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日本兵を癒した幻のアイドル雑誌 軍発注のグラビアが心の支えだった
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投稿者 軽毛 日時 2016 年 8 月 15 日 18:59:10: pa/Xvdnb8K3Zc jHmW0Q
 

日本兵を癒した幻のアイドル雑誌 軍発注のグラビアが心の支えだった
BuzzFeed Japan 8月15日(月)6時0分配信


戦線文庫創刊号
戦時中、軍部が発注していた兵士専用の雑誌がある。

「慰問雑誌」と呼ばれたその誌面を飾るのは、戦時でも輝きを失わないアイドルたちのグラビアだ。【BuzzFeed Japan / 籏智広太】

「皇軍の皆々様 どうも有難う」などと甘く語りかける、彼女たち。雑誌を貪るように読んだ兵士たちは、ブロマイドを切り取り鉄兜に貼った。そして、投書欄に思いを寄せる手紙を書いた。

6年かけてそれらの雑誌を研究し、著書「兵士のアイドル」にまとめた横浜市立大院共同研究員の押田信子さんは言う。

「アイドルは、時代を映す鏡でした」

創刊号のグラビア。左は原節子、右は山路ふみ子
創刊号を飾ったアイドルたち
最大で200万部が発行されていた慰問雑誌。陸軍には「陣中倶楽部」、海軍には「戦線文庫」と軍ごとに分けられていた。

製作を担っていたのは、実際に娯楽雑誌をつくるプロの編集者たち。「陣中倶楽部」は大日本雄弁会講談社(いまの講談社)が制作を、「戦線文庫」は文藝春秋社(いまの文藝春秋)の実質的子会社・興亜日本社が出していた。

軍部はそれぞれ発行と監修を担っていた。その費用は、国民から集められた兵士を慰問するための募金から捻出されていた。

戦時中の慰問雑誌や文学者の研究をしていた押田さんは2010年、出版社の地下に眠っていた全77刊ある「戦線文庫」の一部と出会った。

1938年に出版された「戦線文庫」の創刊号を飾るグラビアは華々しい。原節子、李香蘭(山口淑子)、高峰秀子……。女優、歌手、芸者、ダンサー。当時、世間の注目を浴びたトップスターたちが集っている。

国内向けの戦線文庫。李香蘭の「つつましき生活」特集
「アイドルたちが生き生きとした顔で写っていて、びっくりしました。表紙も鮮やかで、劣化していなくて。この眠れる美女たちを目覚めさせて、あの戦争ってなんだったのかを振り返りたいと思ったんです」

そう語る押田さんに、膨大な資料を見せてもらった。切り取ればブロマイドにもなるグラビアに添えられた、アイドルたちからのメッセージも魅力的だ。

「無事ご凱旋下さいます様に。私お迎へに参ります」「お体にお気をつけになつてーー」「私の水兵さん萬才」

アイドルの連絡先として、住所まで載っているものまである。

「お暇な折にはお手紙下さいませ」

それだけではない。雑誌の中身は、いまの青年誌にも劣らない。艶やかな女性を描いたイラスト、芸能ゴシップ、大衆小説や映画情報、漫才や落語など、さまざまな娯楽コンテンツで満ちている。

押田さんは、そんな慰問雑誌の特殊性として「女性にフィーチャリングしていること」をあげる。しかも、「アイドル」として雑誌が取り上げたのは、いわゆるスターたちだけではなかった。

「戦場の兵士の心の拠り所となったのは、最初のころは銀幕の女性たちでした。ところがだんだんと町や農村、漁村の『働くお姉さんたち』にシフトしていく。同時に文壇の女性たちやアナウンサーなど、文化人たちにも広がりました」
次ページは:なぜ、女性に固執したのか



李香蘭(山口淑子)と原節子
なぜ、女性に固執したのか
戦線が拡大していくと、諸外国の女性たちも取り上げられるようになった。

三国同盟を結んだあとは、ドイツ大使の娘やイタリア人留学生たちを特集。南方進出が始まれば、ジャワ(インドネシア)やビルマ(ミャンマー)、ベトナムの女性たちが、民族衣装を披露する。それはつまり、エキゾチックなアイドルだった。

なぜ、軍部は、そして慰問雑誌はここまで女性に固執したのか。押田さんはそれを、「美しさと、セクシャリティが兵士を元気にするためには必要だった」と指摘する。

「私の父もシベリア抑留の経験者。だから兵士は若い人というイメージはなかったけれど、よく考えれば、10、20代の若い人が戦地に行っていたんですよ。もともとはアイドルに旗を振っていたような男の子たちですよ」

「そんな人たちが、いつまで続くかわからない戦争に行く。勝てないと帰れない。友人が死に、傷つき、マラリアやコレラなどの流行病になる。そうすると、いちばん疲弊していくのは心ではないでしょうか」

だからこそ、慰問雑誌には「メンタルケア」の役割があったのではないかと、押田さんは推測する。戦場で疲弊し続ける若い兵士たちに「夢の世界」を提供するものであると。

彼女たちの笑顔は「精神を弛緩させるためのモルヒネ」だったのかもしれない、と。

28号。アイドルたちが「大日本國防婦人会」のタスキをかけている
提供したのは「男の子たち」が求めたもの
そもそも、戦前は大衆文化が華々しい時代でもあった。100万部の発行を誇っていた「キング」やそれに続いた「少年倶楽部」などの娯楽雑誌。街に出れば映画、漫談に落語、さらには劇場で演舞するアイドルたち。

