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韓国農業で知る「中途半端は日本の価値」
ニッポン農業生き残りのヒント
都市に田畑が残っていた幸せ
2016年10月7日(金)
吉田 忠則
韓国南部の光州市で9月23〜25日、大韓民国都市農業博覧会が開かれた。日本でも昨年、都市農業を振興するための基本法が制定されたが、韓国はそれに先立つ3年前の2012年に関連法が施行され、国を挙げて都市農業を盛り上げるための運動が始まった。ソウルからスタートした博覧会はその一環で、今回で5回目の開催になる。
博覧会の内容は大きく2つに分かれている。会場を訪れた人が都市農業について知り、体験できる展示会と、市民団体が活動をプレゼンする発表会だ。この発表会に、東京都国立市でイベント農園を運営している小野淳さんが参加した(2015年2月6日「ニンジャが畑を守る意味」など)。
小野さんはテレビ番組の製作会社に勤めていたときに農業への関心を深め、30歳過ぎで脱サラして農業の世界に飛び込んだ。農業法人でも一時働いたが、持ち味はやはり「発信型」の活動。国立市にあるJR谷保駅から歩いて数分の農園「くにたち はたけんぼ」で、婚活や忍術体験など様々なイベントを開いている。日本における都市農業の新たなモデルといっていいだろう。
韓国と日本の農業はどう違うのか。とくに、都市農業にはどんな違いがあるのか。博覧会に参加し、帰国したばかりの小野さんにインタビューした。
大韓民国都市農業博覧会でプレゼンする小野淳氏(写真は小野氏提供)
観葉植物、屋上緑化も都市農業
韓国と日本で、都市農業にどんな違いがありますか。
「まず法律が違います。日本の都市農業振興基本法で定める都市農業は、『市街地とその周辺地域で行われている農業』で、かなりざっくりしています。基本的には、農家の土地で農家が昔からやっていることの延長に都市農業があります。都市の住民を意識はしていますが、主体は都市の農家です。農家が持っている農地からスタートしています」
「これに対し、韓国は徹底的に都市化が進んだがゆえに、都市に農地がないんです。だから、『都市住民が農と触れる』ことは、野菜を作ることだけではなく、オフィスでプランターで観葉植物を育てることや、壁面や屋上の緑化、公園で開く緑のイベントなど、すべてをひっくるめて都市農業としています」
「都市で失われてしまった農的なものを、どうやって再生するかがテーマなんです。都市に農地が点在している日本とは違います。全国都市農業市民協議会の代表から話を聞きましたが、2005年くらいから、市民団体のあいだで帰農運動が起きたそうです。都会はストレスフルで環境問題があり、共同体も崩壊している。それに対するカウンターとして帰農運動があります」
「ただ、いきなり田舎に帰るわけにはいかないから、帰農学校のようなものが始まりました。就農を前提に、いずれ自分も田舎に帰りたいから、畑のことを勉強してみたいという人たちの活動です。日本の市民農園に、ちょっと立ち位置が近いかもしれません」
光州市の市民農園。日本のものとほとんど同じという(写真は小野氏提供)
韓国の都市農業は、農家とは無関係なものなのですか。
「日本で都市農業博覧会を開くとしたら、農家が都市で栽培した野菜を売るマルシェなどに力を入れると思います。私がやってる国立野菜フェアなども、まず地元の農産物を食べましょうという方向に行く。ところが韓国に滞在した3日間で、本業が農業という人に会わなかったんです」
「都市農業博覧会では一切、野菜を売ってませんでした。売っているのは、苗やタネ。『ジャガイモは8月に植えて、10月に収穫する』といった栽培カレンダーやタネのカタログを配ってました。農家というものが、完全に切りはなされているんです。あくまで、市民のなかで失われてしまった農的なものを、自分の生活にどう取りもどすかということにスポットが当たっていました」
農家のリストラが進む
なぜでしょう。
「韓国は自由貿易協定(FTA)を多くの国と結んでいる関係で、農業はその犠牲になるのは仕方ないという空気を感じました。農家の高齢化が進み、どんどん廃業していって、そこに離農補助金が出ている。農家のリストラが進んでいるんです。政府も農業者もあきらめモードに入っていて、既存の農業には期待しないという悲しい状態になっているのではないかと思いました」
