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ベルギー連続テロ事件は筆者がブリュッセルに向かう日の朝に起こった(ブリュッセルにて/筆者撮影)
なぜイスラーム国の「過激思想」に吸い寄せられる人が後を絶たないのか テロの連鎖を食い止めるために
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48315
2016年04月01日(金) 末近浩太 現代ビジネス
文/末近浩太(立命館大学教授)
ベルギーの首都ブリュッセルを狙った連続テロ事件は、欧州全土を震撼させた。
筆者は、今年の1月からフランス、モロッコ、ベルギーで現地調査を行ってきた。その目的は、現代のイスラーム主義に関する研究の一環として、いわゆる「過激思想」の痕跡を辿ることである。
今回の連続テロ事件が起こったのは、まさにブリュッセルに向かうその日の朝であった。ロンドンで事件の一報を聞いた瞬間、背筋が凍った。
■モレンベークは「テロリストの巣窟」なのか?
なぜ、欧州ではこのようなテロ事件が繰り返されるのか。
日本での報道を見る限り、概ね次のような説明が確立しつつある。欧州で暮らすムスリム移民(およびその子孫)が、貧困や差別・偏見に苦しむなかで「過激思想」に傾倒してしまった――。
今回の事件に関して言えば、ブリュッセル西郊のモレンベーク地区が、その象徴として繰り返し取り上げられた。事実、パリとブリュッセルの両事件の容疑者たちのほとんどが、この地区に何らかのつながりを持っていた。
確かに、モレンベークは、ムスリムの数も貧困や差別・偏見も多い地区である。筆者が前回ここを訪れたのは15年ほど前になるが、その時と比べると街の様子は大きく変わっていた。
顎髭やヴェールの人びと、アラビア語の看板、ハラール食品店、そして、モスク――。事実、モレンベーク住民約10万人の半数がムスリム、うちモロッコからの移民とその子孫が8割を占めるという。
モレンベークは、失業率も犯罪発生率もベルギーのなかでは格段に高く、毎年住民の1割が入れ替わる人の出入りの激しい街でもある。そのためだろうか。日本の報道では、モレンベークを「テロリストの巣窟」などと形容し、路上にいる若者たちをドラッグの売人と決めつけるような扇情的な取材も見られた。
しかし、仮に貧困や差別・偏見が彼らを「過激思想」へと向かわせたのだとして、それにムスリムやイスラームがどのように関係しているのか、この説明だけでは判然としない。
多くの報道が、モレンベークの住民の多くがムスリムであることに触れながら、他方では、そのことが持つ意味については明確なかたちでは論じない。そこには、「ムスリム=テロリスト予備軍」という暗黙の前提がないだろうか。
■「ぐれ」の一形式としての「イスラーム国(IS)」
貧困や差別・偏見に苦しむ人びと、そして、そうした苦しみから社会や世界に強い恨みを持つようになる人びとは、残念ながら、モレンベーク以外にも、また、ムスリム以外にも大勢いる。
絶望した人間が自暴自棄になったり、自己承認を得るために何か大きなことをしたくなったり、犯罪に手を染めたりすることは、決してめずらしい話ではない。
つまり、「ぐれ」る人びとは、古今東西どこにでもいるのである。
ここで問題となるのは、どのように「ぐれ」るのか、である。その「ぐれ」方には、不良になったり犯罪を起こしたりするだけでなく、暴走族や反社会的組織、さらにはマフィアやギャングのメンバーになるなど、さまざまなバリエーションがあり得る。
端的に言えば、今日の欧州において、ISの「テロリスト」になることは、「ぐれ」方の1つになっている。そして、それは、実際にテロを起こすことで、着実に存在感を強めつつある。
捜査当局によれば、今回の事件の容疑者たちの多くも、「テロリスト」になる前に「ぐれ」た経歴を持つ。貧困や差別・偏見が根強いモレンベークでは、「ぐれ」の予備軍は他の地区や街に比べて多いのかもしれない。
しかし、モレンベークは「ぐれの温床」であっても、それだけでは「テロリストの巣窟」と呼ぶことはできない。犯罪とテロリズムのあいだには大きな隔たりが存在するからである。
つまり、ある人が「ぐれ」る動機を持ったとして、なぜ数あるバリエーションのなかからISの「テロリスト」を選んでしまうのか、疑問が残る。
■ISの反権威・反思想
この疑問に対する答えの1つが、彼らがムスリムであったからである、というものであろう。そこには、先述のように「ムスリム=テロリスト予備軍」という暗黙の前提が見え隠れしているが、確かに、ISがイスラームを奉じている以上、一定の説得力はある。
しかし、ISに参加するためにムスリムに改宗するケースがたびたび報じられてきたことも見逃せない。こうしたケースにおいては、ISに倣って「ぐれ」ることが最優先であり、ムスリムへの改宗はマフィアやギャングのメンバーになるためのイニシエーション程度にしか捉えられていない可能性もある。
さらに大きな問題は、ISの「過激思想」がそもそもイスラームと呼べるものなのか、あるいは、思想的な実態をともなっているのか、という点である。結論から言えば、その「過激思想」には、イスラームの伝統的な知からの断絶ばかりが目立ち、体系的な思想と呼べるようなものは見当たらない。
たとえば、イスラーム法の分野には、伝統的な法学派というものがあり、数世紀にわたってクルアーン(コーラン)を中心とした法解釈のための知の体系を築き上げてきた。そこには、ムスリムは何をすべきか、何をすべきでないのか、特別な訓練を受けた専門家(法学者)が丁寧かつ慎重に判断するというルールがある。
