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古賀茂明「伊方原発3号機運転差し止め決定を素直に喜べない理由とは?」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171217-00000009-sasahi-soci
AERA dot. 12/18(月) 7:00配信
著者:古賀茂明(こが・しげあき)/1955年、長崎県生まれ。東京大学法学部卒業後、旧通産省(経済産業省)入省。国家公務員制度改革推進本部審議官、中小企業庁経営支援部長などを経て2011年退官、改革派官僚で「改革はするが戦争はしない」フォーラム4提唱者...
広島高等裁判所が四国電力の伊方原発3号機について12月13日、運転の停止を命じた。この裁判の経緯を整理すると、まず、広島県などの住民4人が同原発の運転停止を求める仮処分を申し立て、広島地方裁判所は、ことし3月にこれを退ける決定をした。
これに対して、住民側は決定を不服として抗告し、広島高裁で、四国電力が想定する地震の最大の揺れや周辺の火山の噴火の危険性をどのように評価するかなどが争われていた。
13日の決定では、広島高裁の野々上友之裁判長が、熊本県にある阿蘇山が噴火しても火砕流が原発に到達しないと主張する四国電力の根拠となった噴火のシミュレーションについて、「過去に阿蘇山で実際に起きた火砕流とは異なる前提で行われており、原発に火砕流が到達していないと判断することはできないため、原発の立地は不適切だ」とし、さらに、「阿蘇山の地下にはマグマだまりが存在し、原発の運用期間中に、巨大噴火が起きて原発に影響を及ぼす可能性が小さいとはいえない。巨大噴火が起きた場合、四国電力が想定した火山灰などの量は少なすぎる」と結論付けた。
その上で、「火山の危険性について、伊方原発が新しい規制基準に適合するとした原子力規制委員会の判断は不合理で、住民の生命、身体に対する具体的な危険が存在する」として、運転の停止を命じたものである。
ただし、現在、広島地方裁判所で並行して進められている裁判で異なる結論が出る可能性があるとして、運転停止の期間は来年9月30日までとした。
高裁レベルで原発運転の停止を求めたのは初めてなので、この決定は、その意味で大きな意味がある。
また、この決定では、巨大噴火の可能性が小さいということを疎明(裁判官に確信とまではいかないが一応確からしいという推測を得させる程度の証拠をあげること)できなければ、過去最大規模の噴火があると想定すべきだとした。これを他の原発に当てはめると、日本中の原発が動かなくなることが必至だという意味でも重大な決定だと言える。
さらに、訴えを起こせる住民の住所地の範囲を原発から半径100キロメートル程度まで認めたことも重要だ。この判断に従えば、訴訟を起こせる住民の範囲が大きく拡大することになる。
このように、今回の決定は、単に運転停止を認めたという以上に大きな意味のある決定だと言ってよいのだが、では、日本の司法が原発を止めるうえで、この決定が今後、決定的な役割を果たしてくれると考えてよいかというと、必ずしもそうは言えない事情が見え隠れする。
■判断の根拠が諸刃の剣
第一に、今回の決定は、3号機が停止中に行われたということを頭に置いておく必要がある。関西電力の高浜3、4号機の差し止めの時のように、動いている原発を止めたわけではない。したがって、決定を下す裁判官にとって、心理的ハードルはやや低かったということになる。稼働中でも止められたかというと、少し疑問が残る。
第二に、運転停止期間を9月30日までとしたのがやや合理性を欠いているように感じられる。別途争われている本案訴訟の方で、再稼働容認という判断がなされるかもしれないからという理由だが、その場合は今回の決定が生きていても、再稼働が認められるわけだから、期間を区切る根拠としては弱い。
本案訴訟の判決が延び延びになった場合、9月30日までに判決が出なければ、事態に何の変化もないのに、差し止めの効力が無くなり、再稼働が認められてしまう。それを止めるためには、また新たな仮処分を求める必要が出てくる。例えば、裁判官が病気で交代したりすれば、そういうことは十分生じうることを考えれば、どうしてこうした判断に至ったのか疑問が残る。
