21、マサチューセッツエ大教授のジョン・Dダワーは米国の公文書館で天皇ヒロヒトの発言を見出した。 ホイットニー文書【以下がヒロヒトの発言記録(1946・4〜6)】 日本人の間には宗教心が欠如している。私は神道を宗教とは考えていない。それは儀式に過ぎず、合衆国では甚だ過大評価されてきたと考えている。 しかし、たいていの神道信者は超保守的で、彼らと、神道と超国家主義を同一視していた復員兵とその他の者は、しっかりと結びつく傾向を持っているので、依然として危険な面がある。政府は、信教の自由に関する命令を厳守する立場にあり、現在彼らを取り締まる手段を持っていないために、こうした状況は危険だ。神道を奉じる分子とその同調者は反米的なので警戒を要すると考えている。 ヒロヒトの発言は決して日本国の象徴たるものにふさわしいといえない。まさに偽帝の言というべきである。 __ 白洲次郎の岳父が樺山愛輔。彼は昭和天皇の母貞明皇太后と深く結ばれている。貞明皇太后の周囲には、ヨハンセン・グループがたむろしていた。彼らのほとんどは、禎明皇太后と同じクエーカー教徒であり、ヨハンセン・グループとの間には、同じクリスチャンという共通項が厳然と存在していた。そのルートで貞明皇太后は樺山愛輔から、アメリカとイギリスのニュースを入手していた。 白洲は日本水産から帝国水産に移動して何をしたのか。調査室室長であった。彼は帝国水産という会社を利用し、イギリスとアメリカの諜報機関のために日本の機密を流し、また同時に、日本へ、特に皇室、ヨハンセン・グループ、軍閥、三菱・・・に情報を伝えていたのである。 皇太后と天皇が原爆投下について知っていた。この情報が白洲次郎のルートで日本に流されていたことは間違いのない事実である。 _ カトリック教徒になろうとした昭和天皇 「昭和天皇実録」を読む (岩波新書)を読んで驚いたのは、戦後に昭和天皇がカトリックに改宗しようと考えていた事実だ。1948年には次期ローマ法王とされていたスペルマン枢機卿と面会し、改宗について相談している(当時は単なる儀礼的訪問と発表された)。 これは天皇が「現人神」だとするとありえない話で、靖国神社もカトリック教会に改造しなければいけない。しかし天皇はそういう矛盾を気にかける様子もなく、「こういう戦争になったのは宗教心が足りなかったからだ」と述懐している。つまり彼も、国家神道なんて宗教とは思っていなかったわけだ。 天皇は改宗して国家神道を捨て、戦争責任に決着をつけようと考えたらしい。今でも日本の「保守派」には天皇制=国家神道=靖国神社と信じている人が多いが、天皇は信じていなかったのだ。 _ 皇室とキリスト教の関係は明治時代からかなり広く、深いです。昭和天皇が少年であられた時、家庭教師は、クューカー教徒のヴァイニング夫人であったし、美智子様は聖心女学院出身であり、クリスチャンです。そして、私の身近な人でも皇室に接触があるであろう宣教師がいます。 28投稿者:2 投稿日:2019年12月03日(火) 13時25分50秒 カトリック教徒になろうとした昭和天皇 ホイットニー文書【以下がヒロヒトの発言記録(1946・4〜6)】 日本人の間には宗教心が欠如している。私は神道を宗教とは考えていない。それは儀式に過ぎず、合衆国では甚だ過大評価されてきたと考えている。 しかし、たいていの神道信者は超保守的で、彼らと、神道と超国家主義を同一視していた復員兵とその他の者は、しっかりと結びつく傾向を持っているので、依然として危険な面がある。 政府は、信教の自由に関する命令を厳守する立場にあり、現在彼らを取り締まる手段を持っていないために、こうした状況は危険だ。神道を奉じる分子とその同調者は反米的なので警戒を要すると考えている。 「昭和天皇実録」を読む (岩波新書)を読んで驚いたのは、戦後に昭和天皇がカトリックに改宗しようと考えていた事実だ。1948年には次期ローマ法王とされていたスペルマン枢機卿と面会し、改宗について相談している(当時は単なる儀礼的訪問と発表された)。 これは天皇が「現人神」だとするとありえない話で、靖国神社もカトリック教会に改造しなければいけない。しかし天皇はそういう矛盾を気にかける様子もなく、「こういう戦争になったのは宗教心が足りなかったからだ」と述懐している。つまり彼も、国家神道なんて宗教とは思っていなかったわけだ。 天皇は改宗して国家神道を捨て、戦争責任に決着をつけようと考えたらしい。今でも日本の「保守派」には天皇制=国家神道=靖国神社と信じている人が多いが、天皇は信じていなかったのだ。 _ 皇室とキリスト教の関係は明治時代からかなり広く、深いです。昭和天皇が少年であられた時、家庭教師は、クューカー教徒のヴァイニング夫人であったし、美智子様は聖心女学院出身であり、クリスチャンです。そして、私の身近な人でも皇室に接触があるであろう宣教師がいます。 雅子皇后は、妹たちがカトリックの洗礼を受けている、また、三笠宮妃信子様は、カトリックの名家・麻生家の出で、麻生太郎元総理の妹である。 皇嗣秋篠宮の長女・眞子様は、国際基督教大学(ICU)に進学された。次女・佳子様は学習院大学を辞めてICUに進学された。ただし、同学でキリスト教に改宗する学生はごく僅かとされる。皇室関係の職員には、キリスト教徒が多いことが注目される。昭和天皇の初代の侍従長・珍田伯爵は、元外務次官でメソディスト派の牧師だった。その後の歴代侍従長もキリスト教徒が多いと言われる。たとえば、渡邊元侍従長は聖公会だった。川島元侍従長はカトリックで、同じくカトリックで日本初の国連難民高等弁務官を務めた緒方貞子といとこ同士だった。 今上天皇と皇嗣秋篠宮の養育係だった浜尾侍従はカトリック教徒であり、彼の弟・浜尾伺郎は枢機卿という高位聖職者だった。女官長にもキリスト教徒が多いとされる。歴代の宮内庁長官では、田島、宇佐美等がカトリック教徒だった。また宮内庁の職員にはカトリックが多いと伝えられる。 29投稿者:2 投稿日:2019年12月03日(火) 13時32分21秒 __
白洲次郎の岳父が樺山愛輔。彼は昭和天皇の母貞明皇太后と深く結ばれている。貞明皇太后の周囲には、ヨハンセン・グループがたむろしていた。彼らのほとんどは、禎明皇太后と同じクエーカー教徒であり、ヨハンセン・グループとの間には、同じクリスチャンという共通項が厳然と存在していた。そのルートで貞明皇太后は樺山愛輔から、アメリカとイギリスのニュースを入手していた。 白洲は日本水産から帝国水産に移動して何をしたのか。調査室室長であった。彼は帝国水産という会社を利用し、イギリスとアメリカの諜報機関のために日本の機密を流し、また同時に、日本へ、特に皇室、ヨハンセン・グループ、軍閥、三菱・・・に情報を伝えていたのである。 皇太后と天皇が原爆投下について知っていた。この情報が白洲次郎のルートで日本に流されていたことは間違いのない事実である。
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