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「女性活躍推進法」は、実は「女性活躍推進法」ではなかった (※写真はイメージ)
浜矩子「"女性活躍推進法"という短縮形が隠す真相」〈AERA〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161208-00000283-sasahi-soci
AERA 2016年12月12日号
経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。
* * *
今回は、恥を忍んで我が不覚の一件についてご報告申し上げたい。例の「女性活躍推進法」に関することだ。
「女性活躍推進法」は、実は「女性活躍推進法」ではなかった。そのことを今になって発見した。この法律の正式名称は、「女性の職業生活における活躍の推進に関する法律」なのである。それを今ごろになって認識した。何たる怠慢。大反省だ。
大反省の舌の根の乾かぬうちに言うのも何だが、メディアにも問題があると思う。新聞・テレビ、ネット配信などを通じたニュース報道の中でも、当たり前のように「女性活躍推進法」という短縮形が使われている。これでは、これが正式名称だと思い込んでしまうのを避けるのは難しい。だからといって、今回の筆者のようなうっかりが許されるわけではない。原典確認を改めて肝に銘じるべし。
というわけで、この法律は職業生活を営んでいる女性たちだけのための法律だった。それこそ正確を期するためにいえば、「自らの意思によって職業生活を営み、又は営もうとする女性」(総則第1条)が対象だ。「自らの意思によって」をどう解釈するかが少し気になるが、それはさておき、要は、あくまでも「職業生活」との関わりで女性の活躍を推進するというわけだ。
職業生活を営んでいない女性たち、営もうとは考えない女性たちについては、どうなのか。その人たちの活躍は推進しない。つまりは、そういうことになる。こう考えてくると、当初からこの法律について感じていた違和感の本質が、改めてみえてくる。
思えば、そもそも「活躍推進」という言い方がおかしい。女性をめぐる差別や格差問題に対処するために、政治や行政が何をするのか。この目的のために、政策はどう「活躍」しようとしているのか。それを打ち出すならわかる。政治や政策が人を「活躍させる」という感性が、どうも気持ちが悪い。しかも、それが「職業生活」に関わる部分に限定されるとなると、怪しげな雰囲気はさらに深まる。あまりにも細かく「活躍推進」の方策が規定されているのも、気味が悪くなってきた。やっぱり、原典をしっかり確認しないと、真相はみえてこない。(浜矩子)
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