http://www.asyura2.com/17/hasan118/msg/726.html
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日本人はやがて絶滅するのか?
1分で読める経営理論
日本の社会が機能停止状態になる前に
2017年2月6日(月)
ラファエル・プジョール
住人が誰も住まなくなってゴーストタウンと化した長崎県・軍艦島。(写真:PIXTA)
子供がいなくなる日
西暦4205年10月12日、日本から子供がいなくなる──。
これは東北大学経済学研究科の吉田浩教授の研究室などが、現在の人口や出生率などのデータを基に算出した日付だ(「日本の子ども人口時計」2016年版による)。もちろん、この日は遥か遠い未来であり、計算通りに進むかどうかは神のみぞ知るだが、経済学者たちが言いたかったことは、「確実に日本が人口減少のステージに入った」ということだ。
2016年12月には1億2692万人の日本の人口が、2050年には1億人を割り込み9708万人(国立社会保障・人口問題研究所の推計)に、2100年には8300万人(国連の推計)にまで減少すると予測されている。
この人口の急降下の原因は何なのか。日本では死亡者数が出生者数を上回っており、数年前から人口減少が続いてきた。例えば2015年には約100万8000人の赤ん坊が生まれたのに対し、死亡者数は約130万2000人で、すでに年間30万人近い“人口赤字”となっている。
婚外子の割合も非常に低い
“日出づる国”日本では結婚に興味を示さない人が増えた。一方で欧米諸国とは異なり婚外子の割合も非常に低い。国立社会保障・人口問題研究所「第15回出生動向基本調査」(2015年)の調査によれば、未婚者のうち恋人がいない人は男性で70%、女性で60%と前回調査よりも増加した。経済的な要因や慎重さがあいまって結婚する人の数が減り、子どもの出生率(2015年の合計特殊出生率)は1.45(2年ぶりに上昇したが)、女性の平均初婚年齢は29.4歳、平均初産年齢は30.6歳と晩産化が進む。
多くの現代女性たちは「出産によって仕事を犠牲にしたくはない」と考えている。そのためこの数年間、日本の政府や地方自治体、企業は、女性が仕事か結婚・出産の二者択一を迫られる状況を打破し、出生率を上げるための措置を講じている。保育施設の充実、育児休業期間の延長、様々な経済的援助、夫が子育て・家事のための時間を取れるようにすること、そして不妊治療費の援助などだ。
一方、平均寿命は世界最高レベル
ところで、平均寿命では日本は世界最高レベル(男性80.79歳、女性87.05歳)である。社会の高齢化は日本が抱える大きな問題の一つだ。65歳以上の人口は3300万人(構成比26.0%)で、15歳未満の人口(構成比12.8%)の約2倍(2014年の人口推計より)にまでなった。人類の伝統的なピラミッド型の人口比率が逆転している。その上、高齢者の中でも、80歳以上の人々が総人口の8%を占め、2015年には1000万人を突破、高齢者の分類の中でもさらに高齢化が進んでいるという現実がある。
では何ができるのか?
人口は「出生者数が死亡者数を上回る」か、「外国人の在留者が増えるか」によってしか増加しない。出生者数が死亡者数を上回るのは、日本では現実的には非常に難しいだろう。日本の人口構成比から言えば、今後も死亡者数が増加し続けるのは確実だからだ。一方の出生者数は増えるのか? これも現実的には難しいだろう。国連は2010年から2015年の5年間で530万人だった日本の出生者数が、2045年から2050年には430万人になると予測している。この現実を前にして行政当局は本当に有効な対策を取っているのだろうか? そしてそれらの対策で十分なのか?
