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あれだけの事故が起きてもなぜ日本は「原発輸出」を続けるのか 大震災から7年、私たちが直面する問題
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54499
2018.02.28 堀 有伸 精神科医 ほりメンタルクリニック院長 現代ビジネス
東日本大震災から7年。南相馬の精神科医・堀有伸さんがいま考えていることを綴る。あの原発事故とは何だったのか? いま私たちが直面する問題とは? 前編はこちら:原発事故から7年、不都合な現実を認めない人々の「根深い病理」 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54498 |
震災後、非常に残念に感じること
東日本大震災後に被災地で計測された放射線量は高くない(もちろん、地域的には注意するべき場所は存在する)。
したがって、通常の生活を行う分には、深刻かつ直接的な放射線による健康被害が生じる可能性は、きわめて低いと考えざるをえない。
筆者もその意見に賛同しているが、このような主張を行った医療者・研究者への極端な反原発の立場からの罵倒や攻撃は、すさまじいものがあった。
しかし、ある程度物事に介入して活動を行った後で、その結果を科学的に評価し、その評価した内容を共有して次の行動を考えるというプロセスを共有できないのだとしたら、そのような人々と共同作業を行うことは大変に困難である。
同時に、震災後に非常に残念に感じていることがある。
原発事故を経て、放射線の健康影響への世間の関心が高まったことは、不幸なことではあったが、科学的な思考が日本社会において影響力を強めるという望ましい影響もあるのではないかという期待を筆者は持っていた。
しかし、この点について現状は不十分であると考えざるをえない。自分が「安全」か「危険」かを判断する主体となる責任を引き受けることを避けたい心理も働いていたのだと思う。
代わりに起きたことは、「原発推進派」と「反原発派」の勢力争いの様子見であり、除染への関心と資源の集中であった。
被災地の人の中にも、放射線の被ばくについての科学的な議論への興味が乏しく、政府や東京電力に「とにかく元通りにしろ!」と迫るものが少なくなかった。
もちろん、その主張には正当な面が多く含まれている。しかし結果として起きたことは、2.5兆円とも、それ以上になるとも言われている除染費用の拡大である。
そして、その費用は中央政府から、大手ゼネコンを介して協力企業へと分配され、その末端で少なくない地元の人も除染作業に従事した。1940年体制は、この面では再強化された。
日本型企業の「下請け制度」問題
福島の原発事故の後処理の問題を見る時に、1940年体制の問題点の中でも影響が大きいと感じるのが、日本型企業における下請け制度の問題である。
東京電力と協力企業の問題が指摘されることが多いが、その前提としてまず国と電力会社の関係性が、どのような意図によって構築されたのかを確認しておきたい。
野口の前掲書では、1937年に国会に提出され大論争を巻き起こしたが一回は撤回された「電力国家管理法案」の一部が紹介されている。
これはしかし1938年には実質的には同内容の法案が可決され、この考えが戦時期だけではなく戦後の経済政策にも大きな影響を与えた。
その主張は、次のようなものであった。
「民有国営なる国家管理の新方式は、かかる社会的背景において、国策の要求に促されて、発案せられたものである。これによれば、国有国営の場合に見るがごとき公債の増発を要せず、拡張計画において議会の掣肘を受けず、その経営活動において会計法の制約を蒙らず、あえて官吏の増員を要せず、また面倒なる国家報償の問題も生じないのである。
もしも民有国営なる電力国営の新方式がその合理適切性を一般に認められて、国家の経済統制の基本方式となるにいたるならば、国家統制は急速に発展し、しかも合理的に完遂されるであろう」
