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奨学金滞納・給食費未納・就職失敗の人の「自己責任」を問うのは、間違っているのか
http://biz-journal.jp/2017/03/post_18225.html
2017.03.05 文=午堂登紀雄/米国公認会計士、エデュビジョン代表取締役 Business Journal
給食費未納問題に端を発し、給食費を無償化しろという意見が出ています。奨学金の返還が困難な人が増えているという問題に端を発し、「奨学金という名の学生ローンだ」「給付型にしろ」などという意見が出ています。昨年12月に成立した「カジノを含む統合型リゾート施設(IR)整備推進法案」、いわゆるカジノ法案に対し、「ギャンブル依存症が増えたらどうするんだ」という意見が出ています。
この問題を、「なぜ日本からアップルのような企業が出てこないのか」という問いから考えたいと思います。
といいながら、これはそもそも問いの立て方が間違っていて、別に日本に限らず、イギリスからもドイツからもフランスからも、世界的なイノベーター企業や起業家が出てくる頻度は高くありません。社会福祉が手厚いといわれるスウェーデンなどの北欧諸国、創造的な学校教育が行われているといわれるフィンランドからも、それほどたくさん出ているわけではありません。
もちろんいるにはいます。しかし、グーグル、アマゾン、フェイスブック、テスラモーターズ、ペイパルなどといった、「人々の利便性やライフスタイルを大幅に改善し、二度と元には戻れなくなるようなもの」を生み出して「世界を席巻する」ような企業が「続々と」生まれている、というわけではありません。
つまり本来は、「なぜアメリカだけから、アップルのような企業が出てくるのか」「なぜアメリカだけから、スティーブ・ジョブズ氏のような起業家が生まれるのか」という問いを立てるほうが、より考えやすいでしょう。
実際、マーク・ザッカーバーグ氏やジェフ・ベゾス氏のようなアメリカ生まれのアメリカ人だけでなく、たとえばグーグル創業者のセルゲイ・ブリン氏はロシアから移住、ペイパル創業者のピーター・ティール氏はドイツから移住、同じくペイパル創業者でテスラモーターズやスペースXを率いるイーロン・マスク氏は、南アフリカからアメリカに移住して起業しています。
ロシアや南アフリカにいてはできなかった(かもしれない)ことが、アメリカならできる(可能性が高まる)ということでしょう。
もちろん、ベンチャー企業やアーリーステージのビジネスに投資する市場の分厚さ、成熟度といった違いはありますが、それを個々人が嘆いても仕方がありません。
■「自己責任」
では、ほかに何が違うのか。そう考えたとき、アメリカの象徴的な価値観のひとつに「自由主義」が思い浮かびます。
しかし「自由」を裏返せば、「自己責任」です。つまり、「好きにしていいよ。でも、どうなってもそれは本人の責任だよ」というわけです。逆に「好きにしていいよ。その責任は誰かが取ってくれるよ」とはならないでしょう。
給食費未納問題も、奨学金滞納問題も、基本的には本人の判断と選択による結果です。
親も学校に給食があり、給食費を払う必要があることを知っていて子どもを学校に通わせているでしょう。給食費を払いたくないなら、最初から給食がない学校へ行かせればいいだけのはずです。
奨学金も、返済できない収入の職業を選んだのは自分であり、誰かに強制されたわけではない。就職ができないというのも、ではなぜ同じ学校・同じ学部に通った同級生は内定を勝ち取れたのか。自己分析が曖昧なまま就職活動をしたか、学生時代に自己の鍛錬を怠ったか、何か理由があるはずですが、でもそういう生活を選んできたのはほかでもない自分自身。
私自身も就職が決まらず大学卒業後はしばらくフリーターをしていましたが、就職活動に出遅れ真面目に取り組まなかったからなので、やはり結果には原因があるということです。ギャンブル依存症も、そのギャンブルにお金を使っているのは本人であり、強要されているわけではない。つまり、いずれも本来は自己責任のはずです。
しかし、日本のメディアや世論も、個人に対し「もっと努力したほうがいい」「頭を使え」とは決して言いません。そのほうが、大衆に受け入れられやすいからです。貧困や格差の問題も、「個人が努力しろ」とでも言おうものなら、炎上するからでしょう。
そのため、奨学金が返済できないのは貸す側の問題だ、奨学金という名称がまぎらわしい、給食費は無償化すべき、貧困や格差は社会の構造がおかしい、などと責任の所在を個人ではなく外部に求め、他人に責任転嫁しようとして、解決方法には向かわない。