日本人が外国人労働者を受け入れるのは可能か
出生者数を維持するのが無理であれば、日本には別の解決策も考えられる。それは外国人労働者の受け入れである。しかし、外国人の長期在留者の数字を見ても、現在その数は他国に比べて非常に少なく、約250万人で総人口の2%にしか及ばない。
歴史的に見ても、日本は長く外国に門戸を閉ざしてきた。日本人のいわば“純血主義”の意識の壁は高く、一部の韓国・朝鮮人のみに特別永住者として在留許可が与えられて来た。
もっとも、現在では外国人受け入れにオープンな空気が流れつつあるのも事実。「WinGallup」の調査によると、外国人の受け入れを好意的に見る人の方が、批判的に見る人よりも多数となっている。
日本は人口学的に衰退の過程にある国家
外国人労働者へのさらなる門戸開放を望む企業からの要請もあって、政府は外国人労働者の受け入れ枠をわずかではあるが広げている。フィリピン・ベトナム・インドネシアの3か国から介護福祉士を受け入れたり、学生・奨学生ビザの拡大、永住許可申請に必要な居住年限の短縮、高度外国人材や短期雇用の受け入れ活性化──などの措置をとってきた。
とはいえ、今後50年間で1000万人の外国人労働者を受け入れるという目標を達成するには限界がある。外国人労働者が日本の人口問題を簡単に解決してくれるというわけにはいかないようだ。
絶滅の危機にある国──という表現は大げさであるし、日本国民にとって大変失礼でもあろうが、日本は人口学的に衰退の過程にある国家であるということは言えよう。日本の政治家と国民は、社会が機能停止状態になる前に、国内・国外の両方から現在の人口動態を逆転させる有効な施策を模索していかなければならない。
このコラムについて
1分で読める経営理論
スペインのIEビジネススクールで教える教授陣が、経営や社会、テクノロジーなどをめぐる最新の話題について分析・紹介するショートエッセイです。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/283738/012900037
日本が資源大国に返り咲く「海のジパング計画」
元素が買えない 自国優先主義が招く危機
沖縄深海底に「宝の山」はあったのか
2017年2月6日(月)
島津 翔
日経ビジネス2月6日号の特集「元素が買えない」では、世界各国で自国優先主義が台頭し、調達リスクが顕在化しつつあることを指摘した。本稿では、国家プロジェクト「海のジパング計画」で沖縄海底を調査する探査船「ちきゅう」の航海記を掲載する。
海のジパング計画の正式名称は、次世代海洋資源調査技術。内閣府が手掛ける戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)の一つであり、数十億円の国家予算を投入する。狙いは、海底下に眠る“宝の山”を掘り当てること。その一つと期待されるのが「海底熱水鉱床」だ。深海底から噴出した金属が沈殿してできた海底の鉱山である。
「黄金の国ジパング」と呼ばれた日本はかつて、世界有数の金銀銅の産出国だった。だが、陸上資源は枯渇し、現在では金属資源のほぼ100%を輸入に頼る。海のジパング計画は、日本がもう一度資源大国になるための壮大な計画である。
海底探査の最大のハードルは、正確な場所と効率的な調べ方が分かっていないこと。プロジェクトの推進役である国立研究開発法人・海洋研究開発機構が保有する探査船「ちきゅう」などを使って、調査技術の開発を進めている。
昨年末、30日間の航海に出た探査船「ちきゅう」は、海の底で何を見たのか。
2016年11月16日@高知
午前4時半。まだ夜が明け切らぬ高知新港に巨大な船が停泊していた。無数の光を点滅させている様は、まるで大規模な工場のようだ。
海洋研究開発機構(JAMSTEC)が保有する地球深部探査船「ちきゅう」。水深2500mの海底に穴を開け、そこから地中を7000m掘削できる世界最先端の探査船である。ちきゅうはこの日、海底にある「元素の宝の山」を見つける旅に出ることになっていた。
出港まで残り4時間。最後の安全確認のため、船員が慌ただしく走り回った。
夜はまるで「工場」のように見える、地球深部探査船「ちきゅう」(写真:山下 隆文)
もはや国内の陸上資源は掘り尽くした。日本が再び「ジパング」として輝くためには、海底に活路を見いだすしかない。
ターゲットは明確だ。沖縄海域に存在する「海底熱水鉱床」。海の底の地中深くから噴出する金属成分が沈殿した、海底の鉱山だ。金や銀、亜鉛に加えてガリウム、ゲルマニウムなどの希少資源を豊富に含んでいる。
ちきゅうに課せられた使命は、海底熱水鉱床が生まれるメカニズムを解明すること。その原理が分かれば、日本周辺のどこを集中的に掘ればいいか推測できる。本格的な産業化をにらんだ調査航海である。
