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真珠湾の生き残り元米兵の回想録、許せない一人の日本人とは
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/8844
2017年2月9日 森川聡一 WEDGE Infinity
■今回の一冊■
ALL THE GALLANT MEN
筆者 Donald Stratton
出版社 William Morrow
安倍晋三首相が昨年暮れ、真珠湾(パール・ハーバー)を訪問した。ちょうどそのころアメリカでベストセラーリストに顔を出していたのが本書だ。日本軍による真珠湾攻撃で最も多くの犠牲者が出た戦艦アリゾナの乗組員のうち、現在でも存命する数少ない元アメリカ兵の一人による回想録だ。ニューヨーク・タイムズ紙の週間ベストセラーリスト(ノンフィクション単行本部門)に昨年12月11日付で16位で初登場した後、12月25日付、今年1月1日付と連続して8位にランクインした。
『ALL THE GALLANT MEN』(Donald Stratton,William Morrow)
■「喧嘩のルールを、日本人はすべて破った」
日本軍による奇襲で撃沈した戦艦アリゾナは今でも真珠湾の海底に沈んでいる。犠牲者を追悼するため、その真上に設けたのがアリゾナ記念館だ。安倍首相はアリゾナ記念館を訪れ献花もした。本書によると、1941年12月の真珠湾攻撃で亡くなった米兵は合わせて2403人で、そのうち戦艦アリゾナの乗員だけで1177人が命を落とした。戦艦アリゾナの乗員で真珠湾攻撃を生き延びたのは335人で、今でも存命はわずか5人だけだという。当時、19歳だった筆者がその5人のうちの一人というわけだ。
筆者はからだ中に火傷をおったものの一命をとりとめ、苦しいリハビリを経て、なんと再び1944年に海軍に入隊し、太平洋戦争の終結間近の沖縄戦にも従軍した。まさに、不幸な日米戦の始まりと、実質的な最終局面に居合わせたことになる。古い世代のアメリカ人がいったい、真珠湾攻撃をどう受け止め、日本に対してどのような感情を持っているのかを知るうえで、本書はとても参考になるはずだ。安倍首相が真珠湾を訪問した際の演説で強調した「和解の力」が、どこまでアメリカ人の心に響くのか見極める助けにもなりそうだ。
真珠湾攻撃を生き延びた筆者は当然ながら、真珠湾攻撃は宣戦布告をせずに強行された卑劣な奇襲と批判的に評価する。
日本軍による奇襲で撃沈した戦艦アリゾナは今でも真珠湾の海底に沈んでいる。犠牲者を追悼するため、その真上に設けたのがアリゾナ記念館だ。安倍首相はアリゾナ記念館を訪れ献花もした。本書によると、1941年12月の真珠湾攻撃で亡くなった米兵は合わせて2403人で、そのうち戦艦アリゾナの乗員だけで1177人が命を落とした。戦艦アリゾナの乗員で真珠湾攻撃を生き延びたのは335人で、今でも存命はわずか5人だけだという。当時、19歳だった筆者がその5人のうちの一人というわけだ。
筆者はからだ中に火傷をおったものの一命をとりとめ、苦しいリハビリを経て、なんと再び1944年に海軍に入隊し、太平洋戦争の終結間近の沖縄戦にも従軍した。まさに、不幸な日米戦の始まりと、実質的な最終局面に居合わせたことになる。古い世代のアメリカ人がいったい、真珠湾攻撃をどう受け止め、日本に対してどのような感情を持っているのかを知るうえで、本書はとても参考になるはずだ。安倍首相が真珠湾を訪問した際の演説で強調した「和解の力」が、どこまでアメリカ人の心に響くのか見極める助けにもなりそうだ。
真珠湾攻撃を生き延びた筆者は当然ながら、真珠湾攻撃は宣戦布告をせずに強行された卑劣な奇襲と批判的に評価する。
日本軍はアジアで残虐なことをしたというのは、アメリカ人の共通認識となっているようだ。だからこそ、戦争を終わらせるために、広島・長崎に原爆を投下したのは仕方なかったという、アメリカではおなじみの理屈へとつながる。さらに、原爆投下を正当化するため、アメリカではおなじみの次のような説明も付け加える。
Here I should add a postscript for those who think less of America for resorting to such extreme measures. Before releasing the bomb on Hiroshima, U.S. aircraft dropped leaflets that warned of the bombing. Five million of them. They dropped them on Hiroshima, Nagasaki, and thirty-three other cities that were potential targets.
「アメリカが究極の手段(原子爆弾)に訴えたことをよく思わない人々のために、ここで一つ補足しておくべきだろう。広島に爆弾を落とす前に、アメリカ軍は飛行機から爆撃を警告するビラをばらまいた。500万枚ものビラをだ。広島や長崎、そして爆撃の対象になりうる他の33都市にビラを空からばらまいたのだ」
筆者はさらに次のようにも付け加える。
One more thing you should know . . . None of us at Pearl Harbor got leaflets like that from the Japanese.
「もうひとつ知っておくべきことがある...真珠湾では誰も日本人からこうした事前警告のビラをもらわなかった」
日本に原爆を落とす際、人的な被害を最小限に抑えるため事前に警告を発したというのは、原爆投下を正当化する際にアメリカ人がよく持ち出す理屈のひとつだ。日本人としては事前に警告したかどうかよりも、非戦闘員が多く住む都市に対し、非人道的な大量破壊兵器をつかうことが、そもそも許しがたいという思いを持ってしまう。
■日本に対する正直な気持ち
さて、アリゾナ記念館を筆者が初めて訪れたのは真珠湾攻撃25周年の時だったという。この時、筆者は記念館を訪れていた人々の中に、ある日本人の存在に気づき怒りを覚える。
I was even angry that day with some of the visitors. Especially one of them. Mitsuo Fuchida. Captain Mitsuo Fuchida. I couldn't believe he was there, at the memorial. His presence seemed a sacrilege.
「わたしはその日、訪問者のなかの幾人かに怒りを覚えた。特に、そのうちの一人、淵田美津雄に対してだ。淵田美津雄大佐だ。彼がそこ、つまり記念館にいることが信じられなかった。彼がそこにいることは冒とくだと感じた」
真珠湾攻撃を行った飛行隊を率いた旧海軍の淵田だけは許せないというのだ。淵田は戦後、キリスト教の信者となりアメリカでも布教活動を行った。筆者はそうした淵田の活動についても売名行為として批判的にみていた。ただ、筆者も日本という国に対して反感を持ち続けたわけではないことは、次の一節でも分かる。
The Japanese company that manufactured the Zero was Mitsubishi. Today they make cars, many of which are sold in the United States. On some level, if only an economic level, we have made peace with our enemy, and they with us.
「ゼロ戦を製造した日本企業は三菱だった。今日では三菱は車をつくり、アメリカでも多くの車を売っている。ある意味、経済面では、わたしたちは敵と和解し、相手もわたしたちと和解をしているのだ」
筆者はさらに、次のようにも書く。
I have no animosity for the Japanese people. The Japanese military, well, that’s another thing. I still have so much anger toward them.
「わたしは日本の人々を恨んではいない。ただ、日本軍については、話は別だ。わたしは今でも大きな怒りを感じる」
経済の面で、アメリカと日本は強い絆を築いており、日本人に対してもわだかまりはないという。ただ、当時の日本軍をいまだに許せないという。正直な気持ちだろう。ただ、94歳と高齢の筆者はいずれ自分が死んだあと、天国で淵田と会う時には、握手をするだろうと記している。
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