1940年体制における最上位の格付けは日本国政府である。その権威を守るためには、重大な責任が発生するリスクをなるべく担わないで済むように、他の主体に担わせなければならない。また、その権威を維持するために必要なコストも、他に担わせることで軽減できる。
そのような発想の下で、電力会社が国によって設立された事情があることを、この消息は明らかにしている。
この国と電力会社との関係性は、電力会社と協力企業との間にも転移される。格付けの上位に位置する存在は、主体的にリスクとコストを引き受けてくれる存在を、自分がコントロールする系列の上位に位置づけることが可能である。
したがって、1940年体制で序列の中で下位にあるものは、自発的に服従する姿勢をアピールすることを身に付けなければ、その序列の中での存在が危うくなる。
しかし同時に、重要な結果につながる決断の責任を可能な限り引き受けないように、他の者に押し付けるリスク管理にも、熱心になる。
このようにして、1940年体制が「日本的ナルシシズム」の心理体制を生み出し、この心理に強く影響されている者が、社会的に重要な地位を占めることで1940年体制が強化され、そのことが「日本的ナルシシズム」の心理を強化する循環が生じているのである。
しかしこのことが、重要な人間疎外に通じることは明らかであろう。
震災後に、ある東京電力の関係者から次のような話を聞いた。
その関係者も、双葉町の住人であった。原発事故で故郷を失い、別の地域で避難生活を行いながら、東京電力で地域住民からの苦情の電話を受けるサービスに従事した。
双葉町の住人から、ふるさとに戻れない苦しみを聞かされ、「お前たちにはその苦しさが分からないだろう」と厳しく責められた。
「自分も双葉町の住人だった」と言いたいが、それを口に出すことはできなかった。
そうすれば、次には「東京電力は、双葉町の関係者を盾にして責任逃れをしようとしている」と会社が非難されるだろう。
だから、つらくても黙って聞いていた。
政府の直営事業としての廃炉作業
私は現地で活動する東京電力および協力企業の方々の、震災後の努力と献身を心から尊敬しているし、そのことに深い感謝の念を抱いている。
もし原発事故が何らかの償いを要求するものだとしたら、この方々こそは、もっとも真摯にそれに取り組んできた人々の一部であろう。
あの原発事故の時に、命がけで事故収束に向けて奮闘した方々がいなければ、さらに事故が拡大し、より悲劇的な事態が出現していた可能性がある。
先に引用した「国会事故調 報告書」にも、次のように記載されている。
「(当委員会の問いに対して)彼らが語ったのは、プラント運転を担う運転員としてのプロ意識と、家族の住む地元への愛着心であった。幸いこのような環境を経験せずに済んだほかの原子力発電所の運転員にも同じような気概があり、逆にそのような気概のある運転員の勇気と行動にも支えられ、危機にあった原子炉が冷温停止にまで導かれた事実は、特筆すべきである」
しかし、この人々の労苦は十分に報われていない。
逆に、同報告書によると「原子炉事故の危険や恐怖が公知となった今、仮に次の原子炉事故が起こった場合にも、本事故と同水準の事故対応を期待できるのか」「そのような論題を真正面から議論するだけでも、原子力を継承する次の人材が確保できなくなるのではないか」という懸念が示されたとされている。
私は、勤勉や献身のような「日本人の美徳」が損なわれているとするならば、それは日本的美徳に批判や攻撃を行う人々によるものよりも、「日本的美徳」を体現する人々を何らかの意味で搾取の対象として恥じない勢力の存在によってそうなっていると考える。
私には、東京電力の本店が、現地の自社職員、あるいは協力企業の職員たちを、自分たちを守る盾として利用しているように見えることがある。
事故を起こした福島第一原子力発電所の廃炉の作業は、日本国政府の直営事業として行うことが本来的ではないだろうか。
そうであれば、安全性や雇用の確保についてさまざまな問題点が指摘されている廃炉の事業への信頼性を高めることができるだろうし、そこに従事する人々の身分や福利の補償もより確固としたものとなるだろう。