対照的に、ISの「過激思想」と呼ばれるものに存在するのは、敵味方を峻別するだけの単純な二項対立的な世界観と「敵」と戦うための手段や方法であり、また、それらを表現した映像や画像などのイメージだけである。
むろん、そのイメージの持つ力は過小評価できない。むしろ、これこそがISの戦略であり、思想の体系化ではなく表層的なイメージの拡大・浸透にひたすら注力することで、既存の道徳や倫理に背を向けるマフィアやギャングに似た「ぐれ」の一形式を提示しようとしている。
■後手に回る既存の権威と思想
よく知られているように、ISの「過激思想」はインターネットを中心に流通しているため、そのイメージに触れるのは簡単である。しかし、それが人びとにどのように受容されているのか(されていないのか)については、実地調査が必要となる。
筆者が注目してきたのは、各地の一般市民に加えて、「過激思想」の挑戦を受けているイスラームの伝統的な知の担い手である。
その背景には、「テロリスト」には接触できないという調査上の制約もあるが、何よりも、モスク、宗教系出版社、マスメディアの多くが「過激思想」をモニターしており、多くの情報を持ち合わせているということがある。
調査の結果は、今までのところ予想通りである。すなわち、インターネット上に溢れる「過激思想」のイメージに対して、既存の権威や思想は完全に後手にまわっている。
フランスでも、モロッコでも、ベルギーでも、筆者が耳にしたのは、事件の容疑者たちが本当にイスラームを信じていれば、そして、モスクにしっかり通っていれば、こんなことにはならなかった、という嘆きの声ばかりである。
既存の権威や思想の側は、「テロリスト」をこれ以上増やさないために、モスクの説法や新聞の社説などでISの「過激思想」をイスラームの教えに反するものと厳しく批判する努力を重ねている。これは、中東でも欧州でも共通して見られる営みであり、一般市民ができるテロ対策として重要な意味を持つ。
しかし、いくらイスラームの伝統的な知から逸脱していると批判されても、その既存の権威や思想からの逸脱こそがISの「過激思想」の訴求力であるため、こうした営みにどれほどの効果があるかは未知数である。筆者が言葉を交わした人びとも、効果が未知数であることを承知しながらも、それを続けていくしかないのが現状である、と悲壮感を隠しきれない様子であった。
クルアーン(コーラン)やイスラーム法に関する知識も、今やスマートフォンがあれば簡単に検索できる。そして、スマートフォン1つで、「過激思想」を簡単に生成・発信できるようになった。
既存の権威も思想も、インターネット上に氾濫する出自の怪しい情報やイメージのなかに埋もれてしまっている。
こうしたなかで、ISの「過激思想」は、単純なメッセージと鮮烈なイメージだけでなく、「究極の宣伝手法」であるテロリズムを通して、人びとの関心を集め続けている。
■「壁の向こう側」のない世界
人びとがISの「過激思想」に傾倒しないようにするには、どうすればよいのか。すべての始まりが絶望による「ぐれ」であるとすれば、よく言われているように、貧困や差別・偏見を解消するための取り組みが不可欠であろう。
しかし、それは実現不可能であると悲観的にならざるを得ない。なぜならば、既に私たちは民主主義・資本主義・自由主義の三位一体に支えられた自由で平等な「完成された世界」に生きている(ことになっている)からである。にもかかわらず、貧困や差別・偏見は解消に進むどころか、むしろ拡大の一途を辿っている。
独裁の中東から民主主義の欧州に到着した人びとを待っていたのは、自由も平等も十分に保証されていないという厳しい現実であった。新天地が自由と平等を謳っているからこそ、彼らの絶望の色はいっそう濃いものとなる。
こうした状況下において、ISは、冷戦終結によって消滅した「壁の向こう側」を――イメージとしても実体としても――新たなかたちで生み出すことで、絶望した人びとを惹きつけようとしている。
それは、ISが文明の対極である野蛮の実践を呼びかけていることや(例えば、機関誌『ダービク』創刊号の論説)、マフィアやギャング同様の疑似家族への帰属意識を駆使したリクルートを行っていることに表れている。
そのため、ISの「過激主義」から訴求力を奪い、テロリズムを撲滅するためには、貧困や差別・偏見の解消への取り組みだけでなく、自由と平等を謳いながらもその実現に失敗し続けてきた今日の世界のあり方やそれを支えてきた思想のてこ入れや見直しも必要なのかもしれない。
だとすれば、それは、決してモレンベークに限らず、今日の世界全体にとっての大きな課題として重くのしかかっているのである。
末近浩太(すえちか・こうた)
立命館大学国際関係学部教授/SOASロンドン中東研究所研究員。中東地域研究、国際政治学、比較政治学。1973年愛知県生まれ。横浜市立大学文理学部卒業、英国ダラム大学中東・イスラーム研究センター修士課程修了、京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科5年一貫制博士課程修了。博士(地域研究)。英国オックスフォード大学セントアントニーズ・カレッジ研究員、京都大学地域研究統合情報センター客員准教授を歴任。著作に『現代シリアの国家変容とイスラーム』(ナカニシヤ出版、2005年)、『現代シリア・レバノンの政治構造』(岩波書店、2009年、青山弘之との共著)、『イスラーム主義と中東政治:レバノン・ヒズブッラーの抵抗と革命』(名古屋大学出版会、2013年)、『比較政治学の考え方』(有斐閣、2016年、久保慶一・高橋百合子との共著)などがある。Twitter: @suechikakota、公式サイト: SUECHIKA'S OFFICE
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