多発する飛び降り自殺と煽る野次馬たち 世界鑑測 北村豊の「中国・キタムラリポート」 発端はセクハラを苦に飛び降りた19歳の女性2018年7月6日(金) 北村 豊 自殺志願者に対する心無い煽りに非難の声が上がった。 6月23日、広東省“汕頭市”で“覃(たん)”という姓の男(33歳)が11階建てビルの屋上の縁に立ち、飛び降りて自殺しようとしていた。11階建てビルの屋上の縁に人が立っているのを見つけた人々は、上を見上げて「人が飛び降りようとしている」と大声を上げたから、たちまちのうちに野次馬がビルの周囲に集まった。その中の誰かが110番に電話を掛けたのだろう。警察は午後4時5分にビルの屋上に自殺しようとする人がいるとの通報を受けた。
速やかに現場のビルへ到着した警察官は屋上に上り、屋上の縁に立つ男と話をした。男は自分の姓は“覃”(以下「覃さん」)であると述べた上で、妻と感情的に揉めたことが自殺の理由だと釈明した。そこで警察は彼の妻へ急いで連絡と取るのと並行して自殺を思い止まるように覃さんを説得し、最終的に夜7時に覃さんを救出することに成功した。警察の出動から救出までは約3時間を要したが、この間ビルの下には野次馬が群をなし、野次馬の前方に位置した観衆の一部は家から持参した椅子に座り、あたかも“好劇(良い芝居)”を観ているように楽しげであった。 現場に居合わせた人がこの場景を撮影し、その動画をネットに投稿したが、これを見たインターネットユーザーは、「この人たちは胸糞が悪い、人間性が全くない」とか、「こういう輩には、“瓜子(暇つぶしに食べる西瓜の種)”、お茶や西瓜(すいか)を運んでやれ」、「この社会は一体どうなっているんだ。このように人がビルから飛び降りるのを待っている人たちの良心は一体どれほど曲がっているのか」、「現在の人情はこれほど冷たいのか」といった意見を動画のコメント欄に書き込んだ。 6月26日の夜、江蘇省“南通市”で某住宅団地の屋上から女性が飛び降りて自殺しようとしていた。これを知った団地の住民たちが大挙して現場の団地前の広場に集まったが、女性は容易に決断できず、飛び降りるのを逡巡していた。すると、広場に集まった群衆の中から「“跳啊, 跳啊(跳べよ、跳べよ)”」の大合唱が沸き起こった。現場で女性の救助に当たっていた消防隊員によれば、強力な光線を照射して、女性を刺激して早く飛び降りさせようとする者までいて、消防局の救助活動を妨害したという。現場に派遣された警察官がその光線の発射を制止したが、そこから逃げ出した者たちが別の住宅棟に逃げ込んで、強力な光線の照射を続け、警察官との間で“捉謎藏(鬼ごっこ)”が繰り広げられ、人々から軽蔑された。 自殺の決行を煽り続ける群衆 女性は幸運にも3時間後に説得に応じて自殺を断念し、消防隊員によって安全な場所へ誘導された後、検査を受けるために医院へ搬送された。その後に消防隊員はネットに書き込みを行い、「“軽生者(自殺する人)”は“滋事者(面倒を引き起こす人)”だが、彼らは全て苦悩を持っているのであって、人々に申し訳ないことをした訳ではない」と述べて、野次馬たちの品性劣悪な行動を批判した。 6月20日以降、上述した2件以外にも広東省や甘粛省などで類似の飛び降り自殺騒動が発生したが、その発端となったのは6月20日に甘粛省“慶陽市”で19歳の女性“李依依(りいい)”(仮名)が下層にデパート“麗晶百貨”が所在する25階建てのマンション“麗晶公寓”の8階窓外にある小さなベランダから飛び降り自殺を遂げた事件だった。李依依は高さ35mの8階ベランダに腰掛け飛び降りるまでに4時間半を過ごしたが、最後は救助しようとした消防隊員の手をすり抜けてその身を空中へ躍らせたのだった。この彼女にとって最後となった4時間半に麗晶公寓前の地上に集まった多くの野次馬たちは、彼女に向かって「早く跳べ」、「どうして跳ばないんだ」などと自殺の決行を煽り続けたのだった。 中国では李依依の飛び降り自殺は大きな話題となり、中国社会に問題を提起したのだった。李依依が飛び降り自殺を遂げることになった事件の経緯を振り返ってみる。 「クラス担任に暴行された」 【1】2016年9月から“慶陽六中(慶陽第六高校)”の3年生となった李依依にとって“高考(全国統一大学入試)”までは残すところわずか1年であった。その高校3年の授業が始まって間もない9月5日の午後、李依依は突然の胃痛に襲われた。胃痛は彼女の持病であり、学生宿舎は比較的寒いので、それを心配した某先生が李依依に電気毛布が使える女子職員宿舎の109号室で休息を取るように手配してくれた。その日の夜は雨で、8時過ぎに学校は停電になった。まだ停電が続いていた8時30分頃、李依依のクラス担任である“呉永厚”が女子職員宿舎へ入って行った。 【2】クラス担任である呉永厚は李依依が休息を取っているのは109号室であることを聞いていたので、109号室のドアを開けて中に入った。