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南シナ海でベトナムの船艇に放水する中国海警局船〔AFPBB News〕
軍艦を次々海上警備船に衣替えする姑息な中国 南シナ海は2000年以上前から中国の領海と説明、呆れる国際社会
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46728
2016.5.2 森 清勇 JBpress
中国は力しか信じない国である。力の主体は軍隊であり、その軍隊が効率的に機能するように改革を進めている。
同時に、用廃にした軍艦は海上警備局に払い下げ、海上警備の強化を図っている。海軍でないにもかかわらず76ミリ砲などを装備した大型監視艦は、1万トンを超す軍艦となんら変わらない。
南シナ海では領有権問題でフィリピンやベトナムなどと係争しているが、その間にも一方的に埋め立てなどを行って人工島を造成し、実効支配の強化と軍事基地化を進めている。
■貸す耳を持たない中国
南シナ海だけに焦点が集まりやすいが、尖閣諸島や小笠原周辺海域に雲霞のごとく数百隻もの漁船が押し寄せる行動は漁船員単独の行動ではなく、暗々裏に国家の意志が作用しているとみるべきであろう。
こうした漁船も日本の対応状況などを含めた情報収集任務を付与されているであろうが、本来の情報収集艦は日本周辺、さらには太平洋の西半分で行動する潜水艦のための情報収集を精力的に行っている。
人工島造成では、掘削活動などを非難する米国に譲歩して一時的に撤退(中国は完了と呼称)するかのような行動を見せるが、注意が逸らされている間に掘削活動を再開するなど、どこまでも国際社会をコケにする状況である。
領有権問題を国際裁判で決着しようというフィリピンなどの提案にも耳を貸そうとしない。
最近、各国の海洋科学者から埋め立て工事が環境破壊につながっているという批判(JBpress「中国は南シナ海を『死の海』にするつもりか」)の声が上がっているが、一向に気に掛けるようにも思えない。
国際法は「先占」の法理であるが、中国は「2000年前に発見」した歴史や「古代からの領土」などと称して、法治主義の現代社会を煙に巻く作戦一点張りである。とても近現代の国際法が通じるような相手ではないし、力のみを信奉する国である。
こうした国に対しては、残念ながら理論ではなく力の対応しか通じない。中国が条約などは平気で破り、力しか信じない国であることはJBpress拙論「中国史が指南する、南シナ海の次は尖閣奪取 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46448」で述べた通りである。
■諸外国の違法操業への対応
中国船がパラオの領海を侵犯する事案はこれまでも時々あったと言われる。2012年3月末の領海侵犯はいつもとは様子が異なり、大きな船外機が3台もついた小型のフィッシングボートで、領海内に3日間も留まっていた。
パラオの警備艇が近づくと全力で逃げ始める。警備艇はエンジンを狙って発砲、流れ弾が船員の1人に当たり死亡させる。その後、発見された母船は自ら火を放って炎上する。最終的に25人を逮捕し、領海侵犯で起訴している。
中国の外交官は即時の釈放や漁船員一人ひとりと立会いなしの面会を求めるなど非常に傲慢であったという。
パラオ側は遺族への丁重な弔意を示したうえで、即時釈放などを断り、17日間拘留し、全員に有罪を認めさせ、罰金1000ドルづつを払わせている。人口2万人のパラオでも、違法には武力も厭わない正々堂々とした対処をしたのだ。
去る3月14日にはアルゼンチンの沿岸警備隊がEEZ(排他的経済水域)内で違法操業中の中国の大型漁船を発見する。
警備隊は威嚇射撃などを行い停船を求めるが、漁船は明りを消してわざと警備隊の船に衝突しようとしたほか、逃走を図る。このため、警告のうえで発砲し沈没させる。
中国は「重大な関心」を伝え、直ちに詳細な調査をして伝えるように求めたが、抗議の形はとっていないという。
19日にはインドネシア沿岸警備隊がEEZ内で違法のトロール漁をしていた中国漁船を発見する。職員3人が漁船に乗り移り船員8人を拘束し、捜査のために漁船を領海に曳航する。
ところが、翌日未明、中国の監視船が体当たりし、駆けつけたもう一隻の公船が漁船を奪い取る。インドネシアでは中国の公船に守られた漁船の違法操業が常態化しているとして、返還された船を爆破処理し、密漁の見せしめにすることを明らかにしている。
インドネシアは外交ルートを通じて中国に漁船の引き渡しを求めているが、中国側は南シナ海のほぼ全域の管轄権を主張し、密漁に当たらないとしている。