16日午前9時。明るくなった高知の海で、ちきゅうはいかりを上げた。長い3度の汽笛が鳴る。「長3声」と呼ばれる、見送りに対する礼を兼ねた慣習である。この汽笛が、沖縄海域に向けた30日間の航海の始まりを知らせた。
「ちきゅう」のもう一つの目的
デッキで手を振ったJAMSTEC主席研究員の野崎達生はその足でミーティングルームに向かった。17人の研究員全員の自己紹介を終えた後で、野崎は改めて航海の目的を語った。
「海底の“宝の山”とも言われる海底熱水鉱床。航海のミッションは、鉱床が生まれるメカニズムを科学的に解明することだ」
「ちきゅう」は沖縄海域を調査する航海に出た(写真:山下 隆文)
今回の航海には、もう一つの隠れた狙いがあった。既に沖縄海域「伊是名(いぜな)」には海底熱水鉱床があることが分かっている。問題はその資源量だ。石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)は、740万トンと認定しているが、この量でビジネスとして成立させるのは極めて難しい。数千万トンが必要だ。
JOGMECの調査船「白嶺」は海底下50m〜60mしか掘ることができない。ちきゅうはその数倍は楽に掘れる。もし鉱床が深さ方向に続いていれば、資源量は数倍になる可能性があった。
2016年11月19日@沖縄
3日間の航海を経て沖縄・名護港に着いたちきゅうに、もう一人の主席研究員である熊谷英憲が乗船した。二人の研究責任者を乗せ、すぐに調査海域に移動。無人の遠隔操作探査機を海底面に降ろした…
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【インタビュー後半のポイント】
●「研究者人生で最大の発見」
●「海外勢に先行されてからでは遅すぎる」
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このコラムについて
元素が買えない 自国優先主義が招く危機
世界各国で自国優先主義が台頭し、調達リスクが顕在化した。 フィリピン発のニッケル供給不安、中国が起点となったリチウム高騰…。 偏在しているがゆえに、囲い込みによって「元素」が買えない時代が来る。 スマートフォンから家電、電気自動車…。生産に暗雲が垂れ込める。 資源を持たない日本が「元素ショック」を乗り越える道はただ一つ。 競争の土俵を変えるようなイノベーションを起こすしかない。 日経ビジネスDIGITALの有料会員向けには、記事全文を公開している。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/16/020200015/020300002
余命4カ月、あなたは会社に行きますか?
ダンナが、ガンになりまして
仕事と、仲間と、食べることを愛す(もちろん妻も!)
2017年2月6日(月)
Curiko .
口腔底がんの手術後、ものを噛む機能に障がいが残った夫・アキオさんのために、初めての介護食作りに取り組んだ料理研究家の妻・クリコさん。前回は仮の入れ歯を入れたアキオさんが、食べられるものが増えて、クリコさんが作る家庭の定番料理・介護食バージョンをさらに楽しみ、食べたいものを食べられるヨロコビを満喫。そこに生きる希望と活力を見出した…というお話をお伝えしました。今回はその後のお二人についてです。
(前回から読む)
ふわふわの鶏団子を詰めた丸ごと蕪を、和風出し汁でコトコトと煮含めた「蕪のふわふわ鶏団子詰め」。やわらかくてほんのり甘い蕪と鶏肉団子の旨味を、出し汁のきいたとろみあんがやさしく包み、とろけるおいしさが口いっぱいに広がります
快復への確かな手ごたえを感じていた、その矢先に
待ちに待った職場復帰を果たし、少しずつ仕事のギアを上げていくアキオは、まるで水を得た魚のようだった。わたしはそんなアキオを毎日、まぶしいような、頼もしいような想いで見つめる。アキオはやっぱり仕事が好きなんだなぁ。
アキオには大好きな仕事を思いっ切りやってほしい。
仕事が楽しそうなアキオを見るのがうれしかった。もちろん、食事も、仮の入れ歯が入ったことで、噛む力が増し、食べられるものが増え、アキオの食欲はとどまることを知らなかった。食べたいものを食べ、大好きな仕事に張り合いを感じているアキオの姿に、快復への確かな手ごたえを感じていたわたしは、すべてが順調に行っていると安心しきっていた。
だが、そのわずか1カ月後のある日、突然、アキオは「食欲がない」と体調不良を訴えた。ガンの再発だった。
医師からの余命宣告は淡々としたもの。
――残された時間は4カ月。
その頃の、わたしとアキオのメールが残っている。
アキオへのメール
わたしはアキオとずっと一緒。ふたりで頑張ろうね。愛してるよ。クリコ
アキオからの返信
おおっ!
