弥生人DNAで明らかになった日本人と 半島人の起源 ー朝鮮半島に渡った縄文人ー http://plaza.harmonix.ne.jp/~udagawa/nenpyou/yayoi_DNA.htm 追加: 2019年7月 『新版 日本人になった祖先たち』 篠田謙一 読後メモ
本稿は、NHK Eテレ: サイエンスZERO 「弥生人DNAで迫る日本人の起源」2018年12月23日放映 を見て、内容とそれが示す意味を述べたものである。 期待せずに録画予約し、数日後に見て驚いた。 ■前編は、青谷上寺地遺跡から出土した2世紀の弥生人32人の ミトコンドリアDNA分析の結果。 ■後編は、弥生人の核DNA分析で見えてきた日本人の姿。 解説は篠田謙一氏(国立科学博物館) 核DNAは、30億の塩基の連なりで、
ミトコンドリアDNAの、1万6500の塩基と 格段の情報量差がある。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
今まで、東アジア世界に於ける日本人ルーツ探索の最新は、(福島県)三貫地縄文人の核DNA分析によるもの (下図)だった。
左図: 東アジア世界に於ける 縄文人のDNA位置。 右図: 縄文人は、(出アフリカ後)古い時代に東アジア人の共通祖先から 先に分岐し、独自の進化をとげたことが判明。
※縄文人の核DNA分析の参考記事 「縄文人」は独自進化したアジアの特異集団だった!
今回は、弥生人の核DNA が分析対象となり、その関係上、韓国人のDNAの立ち位置が示され、これがショックを与えた。 図1 ■縄文人は、東アジアの集団とは別起源で、その集団の一直線上には位置していない。 ■韓国人は、私は何となく 北方のツングース系民族が 半島に南下したものに、大陸の諸民族が侵入し混血したもの、と思っていた。 従って、東アジア人集団の一直線上 (の北京中国人あたり)に位置すべきと思っていたが、奇妙なことに その一直線上から離れている。 で、驚いた。 東アジア人が出自 とは言い切れない、別の新しい混血集団のようだ。
遺伝子レベルでの、韓国人の この立ち位置が意味するものは、 韓国人は、ルーツを異にする縄文人と ルーツを異にする大陸人の 交雑で生じた 新しい若い集団、ということになる。 (異なる民族間の交雑による子供のDNAは、両者の中間の位置にプロットされる。 ← 篠田謙一氏 ) 「韓国人は、縄文人 と 大陸人の混血」 が意味することは、半島は元々 列島からの縄文人が、先住民として住み着いた土地であり、 その後、大陸北方から他民族が侵入してきて先住の縄文人と交雑し入替り、両者のDNAを有する半島人が誕生した、ということ。※1 従って、弥生時代の半島人や 弥生時代の半島系渡来人は 先住の縄文人の末裔であり、その遺伝子を持っているということになる。 後半、典型的な弥生渡来人は縄文人の遺伝子を持っていた、ということが福岡県安徳台遺跡(弥生中期)の、弥生人女性の核DNA分析で示された。
※1 これについては 「韓国人は何処から来たか」長浜浩明 2014.1.20 展転社 は次のように述べている。 半島は、BC10000年〜BC5000年の間、旧石器遺跡が(わずかしか)出土せず、ほぼ無人だった。 BC5000年頃から、縄文人が列島から半島に渡り 定住を開始。 BC2000年頃から、大陸北方から人々が(先住の縄文人を駆逐するように)侵入し、縄文人と交雑し、縄文人と入替わって、半島人が生じた。 次に 弥生人 3体の核DNA分析の結果が示された。
岩手の弥生人は、縄文人そのままで、弥生文化を受容した縄文人。 九州(長崎、福岡)の弥生人は、渡来人の影響を受けて、下方に位置してる。 福岡・弥生人(典型的な弥生渡来人)の立ち位置は、 想定されていた東アジア人集団の一直線上ではなく、 それと縄文人との中間であった。 図2
福岡県安徳台遺跡(弥生中期)の、朱に覆われた甕棺に埋葬された弥生人女性は、骨格などから典型的な弥生渡来人と思われていた。 ところが核DNA分析では、渡来系遺伝子の他に 縄文人の遺伝子を持っていることが明らかにな った。 篠田謙一氏は、 『一般的に、渡来系の人ということになれば 朝鮮半島であるとか中国であるとか そういう人たちと同じ遺伝子を持っているんだろうと考えていたので、 典型的な渡来人というのが、実はかなり縄文と混血している という話になりますので、かなり意外な結果になりました』 と驚いていた。 弥生人の遺伝子分布は広く、渡来弥生人が縄文人を駆逐し、置換するように列島全域に広まった、という説は根拠のない過去のものとなった。
