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日本はなぜ開戦に踏み切ったか? 真珠湾攻撃「情報戦」の真実 アメリカの正義はこうして作られた
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50390
2016.12.08 森山 優 現代ビジネス
■日米戦争という難題
日本は、なぜアメリカと戦争をしたのだろうか。以前、当時の日本の政策決定過程を検討した『日本はなぜ開戦に踏み切ったか』(新潮選書)を上梓したが、その鍵となる概念は「非決定」と「両論併記」であった。
強力なリーダーシップが存在しない日本が危機に際してずるずると戦争に向かっていく過程を描いた拙著は、単なる過去の話ではなく、身近に感じられる事例として読者の方々に受け入れていただけたようである。
日米が戦争へと向かう大きな分水嶺となったのは、1941年7月の日本の南部仏印(現在のベトナム南部)進駐と、それに対する米英オランダ(蘭)の対日全面禁輸だった。しかし、後世から見れば決定的と思える日米の決断が、どのような意図をもってなされたのか、一般にはあまり理解されていない。両国ともに、その決定過程がきわめて複雑だからである。
該書でも紙幅の関係から対象時期を全面禁輸以降の日本の状況に絞ったため、これに触れることができなかった。今回、この難題に挑んだのが、『日米開戦と情報戦』(講談社現代新書)である。
本書では、まず南部仏印進駐に至る日本の政策決定過程を分析し、なぜその選択がなされたかを再検討した。
じつは「非決定」や「両論併記」は、南部仏印進駐とその先触れとなったタイと仏印との国境紛争調停の分析から導き出された概念である(故吉沢南氏が『戦争拡大の構図』〈青木書店、1986〉で「両論並立的秩序」という概念を提唱され、それを継承・発展させた「両論併記」に「非決定」という概念を加えたのが森山「「非決定」の構図」『軍事史学』27巻2・3、1991)。
■「国策」と「情報戦」
米英との戦争は避けたいが「南進」(イギリス・オランダなどの南方植民地への進出)の足がかりとしてまずタイと仏印への影響力を増大させたい陸海軍、彼らの足許を見て挑発しつつイニシアチブを握ろうとする松岡洋右外相、そのせめぎ合いから生まれたのが、幾多の「両論併記」の「国策」文書だった。松岡が、「国策」のあいまいさを利用して陸海軍を手玉にとる様子は、じつにスリリングである。
しかし、舵取りに失敗した松岡は閣外に放逐され、日本を危機が襲う。米英オランダの対日全面禁輸である。そもそも、石油の対日禁輸は、日本を石油のための「南進」に駆り立てる(最も近い産油地帯は蘭印=現インドネシアだったため)危険性が高いと考えられていた。特にコーデル・ハル米国国務長官ら慎重派はそうであった。
それがなぜこの時期に決定されたのか。
アメリカの研究者のあいだでも見解が分かれている。従来、その背景には、アメリカが解読した日本の外交暗号電から得たMagic情報があったとされてきた。
ハルは、日本が7月2日の御前会議で決定した「国策」(「情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱」)を入手し、日本が「南進」することを知っていたと証言している(日本が「南進」を決めたなら、禁輸に反対する理由はなくなる)。本書の次なる課題は、情報戦である。
しかし、この「国策」は「南北準備陣」と評されるように、「北進」(ソ連を攻撃する。6月22日にドイツがソ連に侵攻した直後だった)と「南進」を併記し、そのための準備を整えるとした、典型的な「非決定」「両論併記」の文書だった。
ハルの証言が正しいなら、なぜ彼は日本が「南進」すると判断したのだろうか。ほんとうにアメリカはMagic情報で日本の意図を正確に察知していたのだろうか。ハルの回顧録、スティムソン陸軍長官の日記や、イギリスの外交文書を精査すると、驚くべき事実が浮かび上がってきた。
■説得力のない真珠湾陰謀説