戦争に駆り出されていったのは、そんな文化にどっぷりと浸かっていた、なんの変哲もない「男の子たち」だった。

「いまの漫才コンビと同じような人が新宿や浅草の舞台に出ていて、それを喜んで見ていた子たちが突然、戦地に行っちゃう。そういう娯楽に親しんでいた兵士たちにそっくりそのまま、娯楽を誌面で提供するのが慰問雑誌だったんです」

軍部や編集部は兵士のニーズを、よく理解していた。戦地に赴いて、取材も積んでいたからだ。兵士たちが月に1度内地から運び込まれる雑誌を情報源とし、それを、舐めるように読みふけっていた姿と出会っていたのだろう。

投稿欄は、兵士たちの嬉々とした台詞で溢れている。

「毎日濁流を見る眼にはスマイル以上の効果をあげて居ます」「俄然戦線の渇をうるほして呉れた」「サイン入りブロマイドを一枚宛お願いしたいのです」
次ページは:戦況の悪化、そして変わる紙面



1941年発行の30号。戦時色が強まっている
戦況の悪化、そして変わる紙面
戦争が長びき、泥沼するにつれ、女性たちの姿は移り変わってゆく。

当初、誌面に載っていた「モダンガール」はきらびやかで、ミニスカートや水着に身をまとっていた。しかし、徐々にモンペ姿で農作業に励む姿、さらには割烹着に「大日本國防婦人会」のタスキをかけた姿へと変わっていく。

「戦線がいたずらに拡大するにつれ、国内も厳しい状況になっていた。国家は国民に質素な生活を要求していく。女優たちもきれいな着物で舞台に立つんじゃなくて、質素な身なりで出ていかなければならなかった」

いわゆる「皇紀2600年」。太平洋戦争が始まる前年の1940年ごろから、その変化は顕著になっていくと、押田さんは指摘する。

確認しうる最終号(77号)の表紙
女性たちだけではなく、内容も変化していった。

それまではあまり焦点が当てられていなかった、戦況を伝えるニュースが入るようになる。銃後の「産業兵士」たちが工場で働くルポも増えていった。

初期の「読み物」は、菊池寛らを筆頭に大衆作家が恋愛情緒を描く小説が掲載されていた。しかし、後期には武士を描いた時代小説などが増えていく。

「主君を崇め奉る、忠実な家来の話や侍の話にスイッチしてきている。兵士の戦意を削がないようにするためだけではなく、疲弊する銃後の現実も、書けなくなってきたのではないでしょうか」

その変化は、表紙にも表れている。

確認しうる最終号のグラビアにも、しっかりとアイドルの姿が
ギリギリまで続けた発行
ほぼ同じ内容の一般向けに販売する「銃後版」も発売されていたが、1943年ごろには物資の貧窮を受け、他の雑誌とともにページ数が減り、紙質も悪くなった。

しかし、戦地版は創刊当時から最後まで、200ページ台のボリュームを減らすことはなかった。軍との太いパイプがあったがゆえに、用紙を確保することができたのだろう、と押田さんは指摘する。

結局、「陣中倶楽部」は少なくとも1944年11月まで、「戦線文庫」は1945年3月までは発刊が続いた記録が残っている。

本土空襲がひどくなり、戦況が眼に見えて悪化した状況下でも、カラーで、充実した「娯楽雑誌」としての質を保ち続けていた。少なくはなれども、アイドルたちの笑顔も、なくなることはなかった。

敗戦も濃厚になるなか、レンズの向こうにいる兵士たちに笑顔を振りまき続けた彼女たちは、どういう心持ちだっただろう。

「葛藤はあったはず。動員されていた立場ですから。にっこりした笑顔のなかで、彼女たちも苦しい戦争を、戦い抜かなきゃいけなかったのでしょうね」

「戦線文庫」が休刊したとみられる5ヶ月後、日本は、戦争に負けた。230万人の兵士たちが、故郷に帰ることもなく、死んだ。
次ページは:そして戦後。アイドルたちは




講談倶楽部のグラビアページ。「女性は個性的にハッキリした、意志の強い女性でなければなりません」
そして戦後。アイドルたちは
では、笑顔を振りまいていたアイドルたちは戦後、どうなったのか。

その「復興」は早かった。1945年12月には、戦時中にページ数を減らしていた大衆雑誌「講談倶楽部」のグラビアが復活。彼女たちは再び、笑顔を振りまき始めたのだ。

ただ、そこに記された台詞には、驚きの変化があった。

「婦人参政権」「民主主義」「米国兵が遊びに来る」

戦時中とは打って変わって、それまでの日本を否定し、新たな社会を歓迎する言葉が並ぶ。

「戦後、アイドルたちは今度は米軍のアイコンとなって、民主主義を訴えるようになったんです。その様変わりっていうのは、アイドルがいかにその時代に消費されていく存在かということ、為政者に利用される存在だったかということを、表しています」

だからこそ、押田さんは言う。

「アイドルはひとつの時代を象徴し、作り上げていた装置だった」と。

「為政者とともにメディアや芸能界、映画界と一緒に時代をつくって、時代を表現しているのが、彼女たちアイドルだった。つまり、時代の表象であるということなんです」

戦時中、そして戦後、アイドルたちは、時代ごとの権力者に利用されてきた。では、現代はどうか。アイドルは、自らの思いを表現する自由を得たのだろうか。それとも、今も「時代の表象」なのだろうか。
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最終更新:8月15日(月)18時32分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160815-00010002-bfj-soci&p=4 

 

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