http://www.asyura2.com/16/senkyo212/msg/833.html
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黒板に書かれた数式。仏パリのアンリ・ポアンカレ研究所で〔AFPBB News〕
中曽根康弘が壊した日本の教育システム 教育は子供のため、親のため、それとも国家のため?
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47909
2016.9.16 伊東 乾 JBpress
10月8日、1日がかりで行う国立大学協会・大学改革シンポジウムのコンテンツをやっと決めました。リンク(http://mitsishikawa.wixsite.com/musicmanufacture/kokutitsudaigaku)を貼っておきます。東京大学本郷キャンパス福武ホールで行います。
午前の部は独ミュンヘン工科大学とのプロジェクトで、日本の国立大学に期待される諸外国からの附託を近藤誠一前文化庁長官をチェアに内外メンバーで考えます。
また、午後の部では既にあるものをお勉強するのにとどまらず、新たな知的生産をコンスタントに展開する知性をどうやって育てるか、白川英樹筑波大学名誉教授(導電性プラスチックの発見と発展のお仕事で2000年ノーベル化学賞受賞)を囲んで鈴木寛・元文部科学省副大臣をはじめとするメンバーで徹底熟議します。
私のモットーは「有言実行」ですので、単に議論するだけでなく現実のアクションを「言って、やる」式に進めて行きます。
午前も午後の入場無料、建物の安全管理上、入場を希望される方は電子メールアドレスgakugeifu@yahoo.co.jp 宛に、来場希望のすべての方のお名前を明記してお申込みください。折り返し入場整理番号の記されたe-チケットメールをお送りしますので当日福武ホールにて入場手続きを行って下さい。
今回は「国立大学協会」の「大学改革シンポジウム」として何が求められるのか、今回の行事の主催者として何を前提に考えているかといったことから説き起こして、日本の直面する課題を考えてみたいと思います。
■「国難」としての少子高齢化
どんどん中身に入ります。端的に「少子高齢化」が国難だと思っています。
それは、子供が少なく、納税者人口が減少、年金生活者など高齢層の人口比率が上がる「逆ピラミッド型」を言っているわけではない。
極論すれば、ドイツ型でやればいいんです。どんどん移民を受け入れる。で有為で能力のある人に働いてもらえば、この種の問題は大したことではないと私は思う。
どこかで「二重国籍問題」というのが露見し、極めて厳しい指摘をさせてもらいました。それは二重国籍がいけないとかではなく、ましてやヘイトとか全くもって無縁であって、仮に有為の人材で日本で働きたい、日本国籍を取って日本のために頑張りたいという人があれば、私は積極的に受け入れる側の急先鋒で30年来やってきた側の1人です。
問題は、まず公人であれば首尾一貫した発言の筋を通すべきで、その場その場で言うことがコロコロ変わるような機会的な疑似巧言令色は問題外であるというのが1点。
さらには、出生時に国籍を持っていた国に向けて、日本で仕事しているけれどいまだ国籍を持っていると密かに喧伝するがごときがもしあるなら、もう論の外の外で、公職など問題外、当分世間に出て来るのはやめた方がいいレベルと思った次第です。
さて、二重国籍で脇道にそれましたが、労働人口の現象は積極的な移民受け入れなどでどのようにでもなると極限すれば思っています。
少子高齢化が日本を蝕む癌となりかねないと思うのは、少子高齢化に伴って教育機関が「教育サービス産業化」していること、これはまさに死に至る病だと思います。
■教育サービス産業は日本を滅ぼす
この点についての明確に責任を問うべき人物(集団)があると私は考えています。中曽根康弘大勲位で、彼が政権首班の時代に「教育の受益者負担」なる亡国のバカ政策が大手を振るうようになって、日本の屋台骨が腐り始めたと私個人は思っています。
教育というのは、本来、国のもといを次ぐ次世代を育てる、国家が取り組むべき最も重要な課題で、次代の我が国をどうするか、という一大事にほかならない、はずです。
ところが「受益者負担」とはどういうことか?
教育によって益を受けるのは、その本人なのか?
そうではないでしょう!
有為の人材が育つことで社会が活性化し、結果的に税収などもきちんと確保される。国が官費、公費をつぎ込んで本気で取り組むからこそ「公教育」というのではないですか?
それが受益者負担とはどうしたことか。バカも休み休み言いなさいというのが、いまもって私が思う国難の1の1にほかなりません。
そうは言ってもこの愚策が根を張って既に30年、癌病巣は既に外科手術可能な大きさではなく、このまま取り出すことなく本体もろとも死に至る病の様相を呈しているというのが、東京大学に任官してそろそろ18年目になろうという私の、かけ値なしに思う本音にほかなりません。
どういうことか?
