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(回答先: 高橋是清の政策は結局失敗だった。 投稿者 中川隆 日時 2020 年 7 月 25 日 21:24:21)
高橋是清の様なMMT推進者が目指しているのはファシズム、MMTを推進しているのは欧米金融資本だった。
新型コロナ危機が始まってからの3カ月間、大規模金融緩和・財政出動のお蔭で米国の富裕層は資産を約5650億j(62兆円)増やした。
ファシズムとは巨大資本が支配する統制経済の事
アメリカをはじめ、西側の支配層は現在、巨大資本が世界を支配する世の中を作り上げようとしている。巨大資本が支配する世界は当然、統制経済になる。ベニト・ムッソリーニは1933年11月に「資本主義と企業国家」という文章の中で、このシステムを「企業主義」と呼び、資本主義や社会主義を上回るものだと主張した。これが彼の考えたファシズムであり、全体主義だとも表現されている。そのベースになる考え方はイタリアの経済学者ビルフレド・パレートから学んだのだという。
後に西側では全体主義をファシズムとコミュニズムを一括りにするタグとして使うようになるが、これは巨大資本の情報操作。本来は企業主義(企業支配)と結びつけるべきものだった。巨大資本が定義した意味で全体主義というタグを使うのは、情報操作に踊らされていることを意味する。
1933年11月といえば、アメリカの巨大資本が反フランクリン・ルーズベルトのクーデターを計画していたころ。その5年後の4月29日にルーズベルトはファシズムについて次のように定義している。
「もし、私的権力が自分たちの民主的国家より強くなるまで強大化することを人びとが許すなら、民主主義の権利は危うくなる。本質的に、個人、あるいは私的権力をコントロールするグループ、あるいはそれに類する何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ。」
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94年前の9月1日に起こった関東大震災は虐殺事件を引き起こし、日本をJPモルガンの属国にした
1923年9月1日、相模湾を震源とする巨大地震が関東地方を襲い、10万5000名以上の死者/行方不明者を出し、その損害総額は55億から100億円に達した。
震災後、山本権兵衛内閣の井上準之助蔵相は銀行や企業を救済するために債務の支払いを1カ月猶予し、「震災手形割引損失補償令」を公布している。すでに銀行が割り引いていた手形のうち、震災で決済ができなくなったものは日本銀行が再割引して銀行を救済するという内容だった。
震災手形で日銀の損失が1億円を超えた場合は政府が補償することも決められたが、銀行は地震に関係のない不良貸付、不良手形をも再割引したために手形の総額は4億3000万円を上回る額になり、1926年末でも2億円を上回る額の震災手形が残った。しかもこの当時、銀行の貸出総額の4割から7割が回収不能の状態だ。
復興に必要な資金を調達するため、日本政府は外債の発行を決断、それを引き受けることになったのがJPモルガン。この金融機関の総帥はジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアだが、大番頭として銀行業務を指揮していたのはトーマス・ラモントだ。このラモントは3億円の外債発行を引き受け、それ以降、JPモルガンは日本に対して多額の融資を行うことになる。
この巨大金融機関と最も強く結びついていた日本人のひとりが井上準之助。1920年に対中国借款の交渉をした際にこの巨大金融機関と親しくなったという。ラモントは日本に対して緊縮財政と金本位制への復帰を求めていたが、その要求を浜口雄幸内閣は1930年1月に実行する。そのときの大蔵大臣が井上だ。
金解禁(金本位制への復帰)の結果、1932年1月までに総額4億4500万円の金が日本から流出、景気は悪化して失業者が急増、農村では娘が売られるなど一般民衆には耐え難い痛みをもたらすことになる。そうした政策の責任者である井上は「適者生存」、つまり強者総取りを信奉、失業対策に消極的で労働争議を激化させることになる。こうした社会的弱者を切り捨てる政府の政策に不満を持つ人間は増えていった。
1932年にはアメリカでも大きな出来事が引き起こされている。巨大企業の活動を制限し、労働者の権利を認めるという政策を掲げるニューディール派のフランクリン・ルーズベルトがウォール街を後ろ盾とする現職のハーバート・フーバーを選挙で破ったのだ。
フーバーはスタンフォード大学を卒業した後、鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルドの鉱山で働いていた。利益のためなら安全を軽視するタイプだったことから経営者に好かれ、ウォール街と結びついたという。(Gerry Docherty & Jim Macgregor, “Hidden History,” Mainstream Publishing, 2013)
このフーバーは1932年、駐日大使としてジョセフ・グルーを選び、日本へ送り込んだ。この人物のいとこにあたるジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥の妻。またグルーが結婚していたアリス・ペリーは幕末に「黒船」で日本にやって来たマシュー・ペリー提督の末裔で、少女時代を日本で過ごしている。その際、華族女学校(女子学習院)へ通っているのだが、そこで親しくなったひとりが九条節子、後の貞明皇后である。
グルーの皇室人脈をそれだけでなく、松平恒雄宮内大臣、徳川宗家の当主だった徳川家達公爵、昭和天皇の弟で松平恒雄の長女と結婚していた秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、貴族院の樺山愛輔伯爵、当時はイタリア大使だった吉田茂、吉田の義父にあたる牧野伸顕伯爵、元外相の幣原喜重郎男爵らにもつながっていた。(ハワード・B・ショーンバーガー著、宮崎章訳『占領 1945〜1952』時事通信社、1994年)
そうした人脈を持つグルーだが、個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。1941年12月7日(現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃、日本とアメリカは戦争に突入するが、翌年の6月までグルーは日本に滞在、離日の直前には岸信介とゴルフをしている。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)
当時、アメリカの大統領就任式は3月に行われていた。その前、2月15日にルーズベルトはフロリダ州マイアミで開かれた集会で狙撃事件に巻き込まれている。ジュゼッペ・ザンガラなる人物が32口径のリボルバーから5発の弾丸を発射、ルーズベルトの隣にいたシカゴのアントン・セルマック市長に弾丸が命中して市長は死亡した。
群衆の中、しかも不安定な足場から撃ったので手元が狂い、次期大統領を外した可能性があり、本来なら事件の背景を徹底的に調査する必要があるのだが、真相は明らかにされなかった。ザンガラは3月20日に処刑されてしまったのである。
そして1934年、名誉勲章を2度授与された伝説的な軍人、海兵隊のスメドレー・バトラー退役少将がアメリカ下院の「非米活動特別委員会」でウォール街の大物たちによるクーデター計画を明らかにしている。少将の知り合いでクーデター派を取材したジャーナリストのポール・フレンチは、クーデター派が「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」と語っていたと議会で証言している。
バトラーに接触してきた人物はドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスの「クロワ・ド・フ(火の十字軍)」の戦術を参考にしていた。彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領を健康問題で攻撃し、フランスの「クロワ・ド・フ(火の十字軍)」のような50万名規模の組織を編成して大統領をすげ替えることにしていたという。クーデター計画と並行する形で、ニューディール政策に反対する民主党の議員は「アメリカ自由連盟」を設立している。活動資金の出所はデュポンや「右翼実業家」だった。
言うまでもなくジョセフ・グルーは第2次世界大戦後にジャパンロビーの中心的な存在となり、日本で進んでいた民主化の流れを断ち切り、天皇制官僚国家を継続させている。大戦前、思想弾圧の中心になった思想検察や特高警察の人脈は戦後も生き残った。これが「戦後レジーム」の実態であり、「戦前レジーム」とはウォール街の属国になることを意味している。そうした意味で、安倍晋三の言動は矛盾していない。
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