( 関連: 水田稲作をもたらした渡来人は少数であり、その後 列島の縄文人社会に溶け込んでいった。 → なかなか広まらなかった水田稲作) 現代日本人 の立ち位置は、遺伝子レベルの解析によると何処になるか? 推定図 図3 実際の図 図4 左図は、弥生人がそのまま進化したと推定した場合の図。 右図が実際の範囲図で、(推定図より)福岡の弥生人に近い。 つまり、弥生時代以降に、大陸系民族がかなり渡来したということを示す。 古墳時代〜飛鳥時代にかけて、半島の戦乱を避けて多くの大陸系渡来人、滅びた百済・高句麗の遺民たちが列島に流入したが、その影響と思える。 このように、現代日本人 は 縄文人を祖先として、外部からの侵略・征服といった大きな変化圧力もなく、 渡来人たちを受け入れて ゆるやかに現在に至っており、(遺伝子的には)東アジア集団とは隔たった位置にいる。
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篠田謙一氏は 事実だけで大胆な仮説は述べなかった。 しかし、核DNAの解析結果が示すことは、半島は元々縄文人が住み着いた土地であり、その後に他民族が侵入し、先住縄文人と交雑し入れ替わり、弥生時代の半島人が生じた。 従って、半島系渡来人は先住縄文人の末裔であり、典型的な弥生渡来人であっても、縄文人の遺伝子を持っている。ということを示した。
【 後 記 】
年末のサプライズだった。 見終わって気になったのは、図でキーとなる韓国人のDNAが、どの時代のヒトか? ということ。 半島の歴史を見ると、列島とは異なり 大陸の多くの集団により侵攻・征服され混血している。 図が現代人だったら、弥生時代はずっと縄文側に接近した位置だろう。 図が縄文・弥生時代の人だったら、今は一直線上の集団に埋没してるのかも、などと思った。 2018年12月29日 宇田川東 追記 2019年7月9日 2019年3月に 篠田謙一氏の 新刊が出た。 『新版 日本人になった祖先たち』 DNAが解明する多元的構造 篠田謙一 2019年3月20日 NHK出版
Eテレ「サイエンスZERO」では、仮説は控えられていたので、この本に関心があった。 読了したが、気になった点をメモにした。 (1)縄文人は半島に渡って住み着いていた。 第6章 日本人になった祖先たち 弥生人のDNA P186 『弥生時代の集団の形成を考えるときに重要なのは、日本の稲作農耕民の起源の地であると考えられている朝鮮半島の状況です。 SNPを用いた主成分分析の図(図4)で興味深いのは、韓国の現代人がちょうど、日本と北京の中国人の中間に位置していることです。 これは朝鮮半島集団の基層にも、縄文につながる人たちの遺伝子があることを意味しています。 縄文人が朝鮮半島まで分布していたと考えることもできますが、 初期拡散で大陸沿岸を北上したグループの遺伝子が朝鮮半島にも残っていたと考えることもできます。 最近では韓国でも古代DNA分析が始まっているようですので、縄文相当期の韓国の古代ゲノムが明らかになれば、 両者を直接比較することでこの問題を解決することができるでしょう。』 初期拡散時での遺伝子が半島に残っていた?、説は、 Y染色体DNAの分布で説得力に欠ける。
P140 日本と 朝鮮半島と 中国(台湾の漢民族) は大きく異なっている。 韓国のサンプル数は 317個体 図5
篠田氏の解説によると、 列島固有のハプログループD1b は、チベットのD1aと共に、ハプロO系統の圧迫によりO系統の周辺に押しやられたD系統から誕生。 日本とチベットで 海や高い山によって守られ残ったこの系統は、O系統より古い東南アジア最古の系統とのこと。 にもかかわらず、列島で誕生したD1b の別のD1分岐系統が半島(の隔絶された地とは何処?)に残ったであろう、は無理な見解だ。 多分、仮説一つだけだと確定と見られるので、無理筋を一つ加えたのだろう。 日本列島で繁栄した縄文人が、その後、朝鮮半島に渡って(先住民として)分布した、がごく自然で妥当な見解。 篠田氏は、韓国の古代ゲノム解析の結果に期待してるが、韓国の歴史学は民族至上史観で、好ましくない事実は隠される。 報告は出てこないだろう。 (追加@ 2019/11/26) 『韓国で、釜山・加徳島の獐項遺跡の人骨(6,300年前:BC4,300年)の核DNA分析を行った結果、縄文人的と判明した。』 とのホットな(学会内部)情報が伝えられた。(2019/11/24) この情報が、どんな内容で何時 公表されるかに 関心がある。分子生物学者の発表なら早期に期待できるが..
