http://www.asyura2.com/17/genpatu49/msg/169.html
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もんじゅ設計 廃炉想定せず ナトリウム搬出困難 (毎日新聞)
http://www.asyura2.com/17/genpatu49/msg/167.html
という報道が出ていますが、これとても不自然です。
そもそも、常陽はどうしたのでしょうか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E9%99%BD
炉心[編集]
常陽はこれまで利用目的に応じて炉心の構成を変更する改造工事を受けており、それぞれMk-I、Mk-II、Mk-IIIと呼ばれている。 現在はMk-III炉心であり、高速中性子を利用した材料試験などに利用されている。
番号 形式 炉心設計 電気出力 熱出力 運転開始 運転終了
Mark-I(MK-I) FBR 増殖炉心[5] 設備なし 7.5万kW 1977年4月 1978年1月
Mark-II(MK-II) FR 照射用炉心[5] 同上 10万kW 1982年11月 1997年9月
Mark-III(MK-III) 同上 高性能照射用炉心 同上 14万kW 2003年7月
ということで、MK-I、MK-II、MK-IIIの3回形式変更を受けていて、当然、そのたびごとに炉心のナトリウムは抜き取っていたはず。つまり、常陽では必ず一次冷却系のナトリウムの取り出しは出来るようになっていた。
それなら、常陽の発展形であるもんじゅで1次系のナトリウムの取り出しが出来ないのは明らかにおかしい。
もんじゅの工事は
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%82%E3%82%93%E3%81%98%E3%82%85
によると、
1983年(昭和58年)1月25日:建設準備工事着手
1985年(昭和60年):本体工事着工
1990年(平成2年)7月20日:動燃アトムプラザ開館
1991年(平成3年)
3月22日:ナトリウム現地受入れ(国内輸送)開始
5月18日:機器据付け完了式典・試運転開始
1992年(平成4年)12月:性能試験開始
であるので、常陽の最初の形式炉の運転開始1977年の5年以上後。当然、常陽の設計は、もんじゅの設計の10年以上前に行われているはずで、常陽のデータが考慮されていないはずがない。
更に言えば、高速増殖炉
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%80%9F%E5%A2%97%E6%AE%96%E7%82%89
は世界中で計画、建設されていて、アメリカだけでも10例ていどある。
これらについて、技術面での交流はあったはずであり、一次系ナトリウムの取り出しというような基本中の基本が出来ていないということは有り得ない。
本当なのか????と思います。
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