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辞任を表明した大西洋・三越伊勢丹ホールディングス社長(ロイター/アフロ)
三越伊勢丹、クーデター勃発で2トップ電撃退任か…社内対立先鋭化「三越ばかりリストラ」
http://biz-journal.jp/2017/03/post_18279.html
2017.03.08 文=編集部 Business Journal
三越伊勢丹ホールディングス(HD)は3月7日、大西洋社長が退任し、後任の社長として杉江俊彦取締役専務執行役員が4月1日付で昇格すると発表した。石塚邦雄会長は6月の株主総会で代表取締役会長執行役員を退任する。
前日に大西社長の引責辞任が報じられた。後任が決まらないうちに社長退任が表面化したことで憶測が呼んだ。店舗閉鎖をめぐり、旧三越勢と旧伊勢丹出身者の対立が激化。三越出身の石塚氏が伊勢丹側のエース、大西社長と刺し違えたのではないかと噂された。
三越伊勢丹HDは7日午前、伊勢丹新宿本店近くの本社で社外取締役を中心とする指名報酬委員会を開いた。結論は、会長と社長の2トップを更迭。委員会の協議を踏まえ、その後の取締役会で正式に人事案を決議した。
現在の三越伊勢丹HDのボード(取締役)は、次のとおりだ。
代表取締役会長執行役員 石塚邦雄・三越出身
代表取締役社長執行役員 大西洋・伊勢丹出身
取締役専務執行役員(営業本部長) 松尾琢哉・伊勢丹出身
取締役専務執行役員(経営戦略本部長) 杉江俊彦・伊勢丹出身
取締役常務執行役員(業務本部長) 和田秀治・三越出身
取締役 槍田松瑩・三井物産顧問(元社長・会長)
取締役 井田義則・いすゞ自動車相談役(元社長・会長)
取締役 永易克典・三菱東京UFJ銀行相談役(元頭取・会長)
指名報酬委員会は社内2人、社外3人で構成されるとしているが、委員名は明らかにしていない。社内は代表権を持つ石塚会長と大西社長の2人、社外は槍田、井田、永易各取締役の3人と推定できるが、同委員会を仕切る委員長が誰なのかは公表されていない。
社内取締役の構成は、伊勢丹3人に対して三越が2人。伊勢丹が多数派を占めている。それにもかかわらず、大西社長は引責辞任に追い込まれた。何が起きたのか――。
大西社長の急激な改革に労働組合が音を上げ、辞任要求にまでエスカレートした。これを利用して、石塚会長が大西社長に辞任を迫る“クーデター”に発展したとの見方が強まっている。社外取締役たちは、先鋭化している伊勢丹と三越の社内対立を収めるには、喧嘩両成敗、つまり石塚会長と大西社長の退陣しかないと判断した。
伊勢丹主導の改革を継続させるために、経営戦略本部長の杉江氏を次期社長に起用した。2代続けて伊勢丹出身者が社長に就くが、実は杉江氏は「石塚会長に近い存在」(関係者)という見方もある。杉江氏は、大西社長が主導した不採算店の閉鎖など構造改革路線を補佐する立場だったが、実は石塚会長と気脈を通じていたというのだ。「今後は、社内融和、早期の混乱収拾を最優先させる」(同)という。
2トップの更迭劇は、メーンバンクの三菱東京UFJ銀行の意向が強く反映されたものと金融界では受け止められている。同行はお目付役として社外取締役を送り込んでいる。
■メーンバンクが仕掛けた伊勢丹による三越の救済合併
そもそも、三越と伊勢丹の経営統合を仕掛けたのは、三越のメーンバンクの三井住友銀行だった。三越の業績悪化に業を煮やした三井住友銀行が、三越に対して「伊勢丹と組んで再生すべきだ」と迫ったという。三越の伊勢丹への実質的な売却であるから、伊勢丹のメーンバンクである三菱東京UFJ銀行は統合を受け入れた。
それは、持ち株会社三越伊勢丹HDの株主構成を見れば明らかだ。三菱東京UFJ銀行は第8位の大株主だが、三井住友銀行は上位10番に入っていない。
三越も伊勢丹も「企業風土があまりにも違いすぎる」として、当初は統合に消極的だった。それでもメーンバンクの意向には逆らえなかった。2008年4月、持ち株会社、三越伊勢丹HDが発足した。近代百貨店の祖・三越のプライドを傷つけないようにするとの配慮から、社名は三越を先にした。持ち株会社の初代社長には、三越社長の石塚氏が就いた。
三越と組むことを決断した武藤信一・伊勢丹社長は09年6月、社長の椅子を大西洋氏に譲るとともに、三越伊勢丹HDの会長兼最高経営責任者(CEO)に就き、全権を掌握した。だが10年1月、武藤氏が急死し、最高実力者を失った社内は大混乱に陥った。後任人事が発表されたのは、武藤氏の死去から8日後のことだった。