そして行政もそんな批判を恐れる。そのため、FXのレバレッジを25倍(個人)までに規制する。社会から「政府は無策」「責任を取れ」と糾弾されるのが怖いからです。でも、FXにお金を出し、無謀なタイミングで無謀なポジションを張ったのは本人自身なのに。
生卵による食中毒事故のほうが圧倒的に多いけれども、それは禁止されずユッケの提供が禁止される。しかし、生肉は(病原菌や寄生虫などの問題があるため)本来は食べてはいけないとか、抵抗力の弱い子どもには生ものは控えるべしという昔ながらの教訓はかき消される。
■思考停止
責任を個人ではなく、社会や制度に求め、誰かに守ってもらおうという風潮は、人々を思考停止に追いやります。なぜなら、「こういうリスクが潜んでいるかも」「そのリスクを回避する方法は何か」などと考えなくていいからです。そうした価値観の持ち主が多いことや、そんな圧力がかかりやすい社会的環境も、世界を変えるような起業家がなかなか登場しない理由のひとつではないでしょうか。
もちろん、「そんな起業家を輩出する国になることよりも、自分の生活が大事」という感情も当然だと思います。
私もアメリカ礼賛というわけではなく、ひずみや問題も数多くあることを知っています。
たとえば、社会保障制度はまだまだ未整備で、保険に未加入のため医者にかかれない人はたくさんいます。家を持てず車の中で生活する人も少なくありません。銃で武装し自分を守らなければならないというのも、自己責任の究極かもしれません(全米ライフル協会の圧力という声もありますが)。
それに、すべての責任を個人に押し付けることを支持するわけでもありません。たとえば、地震や台風は個人の判断と選択とは関係ありませんし、テロなども個人の判断と選択とは関係なく起きる。
しかし、頑丈な家を建てておくとか保険に加入することで、ある程度は自然災害の被害を低減できるでしょうし、「人が大勢集まる場所に行くのを避ける」ことでテロに遭う確率を下げることもできる。つまり、考えれば何かできることはある。
しかし、給食を食べるだけ食べて給食費を払わない、奨学金を使うだけ使って返済しない、果ては本人の就業状況や懐事情まで、「自己責任」ではなく「誰か別の、社会や制度といった曖昧なもの」に責任を転嫁するような精神性では、「何事かを成す」人材にはなれないでしょう。
繰り返しになりますが、そこには「自分で知恵と工夫を働かせてなんとかする」という姿勢ではなく、「自分で考えるのは面倒くさい、人より努力するのも面倒くさい、でも現状に不満。でも悪いのは自分じゃない。だから誰かなんとかしてよ!」という依存の発想では、弱い立場のままです。
一方で、前述したアメリカの起業家たちは、自分の状況が良くないのは社会のせいだなどと不平不満を言ったりしないでしょう。そんなヒマがあれば「どうすれば解決できるか」を考え試行錯誤してきたから、今の彼らがあるわけです。
■人生のリスクすら極小化
そういえばビル・ゲイツ氏やザッカーバーグ氏の母校であるハーバード大学(といっても2人とも中退ですが)のミッションにも、「異なる考え方と表現の自由を尊重し、新たな発見と批判的思考に喜びを見いだすこと。協力してことにあたるにあたりリーダーシップを発揮すること。自らの行為に責任をとること。生涯にわたって知識を広げ、社会に貢献すること」とあります(The Mission of Harvard Collegeより抄訳)。世界最高峰の大学の一つハーバード大に入学するにも、「自らの行為に責任をとる」人が求められるわけです。
つまり、弱者から抜け出し自由や成功を手に入れるには、「すべてが自己責任」と捉えて行動することです。
進学するかどうかは自己責任、就職できる・できないも自己責任、収入が多い・少ないも自己責任、リストラに遭う・遭わないも自己責任、成功する・しないももちろん自己責任。
そう考えれば、自分がやるべきことを自分で考えますし、未来を予測し、さまざまなリスクに対しても自ら備えようとします。
たとえば自分のスキルや職業に対しても「将来こうなりそうだから、今から準備しておこう」と考えます。あるいは、「安い料理を出す店には安い理由があり、それは健康リスクにつながるから行くのは控えよう」とか、「転んでケガをしないように、駆け込み乗車はやめよう」といった判断にもつながります。
それは仕事やお金の面に限らず、人生のリスクすら極小化できるのではないでしょうか。
(文=午堂登紀雄/米国公認会計士、エデュビジョン代表取締役)
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