この時、アキオは大きな不安の中にいたと思う。この短い「おおっ!」という返信は、自分を奮い立たせるための覚悟の言葉であり、「クリコ、頼むな」という言葉でもあるのだろうと、わたしはいくつものアキオの気持ちを想像した。ふたりで新たに闘う覚悟をした瞬間だった。
アキオは会社に出社することを止めなかった
自分の命の終わりを宣告されたら、ひとは何を考え、残りの日々をどう生きようと思うのだろう。
快復への手ごたえを感じていただけに、アキオにとっても、わたしにとっても、その宣告は大きな衝撃であり、信じられない、信じたくないものだった。そして、その現実は目の前にあった。
アキオとわたしは、生きる望みを捨てることなく、免疫細胞治療に望みを託した。その一方で、緩和ケア病棟への入院手続きも行った。
そしてアキオは、余命宣告後も、会社に出社することを止めなかった。
ガンとの闘いに体力を奪われ、普通なら歩いて10分程度の駅までの道を、7、8回休憩しないと行けなくなったと言い、1時間以上かけて歩いていく。タクシーで行くように言っても聞かない。苦しいのになぜそうまでしてと、わたしは思った。空気や木々の匂いや、家々の日常の風景を少しでも長く感じていたかったのだろうか。いつもと同じように普通に、今まで通りに暮らしたかったのかもしれない。
その後、アキオの体調が悪くなるにつれ、会社で任される仕事は減っていったようだった。それでも、アキオはどんなに小さな仕事でもうれしかったらしく、一生懸命に取り組んでいた。
「みんなさあ、優しくて、すごくいい職場なんだよぉ。僕なんかさあ、もうできる仕事なんかほとんどないのに、嫌な顔ひとつしないで居させてくれるんだよ」と言い、心から感謝していた。
仕事は生きる糧だ。
生きるためのお金を稼ぐというだけの意味ではない。
社会とつながり、仕事を通じて自分が人や会社や社会といった、誰かや何かの役に立っているという喜びがそこにはあるのだろう。思うように働けなくなってしまっても、いや、自分の生命の終末を見つめたからこそ、アキオは出社をヤメず、社会とつながり、生きている実感を求めていたのではないかと思う。
僕がいなくなった後は、妻をよろしく頼む
そして、アキオは友人達とのお別れの会を自ら計画した。幼なじみ、大学時代の友達、会社の仲間との食事会をそれぞれ催し、友人たちと語らうひと時を楽しむ。もちろん、わたしも一緒に連れて行く。
「僕がいなくなった後は、妻をよろしく頼む」とアキオは言い、友人らに別れを告げる。アキオの病状をずっと見守り、快復を応援し続けてくれた友人たちは涙を見せまいと決めていたのだろう。いつもと変わらぬ、笑いの絶えない語らいに湿っぽさはなく、明るくさらりとした別れだった。
お別れの会でも、アキオは食べることを楽しんだ。うなぎ会席、ちらし寿司、しゃぶしゃぶ…。自分で行きたい店を選び、料理のほとんどを食べた。わたしが以前からアキオと一緒に行きたかった豆腐会席のお店にも仲良しの友人夫妻と一緒に行き、さまざまな工夫を凝らしたお豆腐料理に、アキオは「おいしいね。君がずっと来たがっていた店にやっと来られたね」と満足そうだった。
そうそう、この頃、アキオと入った有名珈琲チェーン店で、アキオがアボカドとソーセージのアボカドドッグを注文した。両手で力いっぱいつぶして、アキオは長い時間をかけてこれを食べ切った。口のまわりと手がアボカドの緑色に染まってる。子供みたいでかわいい。
ああ、あのときハンバーガーをおいしく食べたと言っていた(前回、ついに職場復帰! 召しませ愛の「流動食弁当」でお伝えした)のは、本当だったんだ。アキオは食べたいモノを食べておいしく味わったんだと、胸が詰まるほどうれしかった。
会社の机の中の私物を取りに行きたい
アキオが最後に楽しんだ外食は穴子丼だ。
医師から、出社禁止の絶対安静を言い渡されたあと、アキオは「会社の近くに、おいしい海鮮丼を出す店があるから、どうしてもクリコに食べさせたい」と、車椅子のアキオが連れて行ってくれたのだ。
