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第十三章 沖縄にとっての保守思想
沖縄と内地の間で深刻な歴史認識の差異が明らかになったことで(2007年、高校歴史教科書で、沖縄戦における集団自決への日本軍の関与についての歴史認識の顕著な差異)、沖縄における保守の意味が問い直されている。このままでは自民党に代表される沖縄の保守は、東京の手先機関としての役割しか果たすことができない。
私は、右翼、保守陣営に属するという自己意識をもっている。同時に私には沖縄の血が半分流れている。私にとって日本とは、沖縄と内地が一体となった日本国家である。沖縄が欠けた日本は、もはや日本ではない。私のアイディンティティを維持するためにも、沖縄が自前の保守思想をもつことがとても重要と考える。
仲原※が『久米島史話』で描く状況は基本的に現在も同じだ。仲原の言説を敷衍すれば、いかなる政府に対しても久米島の住民は、仕方なく従い、妥協していることになる。この視座が重要なのである。これを久米島から沖縄全体に拡大すれば良いのである。
沖縄にとっての英雄とは「堂のひや」のように「頭がよく活動家で冒険心に富みまた野心もつよく」、人びとによく奉仕するが、同時に「非人情なこと」もする人間なのである。その場合、常に地域共同体の利益が行動の規範になる。伝承が伝える久米島にとっての英雄は、国家ではなく社会に根ざしている。社会に徹底的に根ざした思想が、周辺の中国、日本という巨大国家と隣接し、地政学的な影響を無視しては、存続することができない沖縄の保守思想の原点なのだと思う。
そして、沖縄が独立国になったり、中国に従属するよりも、日本国家の一部として存続した方が、沖縄の地域共同体にとって有益だと思う限り、沖縄は日本に留まり続ける。裏返して言うならば、日本に留まっていても地域共同体が維持できないと考えるならば、沖縄独立が政治日程にのぼる。沖縄には独立国家を構築する能力がある。ただ、現時点では、その意思がないだけだ。
※)仲原善忠:(11章から)ここから、被支配の立場にありながら、支配者側の内在的論理がよくわかるという久米島性が生まれたと私は考えている。その特徴は、久米島が生み出した傑出した知識人である仲原善忠においても見出されるのである。(本書では『仲原善忠全集』から多く引用されている)
【出典】「沖縄・久米島から日本国家を読み解く」佐藤優/小学館’09年
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