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NHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』番組サイトより
『とと姉ちゃん』反戦メッセージ封印の一方でモデル「暮しの手帖」編集部には「政治色が強すぎ」と批判が!
http://lite-ra.com/2016/09/post-2571.html
2016.09.20. 「暮しの手帖」に「政治的すぎ」と批判 リテラ
先日、本サイトではNHK連続ドラマ小説『とと姉ちゃん』をめぐって、モデルになった雑誌「暮しの手帖」(暮しの手帖社)の元関係者や古い読者から「事実と全然違う」との声が上がっていることをお伝えした。
だが、これは細部の問題ではなく、背景に『とと姉ちゃん』が「暮しの手帖」の本質を避けて通ろうとしていることがある。「暮しの手帖」は同誌の名物編集長・花森安治氏と、一緒に同誌を立ち上げた、とと姉ちゃんのモデル・大橋鎮子氏の「戦争に反対しなくてはいけない」という思いから生まれた雑誌だ。暮らしを大切にすることと、戦争をしない世の中にしていくこと。暮らしを守ることはつまり平和を守ることだという考えが「暮しの手帖」の根幹にはある。
ところが、NHKは、番組プロデューサー・落合将氏がインタビューで「花森さんはわりと反権力的な方で、政治や政府にも一家言があったとされている。そこを朝ドラでストレートにやるにはなかなかハードルがある」と語っていたように、この反戦争、反権力的姿勢をドラマから排除してしまった。
かつての同誌を知る人たちが、この本質をないがしろにするドラマ化に怒るのは当然だろう。
しかし、『とと姉ちゃん』に対するこの当然の批判の一方で、いま、雑誌「暮しの手帖」には、まったく正反対の角度から奇妙なクレームが寄せられている。たとえば、ネット上ではこんな意見がいくつも出てくるのだ
〈編集長が変わって政治色が強くなった。残念〉〈暮らしの手帖で「アベ政治を許さない」的な記事を展開なさることに疑問を感じます(中略)政治記事を読むなら別の雑誌を買います〉〈新編集長以降では、はっきり左への偏りが見えます。政治は暮らしに欠かせない事かもしれませんが、この雑誌上では見たくない記事・特集です〉
「暮しの手帖」は、「ていねいな暮らし」界隈で人気を集めていたエッセイストである松浦弥太郎氏が2006年から編集長を務めていたが、15年に退社し、料理レシピサイトを運営するクックパッドへ移籍。代わって今年の80号(2−3月号)より、元マガジンハウス編集者で女優・本上まなみの夫でもある澤田康彦氏が編集長になった。ところが、これ以降、政治色が強まったとして、「これまでの『暮しの手帖』じゃない!」と一部で反発があるらしいのだ。
たしかに、前任者の松浦氏は「暮しの手帖」から徹底的に政治性、反権力的姿勢を排除してきた。「暮しの手帖」といえば、『とと姉ちゃん』にも出てくるように、広告に一切依存せず、消費者目線で生活製品の使い勝手や安全性などを厳しくチェックする「商品テスト」(ドラマ内では「商品試験」)という名物企画で知られてきたが、松浦氏の編集長就任とともにこの企画は終了してしまった。
さらに、松浦氏の姿勢が鮮明になったのが、福島原発事故への対応だった。東日本大震災の後、「暮らしを守る」という方針を掲げる同誌なら、原発事故や放射能の問題を独自の視点で記事にしてくれるだろう、と注目が集まっていたが、松浦編集長のもとで同誌が原発問題にふれることはなかった。
松浦氏の講演レポート(文化経済研究会2016年1月講演)によると、原発問題を取り上げなかったことで「凄いバッシングを受けました」と松浦氏は当時を振り返っている。だが、同時に松浦氏は原発事故や放射能の問題を取り上げなかったにもかかわらず部数が伸びたことをあげ、こうつづけている。
「僕自身びっくりして、被災地の仮設住宅を訪ねました。すると読者の方が皆さん言うんですが、テレビも雑誌もネットも、悲惨な話しかしない時に『暮しの手帖』だけはどこのページを見ても震災のことも、放射能のことも書かれていなかった。あの時皆さんは現実逃避するために『暮しの手帖』を選んでくれたんです。雑誌やメディアは真実を伝えるという役割もありますよ。でも現実逃避させるという役割もあるんです」
現実逃避という役割──。そんなものはほかの雑誌がいくらでも担っていたはずで、よりにもよって「暮しの手帖」がその役割を選択する必要があったのかと疑問でならないが、これこそが松浦氏のスタンスだった。
だが、今年春、澤田氏が編集長になると、「暮しの手帖」は政治的なテーマも扱うようになり、民主主義、平和の必要性を訴える企画も見られるようになった。たとえば、澤田氏が編集長に就任して最初の80号では、料理や手芸などのページとともに、「今デモが変わってきています」と題し、安保法制以降の国会前デモの流れを紹介。〈政治はわたしたちの暮らしとは切り離せない関係にあります〉〈わたしたちがいちいち声をあげることで、もし物事が危険な方向に動いていれば、声の力は抑止力になります〉と社会活動に参加する意味を誌面で読者に問いかけている。また、82号では、「若い人におくる選挙ガイド」として、作家・高橋源一郎が学生たちと民主主義などをテーマに対話を行う企画も掲載された。
