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カフカのかなたへ (講談社学術文庫) – 1998/1
池内 紀 (著)
https://www.amazon.co.jp/カフカのかなたへ-講談社学術文庫-池内-紀/dp/4061593145
池内紀 著『カフカのかなたへ 』
有村隆広
カフカ研究者 に限らず文学研究者 は ともするとひ とつの解釈 にかたよ りが ちである。
その結果その作家像につ いての一面的な面が強調 して解釈 され, その全体像を把握するこ とが困難 になって くる。 カフカ文学の解釈 についても, 宗教的 ・神学的 なもの, 心理学的な解釈, マル クス主義的 ・社会批判的 な方向を有す るもの, 実存主義的 ・存在論的解釈, 伝記的資料に基 く解釈等 と多岐にわたる。
このよ うな解釈の氾濫に対 し, 著者は,「 カフカ解釈 はごまんとあるが, カフカ自身
は, どのよ うな特定の解釈 を願 ったわけでもない」 と述べている。 正解 である。 つまり, ものを書 く人の立場 に立ってカフカを理解 しよ うとしてい る。 そ してその結論を,あ とが きの中で次の ように述 べている。 「一方的な解釈は二の次, 作品にもどって 自分の目でたのしむこと。そのお もしろさと豊かさを, なるだけそこなわないように書いてみたい。」著者はこの方針 を本書のなかで見事 に実行 している。
本書 は16章(16の 項 目)か ら成 りた っている。
「窓の男」,「八つ折 と四つ折」,「動物物語」,「だまし絵」,「変身譚」,「失踪者」,「二等兵フランツ」,「『事実』 について」,「中庭の門」,「悪の考察」,「ヨーゼフ ・Kの 罪」,「掟の門」,「工区分割方式」,「眠 りについて」,「食べない男」,「生命の樹」。 これ らはカフカの主要作品 をほゞ年代順 に論 じた も
のである。
これ ら16の 章 のなかでカフカ文学 に とって特徴的 と思われる ものを9項 目にわたって紹介 し, かつ論評 してみたい。
「窓の男」 は主 としてカフカの初期 の短編 『観察』 を中心に して論 じている 。それ ら の短編 の表現法 に著者 は着 目し, カフカは しば しば副次的人物 を脇役 として使 っていることを指摘する。それ らは普通登場人物 の口を通 して語 られるだけで舞台には姿を表わさないが, まるで見えない神の代理人のよ うな力で登場 人物 の運命 を左右 している, と述べる。
これはカフカの物語技法の特徴 を鋭 く見抜いている といえる。 「八つ折 と四つ折」 で, 著者 はカフカの執筆方法 について触 れている。 最初に断わっているよ うに, それはカフカが どの ようにして小説 を書 いた か とい うこ とではなくて,どんな筆記用具でどんな原稿用紙 に書 いたか, とい うことである。その際, 著者 はマー コム ・パス リイの研究 を引用 しなが ら,「 つ まり, きわめて具体的な執筆条件, た とえ ばどこで書いたか, そのときいかなる文房具 を使 ったか, といった ことが, カフカの場合, 書 かれた ものの規模 と内容に とって, とくに重要 な意味を もってい る」 と述べ る。
著者 は等身大 のカフカと素直に向き合 っている といえよ う。 「だまし絵」では, 著者は小品 『隣人』 を分析 の対象 として とりあげ, カフカの他の作品 と同 じよ うに, この小品 も, その叙述が 「私」の視点で語 られている, と述べている。つ まり 「語 り手 と主人公 との視 点の一致」 について論 じている。
カフカの物語技法に対す る著者の関心の高 さをこの章 でも感 じさせて くれる。
「変身譚 」の対象は当然のこ となが ら 『変身』 である 。
著者は, グレゴール ・ザムザ の変身その ものだけが問題 となっているのであれば, 物語はは じめの一頁です でに終 っ ている, と述べ る。 しか し, 事実 はそ うではな く, グレゴールの変身 とともに, それに 合わせてザムザの家族や身辺の もの もしだいに変化 してい くこと, す なわち 「変身」 してい く点に 『変身』のお もしろ さが あることを指摘 して している。