暗闇の中で呉永厚は李依依が寝ているベッドの横に座ると、李依依に病状を尋ねた。李依依が「とっても良くなりました」と答えると、呉永厚は突然手を伸ばして李依依の顔をなぜた。そして彼女の身体を触り始め、遂には彼女を抱きしめて身動きできないようにした。李依依は抵抗しようとしたが果たせず、呉永厚は一層力を強めると、彼女の顔や唇に接吻し、耳たぶを噛んだ。呉永厚の手はずっと李依依の背中を愛撫しつつ、彼女の着ている服を脱がそうとした。 【3】この時、親友“羅娟娟”(仮名)の父親で物理教師である“羅宇”(仮名)がドアの外から李依依の名前を呼んで、ドアを開けて部屋の中に入って来た。これに驚いた呉永厚は李依依を抱きしめていた手を離すと、ベッドから少し離れた場所に移動し、何事もなかったように振る舞った。羅宇は李依依の頭髪と衣服が乱れていたので、呉永厚が李依依に不埒な行為をしたのではないかと疑ったが、呉永厚の年齢が50歳近いことを思い出して疑念を打ち消した。停電では電気毛布も使えないので、羅宇は李依依を学生宿舎に戻すことを決断し、呉永厚に李依依を学生宿舎まで送らせたが、李依依はこの時程恐かったことはなかったと後に述べている。 【4】それはとにかくとして、李依依は羅宇のおかげで呉永厚に暴行されそうになったのを危機一髪のところで難を逃れた。なお、本来、李依依のクラス担任は別の人物だったが、7月に病を得て入院し、急きょ後任として高校3年2組のクラス担任になったのが呉永厚だった。李依依が呉永厚と初めて会ったのは夏休み中に行われた補習授業だったが、教員室で呉永厚は突然に李依依の顔をなぜた。この時以来、李依依は呉永厚に何かされるのではないかと恐れを抱くようになっていたのだ。呉永厚は1967年生まれで、2016年の事件当時49歳。1992年に“西北師範大学”化学学部を卒業し、2011年に“慶陽六中(慶陽第六高校)”へ配属になり、2014年に“高級教師(大学の助教授に相当)”資格を取得したのだった。 【5】翌日の早朝、李依依は学校の心理指導室へ行き、泣きながら指導教官に事情を説明したが、指導教官は「この問題の解決は自分の手に余るので、状況を学校の責任者である“段”姓の人物に報告すると述べただけだった。事件の2日後、クラス担任の呉永厚は李依依に対して「私が間違っていた。頭がおかしくなり、一時的な衝動で貴女に不埒なことをしてしまった。どうか許して欲しい」と謝罪した。しかし、いくら謝罪されても、許せないことがある。しかもそれをしたのはクラス担任だったのである。 クラス担任変更を要求するも… 【6】事件発生後、李依依の父親“李明”は学校から連絡を受けて娘に問題が発生したと知り、慶陽六中へ出向いて情緒不安定となった娘の状況を知った。当時、李依依は具体的に何が起こったのかを父親には話さなかったし、李明も何があったのかを娘に問い質すことが出来る状態ではなかったので、ひとまず娘を家へ連れて帰ったのだった。9月8日、李明は娘を慶陽市内の医院へ連れて行って検査してもらったが、身体に異常は何も見つからなかった。そこで、翌9日に娘を連れて陝西省省都の“西安市”へ行き、大きな医院で徹底的な検査をしてもらおうとしたが、李依依は心理的な検査を拒否したので、慶陽市へ戻るしかなかった。 大学入試を来年に控えていることから、一度は学校へ戻った李依依だったが、数日すると学校での生活に耐えられなくなり、李依依は再度自宅へ戻った。こうして事件から2週間が過ぎた頃、李明の度重なる質問を受けた李依依は遂に学校で彼女の身に起こったことを話したのだった。真相を知った李明は慶陽六中へ出向き、クラス担任を変更するよう要求したが、学校側は事実関係を調査するとして即答しなかった。 【7】2016年10月7日、李依依は1回目の自殺を試みた。彼女は薬を大量に飲んで人事不省に陥ったが、応急手当によって危機を脱した。李明は呉永厚を婦女暴行で通報しようとしたが、友人から時間が経過しているし、証拠もないから時機を待てと助言を受けたのと、学校側の調査結果を待つこととして通報を保留とした。10月中旬、李明は李依依を連れて検査を受けに上海市へ行った。事前に地元の医院で証明書を発行してもらったが、そこに書かれていたのは“抑鬱症(うつ病)”だった。上海市の医師は明確な診断を下さず、精神安定剤を処方し、可能なら毎月1度検査を受けに来るようにと李明に告げたのだった。慶陽市に戻った後、李依依は再度学校へ戻った。 【8】2016年12月6日、李依依は2度目の自殺を試みた。彼女は上海市の医院が処方した精神安定剤を一気に飲んだのだったが、応急手当を受けて一命を取り止めた。さらに、2017年5月、李依依は3回目の自殺を試みた。今回はビルから飛び降りようとして救助に駆け付けた消防隊員によって救出された。