(追加A 2020/05/10) 上記の核DNA分析結果は、「韓国加徳島獐遺跡出土人骨のDNA分析」2019/06 で諭文名は検索できるが、 内容は、韓国文化財研究院の論文集でのみ公開されており、日本国内の公共図書館(国会図書館、国立科学博物 館、山梨大学)には所蔵されていない。 推察するに、韓国の新石器人骨が縄文人的であったため、韓国国内で広く公表することを控えているように思われる。
(2)現代韓国人のDNAの謎
気になっていたのは、図1〜4の現代韓国人の核ゲノムデータが1つということ。1つでは恣意性が出て客観性が無いではないか? 北京中国人、現代日本人のサンプル数は、多数でグループ化されている。 現代韓国人のデータもY染色体グループ比較(図5)では300以上ある。 これについて P182で 「利用できるデータが1例しかないのですが、北京の中国人と現代日本人の中間には韓国人が位置しています。」と。 現代韓国人の核ゲノムデータで 利用できるのが一例しかない。とはどういう意味なのだろう。 300以上のサンプルはSNPの主成分分析では ほとんどが利用できない? 一つを除いて遺伝子系列に欠陥があってSNP情報が使えない。という意味なのだろうか? 不思議だ。 現代韓国人のDNAデータについては、ネット上でいろいろな話が流布されている。そういうことなのだろうか? と勘ぐってしまう。 (3)弥生時代の韓国人(半島人) 追加 2019/7/15
弥生人のDNA P182 『渡来系弥生人という言葉から私たちがイメージするのは、大陸の集団、特に朝鮮半島の現代人と同じ遺伝的な構成をしている人々です。 しかし主成分分析の結果は、彼らもかなり在来の縄文人と混血が進んでいたということを示しています。 安徳台遺跡は弥生時代中期のものなので、弥生時代の開始期からはかなりの年月が経っており、彼らも日本列島ですでに数百年間生活していた集団です。 むしろこれまで渡来系弥生人というと、朝鮮半島集団の遺伝的要素が非常に強い人々という捉え方をしていましたが、その方が不自然なのでしょう。 渡来系弥生人も日本で誕生した人々と捉えるべきなのです。』 渡来系弥生人も日本で誕生? これは納得しがたい仮説だ。 安徳台の渡来系弥生人が、弥生時代早期に渡来し、それから数百年間生活していた一族、という根拠はあるのだろうか? 早期に渡来したかも知れないし、中期の葬られた時期の数世代前に渡来したばかしかも知れない。 冒頭の、 渡来系弥生人は、朝鮮半島の現代人と同じ遺伝的な構成をしている は、歴史の経過を無視している。 渡来系弥生人は、朝鮮半島の「弥生時代の」半島人と同じ遺伝的な構成をしている と考えるベキ。
そこで、弥生時代の韓国人の遺伝的な立ち位置を検討してみる。 この時代の核DNA分析は、現代韓国人でさえ1例のデータしかないので、推測するしかない。 下図の 「弥生・韓国人」 が、「現代・韓国人」が弥生時代に位置していた推定位置だ。 その後 〜 現在 に至るまでに、 列島と異なり 多くの大陸系異民族の侵略、征服などを受けて、「現代・韓国人」の位置に収斂した。 (楽浪郡・帯方郡などの植民、高句麗・百済などの侵入、唐などの冊封下、モンゴル帝国の支配下など、様々な民族との交雑を経て、遺伝子はこの位置にいる。)
「現代・韓国人」に至る軌跡は、中国大陸中心の集団との交雑を経て、その度毎に 東アジア人の一列に引き寄せられたルートで、結果が今の位置だ。 従って、その前は遥かに縄文人の位置の方向...「弥生・韓国人」あたりに位置していたと推測するのが妥当であろう。 図2に、弥生時代の韓国人の立ち位置(推定)を追加。
縄文人と大陸人の中間にプロット 図6 半島人は、先住していた縄文人とその後に侵入した大陸人の交雑で生じた若い集団であり、基層に縄文人の遺伝子を有している。(※1)、 「福岡・弥生人」(渡来系弥生人)と、半島に残った「弥生時代の韓国人」は、同じ遺伝的構成をした人々であることが 上図で示される。 冒頭に戻るが、「福岡・弥生人」が比較すべきは、「現代・韓国人」ではなく、「弥生・韓国人」。 そうしないと、「福岡・弥生人」(渡来系弥生人)も日本で在来の縄文人と混血して誕生した人々、と なってしまう。
(※1: 半島の先住縄文人全てが北から侵入した大陸人と交雑し入替ったとは考えられず、半島南部では「半島の倭人」として残ったと推察される。) 付記 (1) の「初期拡散での縄文人に似た遺伝子が残留」説の場合、残留起源は縄文人の半島渡海より遥かに古代となるので、大陸系との交雑も多く、 変異頻度もより大きく、「現代・韓国人」の立ち位置は、一直線上の北京中国人あたりからチョコンと頭が出た程度の位置になると考えられる。 上図のようにはならず、この(1)仮説は無理がある。
