http://www.asyura2.com/16/senkyo218/msg/582.html
Tweet |
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52162751.html
2017年01月04日 「ジャーナリスト同盟」通信
<言論人の責務>
いつのころか「新聞人」を無冠の帝王と呼んだ。権力を監視することを任務とする。冠は邪魔である。ない方がすっきりしていい。ただし、金はない。ないから遠慮なく権力を批判することが出来る。
いまは欧米に真似てジャーナリストというが、以前は言論人である。武器弾薬は使わない。あくまでも言論で立ち向かう。気が付いてみると、いま言論人・ジャーナリストが姿を消してしまった。辞表をいつでも叩きつける勇猛果敢な言論人がいない。まだ明治の方が、人物は揃っていた。権力に屈しない言論人の不在が、この国の前途を危うくしている元凶であろう。
<新聞テレビ界にいない>
新聞テレビ人に言論人は、とうの昔に姿を消してしまった。筆者の現役のころ、読売が転んでしまった。中曽根内閣の宣伝紙に堕落してしまった。
以来、読売の切り抜きも止めてしまった。権力批判をやめてしまった新聞が、新聞としての価値を維持することは出来ない。いまの読売は、政府与党の機関紙でしかない。
そこには恥の観念もない。ようやく国民も気づき始めてきた。読売不買運動は、我々の予想以上に進行している。
筆者の先輩だった早坂茂三は、田中派の若手に対して「新聞の社説をよく読んで、それを演説に使えば、間違いはない」と教えていた。そのころは、まだ新聞人がいた証拠である。
<わが宰相は映画・ゴルフ狂>
翻って、わが宰相について一言指摘をしておきたい。真珠湾で、いかさまの不戦の誓いをした翌日、ゴルフに興じた。パートナーには、靖国参拝を支持したようだ。
その後は、たわいのない映画、そしてゴルフである。彼のどこに宰相にふさわしい行動があるのであろうか。まじめな日本人であれば、やはり気が滅入るばかりである。
映画とゴルフが趣味がいいとしても、なにか国民に訴える何かが欲しい。嫌味ではなく、本気でそう思う。
問題は、どこにでも捨てるほどいる。ゴルフ・映画好きの人物を必死で「ヨイショ」する新聞テレビ人ばかりなのだ。恥ずかしいと思わないのか。本屋に駆け込んで、休息に読んでみたい本を買いあさるような宰相ではない。
<欠かさない神社参拝>
日本会議の代表としては、絶体に逃げられない約束事が、伊勢神宮の参拝である。戦前の国家神道は廃止されている。神社本庁として命脈を保っている。
いまこの神社本庁が主体となって日本会議をコントロールしている。
個人として信教の自由は認められるが、公人としては政教一致の原則に反する。公費投入と首相としての公式参拝は、厳然として憲法違反である。
言論人であれば、これを批判をする責任がある。
<神風が吹くと信じる非理性派>
日本会議が信奉してやまない明治は、国家神道・教育勅語・大日本帝国憲法でもって、日本国民を奴隷化して、その先に侵略戦争が起きた。
「日本は天皇中心の神の国」と公言した森喜朗は、安倍の後見人である。彼らは「神風が吹く」という信仰の持ち主のようだが、そうだとすると、彼らはカルト・狂信的な世界の人たちである。今どき、こんな信仰で、日本をリードされたらたまらない。
言論人・無冠の帝王は声を上げるべき責任がある。
2017年1月4日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK218掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。