「受益者負担」ですから、教育の受け手は「顧客」になってしまうわけですね、とりわけ私学にとっては・・・。
そして少子化です。つまり「顧客」が減っていく。
その結果、大学でもそうですし、悪くすると小中学校、高等学校でも「お客様の嗜好」に合わせて「どうかウチに来てください、こちらに入学してお金を払ってチョーダイ」という教育サービスの安売り、いや、投げ売りが始まりかねない。
いや、とっくに始まって、もうトンでもない状況になっているのかもしれません。
5教科7科目的なことは10月8日に福武ホールに来てくださる方のために取っておくことにして、ここでは音楽を例にお話ししましょう。
■プロトタイプで考える「少子教育サービス産業」リスク
音楽の専門科目の中に「ソルフェージュ」というものがあります。音を聴いて譜面に書き取ったり、初見で見る歌を歌ったりする科目で、一般には面倒くさがられ、嫌われる場合も少なくありません(かつて私は東京藝術大学でこの嫌われるソルフェージュを担当していました)。
ソルフェが入試科目にあると、受験生が敬遠する・・・音大芸大関係者なら多くが知る残念な経験的事実です。
その結果ソルフェージュなしの入学試験を課す音楽学校が日本では少なくなっています。これは世界的に見て不思議な現象です。
正確には10年ほど前、日本ソルフェージュ研究協議会というものの設立に関わったとき、ソルフェなしの入試があまりに多いので驚いたというもので、今現在変わっているようならまだよいのですが・・・。
さて、ソルフェージュの訓練がないということは、露骨ですが、一言でいうと「音痴だ」ということです。この音痴には3つの意味があります。
1つは自分の歌う音の成否が分からない。だから歌うと外れるという音痴。
第2は、人の出している音が何だか分かっていない(分かるというのは譜面上できちんと把握できるという、トレーニングを積んだ状況を示します)ので、人と一緒に合わせることができない。つまりアンサンブルができないという音痴。
第3は、自分の音も人の音も成否にキチンとしたケジメがないので、練習しても個人でも集団でもうまくならないし、ましてや人に教えるとか、一緒に作っていくとか言ったことができないという、実にかなしい音痴。
どぎついですが、本当のことですのでバンバン書きます。こういう状況で入試をパスさせてしまうと、日本は入試が終わると勉強しない社会風土ですから、その先は言わずと知れたことになります。
それでも、入学者数を確保しないと学校が経営していけない・・・。学校経営が先に立って教育の切り売りということになりかねない。
さらに、経営を念頭に学生数などを役所と決めるわけですが、それだけの数のOB、OGに社会にニーズがあるか? もっとはっきり言えば求人があるか?
就職の口があるかと問われると・・・答えがないわけです。
専門と関係ない職種でも何でも、ともかく抱え込んで、就職担当者は走り回らざるを得ない・・・。どこかおかしいでしょう本質的に。でも、そういうことになってはおりませんか?
いま、現実に発生し得るリスク可能性の1つを、極力固有名詞が分からないように記してみましたが、現実に存在する幾つかのケースを合わせた形で上の内容は記しています。同様のことは普通科目でも当然指摘せねばなりません。
■あえて明言する「選良教育」の必要性
国立大学(法人)は私学が直面する経営のリスクには一定の距離があります。分かりやすく言えば、食うために安売りをしなくてよい。
「襟を正せ、国立大学よ!」というのが、今回の私たちの取り組みのエッセンスにほかなりません。
現実には、経営していくため、先生や職員が食べていくために、分数の計算ができない子供を入学させる「大学」が存在しているのが21世紀日本の偽ざる姿で、これを指して私は「死に至る病」と言わせてもらっています。
そんな大学など、9世紀10世紀からの振り返っても歴史上普通はあり得ないものであるはずです。それが第2次世界大戦後の日本で、またそこでの実験を追うように米国のリベラルアーツ・カレッジなどでも散見されるようになったと聞き及びます。
そんなことで国を建てていける高等教育ができるのか。できるはずがないという「王様は裸!」を直視するところから始めようではありませんか。
リオデジャネイロでのオリンピックが終わり、パラリンピックのニュースが報道されています。世界で旗を挙げる業績があると日本人は喜びますが、そういう集中した取り組みが身近な教育の話題になると、どこか変質してはいないか?
おかしな横並びや悪平等、足引っ張りや嫌がらせの類も、ごく普通に目にします。そんなことをしていると、全体が地滑りして崩壊沈没一直線と言わねばならないでしょう。
プロスポーツやF1などを見ても解る通り、伸びる奴をきちんと伸ばすシステムを独立にいくつも持っていることで、世界の中で見た日本の水準が浮上し、イニシアチブをとっていくことができます。
陸上でどれだけ優れた成績を上げる人がいても、レスリングや柔道に何の迷惑もかけないでしょう。結果的にメダルが取れたというと、その報道だけ対岸の出来事として喜ぶ。それ式の研究教育与太話は、もういい加減やめにしたらどうか?
研究、一線の創造的研究リーダーを育てる教育、それらを導くポリシーといった具体的な内容に、引き続き値引きなしに踏み込んでみましょう。
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