そして近隣住民の安心感も高めることができる。もしそうすることで「廃炉の費用が高くなり過ぎる」と主張する者がいるのならば、その人々はその高くなる費用を誰に担わせようとしているのかについて、問われるべきである。
東京電力「3つの誓い」の虚しさ
少し、私個人の考えの変遷について説明させていただく。
原発事故が起きた時の私は、都会の大学関係者にありがちな、心情的左翼とでもいうような立場で、やみくもに政府や東京電力を批判する意識に強くのみ込まれてきた。
しかし、福島県に移住して、自衛隊や警察、消防、行政、東電の関係者を含む地元の方々の必死の努力を間近で見て、その心情に変化が生じてきた。
そして、反原発運動の、立派な主張と行動の無責任さのギャップを感じるようになり、当初の自分の立場を反省し、いわゆる保守的な立場に自分が近づいていることを感じていた。
しかし今回、次の二つの事実への認識を深め、原発に反対する意図を明らかにするべきだと改めて考えるようになった。
一つは、複数の関係者から、原発事故に関連したADR(紛争解決センター)による和解案を、東京電力が拒否する事例が増えているという指摘を聞いたことである。
ADRは弁護士会などが運営する組織で、直接の交渉や裁判以外の方法で、仲介者も介入することで紛争の解決を目指す方法である。原発事故の場合には、国によって原子力損害賠償紛争解決センターが設置されている。
たとえば、事故によって強いられた避難による営業損害への賠償などは、こちらを通じて請求される場合が多いが、最近は東京電力(および背後に存在する国)がセンターから示された和解案を拒絶し、賠償を打ち切ろうとする流れが強まっている。
東京電力が自ら掲げた「3つの誓い」(1. 最後の1人まで賠償貫徹、2. 迅速かつきめ細やかな賠償の徹底、3. 和解仲介案の尊重)が、虚しく聞こえる。
国および東京電力は、震災後の苦難の時を乗り越えて、再び1940年体制における系列上位の存在として行動しても、日本国内の残りの大多数が、それを忖度して系列下位の振る舞いを受け入れるようになったと判断したのだろう。
だから日本は原発を輸出する
そして注意しなければならないのが、原発の海外輸出を果たそうという動きである。
主に参照したテキストは、2014年に出版された鈴木真奈美による『日本はなぜ原発を輸出するのか』である。
この著者によれば、日本国政府が原発輸出に前のめりになるきっかけが、2001年に誕生したブッシュ政権が提唱した原子力回帰策であり、そこで意図されたのはアメリカが世界におけるエネルギー安全保障の面から原子力発電の位置づけを見直し、世界の原子力の平和利用のリーダーシップを維持することだった。
ブッシュ政権以前のアメリカでは、スリーマイル島の事故の影響や、初期投資がかかることが敬遠されたことから、アメリカの原子力発電産業は危機的な状態に陥っていた。
この状況を好機と見て、積極的な活動を始めたのが日本の原子力産業であり、政府もそれを全面的にバックアップする姿勢を示している。
ブッシュ政権後は、アメリカであっても原子力発電への姿勢は積極的ではないという。その中で、日本が活発な活動を行って、この分野におけるシェアを確保して主導権を確保できれば、経済活動のみならず、安全保障においても今後も国際社会の中で存在感を維持できることを期待しているのだろう。
導入に前向きでない国に対しては、初期費用の融資も日本国政府が準備して売り込みを行っている。
しかし、それだけの融資を行った上でそれが回収できる保証はなく、もし原子力発電所の事故が発生したり、売却した国が原発の技術を用いて核兵器の開発などを行ったりした場合には、日本も責任を問われる可能性は十分にあるが、そのリスクは真剣な考慮の対象となっていない印象である。
既に述べたように、1940年体制は、それに適応する日本的ナルシシズムの心性の強い個人を生み出す。そしてそのような個人が、1940年体制を存続させるような経済と社会の体制を創り出すという循環を継続するのである。
心理学における反復強迫という言葉を連想する。そこから脱却するためには、この問題点を十分に把握した上で、それをやめるという明確な意図が必要である。
