しさはあきらめさせる。

ゆえに、働いても労働外の楽しみが実現できないような低賃金や長時間労働がおこなわれることは、社会的正義に反することととらえられるようになった。

とすると私たちは、ふたつの課題を背負っていることになる。

ひとつは現実がそうなっている以上、労働外の楽しみの実現を阻害するような待遇、働き方は改革されていかなければいけないという課題である。

だがそれは根本的な解決だろうか。もうひとつ、労働が時間管理としておこなわれるという非人間性の問題があるはずである。

納得できる労働を3時間することより、諒解できないままに1時間の労働をする方が精神的な負担が大きいといったことはしばしば起きうる。

そしてこの諒解できない労働が発生する原因は、その労働がどういう関係のなかでおこなわれているのかに起因している。

納得できる関係として労働がおこなわれているのなら、その労働は働きがいにもなる。しかし諒解できないのならそれは苦痛、苦役であり、この問題が古くは産業革命の時代から、20世紀に入ると幅広い分野で発生していたのである。

NEXT 納得ができる労働とは

自分の労働に納得、諒解できるかどうかは、どこに境界線があるのだろうか。それは自分の労働が「職人的」におこなえているかどうかである。

ここでいう「職人的」とは、最終的につくりだされていくものが自分の目に見えていて、それをつくりだすプロセスがわかっている。さらにこの過程での自分役割が有益なものとして理解され、その役割をこなしていくために自分の経験や能力が有効に働いていると感じられるということである。

実際、伝統的な農民や職人、商人たちは、そのようなかたちで自分の労働をおこなってきた。

とともに今日の企業のなかにも、そういう労働のあり方を内蔵していることがないわけではない。だからこのような分野では、長時間労働が疲労はもたらしても、苦痛にはならないということも生じる。

本当の「働き方改革」とは

さてこのように考えていくと、「働き方改革」が、時間管理だけであってはならないということがわかってくる。

もちろん現在の状況では、子育てもできないような長時間労働がおこなわれたり、長時間労働が精神的な圧迫を与える状況が生まれている以上、残業規制なども必要であることはいうまでもない。安心して働くためには、低賃金な非正規雇用を減らしていく努力も重要である。

だがそれは、時間管理を徹底することでしかないのである。

労働時間を減らして余暇をふやすというのも時間管理だし、労働時間を減らそうとすれば、おそらく多くの企業では、労働密度を高めようとするだろう。すなわち、就労時間の時間管理が徹底されることになる。それでは労働の苦役度を上げることによって、労働外の時間を増やすことにしかならない。

私たちの最終的な課題は、労働を人間的なものに変えることだ。時間管理でしかないような労働からは、人間的な労働は生みだされない。

だからいまそのことに気づいている人たちは、時間管理の世界から自分の労働を解放しようとして、職人的な労働が可能な世界に移動しようとしている。

それはときに農民的な世界であったり、伝統的な職人の世界、小さなベンチャービジネスやソーシャル・ビジネスの世界だったりするのだが、そういうものに移動する動きがいまでは日本中で起こっている。

それらは一面では低収入な労働や長時間労働をもたらしたりするのだが、そんなことよりも労働が時間管理でしかないことから自由になることの方が、そういう人たちにとっては重要なのである。それが彼らや彼女たちの「働き方改革」である。

社会的正義に反するようなことは変えなければいけない。だが「社会的正義に反すること」のなかに、時間管理でしかなくなった労働をどう改革するのかということをふくめなければ、根本的な解決にはならないのである。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51300
 

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コメント
 
1. 2017年3月24日 22:12:39 : nJF6kGWndY : n7GottskVWw[3821]

>「シムズ理論」が日本経済のデフレ脱却に有効 ハイパーインフレは起こらない

そりゃそうだ

ただし、高インフレは起こる

ま、元々、インフレ課税で財政再建しようという話だから、それ自体は問題はないが

日銀も麻生も否定しているのは、財政ファイナンスを認めるわけにはいかないからでもあるw



2. 2017年3月25日 03:28:48 : Aq7FRm7SXc : 6l4hCxMsuTk[34]
政府がやることは民間も同じようにまねできることだ。政府だけの特権は徴税だけ、民間の経済も、政府並みにいい加減な期待で動いたなら、もう、そんな国の経済は自滅しか残されていない。

こんなこともわからない今の経済学者は存在価値なし、自滅しろ。


3. 2017年3月25日 21:20:56 : hUkJW5PNLO : vS5oQ06@H3c[532]
悪質な 業者グルだよ 権力と

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