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(回答先: 今生き残っている縄文人の子孫は同和buraku民とアイヌ人だけです。 投稿者 中川隆 日時 2020 年 6 月 12 日 06:12:35)
縄文人は、核になる狩猟採集民のY-DNA「D1b」と海の民のY-DNA「C1a」及び山の民のY-DNA「C2a」の3種混成集団
日本人のガラパゴス的民族性の起源
3.日本列島への最初の到来者は、古代遺伝子集団:Y-DNA「D」と「C」
最初の縄文人はY-DNA「D1b」(旧「D2」)を多数とする、Y-DNA「C1a1」(旧C1a」との混成部隊である。
3-1.縄文系遺伝子集団:Y-DNA「D」
Y-DNA「D」が100%の純系子孫のOnge族です。 Onge族やJarawa族は世界で最も黒い
(ネイティヴアフリカンより黒い)と言われているそうです。Y-DNA「D」が日本列島に 渡って来たのは、オーストラリアのアボリジニは5−6万年前頃には既に到達していたらしいので、日本列島にも恐らく遅くても 3−4年前頃には渡来していたと考えるのが妥当でしょう。その当時のY-DNA「D」集団は黒かったのか既に黄色くなっていたのかは 全く情報がありません。しかし確かなのは鯨面文身であったことでしょう。Y-DNA「D」が85%を占める子孫のアイヌが鯨面文身だったのは、 子孫として数万年にわたり正しく文化を残してきたことになります。 Jarawa族やOnge族は現代でもネグリートなので、当然縄文人も小柄なネグリートつまり、 「倭」人であったことは間違いないでしょう。
3-2.縄文系遺伝子集団:Y-DNA「C」
Y-DNA「C」が100%の純系子孫のニューギニアのLani族です。
濃い褐色で彫深のソース系になります。Y-DNA「D」のJarawa族や Onge族同様ネグリートです。
恐らく古代遺伝子のY-DNA「D」、「E」、「C」、「F」は全てネグリートだったと思われます。
3-8.Y-DNA「C2a」の日本列島への上陸
ところがサハリンから南下せずにシベリヤ大陸に留まり陸のハンターに転身したのが大陸性ハンターY-DNA「C2」(旧「C3」)です。
この集団はクジラの代わりにマンモスやナウマンゾウを狩猟する大型獣狩猟集団であったと思われます。
ところが不幸にもシベリア大陸の寒冷化によりマンモスもナウマン象も他の大型獣も少なくなり移住を決意したのでしょう。
一部はナウマン象を追って南下し対馬海峡を渡り本土に入りY-DNA「C2a」(旧C3a」)となり山の民の母体となったでしょう。
また一部はサハリンからナウマンゾウの南下を追って北海道、更に本土へ渡った集団もあったでしょう、
北の山の民の母体となったと推測できます。
この山の民になった大陸性ハンターY-DNA「C2a」が縄文人の3つ目の母体と考えてよいでしょう。
つまり縄文人とは、核になる狩猟採集民のY-DNA「D1b」と海の民のY-DNA「C1a」及び山の民のY-DNA「C2a」の3種混成集団
と考えられる。
このY-DNA「C2a」が一部日本人の持つ大陸性気質の源流と考えられる。
Y-DNA「C1a」は貝文土器など沿岸性縄文土器の製作者、Y-DNA「C2a」は火炎土器など呪術性土器の製作者ではないかと推測され、
いずれにせよ縄文土器は技術を持つY-DNA「C」集団の製作と推測され、Y-DNA「D」は素朴な狩猟採集民だったと推測できる。
この山の民のY-DNA「C2a」が南下するときに、南下せずY-DNA「Q」と共に出シベリアしたのがY-DNA「C2b」(旧「C3b」)の一部であろう。
このY-DNA「Q」はヨーロッパでは後代のフン族として確定されている。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-2,0-5,15-28,18-2.htm#0-2
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