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【第10回】 2016年9月28日 本川 裕 [統計データ分析家]
日本では所得格差も貧困意識も拡大していない決定的データ
日本ではなぜか使われない
所得格差の国際的な標準指標
私は常々、日本については、国際的な標準指標で所得格差の拡大が検証されない点に奇妙さを感じている。
所得格差の国際的な標準指標というのは、途上国を含む世界各国の経済統計要覧として国際的に権威のある世界銀行の統計集(World Development Indicators)でも格差の基本指標とされている2つのデータ、すなわち、(1)可処分所得の世帯分布の不平等度を示すジニ係数、(2)高所得世帯と低所得世帯との平均所得倍率である。
ところが、日本で格差拡大が統計指標で示される場合は、基本的には、近年になってにわかに取り上げられるようになった相対的貧困率の指標だけであり、2つのオーソドックスな格差指標はないがしろにされている。
まず、所得格差の基本指標であるジニ係数の推移を日本と主要国について見てみよう。準拠したのは、先進国の統計集としては最も参照されることが多いOECDのデータベースである。OECDでは、データ提供を加盟各国に要請し、定義や指標作成方法を標準化させ、国際比較が可能な指標を整備しており、図はこれを示したものである。
◆図1 日本と主要国の所得格差の推移
©本川裕 ダイヤモンド社 禁無断転載
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ここで、ジニ係数とは何かについてふれておく。所得が最低の世帯から最高の世帯まで順に並べ、低い方から何等分かに分けた累積所得を求め、完全に平等な所得分布であった場合からの乖離度を面積比率として計算し0〜1の値にまとめた数値をジニ係数という。0で完全平等、1で完全不平等となる。何等分を細かくし、究極的には個別データに至るとより正確な所得の平等度(あるいは不平等度)を表現できることになる。ジニ係数は所得分布を表す定番指標となっているが、実は、土地所有などその他の不平等度を表すためにも広く使用される。
図の中の日本の値は、厚生労働省の国民生活基礎調査の3年毎の大規模調査時のデータにもとづいているが、国内では発表されていない生産年齢人口のジニ係数が掲載されている点に独自の価値がある。高齢化にともなって退職後の所得が相対的に低い世帯が増えるので、ジニ係数も上昇に向けたバイアスがかかる。そこで、高齢者を除いた人口集団でジニ係数を計算すれば、高齢化の要因を取り除いた格差の状況が分かるのである。
なぜか、国内発表では、前々から知りたかった高齢層を除いたジニ係数が提示されていなかったので、私は、たまたま、OECDのデータベースでこれが記載されているのを知って溜飲を下げたことを思い出す。
図を見れば、主要国では、いずれの国でもジニ係数が上昇傾向にある点が明確である。主要国の中でも最もジニ係数が高い米国では、1980年代以降、継続的にジニ係数が上昇している。ドイツやフランス、そして福祉先進国として知られかつては非常にジニ係数が低かったスウェーデンでも、最近は、格差拡大が無視できない状況となっている。
一般には、冷戦終結(1989年)後のグローバリゼーションの進展とともに経済の自由競争が過熱し、その結果、経済格差が拡大しているという見方がああり、移民や難民の増加とともに、こうした国内格差の拡大が、各国でネオナチなどの排外主義的な政治潮流の台頭の背景になっているともいわれる。
日本も同じ道をたどっていると一般には思われているが、果たして、そうであろうか。
元々高かった格差水準が
最近落ち着いてきている
図中の日本のジニ係数には2つの特徴がある。
まず、水準自体が低くない点が重要である。日本は、従来、平等な国だったが、最近、格差が拡大して住みにくい国になったという論調が一部に見られるが、このデータでは、少なくともバブル経済に突入する以前の1980年代半ばには、すでに、スウェーデンばかりでなく、ドイツやフランスを大きく上回り、米英に次ぐ高いジニ係数の水準となっていた。もし日本の格差水準が高いとしたら、以前から高かったと考えねばならないのである。
また、ジニ係数の動きをよくみると、日本の場合、2000年をピークに、どちらかというとジニ係数は、横ばい、あるいは微減傾向にあると捉えることができる。特に、高齢化要因を除いた生産年齢人口でのジニ係数はこの点がより明確である。他の主要国がジニ係数を上昇させる傾向にあるのとは対照的なのである。
すなわち、日本の場合、低かった格差水準が最近高くなったのではなく、元々高くなっていた格差水準が最近落ち着いてきているのである。この点について、さらに、たんねんに見ていくため、ジニ係数ではなく、所得格差についてのもう1つの指標を、次に、取り上げよう。
その前に、全年齢と生産年齢人口のジニ係数の関係について日本の特徴を整理しておこう。
日本について、全年齢のジニ係数と高齢化要因を取り除いた生産年齢人口(ここでは通常の15歳以上ではなく、18歳以上で65歳未満の人口)のジニ係数の推移を比べると、前者の方が後者をだんだんと上回るようになっており、この差の拡大が高齢化の要因による格差拡大といえよう。