「私が参加した発表会も、屋上の畑でコミュニティーを再生する取り組みや、空き家の庭のガーデニング、障がい者の自立支援、子どもの教育などで、農家が絡んでいませんでした。一方で政府は、植物工場だったり、食の安全保障の観点から、コメは守らなければならないので、その大規模化を進めていく。日本でいま起きていることが、極端な形であらわれているんです」
日本は都市の住民と農家の距離がもっと近いですね。
「そうしなければならないという雰囲気があります。方便かもしれませんが、農家のことを『農家さん』『お百姓さん』と、ちょっと高めにみる言い方をします。農的なイベントをやるとき、がんばってくれている農業を支えなければならない、農家にとってメリットのあることをやらなければならないと考える。市民の側から、『がんばってください』っていう雰囲気があるんです」
「韓国は、それがないのではないかと感じました。日本の農家は、農協に象徴されるような政治力もありますが、文化的なよりどころになっているということもどこかにあります。私がここでこういうことをやっていると、消防団に入ったり、町内会に出たりします。昔ながらの祭にも参加します。地域社会って、農村文化から始まっているんです」
地場の農家を発掘する新型の八百屋「しゅんかしゅんか」(9月9日「農家の皆さん、名刺を持つことから始めましょう」)のようなビジネスは、韓国では成り立ちにくいですね。
「すごく成立しにくい。『しゅんかしゅんか』のスタッフはベテラン農家を訪ね、『最近どうですか』『もうちょっと、がんばりましょう』って後押しする。そうやって、関係性をつくる。向こうはそうではなくて、植物工場から、どうやったら効率的に仕入れることができるかに力を入れていると感じました」
「スーパーですごく面白いものをみました。日本だとアイス売り場みたいなところに、ミストがかかっていて、そこでものすごい種類の葉物が売っている。葉っぱを1枚1枚、よりどりみどりの量り売りです。露地栽培だと雨が降ったら泥がつくし、こんなにきれいでそろった状態にはなりにくい。確認はしてませんが、おそらく、植物工場か立派なガラス張りのハウスで水耕栽培でつくったものではないでしょうか」
「もうちょっと人間的なものに」
日本では農産物を「ストーリー」で売るという手法があります。
「(韓国では)まったく求められていないんじゃないでしょうか。今回、コーディネートしてくれたのは韓国の地域共同体研究所です。潜在的には、当然、そういうものに関心が深いはずの彼らですら、論点は『農家や農業を何とかしないといけない』ではなくて、『我々、都市住民の生活をもうちょっと人間的なものにしなければならない』っていう方向に寄ってます」
「日本の場合、自分たちの文化と暮らしを支えてくれている農業に感謝と敬意を抱き、そのストーリーを聞きながら『なるほど』ってありがたく食べます。根本的な文化の違いがあるんじゃないでしょうか。日本人は農業にロマンを求めているところがあるんです」
「中国もそうかもしれませんが、韓国も食べ物を残しますよね。キムチやプルコギが最初にばんばんって出てきて、みんな手をつけなくてもふつうだし。食べて、残すことに精神的な呵責(かしゃく)がない。我々は出されたものは、きれいに食べなければならないと思っている。ぼくも、子どもたちには『お米は1粒残らず、きれいに食べましょう』って言ってますよ。そういう意味で、向こうは農家への敬意の持ちようが難しいのではないかと思いました」
なぜ日本は都市に農地が残っているのでしょう。
「韓国は大規模経営か、市民が自分のために野菜をつくって食べるかのどっちかでいいんじゃないかと思っているようにみえました。そういうふうにスパッとしてるほうが政策的にはきれいなんでしょう。でも日本はそうでないがゆえに、多様性が生まれているという見方もできる。(国際的には)韓国より日本のほうが特殊なんだと思います」
「いかに効率化を目指し、都市をつくるかという観点からすれば、日本人もマンションをどんと建てて、そこに人がいっぱいいて、働きに行ってビジネスをするっていうのがいいと思っていた。昔のあぜ道が残っている開発は中途半端でよくないってみんな思ってた。東京もソウルみたいに、もっと都市化したかったんだと思います」
「ところが、日本の場合、善かれあしかれ『まあまあ』って言いながら、みんなを立てていこうとした結果、思ったほど離農が進まなくて、(市街化区域内に農地や緑地を残すための)生産緑地法みたいなものもできた。それは日本のいいところなのかもしれません。ここなんかその典型ですが、結果的に残ってしまった農地が、日本、そして東京の価値を象徴するものになる可能性があると感じました」