その舞台裏は、三越と伊勢丹の妥協が成立したことによる。CEOを廃止し、集団経営体制に移行。持ち株会社は伊勢丹出身の橋本幹雄氏が会長、三越出身の石塚氏が社長(続投)となった。共同統治体制といえば聞こえがいいが、実際には誰も責任を取らない“無責任体制”に陥ったと揶揄する声もある。
新体制の大仕事は、三越と伊勢丹の百貨店事業の統合だった。11年4月、合併新会社として三越伊勢丹が発足した。そして12年2月、持ち株会社三越伊勢丹HDの会長に石塚氏、社長に大西氏が就任して、今日に至っている。
■ボーナス格差で火がつき、三越の店舗リストラで不満が爆発
三越伊勢丹は船出した直後から逆風に見舞われた。給与体系は合併後に一本化されたが、ボーナスの格差は凄まじかった。伊勢丹出身者の11年夏のボーナスは三越出身者の2倍以上といわれたほどだ。
カネの恨みは恐ろしい。旧三越側は「同じ仕事をしているのに、なぜこんなに差が出るのか」と不満を募らせた。一方、旧伊勢丹側は「働かない三越勢に足を引っ張られている」との恨みが強かった。慶應義塾大学出身者が幅を利かせ、“おぼっちゃま”体質の三越と体育会系の伊勢丹では、肌が合うわけがなかった。そんななかで、ボーナス格差が対立の火に油を注いだ。このボーナス格差は、16年夏になってやっと解消した。
伊勢丹が三越を吸収合併するのであれば、給与や人事を伊勢丹方式で一本化しなければならない。その場合、まず三越側に不利な条件をのませたうえで吸収するという段取りになる。これは吸収(救済)された側の悲哀である。トップが腹をくくって取り組むべき力仕事であり、共同統治という微温的な体制でやれるわけがない。
それが、両社の出身者にボーナスで格差をつけるという、お粗末なやり方だったので、かえって対立を際立たせた。
店舗づくりは伊勢丹流にこだわった。11年5月、JR大阪駅の駅ビルにJR大阪三越百貨店を出店。伊勢丹流の店舗づくりに取り組んだが販売不振が続き、わずか4年後の15年には百貨店の看板を下ろした。
この店舗は、もともと三越が05年に閉店した大阪・北浜にあった旧大阪店の後継店舗として出店を決めていたものだ。経営統合で伊勢丹が主導権を握ったが、伊勢丹の本音は大阪からの撤退だったといわれている。三越側の熱意に押されて出店したが、旧三越大阪店のメーン顧客だった60歳前後のシニア層は、若年層や婦人層をターゲットにしたファッション百貨店を敬遠した。ここでも三越と伊勢丹のミスマッチが失敗の原因となった。ところが、大プロジェクトが失敗したにもかかわらず、誰も責任をとらなかった。
中国人観光客による“爆買い”で三越サイドは元気を取り戻した。銀座三越は、爆買いの聖地となり、爆発的に売り上げを伸ばした。しかし、爆買いバブルが弾け、これを機に大西社長は大リストラに乗り出した。
千葉三越や多摩センター三越を3月末に閉鎖するだけでなく、松山三越、広島三越の売り場縮小を検討すると表明。管理職のポストの1〜2割の削減、人員削減を検討していた。旧三越出身者から「三越ばかりがリストラされる」という不満の声が外部に漏れるようになった。
三越vs.伊勢丹の根源的な対立に、社外取締役は喧嘩両成敗の断を下した。新社長に就く杉江氏は、大西社長のもとで経営戦略本部長として経営改革を推進したが、大西路線をそのまま引き継ぐことはない。
社外取締役が求めているのは、社長への権限の一本化である。集団指導という名の無責任体制の弊害を改め、経営責任を明確化することだ。そのため、6月以降は石塚氏の後任会長を置くことはないとの公算が高まっている。
三越側の“クーデター”は成功したかに見える。だが結局、伊勢丹色が強まるだけと見通す声が多い。
「『三越の店ばかり閉鎖される』というが、それだけ三越の働きが悪かったということだ。大西社長に辞表を書かせたのは石塚会長だが、石塚会長に代表される三越出身者は、天に唾することになったのではないのか」(流通大手幹部)
新社長の杉江氏は、大手アパレル業界では無名に近い。石塚会長に近づいて社長の椅子を手に入れたが、業績を早期に立て直さないと、次は杉江氏の首が飛ぶかもしれない。
(文=編集部)
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