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【最新国防ファイル】日本領海を守る哨戒機「P−3C」
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20160408/plt1604081550001-n1.htm
2016.04.08 夕刊フジ
哨戒機「P−3C」
哨戒機「P−3C」
日本を取り巻く国際情勢が厳しさを増すなか、安全保障関連法が3月29日に施行された。国内では依然として賛否の議論が続いているが、中国とロシアが早くも揺さぶりをかけてきた。
28日午前4時ごろ、中国海軍の艦艇2隻が、鹿児島県・屋久島の約130キロ海域を航行した。同日同時刻、ロシア海軍の艦艇3隻が、長崎県・上対馬北東約74キロを航行した。極東アジア軍事情勢は待ったなしの状態といえる。
これらの中露艦艇を発見、追尾したのが、海上自衛隊の哨戒機「P−3C」である。世界17カ国で運用されている米国生まれの哨戒機で、海自は最盛期には100機以上を配備していた。
終戦直後、東西冷戦の太平洋側最前線に位置した日本は、ソ連の潜水艦に対峙するため、米軍主導で対潜哨戒機部隊を編成した。1955年から対潜哨戒機P−2V7の供与が開始され、後にP−2Jとしてライセンス生産も行われた。
米ロッキード社はその後、旅客機をベースにしたP−3Aを開発し、69年に改良型のP−3Cを登場させた。居住性が向上し、搭載量も増え、長時間のフライトが可能となった。海自はP−2の後継としてP−3Cの配備を決めた。
ところが、76年にロッキード事件が発生したため、同社のP−3Cも購入できなくなった。78年に取引停止が解け、ようやくP−3Cの調達が開始され、81年から配備が開始された。
冷戦当時は、主として潜水艦捜索を行っていたので「対潜哨戒機」と呼ばれたが、冷戦後は違った活躍を見せている。
99年3月23日、P−3Cは、北朝鮮の工作員を乗せた不審船を日本領海内で発見した。後に「能登半島沖不審船事件」と命名される。この時、海自創設以来初となる海上警備行動が発令され、護衛艦とともに不審船を追った。爆発の際に発生する水柱で不審船を転覆させるため、P−3Cから爆弾投下も行った。
この事件以降、領海内における敵水上艦艇の警戒・監視任務も重視され、「哨戒機」と呼ぶことになった。
2009年から、アフリカ東部ソマリア沖に出没する海賊から民間船を守るため、政府は自衛隊を送ることを決めた。その1つが、P−3Cで構成される「海賊対処行動航空隊」である。
タンカーやフェリーなど7〜8隻で構成される船団の前後を護衛艦が挟むように守り、上空からP−3Cが監視飛行を行う。実際、海自P−3Cが海賊船を発見したこともあった。
現在、P−3Cは機体の老朽化とともに減勢しており、後継機種であるP−1の配備も開始された。だが、あと10年は現役として日本領海を守り続けることになる。
■菊池雅之(きくち・まさゆき) フォトジャーナリスト。1975年、東京都生まれ。陸海空自衛隊だけでなく、各国の軍事情勢を取材する。著書に『こんなにスゴイ! 自衛隊の新世代兵器』(竹書房)、『ビジュアルで分かる 自衛隊用語辞典』(双葉社)など。
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