日本以外の国では、日本と異なり、全年齢と生産年齢人口との差はむしろ縮小、あるいは逆転する傾向にある。年金や税制による所得再分配がないとすると高齢者層では働き盛りのときの貯蓄や資産運用の運不運で格差が生産年齢人口より大きくなるのが一般的である。
高齢者層を含めた全年齢のジニ係数が生産年齢人口のジニ係数より上回っている点が明確なのは米国と日本であるが、米国は、機会の平等を重視し、結果の平等は致し方ないとする考え方が根強いからであろう。日本の場合は、アジア的な自助思想の影響のためと、高齢化が急であり、高齢化の程度も尋常ではないため、財政制約もあって、再配分が追いつかないためだろう。日米以外の国ではそれなりに再配分機能が働いているため高齢者を含めた場合でも格差が広がらないのだと考えられる。
高所得世帯の平均所得は
低所得世帯の何倍か
ジニ係数と並んで格差の国際的な標準指標として、高所得世帯の平均所得が低所得世帯の平均所得の何倍になっているかという指標がしばしば使用される。学者的には、中間層まで含めて不平等度分布を正確に表わせないと見なされ、あまり使用されないが、ジニ係数より実感的に理解できる点がメリットとしてあげられる。この2つの指標は、ほぼパラレルに動いているので、実際上は、どちらを使ってもよいのである。
図には、家計調査(総務省統計局)から、所得格差の動きを、所得の上位20%世帯と下位20%世帯の所得倍率で示した。前図の日本のジニ係数とほぼ並行的な動きを示しているが、時系列的には、かなり古くから推移を追える点のメリットがある。二人以上の世帯が対象なので、増加する高齢単身世帯が含まれていない分、高齢化の影響は小さい指標とみなせる。
◆図2 所得格差と世代間格差の推移
©本川裕 ダイヤモンド社 禁無断転載
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高度成長期さなかの1963年(東京オリンピックの前年)には所得格差は5.65倍と大きかったが、オイルショックで高度成長期が終わりを記した1973年には4.08倍とめざましい低下を見た。経済の高度成長にともない、安定した職を得て従来の貧困層の所得が大きく上昇したのが原因だと考えられる。
その後、じりじりと所得格差は拡大し、バブル期を経て、1999年に4.85倍のピークを記したのち、2003年に急落し、近年は、ピーク時からはかなり低い4.5倍前後の水準でほぼ横ばいに推移している。
図には30代世帯主世帯の所得と50代世帯主世帯の所得との世代間格差の動きをあわせて示しておいたが、高度成長期が終わった頃からは、ほぼ、全体の所得格差とパラレルな動きとなっている。
年功序列賃金による世代間格差が
日本の格差動向を左右してきた
格差には階級格差と世代間格差とがあり、世代間格差は、若いときに低所得でも壮年期には高所得となるということなので、階級格差と異なり、深刻な社会の亀裂には結びつかないと思われる(生産年齢人口と高齢人口との格差も世代間格差であるが、ここでは生産年齢人口の中での世代間格差を考える)。日本は世代間格差が大きいため、海外と比較して、もともと、ジニ係数や相対的貧困率などの格差指標が高目に出る傾向にある。高度成長期の格差縮小は階級格差の縮小だったが、それ以降の日本の格差の動きは、世代間格差によって影響されている側面が大きいと考えられる。
世代間格差が拡大したのは年功序列賃金が広がったためだと思われる。農業などの自営業分野が縮小し、企業社会が一般化するとともに、従来は大企業だけだった年功序列が中小企業にまで普及し、いわゆる日本型経営が支配的となったことが背景にある。若いうちは少ない給与で働き、経験と技能を高め、企業内の階梯をのぼることで給与が大きく上昇するパターンが、安低成長期の企業成長の中で実現し、若年層と壮年層との世代間格差が拡大したことで、日本の格差が拡大したかのように見えていたのである。
1990年代のバブル崩壊後にも、こうした企業秩序はしばらく失われなかった。というより、しばらくしたら80年代のような経済状況に戻るという、後から考えるとはかない予想の下、不良債権問題の処理を先送りにしながら無理して従来の企業秩序を維持していたともいえる。デフレ経済のもとで実質賃金が上昇し労働分配率が過去最高水準となったのもこの頃である。人数の多い団塊の世代が賃金が最も高くなる50代になったので企業の負担感はピークに達していた。
そして、こうした無理がついに維持できなくなった1990年代末から、大手金融の経営破綻・大型倒産が相次ぐ中、リストラの嵐が吹き荒れ、本当の意味でのバブル崩壊が日本社会を襲った。高止まりしていた壮年層の所得水準はリストラに伴って一挙に崩壊し、世代間格差はバブル期以前の水準まで急低下した。上位20%の高所得世帯の実態は、安定した所得を得ていた壮年層だったため、この層の所得低下で日本の格差は一気に縮小することとなったのである。団塊の世代は浮かれていた時代のツケを支払わされたといえよう。中高年の自殺率は急上昇した。
「改革なくして成長なし」のスローガンとともに小泉政権(2001〜2006年)が登場したのはこの頃である。郵政民営化は、リストラの影響で辛い目にあっていた国民が抱いていた、従来秩序に守られ安穏としていた公的機関への反感を追い風に進められた。2006年の通常国会では、構造改革が社会格差の広がりを生んでいるとする野党の批判に対して、小泉首相は、「格差が出ることが悪いとは思わない」、「勝ち組、負け組というが、負け組に再挑戦するチャンスがある社会が小泉改革の進む道」と反論したため、格差拡大自体は進んでいる印象が国民に広がった。