(4)弥生以降の渡来人
篠田氏は、弥生時代よりも古墳時代〜飛鳥時代に多くの大陸人が渡来し、遺伝子に影響を与えていると。 その通りだろう。 ただ、『現代日本人にもっとも多くの遺伝子を伝えているのは大陸から弥生時代以降に渡来した人々..』 P187 は、 渡来人がその後の日本人の主流みたいに聞こえ、誤解を招く言い方だ。 遺伝子分析では、外から入ってきた最も新しい遺伝子を伝えたのは、古墳時代〜飛鳥時代に半島の戦乱を避け移住してきた大陸系人々。ということ。 その後の時代では、侵略や難民流入は列島には無く、新しい遺伝子の大きな流入は無かった。 基礎となる縄文の遺伝子も、時代が経つと遠く、薄くなる。新しく列島外から追加された遺伝子がより近く、古いデータより相対的に多くなる、という経過をたどる。 フロー世界のストックは 新しいものの比率が高くなるのは当然で、取って代わったのではなく、新たに追加された、ということ。 比喩で云うと、1万6千年前(縄文草創期)からの光景を、望遠鏡を逆にして、遠近法で眺めているようなもの。 遠くのものは小さくなり、近くの物は大きくなり、『現在の視野面積』のなかで縄文の占める%は小さくなる、ということ。 この時代の渡来人は、「日本書紀」、「新撰姓氏録」に詳しく、もう遺伝子分析で無く歴史学者の分析範囲だ。 (追加 2020/05/05) 現代日本人のルーツとしての縄文人度 (「交雑する人類」 から) 遺伝子では、在来・外来の遺伝子は長い間にシャッフルされて、元とは異なっている。 従って ルーツの残存率は意味がない。 両者共に異なっている。 ・ルーツが在来か外来かは、Y染色体父系ルーツで判明する。 D1bを有する者は在来。その他は外来。 ・主成分分析は、縄文と大陸の主成分に対して、どの位置に来るかのプロット。 どちらに接近しているかで 縄文○○%、外来○○%と。 (5)天皇家のDNA (この項は、篠田氏の本とは関係がない。) (父系継承のY染色体ハプログループによる)父系ルーツ探索は 大和朝廷の成立にまで及んでいる。 現天皇家が、D1b遺伝子を持っていることがほぼ確実になった、との情報がある。(江戸時代の天皇の直系子孫のDNA分析の結果) 天皇家は縄文系ということで、大和朝廷は縄文人の系統で、大陸から来た弥生人が立てたという説は成立しない。 神武天皇の祖先は縄文人で、天皇家は縄文の昔から綿々と続いていることに間違いは無い。 別の感想メモ 中央公論 2019年3月号 2019/2/12記 特集 ハーバードが注目する「新しい日本」 10教授連続インタビュー に、 「 DNA解析で日本人のルーツに挑む デイヴィッド・ライヒ 」 があった。 彼は、ヒト古代DNA分析のパイオニアで 『交雑する人類』 で世界的に有名。 インタビューで彼は、縄文人と弥生人が交配したのは、1600年程前と考えていると。 弥生時代ではなく、AD400年代(倭が半島に進出した時代)のことだ。 この時期(古墳時代〜飛鳥時代)は、戦乱の半島から平和な列島に、大量の人びとが逃れてきた時期にあたる。 380年(応神14年)弓月君が127県の民18,670人を引連れて渡来、を皮切りに、終わりは660年代の百済遺民 数千人の渡来。 3000年前〜1800年前の弥生時代は、半島からの渡来人はわずかで、水田稲作は半島南部の倭人が北九州の倭人に伝え、 鉄中心の大陸文化は、楽浪との交易や、少数のボートピープルが列島に伝えたので、渡来人数は、遺伝子DNAが変化する程ではなかった。 私の若い頃は、半島から水田稲作を携えて大量の弥生人が渡来し、縄文人を駆逐して列島を占拠し、現代人の祖先になった説、が幅をきかせていた。 この説は「何が原因で」、「どんな 移住圧力 がかかって」 が不明だ。 航海民ではない稲作農民が、大切な故郷を捨てて、危険な海峡を渡ってでも渡来しなければならない「動機」が説明されていない。 「動機」無き説は、ミステリーにもならない。 古墳時代〜飛鳥時代の大量渡来は、「半島の戦乱が原因」で、渡来の説明がつく。 デイヴィッド・ライヒの仮説は、「数の影響」を重視し、渡来の原因・動機も説明でき、説得力を感じさせる。 2019/7/9 追記
http://plaza.harmonix.ne.jp/~udagawa/nenpyou/yayoi_DNA.htm
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