わたしが海鮮丼を食べ、アキオは穴子丼を食べる。食べることが大好きなアキオとわたしはいつも、外食時には必ず、別々に違う料理を注文する。そうすれば「半分こして、分けっこ♪」することで2つの違う料理を楽しめるからだ。
このときも、もちろん海鮮丼と穴子丼を分け合って食べた。わたしが「おいしいね」というと、アキオは「でしょっ」と得意げな笑顔を向けた。
その店を出ると、アキオの勤務先の会社は目と鼻の先。わたしは、食事を終えたらすぐタクシーで帰るつもりだった。なにしろ医師から絶対安静と言われている。これ以上、無理をさせるわけにはいかない。だが、アキオは「会社の机の中にある私物を取りに行きたい」と言い出した。
……もしや、会社に行きたくて海鮮丼を持ち出した!? 謀られた!
どうしても行きたいというアキオに根負けしたわたしは、ちょっとの時間だけと約束させて、アキオを職場へ連れて行った。
アキオの姿を見つけると、フロアのあちらこちらからたくさんの同僚の方々が集まってきて、アキオの車椅子を取り囲み、次々と声をかけてくれる。そのときのアキオのうれしそうな顔といったら! どれだけ職場を愛しているんだ、この人は!
アキオが言っていた通り、こんなにやさしい人たちに囲まれて、アキオはなんて幸せなんだと、うれしかった。彼を職場に連れて来て本当によかった。アキオの残された時間がわずかであることを知っているひとの中には泣いている方もいたが、アキオは笑って、言葉を交わしていた。わたしは、ああアキオは大好きだった職場とその同僚の皆さんにひと目会って挨拶をしたかったんだな、と気づいた。
一番大切で、最後に残されるのは希望
それからも、新しいスマホを買ったり、デジタルスピーカーを買ったり、わたしに内緒のプレゼントを用意してくれたり、余命宣告の期限より先のコンサートのチケットを買ったりと、アキオが生きることを放棄することはなかった。
以前からわたしが行きたがっていたヴェネツィアへ旅行しようと言い出した時は驚いたが、わたしに楽しい思い出を残そうとしてくれるアキオの想いがうれしかった。
この頃のことを思い出してみると、アキオは「生きられるところまで生きるのだ」という希望と強い意志を持ち続け、やがて訪れる終末への覚悟をしながら、 わたしに一生懸命、愛を残そうとしてくれていたのだとわかる。
「僕はもう君を守ってあげられないんだから、自分に嘘をつかないように生きていかなくちゃいけないよ」
この時期、つらくなかったとは言わない。
いやもう、本当は心底つらかった。
それでも生きる希望、生きる楽しみを持ち続けたアキオの姿に、わたしは勇気をもらい、どんなにつらくても傍らで見守ることができたのだと思う。アキオが病気と闘う姿や、余命宣告後の日々の姿を間近で見ていて、生きる上で一番大切で最後に残されるのは希望なのだと教えてもらった。
僕がどれだけ君を愛していたかがわかるよ
ある時、アキオは「僕の人生は、圧倒的に幸せだったなあ」と、涙を浮かべてしみじみとつぶやいた。自分の人生を振り返り、さまざまなことを思い出しての言葉なのだろう。それを聞いたわたしは、あああああ…、よかったあああああと涙があふれた。そして、アキオの隣で、わたしも圧倒的な幸せに包まれたのだった。
―――食べることは生きること。
家族で一緒にごはんを食べて「おいしいね」と笑顔がこぼれる食卓、家族のために作る食事、毎日の当たり前の光景がどれほど価値のあることか。わたしがアキオのために毎日作った介護食にも、生きる希望が詰まっていたのだと、いまは一つひとつの料理のレシピを愛しく思う。
アキオが去って4年が経った。
アキオが食べておいしいと喜んでくれたレシピを、今まさに介護食作りで苦労されている方々の役に立ててほしいと、わたしは活動を始めた。わたしが迷ったり、悩んだりするときは「クリコが思う通りにやればいいよ」とアキオがわたしの背中を押してくれている気がする。アキオとの二人三脚は現在進行形だ。
