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ナイトクラブ襲撃を単独犯だと考えると物理的に不可能で、複数犯と考えると逃亡犯がいることに(櫻井ジャーナル)
http://www.asyura2.com/16/warb17/msg/891.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 6 月 17 日 10:13:50: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

ナイトクラブ襲撃を単独犯だと考えると物理的に不可能で、複数犯と考えると逃亡犯がいることに
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201606160002/
櫻井ジャーナル


 6月12日にアメリカのフロリダ州オーランドにあるナイトクラブが襲撃された際、50名以上が殺され、53名が負傷したと警察は発表している。そこで、少なくとも103発の銃弾が発射されたことになるが、そこに疑問があると、ロナルド・レーガン政権で財務次官補を務めたポール・クレイグ・ロバーツは指摘している。

 軍用小銃M16からフルオート機構を外した民間用のセミオート小銃AR-15が襲撃には使われたとされている。この小銃のマガジンには30発の弾丸が入っているようなので、3回は再装填する必要がある。1回の再装填には5秒必要らしい。状況から考えて現場にいたであろう退役軍人はそうした知識を持っていたいはず。オマール・マティーンの単独犯行という前提に立つと、20メートル以内に軍事訓練を受けた人がいれば取り押さえることが可能だという。

 それに対し、ネットワーク局のABCが伝えた証言によると、襲撃には4人が参加したという。これだけの人がいないと死傷者数を説明できないとも言える。この証言者の説明によると、銃撃の際には死んだ振りをしながら襲撃者の話を聞いていたという。銃撃戦が終わった後に病院で治療を受け、出て来たところで記者に話したようだ。襲撃者のひとりは電話で何者からか指示されていたともいう。

 現場が建物の中ということもあるが、それにしても大量の死傷者が出たことをうかがわせる映像が存在していないとロバーツは書いている。確かにその通りで、バッグに入れられた状態で運び出される死体、救急車で運ばれる負傷者という光景が事実上、ない。

 同じことが昨年11月のパリにおける襲撃事件でも指摘されていた。約130名が殺され、数百人が負傷したとされているのだが、その痕跡が見あたらなかった。

 昨年1月にパリにあるシャルリー・エブドの編集部が襲撃された事件では、歩道に横たわる警察官の頭部を襲撃犯のひとりが自動小銃のAK-47で撃って殺害したとされているのだが、頭部に損傷が見られず、周辺に血、骨、脳などが飛び散ることもなかった。空砲だった可能性が高いと考えられている。

 容疑者の特定が早すぎないか、プロフェッショナル的な技術をイエメンやシリアでの訓練や実戦で身につけられるのか、襲撃に使った装備をどこで調達したのか、スキー帽で顔を隠している人間が身分証明書を自動車に置き忘れているのは「9-11」のときと同じように不自然ではないのか、襲撃しながら自分たちがイエメンのアル・カイダだと叫んでいるのもおかしくないか、襲撃の後、どのように非常線を突破したのか、事件の捜査を担当した警察署長のエルリク・フレドゥが執務室で拳銃自殺したのはなぜなのか、容疑者のひとりで射殺されたアメディ・クリバリが2009年にエリゼ宮でニコラ・サルコジと面談できたのはなぜかといった疑問がこの事件にはある。

 こうした事件を見ていると、どうしても1960年代から80年代にかけてイタリアで実行された「偽旗作戦」を思い出してしまう。NATOの秘密部隊、グラディオが「極左」を装って爆弾攻撃を繰り返し、アメリカの巨大資本にとって邪魔な勢力に致命的なダメージを与え、治安体制を強化した作戦だ。このグラディオの存在は1990年にジュリオ・アンドレオッチ政権が公式に認めている。

