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「国会は機能していない」と嘆く点では与党支持者も野党支持者も、右翼も左翼も変わらない
内田樹「周到に用意された国会軽視とその先の絶望」〈AERA〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161222-00000068-sasahi-pol
AERA 2016年12月26日号
思想家・武道家の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、哲学的視点からアプローチします。
* * *
カジノ法案が審議らしい審議なしで猛スピードで成立した。このようなプロセスに国民の大方はもう慣れ始めた。国会は国民の代表が英知を結集して、国のかたちを議する国権の最高機関のはずである。けれども国会にそのような威信を認める人々は急速に減りつつある。
特定秘密保護法、安全保障関連法、TPP、カジノ法案と国会審議の空回りと強行採決が繰り返されているうちに、私たちには「国会審議は『民主的な手続き』のアリバイ作りのための茶番であって、議員たちは執行部の指示に従って立ったり座ったりするだけのロボットのようなものだ」という拭いがたい印象が刷り込まれてしまった。
「国会は機能していない」と嘆く点では与党支持者も野党支持者も、右翼も左翼も変わらない。戦後71年、国会の威信が今ほど低下した時代を私は知らない。
だが、この国会軽視は周到に準備されたものだ。委員会での安倍首相の投げやりな答弁やせせら笑いは、彼が国会審議をできればせずに済ませたい不愉快な義務だと感じていることを国民に周知させた。おかげで、日本国民は国会で何が起きようともそれに対して真剣な態度で臨むことに気後れを感じるようになった。質疑中に時間があまったので般若心経を唱え出した議員がいたが、それに本気で腹を立てる人がいなくなるほど国民の国会に対する「期待」は空疎なものになったのである。
忘れている人が多いが、独裁と民主制は相性が良い。ヒトラーもムソリーニもペタンも、立法府が「私たちにはもう国家の重大事を議するだけの能力がありません」と自らの無能を宣言したせいで民主的手続きを経て独裁者になった。立法府が見識と威信を失えば民主制は自動的に行政府独裁に移行する。別に、ある日行政府の長が「私は独裁者だ。私に逆らうことは許さない」と芝居がかった宣言をしてから始まるものではない。議会が機能していないことを繰り返し誇示しているうちに、立憲民主主義は壊死するのだ。
いま私は個別の法案の適否を論じているのではない。国会の存在理由が日々掘り崩されていることに当の議員たちの多くが進んで加担していることに絶望しているのである。(内田樹)
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