顕著な3例を挙げたが、いずれの国も国内法などに基づく堂々とした対応をしている。しかし、2010年9月の尖閣諸島沖での不法操業中の中国漁船に対する日本の対応は全く異なっていた。
中国の恫喝に屈し、国家としての一貫した対応がとれなかった。それを契機に、尖閣諸島の接続水域に中国公船が頻繁に現れ、領海侵犯も繰り返している。
■外交音痴が大使になって
中国漁船の追突事案では丹羽宇一郎大使が真夜中に呼び出されるなど、非礼もいいところであった。しかし、大使はそうとは受け取らず、「中国の担当者も同じように起きているんだ」(『文藝春秋』2013.2所収、丹羽宇一郎「日中外交の真実」、以下同)と考えたという。
ここには、全権を委任された一国を代表する大使という自覚がない。
当人は「私が足を運ばずに事態が収拾するのであれば、その選択もできたでしょう」と言うが、事態の収拾にも、「国家の礼節」あってのことという思いが欠けている。これでは舐められるのも当たり前である。
その後、尖閣諸島を都が購入する計画に関して、「フィナンシャル・タイムズ」紙のインタビューで、「もし計画が実行されれば、日中関係に極めて深刻な危機をもたらす、と答えました」と言う。これでは大使ではなく評論家である。
「日本の領土で個人所有になって活用されていないから、都が購入して航行や漁船などの安全を高める公益に資する施設を作ろうと考えたのだ」と、なぜ自信を持った返答ができなかったのか。
とても日本国特命全権大使としての国益意識を持ち合わせず、どこかの企業代表という意識しかなかったのかもしれない。その点で思い出すのが、副島種臣外務卿の中国皇帝への拝謁姿勢である。
明治天皇の名代として日本国を代表してきた全権大使であるという自覚を前面に打ち出し、中国の古典から引用した知見で交渉し、皇帝に拝謁を受け入れさせ、数か月も前から皇帝に受け入れられず困惑していた諸外国の使節を唸らせる。
並み居る列国の外交使節ばかりでなく当の中国も、副島に一目置き、出国するときは最高の儀礼として、中国で初めて21発の礼砲で送り出している。
国家の威厳、国家の代表、かくあるべしという見本であるが、19世紀どころか21世紀の全権大使が先のような発言をするようでは、力しか信じない国では見下され、「国旗の略奪」なども起こるべくして起きたとみられても致し方なかったであろう。
■中国とはどんな国か
「新しい大国関係」「新常態」「新思考」などのように、「新」が好きな中国である。その流儀で言えば、今日の中国は「新しい覇権国家」、あるいは「新・帝国主義」とでも呼ぶべきであろうか。
ジョージ・オーウェルの『1984年』では、一党独裁体制下の社会主義国家を思わせる状況設定で、指導部の見解に沿うようにすべては変換され、黒を白と言うことなど日常茶飯事である。
こうして、指導部のやることはすべて正しいということになり、これを「新語法(ニュースピークス)」と呼んでいる。「南シナ海の島々は古代から中国領だ」などの言説は新語法そのものではないだろうか。
ケ小平は「黒猫でも白猫でも、鼠をとるのがいい猫だ」と言った。結果さえ良ければ手段は問わないという意味で使われる。
毛沢東の人民公社(集団農場)が生産不振を招いた時、農民に土地を持たせて規定分だけ納付させ、余りは自分で使えるようにしようと、ケが提案した時のセリフとされる。
資本主義的農業の提案であり、この時は走資論・走資派として毛沢東の逆鱗に触れ左遷の憂き目に会う。その後、ケ小平が復権した時、この方式による改革開放の号令を発し、今日の著しい経済発展につながる。
1921〜22年のワシントン会議では、支那に安定政権が誕生して国家として統一されることを期待したうえで「支那の主権、独立、領土的行政的保全を尊重すること」「(列国の)支那における商工上の機会均等主義の樹立と維持に努力すること」「(列国は)支那に於ける経済的優越権を設定せず、他国の権利を奪うが如き独占権を求めない」など、中国の要求に応えて不平等条約の解消に関係各国が努力することを約した。
この前提には以前から列国が有する権益は現状維持があるが、まともな政権ができず、3か月後の1922年5月には張作霖が東三省の独立を宣言して、「北京」「広東」「奉天」の3政府が存在する状態となり、国家の体をなさない状態となる。
そのうえに、中国は締結した条約などを破ってでも、中国の不平等条約が解消されるならばいいという意識で行動する。こうしたワシントン体制は破壊されていく。
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