 この秘密部隊を操っているのは米英の情報機関で、全てのNATO加盟国はそうした秘密部隊を設置することが義務づけられている。例えば、トルコの秘密部隊は「対ゲリラ・センター」だと言われているが、「灰色の狼」も含まれているとする話もある。(Douglas Valentine, “The Strength Of The Pack”, Trine Day, 2008 / Peter Dale Scott, “American War Machine”, Rowman & Littlefield, 2010)そのほかデンマークはアブサロン、ノルウェーではROC、ベルギーではSDRA8といった具合だ。

 こうした秘密部隊を動かしている人脈は第2次世界大戦の終盤に米英が設置したゲリラ戦部隊のジェドバラからはじまり、大戦後はOPCとして存続する。この秘密機関は1950年10月にCIAへ吸収されて計画局になり、その破壊活動が露見した1970年代には作戦局へ名称が変更され、今は国家秘密局になっている。

 OPCは東アジアでも活動、1949年1月に解放軍が北京へ無血入城する前に拠点を上海から日本へ移動させた。その中核になったのがアメリカ海軍厚木基地だ。なお、1949年には労働運動の中心的な組合が存在した国鉄で怪事件が起こっている。7月5日の下山事件、7月15日の三鷹事件、そして8月17日の松川事件だ。そして1950年6月25日朝鮮戦争が勃発する。

 戦争勃発の3日前、日本を訪問中のジョン・フォスター・ダレスたちはニューズウィーク誌東京支局長だったコンプトン・パケナムの家で「夕食会」を開いている。出席したのはダレスとパケナムのほか、ニューズウィーク誌のハリー・カーン外信部長、国務省東北アジア課長ジョン・アリソン、そして日本側から大蔵省の渡辺武、宮内省の松平康昌、国家地方警察企画課長の海原治、外務省の沢田廉三だ。

 当時、ダグラス・マッカーサーに同行して日本にいた歴史家のジョン・ガンサーによると、半島からマッカーサーに入った最初の電話連絡は「韓国軍が北を攻撃した」というものだったという。(F. William Engdahl, “Gods of Money”, Progressive, 2009)

 また、開戦の2日前から韓国空軍は北側を空爆して地上軍は海州(ヘジュ)を占領、28日にはソウルが朝鮮軍に占領され、韓国軍は馬山、大邱、浦項を結ぶ三角地帯に押し込められてしまう。半島の大半が占領される事態になったのだ。

 そこでアメリカはソ連が欠席している国連の安全保障理事会で「国連軍」の派遣を決めて反撃を開始、まず仁川に上陸して北上、南部を占領していた朝鮮軍は孤立する形になって壊滅した。ところが、そこで約30万人の中国軍が「義勇軍」として参戦、38度線まで押し戻している。

 本ブログでは何度か指摘したが、CIAやOPCは巨大金融資本によって作られた機関。そのOPCはフランクリン・ルーズベルト政権とは違い、国民党の指導者で麻薬取引に関係していた蒋介石を支援していた。OPCがCIAに入り込んだ後、1951年にCIAの軍事顧問団は約2000名の国民党軍を率いて中国領内に侵攻したが、人民解放軍の反撃で失敗している。国民党軍は1952年中国へ侵入しているが、これも失敗した。

 1953年7月に朝鮮戦争は休戦、翌年の1月には国務長官のジョン・フォスター・ダレスがNSC(国家安全保障会議)でベトナムにおけるゲリラ戦の準備を提案、軍事介入の準備を始めている。その計画を潰しかけたジョン・F・ケネディ大統領は1963年11月に暗殺され、副大統領から昇格したリンドン・ジョンソンは本格的な軍事介入を始めた。朝鮮戦争とベトナム戦争は一体のもので、対中国戦の一環と考えるべきだろう。その対中国戦は今でも続いている。


 

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コメント
 
1. 2016年6月17日 20:40:05 : 59bCScgTZw : YUTqTFwQqmY[2]
櫻井ジャーナル の指摘を見ると

確かに不思議な話しですね。
ぜひ真相に迫ってほしいです。


2. 2016年6月19日 20:48:42 : HhQO4xO2Qc : 7khKlu@0FqQ[1]
弾丸調べればわかるよな

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