アメリカが日本の暗号を解読していたことにより、日本の行動はすべてが筒抜けだったというイメージが一般的には根強い。古くは映画『トラ・トラ・トラ!』(20世紀フォックス、1970)で、傍受した日本の外交暗号電と解読機にタイプ入力すると、解読文が自動的に打ち出されてくるシーンがあった。
他にもミッドウェイ海戦や山本五十六連合艦隊司令長官機の被撃墜など、アメリカの暗号解読に「してやられた」例は枚挙にいとまがない。また、ローズヴェルト大統領が真珠湾攻撃を知っていながら、ヨーロッパへの参戦の口実をつかむため、攻撃されるがままにしたという真珠湾陰謀説(「アジアの裏戸」説)は、くりかえしマスコミを騒がせてきた。
スティネット『真珠湾の真実』(文藝春秋、2001)が出版された際は、筆者の同僚が陰謀説を真に受けていて、驚いたものである。
しかし、普通に考えれば、日本の暗号を解読していた米英が、なぜ日本に真珠湾の太平洋艦隊を壊滅させられ、フィリピンやマレー・シンガポールなどの植民地を攻略されてしまったのだろうか。
秦郁彦氏が言うように、参戦の口実なら、真珠湾に日本の機動部隊が忍び寄ってきたか、攻撃部隊を発進させただけで充分である。何も軍艦を撃沈されたり、太平洋戦線すべてで惨敗する必要はない。陰謀論に説得力がないのは、戦争の全体像を説明できないからである。
陰謀論のような例は極端だが、暗号戦における米英の優位は、いわば戦後の常識と化していたとも言えよう。しかし、日本もアメリカの外交暗号を解読していた。
森山「戦前期における日本の暗号解読能力に関する基礎研究」(『国際関係・比較文化研究』3―1、2004)は、国務省の最高強度の暗号(ストリップサイファー)を日本側が解読して利用していたことを明らかにした(本論文はインターネットから無料でダウンロードできる)。開戦前において、日米は相手の外交文書を解読して、ともに出方を探っていたのである。
■決して昔話ではない
それでは、なぜ日米は戦ったのだろうか。
じつは、日米間には戦争をしてまで解決しなければならない具体的な利害対立はなかった。そして、日米ともに積極的に戦争を追求した結果、戦端が開かれたわけではない。むしろ双方が危機回避に失敗したため、やむを得ず戦争を選択した側面が強いのである。
となると、どんな情報に依拠して、相手の出方を判断したのだろうか。
アメリカがMagic情報を利用したこと自体は知られていたが、具体的にどのように政策に影響を与えたかという問題については、充分に検討されてきたとは言い難い。今回、この問題をさまざまなケースについて検討した結果、Magic情報は危機の回避に資するどころか、むしろ危機を促進したと結論せざるを得なくなった。
その最大の原因は、政策担当者が暗号電報などのナマ情報(インフォメーション)に直接アクセスして判断したことであろう。インテリジェンス(情報・諜報とも訳す)の世界では、対象国の文化的な背景を理解する地域研究が必須である。文化的背景がわからない素人では、ナマ情報に含まれるほんとうの意味がわからないからである。
歴史学に例をとれば、政治史研究では政治家の日記や書簡を史料として使用する。しかし、それだけでは単なるインフォメーションの寄せ集めに過ぎず、意味をくみ取ることはできない。史料を時代的背景、政治的文脈などに配置して考察することで、はじめて理解可能なものとなるのである。インフォメーションとインテリジェンスの関係も同様である。
問題は、アメリカの政策担当者がMagic情報を入手したことで、自分は日本の出方を知っていると思い込んだことであろう。自分が色眼鏡でインフォメーションを見ていることに気づかず、そこに「見たいものを見た」ため、外交による解決努力は大きく損なわれ、戦争に近づく動因となった。
日本が戦争に踏み切ったため、自ら侵略戦争を選んだ結果となり、アメリカには正義が転がり込んだ。彼らの偏見はすべて事実となり、誤謬は歴史の闇のなかに消えていったのである。
いったい情報は、どのように利用されるべきなのか。情報化社会に生きる我々にとって、これは75年前の昔話ではない。
読書人の雑誌「本」2016年12月号より
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