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2%インフレを目指した日本銀行の異次元緩和の効き目が薄れたことで、安倍政権は今、財政をふかしてインフレを起こす「財政インフレ」に傾斜し始めている。
財政の状況が悪いときにそんなことをしたら、さらに財政再建が遠のくと思うのが常識。しかし米国の経済学者の間には「上手なやり方で財政を活用すればデフレ脱却にも財政再建にも役立つ」とする理論があり、安倍政権はこれに乗ろうとしているのだ。
この理論を実行に移した国はまだない。いわば危険に満ちた「賭け」に政権が打って出る裏には、戦慄すべき計算が働いているようだ。
くだんの理論はノーベル賞経済学者のクリストファー・シムズ米プリンストン大学教授らが、1990年代の半ばから唱えている「物価水準の財政理論」。金利がゼロ近辺となりデフレ脱却へ金融政策の効果がなくなったとき、物価水準を決めるのは財政政策だ、という考え方から、歳出の拡大や減税などを実施すべきだと主張する。
「インフレになれば自然に財政再建」
一見、ケインズ政策に似ているが、この理論の特徴は将来の増税や歳出削減を封印して、人々にインフレの到来を確信させ、消費や設備投資を促すところだ。それによって実際にインフレになれば、税収が増えて、国の借金(国債発行残高)が目減りするので、財政を立て直しやすくなる、と説く。
有権者に不人気な緊縮財政ではなく、インフレによって自然に財政を健全にするという、政治家にとってはまことに都合のよい理論である。
シムズ教授は昨年夏に米国内の講演で自説を改めて披露。安倍首相への経済政策の指南役である浜田宏一内閣官房参与(米エール大学名誉教授)はそれを聞いて「目からウロコが落ちた」と持ち上げた。今年2月にはシムズ教授が来日して講演。また政権内では世耕弘成経産相が経済財政諮問会議でシムズ理論を引き合いに出し、政府による技術革新促進のための投資拡大を訴えた。
こうした動きからエコノミストの間では「シムズ理論が安倍政権の今後の財政運営のバックボーンになる」という見方が広がっている。
特に今の安倍政権にはシムズ理論に頼らざるを得ない事情がある。
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第1に、政府はすでに昨年から、金融緩和の限界をみて、財政の活用に政策の軸足を移してきている。主要7カ国首脳会議(伊勢志摩サミット)で安倍首相が各国に積極財政に向けた協調を提案したのも、日本の財政運営を緩めるための布石だった。実際に2016年度の第3次補正予算では7年ぶりに1.7兆円の赤字国債を追加発行するなど、拡張型の財政に踏み出している。シムズ理論はそれを正当化してくれる。
第2に、首相が公約した財政健全化目標(2020年度に基礎的な財政収支を均衡させる)の達成は誰が見ても不可能になっている。この目標を大幅に延期する際に、緊縮財政に慎重なシムズ理論は渡りに船となる。
第3に、安倍首相の在任中の最大の目標は憲法改正にあるとみられ、その実現に目途がつくまでは大幅な増税や歳出削減は避けたいところだろう。首相は来年9月の自民党総裁選挙で3選を果たし、2019年にも憲法改正に臨む可能性がある。となれば、2019年10月に予定している10%への消費税率引き上げの再延期も考えるとみるのが自然である。その際に「増税封印」を勧めるシムズ理論は心強い味方だ。
では果たして、シムズ理論への傾斜で「デフレ脱却と財政健全化」が本当にうまくいくのだろうか。
学者の間には「人々のインフレ予想に働きかけるという点で日銀の異次元緩和と同じであり、異次元緩和と同様、インフレ喚起に失敗する」との見方もある。だが、この理論は「インフレが起きるまで積極財政を続ける」という意味を含んでいるから、政権は積極財政を続けることになるだろう。経済が完全雇用に近いなかで財政による需要の追加が続けば、いずれはインフレになる可能性が大きい。
なぜこんなリスキーな策に出るのか
問題はインフレになった後だ。シムズ教授は「インフレ率が日本の目標である2%に達したら、財政政策や金融政策で引き締めればよい」という。しかし実際には日銀による国債購入の大幅な減額などで金融を引き締めると国債金利の急騰を招き、財政や経済に大きな打撃を及ぼすので、日銀が一気に引き締めに転じるのは難しい。
一方で歳出の削減や増税など財政による引き締めは、そもそも政治家が嫌うところ。かくして、いったんインフレになると2%を超えて加速し、高率のインフレになる恐れがある。高率インフレが視野に入ると資本の海外逃避による円安→物価高騰や、金利急騰による財政不安の拡大なども加わって、最悪では金融システム不安や、日銀や国債の信認低下など大混乱(つまりは財政・経済の破綻)に陥る可能性がある。
インフレ率を2%程度以下に管理するのは、非常に難しい。また運よくそれに成功したとしても、国内総生産(GDP)の2倍にのぼる政府債務の負担を目に見えて軽くするためには長い歳月を要する。客観的にみればリスクが大きく、果実にはそれほど期待できない政策といえるだろう。
そのような財政インフレ策に安倍首相が向かうとすれば、そこにはどんな計算が働いているのだろうか。
首相に近い政府高官(局長級)に聞いたところ、答えはこうだった。
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「安倍さんは、積極財政でインフレになれば金融を多少引き締めるだけでインフレ率を2%以下にキープできると考えている。また、緩めの財政運営を何年も続ければ、インフレが管理不能になる恐れは確かにあるが、安倍さんは自民党総裁の3期目の期限である2021年秋まで、そういう事態にはならないとみているようだ」
確かにエコノミストのなかには「財政運営が本当にニッチもサッチも行かなくなるのは、団塊の世代の全員が75歳以上となり医療・介護費が急増する2025年以降」という見方があるのも事実。また政府内では「日銀保有分の国債は永久に借り換えることにして、元本償還のための歳出を抑える」など破綻までの時間を稼ぐための検討も進めているようだ。
改憲までは「ゆるゆる」が続く?
しかしトランプ米政権をはじめ欧米諸国がポピュリズム志向を強め、積極財政で足並みをそろえれば、2〜3年内に世界的にインフレ傾向となる公算もある。その影響で日本では予想以上に早いテンポで物価が上がり、金利も上昇して、財政・経済の破綻が早まる危険性も見逃してはならないだろう。
仮にそうした事態を避けられても、緩い財政運営のままでは、安倍首相の退陣後、医療などの社会保障費が急増する2025年が近づくにつれて財政破綻のリスクが高まるのは火をみるより明らかだ。
憲法を改正して歴史に名を刻むため、首相は少なくとも自身の在任中の財政について極めて楽観的に見ている――。先の政府高官の話からは、そう推察せざるをえない。
よりにもよって財政の非常時に、憲法改正という大事業を掲げるリーダーが出現し、しかもなぜか国民からの支持が高い。皮肉な展開というしかないが、どうやら現政権が「ゆるゆるの財政運営」(政府高官)に突き進み、財政破綻のリスクを増大させるのは避けられない見通しとなってきた。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/16/011700041/030600005/
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