その5月中に李依依は学校の職員に付き添われ李明と共に北京市へ向かい、精神科で名高い“首都医科大学附属安定医院”で診察を受けた。この結果、李依依に下された診断は“創傷後応激障礙(心的外傷後ストレス障害)”であった。 【9】2018年1月15日、李依依は、安定医院が処方した薬10箱以上を一度に飲んで4回目の自殺を試みた。1月16日に慶陽市内の医院が出した“病危通知書(危篤通知書)”には、李依依には多種類の薬物による中毒、中毒性脳病、洞性頻脈などの問題があり、いつ生命の危機が訪れてもおかしくない状態であると書かれていた。 【10】ところで、李依依を4度もの自殺未遂に追い込む原因となった呉永厚はどうなったのか。李明によれば、慶陽六中は李明に35万元(約600万円)の賠償協議を提案して来たが、その他訴訟を行う権利の放棄が前提条件であったので、李明は提案を拒否したという。李明は2017年2月に“慶陽市教育局”を訪ねて呉永厚に対する調査結果を督促した。しかし、その後は何の音沙汰もなかったので、李明は“慶陽市公安局”に事件を通報し、2017年5月に慶陽市公安局の“西峰区分局”が呉永厚に対し“行政拘留10日間”の処罰を科した。 その処罰決定書には、呉永厚が「女子職員宿舎109号室で寝ている李依依に対し唇で李依依の額、顔、唇などに約3分間接吻したが、それを羅宇に見つかった」と供述したことが明記され、呉永厚の行為は『治安管理処罰法』第44条規定の“猥褻(わいせつ)”を構成するとあった。一方、2017年7月23日、“慶陽市教育局”の党委員会は、呉永厚に対する行政処分を決定し、彼を“教育技術7級”から“教育技術8級”へ降格すると同時に慶陽六中から配置転換させることにした。 処罰の理不尽さに失望 【11】呉永厚に対する処罰がわずか10日間の行政拘留であったことを知った李依依は、その理不尽さに失望すると同時に憤った。娘を慰める目的もあって、李明は改めて慶陽市の“西峰区検察院”に対して事件を通報した。事件は受理されたが、2018年3月1日に西峰区検察院は呉永厚を不起訴とする旨の決定を下した。その理由は、「呉永厚の行為は情状が極めて軽微であり、李依依の現在の病状が呉永厚の行為と直接の因果関係を持つという証拠はないので、犯罪を構成しない」という内容だった。 【12】2018年6月中旬、李依依は西峰区検察院の不起訴決定書を見つけて非常に怒った。6月20日の正午、李依依は家族と一緒に昼食を食べた後に、アルバイトの仕事に行くと言って家を出て、その足で麗晶公寓8階に到り、閉店した“火鍋店(寄せ鍋)”の窓から小さなベランダに出た。そして、幅わずか30cmのベランダの縁に腰掛け、不安定な状況で4時間半を過ごした。夜7時頃、消防隊員が李依依を救出しようと手を伸ばした瞬間、彼女は空中に身を躍らせたのだった。午後4時40分に李依依がSNSに投稿した文章の末尾には“一切都結束了(全てが終わった)”と書かれていた。 【13】6月25日の夜、“慶陽市共産党委員会宣伝部”は記者会見を開催し、出席した市公安局西峰分局の副局長“曹懐玉”は、李依依がビルから飛び降りた原因が以前にクラス担任が彼女に行った猥褻行為と直接の関係があるかどうかを現在調査中である旨を表明した。 長くなったが、上記が多くの自殺志願者が模倣した飛び降り自殺騒動の発端となった19歳の女性が飛び降り自殺を遂げるまでの全貌である。この事件は2018年4月20日付の本リポート「中国の名門大学を騒がせたセクハラ告発運動」で報じた中国におけるセクハラ告発運動(“Me Too Movement”)に関連する事件として中国の世論を沸騰させた。 また、野次馬が飛び降りようとする自殺志願者に対して「早く飛び降りろ」などと志願者を刺激するような言動を行ったことが、問題視された。「中華民族は同情心が豊富な民族であったはずだが、一体全体これはどうしたことか」、「一つの生命に対して、どうしてかくも冷酷になれるのか、中国伝統の道徳はどこへ行ったのか」というのが、中国の評論家たちの意見である。中国国民の大多数は生命の尊厳をわきまえているが、一部の社会に不満を持つ人たちはそのはけ口を他人の不幸にぶつけるのである。たとえそれが、死を目前にしている自殺志願者であっても。 このコラムについて 世界鑑測 北村豊の「中国・キタムラリポート」 日中両国が本当の意味で交流するには、両国民が相互理解を深めることが先決である。ところが、日本のメディアの中国に関する報道は、「陰陽」の「陽」ばかりが強調され、「陰」がほとんど報道されない。真の中国を理解するために、「褒めるべきは褒め、批判すべきは批判す」という視点に立って、中国国内の実態をリポートする。
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