しかし、こうした変化に対して、「昔のほうがよかった」「政治記事で『暮しの手帖』を壊さないでほしい」などと批判するのは、明らかに「暮しの手帖」がどういう雑誌か知らない人間の意見だろう。
花森安治氏は1970年発行の「暮しの手帖」で、同誌のスタンスをこのような文章にして掲載している。
〈さて ぼくらは もう一度
倉庫や 物置きや 机の引出しの隅から
おしまげられたり ねじれたりして
錆びついている〈民主々義〉を 探しだしてきて 錆びをおとし 部品を集め
しっかり 組みたてる
民主々義の〈民〉は 庶民の民だ
ぼくらの暮しを なによりも第一にするということだ
ぼくらの暮しと 企業の利益とが ぶつかったら 企業を倒す ということだ
ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつかったら 政府を倒す ということだ
それが ほんとうの〈民主々義〉だ〉(「見よぼくら一銭五厘の旗」/『一戔五厘の旗』所収、暮しの手帖社)
この花森氏の文章にもあるように〈ぼくらの暮し〉こそを守ろうという確固たる思いが、「暮しの手帖」を唯一無二の存在たらしめてきたのだ。
むしろ、そうした〈民主々義〉の雑誌を壊したのが、松浦編集長だった。現在は削除されているが、松浦氏は2011年の年末にFacebook上でこんなエピソードを紹介していた。
その文章によると、松浦氏はある人に「今の「暮しの手帖」にジャーナリズムはあるのか、それともないのか」と尋ねられて、「いわゆる昔ながらのジャーナリズムはありません。しかし新しいジャーナリズムはあると思う」と答えたという。その上で「君の言う新しいジャーナリズムとは何か」と訊かれ、松浦氏はこう答えたという。
「悪人探しや間違い探しではなく、反権力でもなく、政治的主張によって存在を表すものでもなく、正しさの白黒をつけることでもなく、今日一日をあたたかく安らかに楽しく過ごすためや、少しでも今日の暮らしを美しくするための知恵や工夫を発見して、わかりやすく面白く伝えることです」
松浦氏がこう言うと、〈その人は「花森安治の暮しの手帖も終わったな」と言って去っていった〉という。このエピソードを、松浦氏は〈今日あったほんとうの話です〉と締めくくっている。わざわざ〈ほんとうの話〉と記しているあたりから察するに、松浦氏は“あり得ない暴言を吐かれた”とでも感じたのかもしれないが、むしろ花森氏が守ってきた編集方針を知る者からすれば、「終わったな」と言われるのも当然の話だろう。
暮らしのなかに美しさを発見する、その心を奪うのが戦争であり原発事故だ。松浦氏のいう〈安らかに楽しく過ごす〉ために、花森氏は〈ぼくらの暮しをなによりも第一にする〉と掲げ、政府や企業を敵に回すことを厭わなかった。そうしなければ暮らしは守れないということを、花森氏は戦時中の経験を通して痛感していたはずだからだ。
一方、松浦氏が口にする「暮らし」とは、物質的価値に支えられた表面的なものとしか思えない。松浦氏が大事にする「ていねいな暮らし」とやらだって、ヨーロッパのほうきで部屋の塵を片づけ、作家ものの器に京都の茶を煎れ、アンティークの型でマドレーヌを焼くといった「手仕事」だの「時代を越えたデザイン性」だのといったキーワードを消費しているだけで、「暮らし」そのものは社会や政治と切り離しては考えられないという根本を理解していないように感じるのだ。だからこそ、彼が「暮しの手帖」編集長の後に上場企業であるクックパッドに移籍したことは、非常に合点がゆく展開だった。つまり、「ていねいな暮らし」とはコンテンツであり、ビジネスなのだ。花森的思想と相容れるはずもないのである。
そこで現在の澤田編集長なのだが、彼は今年7月に東京新聞の寄稿文のなかで、「暮しの手帖」編集部のOBである小榑雅章氏から「だまされない、賢い生活者であるための雑誌をつくってください」と言われたことを述べたうえで、文章をこうまとめている。
〈ぼくら庶民は「為政者はだますものという認識」「常に疑うこと」を標準装備にしておいたほうが、生活上安全だと思います。かなしいことだけど〉
〈民主々義の〈民〉は 庶民の民だ〉と言い切った花森氏に通ずる、〈ぼくら庶民〉という生活者に立った主語。──「暮しの手帖」は編集長交代で「変わってしまった」のではない。「本来のあるべき姿に戻った」だけなのだ。
「暮しの手帖」が朝ドラによって脚光を浴びるこのタイミングで花森イズムを少なからず継承する編集長が雑誌をつくっていることは、じつに喜ばしいかぎりだ。それでも「弥太郎さん時代のほうがいい」という人は、「天然生活」でも読んでいればいい、それだけの話である。
(大方 草)
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