「失踪者」 の章では主 として二つの ことが論 じられてい る。 そのひ とつは長編 『失踪者』 の題名 についてである。 この小説 についてはマックス ・ブロー トが名付 けた題名 『アメ リカ』 が長年用い られていたが, 小説の内容 からみてもやは り 『失踪者』 とい う題名 がふさわしいことを, 例を挙げて実証 してい る。
他のひ とつは主人公のカールの性格 が作者 のカフカに似てい ることを指摘 しているこ とである。 このよ うな分析の仕方は, 著者が日頃作者の カフカとその作品を同 じ視点から眺 めていることを意味す る。
「二等兵 フランツ」 のなかで, 著者は カフカと社会 との関係を論 じている。 カフカは第一次世界大戦のことを日記 ・手紙のなかではあま り触れていない。それゆえに冷淡な態度 をとっているように見 える。 しか し本 当の ところは人一倍の関心を寄せていたのではないか, と推論 している。
そしてカフカはナチス時代の亡命作家 に先 だつ 「もつとも初期の国内亡命者」である, と述べる。 「『事実』 について」 では, 著者は小品 『皇帝の倫 旨』,『狩人 グラックス』などの例を挙 げなが ら, カフカは しば しば事実を書 く作家であることをを論証す る。 カフカの文章はアレゴリー, パラーベルに満 ちている。それゆえに読者 はともす るとカフカの主人公たちの活躍する舞台は別次元の世界 ではないか, と錯覚する。そのような錯 覚を是正する意味で も本書 は再読に価する。
「工区分割方式」 で, 著者はカフカの物語の展開, すなわちス トー リーの展 開の仕方に注 目する。短編 『田舎医師』 を例 に挙げて, カフカの小説は ドアーつ で物語が思いがけな く移 り変わることを指摘す る。そ して ドウール ズとガタ リがこれ らの現 象をカフカの物語技法の 「驚 くべき地形学」, と呼 んでいることを紹介す る。
「眠 りについて」 はカフカの最大の長編 『城』 について論 じたものである。
ここでは 『城』の作品構造,『城』のモデル, Kの 眠 りについて論 じているが, 後 の二つ について紹介 してみたい。
著者 はヴァーゲンバ ッハの研究 を引用 し,『 城』 のモデルはカフカの
父の里であるボヘ ミアの村 ヴォセクではないか, と述べ る。 またKの 行動 は ユダヤ正統派の伝統 に住 みつ く試みであるとい う説 を紹介する。このよ うな指摘 は著者 がカフカ文学における伝記的背景, ユダヤ人 としてのカフカの存在 を重視 している証拠で もある。 Kの 眠 りについて論 じる場合, 著者は 「眠 りは短い死。死 は長い眠 り」 とい うことわざを紹介す る。城の村 に着いた夜Kは 眠 りこけたが, それは一連の 「短 い死」 の幕 あけであ り,『城』 には くり返 し眠 りが出て くることを指摘 する。さらに村の レス トラン「紳士荘」での農夫 たちのダンスは 「死 の舞踏」ではないか と分析する。そして村 のなかでのKの さす らいは死の形象でいうどられていることを指摘す る。
この章 で著者 はカフカ文学の深みに さりげな く踏 み込んだ といえる。
16章 のなかで9章 の内容について論 じてみた。確かに著者はカフカの 「お もしろ さと豊か さ」 を楽 しみながら書 いている。 したがって読む人 も安心 して気楽 に読 める。その
意味ではま さしくエッセーである。
しか し本書は単なるカフカについてのエ ッセーではない。それぞれの章 が著者の鋭 い分析の もとに構成 されている。また著者 はそれぞれのテーマについての文献は殆 んど読破 しているものと思われ る。16章 の内容はカフカの物語技法 をは じめとしカフカ文学 についてのほゞすべてのテーマな らび に問題点 について触れている。
したがって本書はエッセー とい う名 を借 りた総合的なカフカ論 である といえる。 ともす ると学的体系 にのみ心を奪われがちな研究者に とって も, またこれからカ
フカを研究 しょうとす る人 にとって も必読の書 である。(青土社1993年)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/dokubun1947/93/0/93_0_149/_pdf
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