亡くなる前、アキオはじっとわたしの目を見て「僕が死んだら、僕がどれだけ君を愛していたかがわかるよ」と、いつになく真剣な面持ちで言った。その時、わたしは「そんなこと、今この瞬間だってわかってる。わたしがわかっていないと思ってるの?」と戸惑い、何も言えなかった。でも、今ならわかる。アキオの不在がもたらした欠落感は、わたしにとって人生最大のピンチだったからだ。惜しみない愛情に包まれていた日々を思うたび、アキオの愛の深さ、大きさを強く感じている。
………いやいやいや、でもやっぱり!
絶対、断然、圧倒的に、わたしの方がアキオを愛してる!!と、声を大にして書いておこう。
次のページに「アキオごはん」の数々が。次回は、著者インタビューを掲載いたします(編集Y)。
わたしが作ったアキオごはんをご紹介します
ポーチドエッグのトマトソース添え
ポーチドエッグ(沸騰したお湯に卵を割り入れて作る半熟卵)のふわふわ食感とトロ〜リ濃厚な黄身が至福の味わい。さわやかな酸味のトマトソースと絶妙なハーモニー
クリーミーなポテトピュレのサラダ
ジャガイモのピュレ(茹でてつぶした状態)にたっぷりのバターと牛乳を混ぜるだけ。バターのコクと香り、滑らかでクリーミーな食感がやめられないおいしさ。いろいろなトッピングを楽しんでいただけます
海老ビスク(スープ)のリゾット
全粥に市販の海老ビスクスープ(海老の旨味を煮出してクリームを足した濃厚スープ)の粉末を混ぜるだけで、海老の旨味がぎゅっとつまったリゾットのできあがり。家庭では出せない海老の濃厚風味が超リッチ
3分で作れる!簡単かぼちゃプリン
冷凍かぼちゃのピュレ(茹でてつぶしたもの)に、卵とミルク、ゼリー化パウダー(介護食用のゲル化剤)を混ぜるだけ。たった3分でできる濃厚なめらかプリン。カラメルソースは市販品でOK
このコラムについて
ダンナが、ガンになりまして
会社員アキオと専業主婦クリコは仲良し夫婦、というか、仲良し過ぎるバカップル夫婦。だが、夫アキオが口腔底ガンに。復活への意欲を燃やすが、体力を回復しようにもまず普通の食事ができない。妻クリコは奔走の過程で、味も見た目も「…」な介護食のお寒い現実を思い知り、決意する。「よし、それなら夫のために、おいしくて栄養のある介護食を私が作る」。仕事と、夫婦と、食事への愛情を綴る、バカップル・ノンフィクション。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/16/102500028/020200009/
「うまくいかない会議」3つのチェックポイント
会議が変われば、仕事が変わる
試して、実感して大きな差をつける
2017年2月6日(月)
横田 伊佐男
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突然ですが、会社に勤めるビジネスパーソンにお願いがあります。
ご自身の手帳やスケジューラーを開き、どれだけ「会議」に時間を割いているか計算してみてください。どうでしょう。スケジュールに占める「会議」の数と時間って、驚くほど多くありませんか。
朝会、営業会議、進捗会議、他部署との連携会議、半期に1度の戦略会議、役員会議…。会議、会議、会議のオンパレードのはずです。
そして、こんなボヤキを抱えていませんか。「会議、会議、また会議で自分の時間が取れない…」。「意味のない会議で、時間だけが無駄に過ぎていく…」。
会議を仕切る、もしくは会議を部下に任す立場の管理職であれば、「お通夜じゃあるまいし、また誰も発言しないよ…」、「会議に“ぶらさがってる”部下たちばかりだ…」といった不平に近いボヤキも聞こえてきそうです。
「ボヤキ」と言ったのには理由があります。「痛み」がないので、「悩み」にならないのです。悩みにさえならない「会議」。しかし、改めてスケジュールを眺めてみると、なんとまあ、会議に支配される時間が多いことでしょう。愕然としてしまいます。
「何を決断したか」が肝心
