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中国共産党中央組織部の陳希部長が幹部登用の基準を論じる文章を発表。政権に対する忠誠を強く求める内容で、習共産党総書記の「毛沢東志向」が鮮明に打ち出された。これまでの「大物失脚」の背景に権力闘争の側面があったと読み取れる部分もある。写真は天安門広場。
<コラム>習近平の「毛沢東志向」がさらに鮮明に、共産党内部からも大物失脚と権力闘争の関係示唆
http://www.recordchina.co.jp/b212307-s111-c10.html
2017年11月8日(水) 19時10分
新華社は6日、中国共産党中央組織部の陳希部長による「幹部育成と選抜では政治標準を突出させよ」と題する文章を発表した。幹部登用の基準として「党への忠誠」、事実上は習近平政権に対する忠誠を強く求める内容で、習共産党総書記(国家主席)の「毛沢東志向」がさらに鮮明に打ち出された。また、これまでの「大物の失脚」の背景には権力闘争の側面があったと読み取れる部分がある。
文章は「わが党はマルクス主義政党だ」「これまで政治標準を人事の主要な標準にしてきた」と論じた上で、毛沢東の発言として「主要なのは政治だ。これが出発点だ。幹部は『赤』であり『専』でなければならない」と紹介した。「赤」とは共産主義の思想が強固であることを、「専」とは職務上の能力を指す。文章は政治姿勢の重視を「毛沢東時代以来の党の伝統」と主張した。
さらに、これまで失脚した周永康、薄熙来、郭伯雄、徐才厚、孫政才、令計画の名を挙げて「野心家、陰謀家」と酷評した上で、「幹部が政治上の問題を出すことの党に対する危害は、腐敗問題に劣らない」と論じた。
中国共産党は幹部の職務停止や各種処分を発表する際、党紀や法令違反を理由としてきた。しかし、10月29日に明らかにされた第18期党中央規律委員会の報告は、周永康、孫政才、令計画の実名を挙げ「野心家、陰謀家」と評した。陳部長の文章は改めて同じ表現を用いて、失脚の理由として「政治上の問題」を強調した。つまり「権力闘争」が背景にあったことを示唆したことになる。
「野心家、陰謀家」は文化大革命期に、失脚した大物幹部に対して盛んに使われた非難の表現だ。この言い方が用いられた対象としては劉少奇(国家主席、迫害されて死亡)、トウ小平(文革後に復活)、林彪(クーデター未遂・航空機で逃走中に墜落死したとされる)などがいる。
文章は次に、「天下至徳、莫過于忠(天下の至徳、忠を過ぐるものなし)」との2016年ごろからよく使われる言い方を踏襲。「党への忠誠は条件つきではなく無条件」である必要があると強調した。事実上は習近平政権に対する絶対的忠誠を求めたものであり、文章は続けて「思想上、政治上、行動上において、習近平同志を核心とする党中央と高度な一致の保持を自覚し、習近平総書記を核心とする地位を断固として守り、党中央の権威と集中統一指導を堅持する」と論じた。
中国語における「核心」の語は、「唯一無二の中心」のニュアンスが強い。権威と権力を習近平総書記に完全に集中させることを求めたと読み取れる表現だ。
中国は1966年から毛沢東が76年に死去するまで続いた文化大革命で政治や社会が大混乱、経済も低迷した。毛沢東死後の権力闘争に勝利したトウ小平は1978年に改革開放を提唱し、1981年には党決議で文化大革命を完全否定した。すると1980年代には学生などが民主化要求を繰り返すことになった。1989年4月に発生した最後にして最大の民主化要求は同年6月4日の「天安門事件」で終結した。
共産党はその後、民主化運動を厳しく弾圧すると同時に経済建設に注力。すると社会全体に「政治を語っても無意味。今は金儲けをする時。共産党がその条件を作った」と、体制を容認する風潮が一般化した。しかし2000年を過ぎると、腐敗問題や環境汚染、格差問題が深刻化し、共産党への信頼は再び低下することになった。2007年に発足した胡錦涛政権は経済成長と同時に出現した各種問題に危機感をもって対応したが、江沢民元総書記との確執など、「権力の分散」が存在したことなどで効果はあまり出なかった。
習近平氏が共産党の統治体制に強い危機感を持っているのは確実だ。また、共産党による一党支配の体制こそが中国を安定して発展させるとの強い信念を持っていることも間違いない。習近平氏は、共産党の統治を安定させる方法として、毛沢東時代のような「権威の一極集中」を選んだことになる。江沢民時代のような経済高度成長の再現は不可能であり、胡錦涛時代のような党上層部における対立があったのでは、共産党の支配体制が揺らぐとの認識にもとづくと考えられる。
習近平氏は共産党総書記に就任した直後の2012年12月、共産幹部向けに、群衆との交流を奨励し、腐敗・浪費・官僚主義・怠惰などを戒め、党員管理を強化する「八項規定」を設けた。中国人の多くは「八項規定」の名称から、毛沢東が軍と大衆の関係構築を目的として定めた、「三大紀律・八項注意」を想起するはずだ。
習近平氏はさらに、17年10月の第19回党大会で発表した「報告」中の中国共産党史の振り返りの部分で「(ロシア)10月革命の一つの砲声が、われわれにマルクス・レーニン主義を送り届けた」と、毛沢東が1949年6月に発表した「人民民主専制を論じる」で用いた一文と全く同じ表現を用いた。この表現に気づく中国人も、社会の上層部を中心に少なくないはずだ。
さらに第19回共産党大会は、党規約に行動方針としてマルクス・レーニン主義、毛沢東思想、トウ小平理論と共に「習近平新時代中国特色社会主義思想(習近平の新時代における中国の特色ある社会主義思想」を盛り込むことを採択した。習近平氏は「毛沢東思想」に並べて自らの名を冠した「思想」を党規約に盛り込んだことになる。
習近平氏は自らについて、毛沢東を想起させるイメージづくりを進めていると考えられる。さらには、共産党上層部に対して「毛沢東を想起させるイメージづくりをしていることを悟らせる」作業をしているとも理解できる。そのことで、統制が極めて厳しかった「毛沢東時代」を思い出させ、「抵抗は身の破滅に結びつく」と発想させるためだ。
一方で、習近平氏を毛沢東と比べると「脆弱」な面も目立つ。まず挙げねばならないことは、毛沢東が軍事面でも政治面でも数多くの「修羅場」を経験していることだ。共産党全体が軍事面で長期にわたり国民党に圧倒され危機的状況が続いていただけでなく、毛沢東は政治面においても当時の共産党幹部主流の革命理論に異を唱えたため、1921年の第1回党代表大会の出席メンバーだったにも関わらず、1935年の遵義会議までは不遇が続いた。
毛沢東はその強烈な個性と不屈の信念で(中国にとっての最終的な良し悪しは別にしても)死去まで続いた「カリスマ指導者」の地位を獲得したと言える。しかし習近平氏にそのような経歴はない。したがって、習氏の「疑似毛沢東化」構想がどこまで通用するかには予断を許さない面がある。
■筆者プロフィール:如月隼人
日本では数学とその他の科学分野を勉強したが、何を考えたか北京に留学して民族音楽理論を専攻。日本に戻ってからは食べるために編集記者を稼業とするようになり、ついのめりこむ。「中国の空気」を読者の皆様に感じていただきたいとの想いで、「爆発」、「それっ」などのシリーズ記事を執筆。
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