「一方で、韓国は日本より危機感が強いと思いました。共同体が失われることや、環境問題、教育問題がより切実であるがゆえに、『やる』って言ったら、全国大会を毎年やり、予算を計上し、高い数値目標を立てる。例えば、ソウルでは『ソウル市民が都市農民になりましょう』っていう運動を展開しています。極端と言えば極端ですが、『とにかく緑をあちこちにつくりましょう』っていう勢いがすごい」
「農的なもの」から何を得るか
日本と韓国の都市農業で共通点はありましたか。
「むしろ、実際の取り組みでは、日本とまったく違うと驚くことはありませんでした。都市が置かれている状況は向こうのほうがきついし、農家へのスタンスも違う。それでも、子どもが遊ぶ場所や高齢者や障害者の居場所がほしいし、若者は薄くなったつながりを復活させたい。そのために一緒に土に触れる。都市に暮らす人が、農的なものに触れることで、何を獲得しようとしているのか。その点では、日本も韓国もほとんど変わりません。お互いに近いし、もうちょっとお互いのことを知るべきだと思いました」
「向こうにアグリメディア(東京・新宿)のような、企業が経営する市民農園があるのかと聞いたら、『よくわからない』という反応でした(2015年3月13日「『ライバルはフィットネス』の異次元農場」)。韓国では市民農園はNPO的な取り組みになっていますが、アグリメディアやここを韓国の人がみたら面白いと思うんじゃないでしょうか。こちらも、韓国の市民が小さいところ、隙間を使ってうまくやっているのをみたら、発見があるかもしれません」
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/252376/100400066/p3.jpg
小野氏が運営するイベント農園「くにたち はたけんぼ」。都市農地は日本の価値だ(国立市)
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べつの立場からみたら、何かしら気づきがある好例といえるだろう。日本では、都市の農地はどんどん減ってしまって、都市農業は衰亡の危機にあると思われている。ところが、日本よりも都市化が進み、都市から田畑が消えてしまった韓国からみれば、日本の都市は意外なほど緑の空間が残っている。その核として田畑がある。
「ものづくり」への敬意を
小野さんが指摘するように、高度成長時代の価値観からすれば、それは「中途半端なもの」と映るかもしれない。だが、低成長のもとで急激に高齢化が進む日本社会にとって、都市の農地は新たな価値を帯びる。つくり手の顔のみえる田畑として、あるいは市民が農作業を楽しむ農園として。シンプルに割り切らない日本的なあいまいさも、ときに社会にとってプラスに働くこともある。
ちなみに、かつて朝鮮社会には「両班(ヤンバン)」という身分制度による支配・官僚機構があったように、韓国には学問を上とする教養主義が根強くあり、ものづくりを一段低くみる時代が長く続いた。農家の「ストーリー」が日本のように価値を持ちにくいのは、そんな文化的な背景ゆえなのだろうか。
ところが、韓国通の知人によると、最近は「職人」の価値をいままでより評価する動きも出てきているという。モデルは日本。日本に旅行に来る韓国人が増えたことで、ものづくりにもっと敬意を払うべきだという考え方が台頭してきているというのだ。日本の都市に意外なほど田畑が残っていることの「発見」と同様、お互いを知ることが生むプラスの化学変化といえるかもしれない。
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このコラムについて
ニッポン農業生き残りのヒント
TPP(環太平洋経済連携協定)交渉への参加が決まり、日本の農業の将来をめぐる論議がにわかに騒がしくなってきた。高齢化と放棄地の増大でバケツの底が抜けるような崩壊の危機に直面する一方、次代を担う新しい経営者が登場し、企業も参入の機会をうかがっている。農業はこのまま衰退してしまうのか。それとも再生できるのか。リスクとチャンスをともに抱える現場を取材し、生き残りのヒントをさぐる。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/252376/100400066/
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