これまで掲げた2つの図のオーソドックスな指標はともに小泉政権下では格差が縮小していることを示しているが、国民は、小泉政権の改革路線の影響で格差が拡大しつつあると思い込むようになったのである。
海外と異なり、日本では、実態と意識が大きく食い違うこうした皮肉な状況となったのは、日本の格差が世代間格差の動静で大きく影響される特殊な性格をもっているからだと考えられる。小泉路線の影響で非正規雇用が増え、格差が広がっている側面も当然あるのだが、一方で、既得権益の打破で世代間格差を縮小させる側面がそれを打ち消し、結果としては、格差指標が横ばい傾向をたどっていると考えられよう。
いずれにせよ、日本の格差は、この程度のものなので、欧米のような階級対立につながるような格差拡大の動きには、いまのところ至っていないと判断できよう。日本の場合は格差社会と言うよりは格差不安社会が深刻化しているのである。
依然として日本は「総中流」
下流意識は広がっていない
もしマスコミ報道などで当然視されている日本の格差拡大が本当なら、当然、国民の中には「下流意識」をもつ人が増えている筈である。この点に関するデータがないわけではないが、報道されることがないので、ここで紹介しておくことにする。
データ源は、国民意識の調査としては、無作為抽出によるサンプル数の多さや電話調査でなく訪問調査という調査方法の継続実施などから、もっとも信頼性が高いと見なせる内閣府世論調査である。
かつて高度成長期をへて国民生活が豊かになり、人口も1億人に達した1970年代に、日本社会は「一億総中流化」と特徴づけられるようになった。この時に必ずマスコミによって引用されたのがこの調査である。「お宅の生活程度は」ときかれて、「中の上」「中の中」「中の下」を合わせて「中」と答える者が国民のほとんどを占める結果となっていたことでそう言われたのであった。
近年では、所得や資産の不平等感が増しており、貧富の格差は広がっているとされることが多くなっているが、そうであるならば、この意識調査の結果も、「中」が減って、「下」(あるいは「中の下」)が増えている筈であるが、果たしてそうなっているだろうか。
◆図3 階層意識の推移
©本川裕 ダイヤモンド社 禁無断転載
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この世論調査の推移は一目瞭然。今でも、総中流化という特徴は変わっていない。また、「中の上」が増え、「中の下」や「下」が減少という傾向が長期的に続いている。さらに、貧困の増大や格差の拡大が進んでいるとされる小泉政権(2000年代前半)以降の時期になっても、にわかに「中の下」や「下」といったいわゆる下流層(あるいは下流層と自認している層)は増えておらず、むしろ、減っている。
最近目立っているとすれば「中の上」(あるいは割合は少ないが「上」)の増加であり、格差が増大しているとすれば、少なくとも意識上は、貧困層の拡大というより、富裕層の拡大だけが進んでいると考えざるを得ない。
1980年代後半のバブル期には富裕層は減り、むしろ下流層が増えていた。これは、世の中に富裕な層が多くなっているという報道に接し、自分は、それほどでもないと感じる者が増えたためだと思われる。このときと全く逆に、最近、富裕だと自認する者が増えているのは、世の中に貧困層が増えているという報道に接し、自分はそれほどではないと感じる者が増えているためであろう。
いずれにせよ、こうした推移を見る限り、深刻な格差拡大が起こっているようには見えない。この調査結果だけでは信じられない人のために、継続的に実施されている日本の代表的な意識調査の結果から、貧困意識、あるいはそれに近い生活不満意識の推移をとりまとめた図を、さらに以下に掲げた。
◆図4 代表的な意識調査で追った貧困意識の推移
©本川裕 ダイヤモンド社 禁無断転載
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図を見れば、多くを語る必要はないであろう。日本人の中で貧困意識を抱く者は長期的に少なくなってきていることが確実である。格差が拡大しているという常日頃の主張と合わないからといって、有識者や報道機関が、こうした意識調査の結果をすべて無視しているのはフェアな態度とはいえないと思う。
格差社会が深刻化しているというより格差不安社会が到来しているのだと上に述べた。理由を考えてみると、高度成長期や安定成長期と異なり、まじめに働けば誰でも安定的な生活向上が望めるという気持ちを抱けなくなったためであろう。そして、それだけ、貧困状態に陥った者に対して自分のことのように感じる同情心が増したのである。また、生活一般に余裕が生まれ、困っている人に対する人々の福祉思想が上昇しているためでもあろう。
障害者対策に力を入れる方向での国民合意が出来上がったのは障害者が増えているからではなかろう。貧困対策も同じなのである。
http://diamond.jp/articles/-/103116
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