第三に、これが一番重要なことだが、決定要旨を読むと、この裁判の中では、火山以外の論点についても、(1)司法審査の在り方、(2)新規制基準の合理性に関する総論、(3)新規制基準の合理性に関する各論として、(ア)基準地震動策定の合理性、(イ)耐震設計における重要度分類の合理性、(ウ)使用済燃料ピット等に係る安全性、(エ)地すべりと液状化現象による危険性、(オ)制御棒挿入に係る危険性、(カ)基準津波策定の合理性、(キ)火山事象の影響による危険性、(ク)シビアアクシデント対策の合理性、(ケ)テロ対策の合理性、(4)保全の必要性、(5)担保金の額など、幅広い論点について争われたと書いてある。
詳しいことは決定の資料(400ページ以上ある)を全部読まなければわからないが、決定の要旨を読んだ限りでは、(1)については前述した100キロ圏の住民まで原告適格を認めた点や立証責任について、かなり原告に配慮したことが読み取れるが、その他は、火山関連を除き全て理由としては却下されている。
一言で言えば、火山以外の点については、原子力規制委員会の新規制基準は妥当だとし、基準地震動や基準津波の策定の仕方、テロ対策も問題なしとしているということになる。この点は、非常に不満の残るところだ。
■「素人は噴火なんか心配していない」という判事の意外な指摘
さらに、問題なのは、火山事象についての言及部分である。
今回の決定では、原子力規制委員会が策定した安全性審査の内規である「火山ガイド」に従って稼働停止という判断を導き出した同じ裁判官が、一方で、巨大噴火については、「発生頻度が著しく小さくしかも破局的被害をもたらす噴火によって生じるリスクは無視し得るものとして容認するというのが我が国の社会通念ではないかとの疑いがないではなく」と述べている。つまり、巨大噴火のことなんかみんな心配してないのに、規制委は考え過ぎだと言っているように読める。
この決定では、さらに続けて、「このような観点からすると、火山ガイドが立地評価にいう設計対応不可能な火山事象に何らの限定を付すことなく破局的噴火(VE17以上)による火砕流を含めていると解することには、少なからぬ疑間がないではない」とまで言ったのだ。
ややわかりにくい表現だが、要するに、巨大噴火のことなど一般国民は心配していないのに、規制委の火山ガイドが、対応が不可能な火山事象として巨大噴火(破局的噴火)による火砕流まで含めてしまったのがやり過ぎだと言っているのである。
つまり、この裁判官は、「火山ガイド」で、巨大噴火の時の火砕流にまで対応しなくても良いということにしておけば、再稼働停止の結論にはならなかったのではないかと指摘しているわけだ。実際には、そうなっていなかったので、そのまま「火山ガイド」に従って差し止めという結論を出したのだが、それは、裁判所の本意ではなかったと言っているように見える。
高裁判事もサラリーマン。一般に、高裁判事は一番お役人体質が強いと言われている。意地悪く見れば、再稼働停止という判断をするにあたって、上司に対する言い訳を書いておいたという理解も可能だ。なぜなら、こんなことをわざわざ書く必要はないからだ。単に火山ガイドに従えば、こうなるということで足りたのではないだろうか。
「火山ガイド」は、法律でも政令でもない。規制委の単なる内規。つまり、規制委が自由に決めたり変えたりできる。高等裁判所に心配し過ぎと言われたということになれば、規制委は「今回の高裁の判断を真摯に受け止めて」この火山ガイドを書き換え、巨大噴火が起きるかどうか定かでないときは、とりあえず対策は不要とするとか、対応の内容を軽いものに変更することもできる。
この裁判では、火山以外の他の差し止め理由はことごとく却下されているので、その理屈によれば、火山ガイドさえ書き換えてしまえば、結局、差し止めはできないということになってしまう。
■脱原発は国民が決める
以上のように見てくると、今回の広島高裁の決定は、決して手放しで喜べるようなものではないということがわかる。
今回の高裁決定によって、安倍政権が原発推進路線を変更することはまったく考えられない。歯牙にもかけないという対応になるだろう。
結局、脱原発を実現するには、それを望む国民が安倍政権を倒す日を待たなければならない。国民が脱原発を決めるということだ。
一方、今回の決定を知って、ネット上では大喜びする人たちがたくさんいた。これを冷ややかに見る人も多いだろうが、実は、市民が喜んでいるということは大事なことだ。
繰り返し挫折を味わうと、人間どうしても意気消沈してしまう。脱原発の市民運動も例外ではない。今回の決定は、あらためて脱原発を望む多くの国民を勇気づけるものとなったことは確かだ。それこそが、今回の高裁決定の最大の意義なのかもしれない。
司法と市民が手を携えて脱原発を実現する。そんな日は、果たして訪れるのだろうか。
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