ビジネスパーソンにとって、なくならないもの、それが「会議」です。忙しいビジネスパーソンにとって、非効率な会議ほど避けたいものはありません。分かってはいるけど、何の手も打たず、ただ会議をやり過ごしてませんか。
あなたの部下、いやもしかしたら、あなた自身が非効率会議に文句も言わず、ただ参加している「ぶら下がり型ビジネスパーソン」ではありませんか。
実はこれがやっかいです。非効率会議は、ボヤキになっても痛みがない分、悩みとして顕在化されにくいからです。
「悩みとして顕在化されにくい」ということは、言い換えれば会議があると仕事をしているつもりになってしまうことを意味します。仕事をしているつもりというのは、安心してしまうのです。「あー、会議に次ぐ会議で、オレほど忙しいビジネスマンはいないよな」という方は、次のように問いかけてみてください。
「それらの会議で何を決め、何を決断しましたか」
答えられなければ、会議にぶら下がって安心している証拠です。
ボヤキが悩みにならなければ、仕事の効率を上げる機会がいつまでたっても改善されないのです。これは、実にもったいない。「非効率型会議」を「効率型会議」にするだけで、劇的に仕事の質は圧倒的に上がります。
会議は不要どころか、絶対に必要
ボヤキが多い「会議」。では、そもそも「会議」は不要なのでしょうか。
ともすれば、「会議」自体が悪者の代名詞とされてしまうこともあります。ちまたには、会議を減らす、会議をやめる、などのノウハウ本も見かけられます。長い会議を短くするために、座る会議をやめて、立って会議をする会社が注目されたこともありました。
しかし、会議についての問題の本質に近づかず、手法論に終始するノウハウは、本末転倒と言わざるを得ません。
「会議は不要か」という問い対して「いや会議は、絶対に必要です」が私の解答です。これは私見ではなく、各界のトップランナーも異論を唱えず、実践していることです。いくつかトップランナーの実例を挙げましょう。
《先進各国首脳の例》
先進各国の首相や大統領などの首脳は、かならず定期的にサミット(首脳会議)を行います。地理的に離れ、言語も異なり、多忙を極める首脳ならば、メールやテレビ会議が効率的かもしれません。しかし、そんなことは絶対に行わず、「会って」会議を行います。
多忙なスケジュールの中、ホスト国に赴いて、顔を合わせて限られた時間内で会議を行います。登山者をガイドする案内人を「シェルパ」と言いますが、サミット(頂点という意味)で意思決定を支援する各国政府高官もまた「シェルパ」と呼ばれます。シェルパが準備に準備を重ねて顔を合わす時間を有意義にするのです。
安倍首相も米国のトランプ大統領の就任が確定してまもなく、就任前に渡米会談して友好を深めたことは対面することの重要性を強く感じているからに違いありません。
《ソフトバンク・孫正義社長の例》
日本を代表する経営者として知られるソフトバンクの孫正義社長は、新聞の一面を飾るような買収や出資などの意思決定をします。独断的に意思決定しているような孫社長も取締役会議を有効に活用しています。
日本電産の永守重信社長、ユニクロで知られるファーストリテイリングの柳井正社長をブレーキ役、ご意見番役として社外取締役に据えて、会議の場を通じて、面と向かって孫社長自らに対峙できる実力者を揃えています。ボーダフォンを買収する際に、孫社長が柳井社長の後押しするアドバイスを参考にしたのは、有名な話です。
《楽天・三木谷浩史会長の例》
楽天グループの三木谷浩史社長もまた日本を代表する経営者です。「楽天経済圏」を標榜し、業種が通販、金融から球団経営まで行う多様性の中で三木谷氏が重要視していることがあります。それは毎週、定例時間に全社員が一堂に会しての会議(朝会)です。
インターネットサービスを推進している会社なので、テレビ会議、ウェブ会議に偏りがちに思われますが、三木谷氏は、「ライブで行う週一度の朝会に匹敵するほどのインパクトがある技術に出会ったことがない」と断言し、会議を活用しています(出典:三木谷浩史著『楽天流』講談社)。