しかし問題は、ほとんどの日本人が、今までの来歴も現在のあり方も、このシステムに丸っきりのみ込まれていて、それに依存しきっていることである。
それを、外部の特権的な立場から批判するような姿勢で事足れりとする個人は、このシステムから徐々に疎外され、そのことによって社会との関係性が疎になり、弱体化してその影響力を減らしていくことだろう。
むしろこのシステムの内部において責任のある立場を引き受けつつ、このシステムへの依存度が低い富を蓄積していくことを意識する個人が増え、そういった人々の影響力が強まっていくことが、この苦境を乗り越えるために求められている。
多くの行方不明者がいる、それを探す人がいる
もうすぐ3月11日である。
私が被災地にいて気がついたことの一つは、3.11の日に反原発運動にかかわる人々が、現地の人々の心情を省みることなく自らの政治的な主張を行ったことに対して、地元の住民たちが激しい怒りや拒否反応を示したことだった。
1940年体制や日本的ナルシシズムを私が批判するのは、それが人間を疎外する質を含むからである。しかし、それを批判したいあまりに、その批判行為自体が人間性の疎外を行ってしまっては、本末転倒である。
小論の冒頭に紹介した学会のシンポジウムの後で、南相馬の地元に戻った筆者は発表した内容について知人に見せて感想を求めた。
基本的には好意的に聞いてもらえたのであるが、一番強い反響があったのは、たくさんあったスライドの中のたった一枚に対するものだった。
それは「東日本大震災における死者数 直接死(ほとんどが津波):15893人(宮城県:9540人 岩手県:4673人 福島県:1613人 南相馬市:588人)、行方不明:2553人 震災関連死:3591人(宮城県:936人 岩手県:463人 福島県:2147人 南相馬市:497人)」という内容だった。
この中でも「行方不明者」について、自分の身近な人や周囲で、まだ行方不明のままの人がいること、そしてその近親者が、まだ必死にその人々を探し求めていることを話してくれた。普段は、そのような内容をその方々が語ることはほとんどないので、とても驚いた。
私の編集者になってくれている方は、小論を3月11日より少し前に書くことを勧めてくれた。私はそのことに、とても感謝している。
特に被災地では、3月11日にはこのような理屈は控えて、亡くなられた方々への哀悼の思いを示すことに時が費やされるべきであるからだ。
【あれだけの事故が起きてもなぜ日本は「原発輸出」を続けるのか】
— 現代ビジネス (@gendai_biz) 2018年2月27日
東日本大震災から7年。南相馬の精神科医・堀有伸さんがいま考えていることを綴る。あの原発事故とは何だったのか? いま私たちが直面する問題とは?
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「3.11の日に反原発運動にかかわる人々が、現地の人々の心情を省みることなく自らの政治的な主張を行ったことに対して、地元の住民たちが激しい怒りや拒否反応を示したことだった…」
— Tabuchi Eisei (@TabuchiEisei) 2018年2月28日
あれだけの事故が起きてもなぜ日本は「原発輸出」を続けるのか https://t.co/VF7jKFfLxD #現代ビジネス
あれだけの事故が起きてもなぜ日本は「原発輸出」を続けるのか https://t.co/HueGAFM74g #現代ビジネス
— ひぐちりかこ@2月「線と展」終了しました (@yomoyamagachou) 2018年2月28日
…やはり「反原発」批判だけではことは動かない。オイルショックなどの危機に際し「温存してきた体制への依存」を振り返る機会を捉えてこなかったツケが、今のしかかっているのは確かだと思う
これはみんな全文読むべきだと思う。その2
— 成田直人 (@naritanaoto) 2018年2月28日
あれだけの事故が起きてもなぜ日本は「原発輸出」を続けるのか https://t.co/26r6ccKpUk #現代ビジネス
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