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写真はイメージです
6歳から受験勉強、壊れるエリートたち…この競争にゴールはあるの?
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20170226-00665734-jspa-life
女子SPA! 2/26(日) 9:10配信
受験シーズンもそろそろ佳境を迎える時期ですね。子役タレントの芦田愛菜(12)が偏差値70オーバーの有名中学に受かったことや、大学入試でもめて母親を殺害してしまった高校3年生の話まで、さまざまなニュースがありました。
いずれにせよ受験が人生を左右する要素になっていることは否定できません。しかし、じゃあ受験競争を勝ち抜き人気企業に就職をして、高い収入を得られたからといって必ず幸せにつながるかといえば、実はそうとも言い切れないのが難しいところ。
◆6歳でもう始まっている、アメリカのエリート競争
それを踏まえたうえで、改めてこの競争について考えてみたいと思います。英・エコノミスト誌が運営するサイト『1843』に「HIGH-PRESSURE PARENTING」(子供たちにプレッシャーをかける養育について)という記事が掲載されていました。
寄稿者のライアン・エイヴェント(エコノミスト誌・副編集長、米ワシントン州在住)は、小学校低学年の子供2人を持つ親。そのうちの1人、6歳の娘のクラスメートは、すでに有名大学への進学を見据えて準備に追われているのです。
一般に欧米では子供の自主性を重んじる教育が行われていると思いがちですが、実はそうではないのだそう。入学テストのスタイルが異なるので求められる能力が違うにしても、時間とお金をかけて入試の準備をする点では変わりがありません。
朝早くに子供を起こして、まずは読み書きと計算の特訓。そして、学校が終わったらお稽古事や課外活動のスケジュールが詰まっている。学業では失点をせず、それ以外の“社会へ自主的に貢献する”部分でより多くの加点を目指す。
これが、アメリカのトップ大学、ひいてはエリート階層へと続くレールであり、そこから道を踏み外さなかった人だけが完全無欠の幸福を手に入れられるというわけです。
◆親同士の競争心、子供はまるで「投資物件」
それでも冷静に考えれば、小さいうちからこんな「馬鹿げた競争」(原文・rat race)に我が子を参加させるのは忍びないと分かるはず。なのに、どうしてその中に入ってしまうのでしょう? エイヴェントは、そんな親の心理を次のように分析しています。
「確かにこんな制度はどうかしていると嘆くのは簡単だろう。でもよそがドリル用のフラッシュカードで特訓しているのを見たら、“ウチもやらなきゃ”と思うものなのだ。」
(筆者訳、以降の「」内も同様)
親同士の射幸心が受験ビジネスを支えているのですね。ゆえに、親が“子供の将来のため”と熱心になるほどに、いつの間にか投資対象として有力かどうかという視線に変わってしまう。受験戦争を勝ち抜いた子供が、家や絵画と同じ資産のように扱われてしまうのです。そして最後には、“資産価値”、つまりは学歴や収入の高低によって、人生の勝者と敗者に分けられる―――。
◆狂ったように走り続けて、燃え尽きる
しかし、エイヴェントは学歴によって人生の勝敗が決まることなどあり得ないと考えます。それはあくまでも大学までの話で、人生そのものには結果を比較したり、勝者と敗者を区別する明確なゴールなどどこにもない。ゆえにエイヴェントは、この終わりなき“キャリア戦争”の行き着く先にあるものは燃え尽きだと見ています。
「親は、誰も勝者となり得ないレースを勝ち抜かせようと、教育にありったけの時間を費やす。そのように育てられた子供は、どれだけ頑張ったところで満たされることのない成果を求めて、狂ったように走り続けるだろう。
だが彼らがそのレースから降りるとき、それは、精神的にも肉体的にもエネルギーが尽きたことを意味する。」
◆エリートビジネスマンが殴り合う理由
こうしたエリートたちの“燃え尽き”を裏付ける記事が、同じ『1843』に昨年掲載されていました。
それはボクシングにハマる香港のビジネスマンのお話。(「HONG KONG’S REAL-LIFE FIGHT CLUB」)
彼らはただのエクササイズでは飽き足らず、実際に試合で殴り合うのだそう。しかもそれが「White Collar Boxing」というイベントで見世物になっているというのです。他人がうらやむキャリアと収入があるのに、どうしてわざわざ痛い思いをしたがるのでしょう?
「THE LAW」のリングネームを持つ、エド・ピールの話が象徴的です。
「負けた事実以上に、試合の中で自分が犯したミスについて繰り返し反省しているんだ。あんなに練習したのに、実戦で発揮できなかったじゃないか、とね。
でもその一方で、負けたらどうしようなんて思いながらリングに上がったわけじゃない。全部の試合を勝ちたいと貪欲にならなければ、あそこにいちゃいけないんだよ。」
これは、先の記事でエイヴェントが指摘した燃え尽きの一歩手前の状態ではないでしょうか。勝ち取ることで切り開いてきた人生だから、立ち止まって満たされる状態が理解できないのですね。だから、殴られて痛い思いをしてまで、新たな目標を設定する。
しかし、その“切り開いてきた”実感そのものが「馬鹿げた競争」の延長でしかなかったとしたら、一体どこに終わりがあるのでしょうか。
確かに世の中が認めるステータスや給与明細が示す数字では、彼らは幸せであり勝者なのだと思います。小さいうちから受験の準備に取り掛かるのも、子供にその安全な道を歩ませたいと願う親心からでしょう。気持ちは痛いほど分かる。
ひとたびルートに乗っかれれば、とりあえず食いっぱぐれないだろう。そうしてやるのが親の務め。何も間違っていません。でも、分かっちゃいるけど……。
◆親子関係が「取引」になっていないか?
最近、筆者の家の近所にゲームショップができました。毎日学校が終わったころに、カードバトルに興じる子供たちの姿を目にします。余計なお世話でしょうが、そのたびに思うのです。「こいつらかわいそうだな。どこにも逃げ場がないわ」と。
親が教育のための時間とお金を投資して、子供からのリターンを期待する。そんな親子関係がディール(取引)ならば、ほんのわずかな遊びのときにも、子供から小遣いを掠めとるディールが顔をのぞかせている。教育も遊びも、全て“コスパ”で判断される。
ゲームショップにたむろする彼らが香港のビジネスエリートになることはないでしょうが、それでもどこか追いつめられたように見える点では似たようなものです。
こんな現状ではほとんど無力でしょうけれども、最後にルー・リードの「Teach The Gifted Children」という曲をご紹介しましょう。”子供たちに、憐みを持つことや寛容であることの大切さを教えてあげなさい”、などと歌っています。
近年、“美しい国”を目指すとかいうどこかの国が道徳を必修化したがっているそうですが、当然そんな付け焼刃で身に着くほどたやすいものではありません。
それはともかく、エリートと呼ばれるからには、どうかそのことを頭の片隅にでも入れておいていただきたいのです。早々に道を踏み外した筆者からのお願いです。
<TEXT/石黒隆之>
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