例に挙げた賢者達はみな、「会議」の重要性を認識し、実践しています。会議を行うことでチーム間での意思疎通が実現され、多様な視点から思わぬアイディアや解決策が生み出されます。
うだつの上がらぬ経営者が言うなら説得力がないかもしれませんが、信頼を集め実績を出しているトップランナーです。上手に「会議」を活用し、意思決定や意識共有を図っているのでしょう。
こうして見ると、会議で忙殺される、会議がうまく活用できないとボヤく我々ビジネスパーソンとの差は、あまりにも大き過ぎませんか。その差は、一体なんでしょうか。なぜ、我々の会議は、うまく機能しないのでしょうか。
私はこれまで日本企業と外資系企業に勤務した後に、数百社のビジネスコンサルティングを行う中で幾千と会議に参加してきました。その経験から、「うまくいく会議」と「うまくいかない会議」を分ける、3つの「ステージチェックポイント」を発見しました。
会議前、中、後の3ステージで考える
3つのステージとは、「会議前」「会議中」「会議後」という会議を取り巻くステージです。会議自体は「会議中」というステージにあります。その会議を迎えるまでが「会議前」です。会議終了後は、何かしらの行動が必要になりますが、それが「会議後」となります。
それぞれ3つのステージには、気をつけるべきポイントがあります。
• 会議前:会議の論点を定め、人員を選定しているか。
• 会議中:3つのステップ(拡大・分割・俯瞰)で会議を運営しているか。
• 会議後:会議成果を共有し、行動につなげているか。
この3つです。たった3つのチェックポイントを意識するだけで、会議の質が驚くほど変貌します。「会議」が変われば、「仕事」が変わります。「仕事」が変われば、「会社」が変わります。「会社」が変われば、それは自分に還元され、「人生」が豊かになります。
これら3つのチェックポイントに答えるための簡単なノウハウがあります。
簡単なノウハウを知るだけで劇的に人生まで変化させることができるのです。知っていると知らないのとでは、大きな差が生まれます。だったら、試して、実感して大きな差をつけませんか。
次回から本格的に「最強の会議術」のノウハウをお伝えしていきます。
3ステップで組織の生産性が劇的に上がる! 最強の会議術 2月23日(木)開講!
講師の横田伊佐男氏
本コラム著者、横田伊佐男氏による1泊2日の合宿型講座です。「確実に」「ストレスなく」組織の生産性を上げる会議の進行手法を2日に分けてしっかり学べます。
プログラムは「最大の効果を引き出すためのカンタン準備術」「論点を定める『拡大思考』」「アイディアを整理する『分割思考』」「圧倒的な実行力を生み出す『俯瞰思考』」などで構成。15分の簡易ミーティングから数日に及ぶビジネス合宿まで、各種会議を効率的に取り仕切ることができるようになります。
2日間の時間投資で、すぐに会議の質が変わる本講座。ぜひご参加ください。詳しくはこちら。
このコラムについて
会議が変われば、仕事が変わる
会議に次ぐ会議…。ビジネスパーソンにとって「会議」は必要不可欠な活動ですが、忙しければ忙しいほど、非効率な会議は避けたくなるものです。効率的かつ生産性のある「会議」は、上級管理職から一般社員まで共通の願い。とはいえ、理想にほど遠いのが現状でしょう。
このコラムでは、その課題を解決しつつ、「受動的」に会議にぶら下がる社員から、「能動的」に会議を仕切るビジネスパーソンに生まれ変わるため、カンタンかつ最強の会議術を修得してもらおうと考えています。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/skillup/16/012600016/012600002/
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