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国籍放棄問題の渦中にある蓮舫氏、単独インタビュー 「日本旅券、嫌だった」蓮舫氏 蓮舫「出演拒否」玉木「いじめ」
http://www.asyura2.com/16/senkyo212/msg/600.html
投稿者 軽毛 日時 2016 年 9 月 10 日 23:53:44: pa/Xvdnb8K3Zc jHmW0Q
 

国籍放棄問題の渦中にある蓮舫氏、単独インタビュー
9月9日(金)7時0分配信
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民進党代表選に立候補している蓮舫代表代行(48)について、台湾籍を放棄しているかどうか問題となっている件で、本人の蓮舫氏が8日、Yahoo!ニュース編集部の単独インタビューに応じ、この問題の経緯などについて詳細な内容を明らかにした。
蓮舫氏は15日に投開票が行われる民進党代表選で優位な戦いを進めており、民主党時代を通して初めての女性代表が誕生する可能性も高まっている。一方で、「二重国籍」ではないかという指摘によって、将来の首相を目指す立場になる党代表としての適格性を疑問視する意見や報道も出ており、その「真実」に対する関心が集まっている。(ジャーナリスト・野嶋剛/Yahoo!ニュース編集部)
蓮舫氏が直面した1985年の国籍法改正
地方遊説の合間を縫って東京に戻った蓮舫氏は、8日、永田町の参議院会館事務所でインタビューを受けた。トレードマークの白いスーツは相変わらず。一連の国籍放棄問題について、手元にそろえた古い国籍関係の資料も参照しながら、記者の質問に一つずつ答えた。

蓮舫氏の父親は日台間で台湾バナナなど果物の貿易を営む謝哲信という名前の台湾人だった。結婚した相手で蓮舫氏の母親は資生堂関係の仕事をしていた斉藤桂子さんという日本人だった。日本で出会った2人は結婚し、1967年、長女として蓮舫氏が生まれた。
1985年、日本の国籍法が改正され、それまで国際結婚の場合、子どもは父親の国籍しか取得できなかった制度(父系血統主義)が、両親どちらかが日本人ならば日本国籍を取得できる制度(父母両系血統主義)に変更された。ここで問題になったのが、母親が日本人で外国籍とされてきた未成年の子どもたちだ。経過措置として3年間は法務大臣への届けで日本国籍を取得できた。そんな状況に蓮舫氏は直面した。
――1985年の国籍法改正をきっかけに、蓮舫さんは日本国籍を取得した、という理解でいいでしょうか。
そうです。日本の国籍取得です。
――1985年以前の日本の国籍法は、国際結婚の子どもは父親の国籍しか選ぶことができませんでした。ということは、生まれてから17歳になった1985年まで、中華民国籍(以下、台湾籍と呼ぶ)だったということですね。
そうです。ただ、(日本と中華民国が断交した)1972年以降は、国籍の表記としては「中国籍」となっていました。
――これまでのメディアの取材で「生まれたときから日本人だった」と語ったことがありましたが。
この間、ネットなどで私の家族を攻撃するような、いわれなき書き込みがあったので、あえて私の気持ちとしては日本で生まれて育って日本の風土で育まれたという気持ちを話しました。ですが確かに法律上は17歳から日本人になっています。

法律上は17歳まで台湾籍で、その後日本国籍を取得
――国籍法の改正は1985年1月1日です。日本国籍になったのは具体的にはいつでしょうか。
手続きを行ったのは1985年の1月21日です。
――まさに国籍法の改正直後ですね。そのとき家族内で議論はありましたか。
父から、どう思うかと聞かれました。私からは父に、日本国籍を取得するメリットとデメリットを質問しました。父が言うには、台湾籍の父親と娘の国籍が違うものになる。ただ、日本で納税するかわりに、投票権がもらえる。政治参加ができると。それが最大のメリットになる。そんな風に言われて、日本国籍を取るという選択を決断しました。
国会議員になっている蓮舫氏が日本国籍を有していることには疑いがない。問題は、台湾籍を持っているかどうかだ。国によっては外国籍を取得した途端に自国籍を喪失させる制度を持っている。しかし、台湾の場合、国籍放棄は自己申告制となっている。蓮舫氏は「父親と手続きに行った」と説明してきた。では蓮舫氏は台湾籍を離脱しているのだろうか。
――おそらく国籍取得の手続きはご自宅の近くの法務省の出先で行ったと思うのですが、問題は台湾の方です。東京・目黒にある台湾の大使館にあたる駐日経済文化代表処に、国籍放棄の手続きに行ったのでしょうか。
当時は亜東関係協会と呼ばれていましたが、学校を休んだとき、亜東関係協会に行くのは国籍のことですと、高校の先生に説明し、父と一緒に行ったのは覚えています。ただ、やり取りが台湾語だったのと、当時、そこで何が行われているのか父に確認するモチベーションがありませんでした。当時の私は17歳で、すべて父に任せっきりでした。
父親から台湾籍についての説明はなかった
――蓮舫さんの中国語能力はその時点ではどうでしたか?
ゼロです。
――ということは、台湾語か、あるいは中国語(北京語)でも、分からなかったということですね。
いっさい分かりませんでした。その後、北京に留学して中国語を学びましたが。
――台湾の国籍法では20歳にならないと台湾籍を放棄できません。しかし、親と一緒の放棄なら子供も放棄することはできます。その際、お父さんから台湾籍について詳しい説明を受けましたか。
説明はありませんでした。
――ご自身の認識では、1985年に日本国籍になり、台湾籍ではなくなったと思っていたのでしょうか。
はい。当時、国籍取得証明書を父から見せられて、「今日から日本人だ」と説明を受けたので、あ、日本人になれたんだと思って、そこで私にとっての国籍問題は終わっていました。

1985年に蓮舫氏が日本国籍を取得したことを証明する書類。蓮舫氏の兄を筆頭に蓮舫氏の名前が記載されている
――1985年までは、台湾の緑色のパスポートを使っていたのですよね。
そうです。
――よく台湾には行っていたのでしょうか。
はい。台湾バナナの収穫期が7、8、9月ですから、その間、父は畑をみて農家の人たちといろいろ話すために台湾に戻っていました。母も父を手伝っていましたから、私たちきょうだい3人の子供も父にくっついて台湾に行っていたのですが、いつも台北の円山大飯店に泊まっていて、父だけバナナが収穫される台湾の南部の台南などに行っていました。当時は中国と軍事的に対立する台湾は戒厳令下で外出するなと言われてずっとホテルにいて訪ねてくる人も日本人だけで、子供のころは、自分がいるのが果たして日本なのか台湾なのか区別もついておらず、台湾のパスポートは旅行のための証明書のような感覚でした。
ただ、子どものころ、覚えていることがあります。当時の国籍法では、お父さんが日本人で、お母さんが台湾人ですと、日本国籍になるのです。その境遇にあった友達は生まれた時から日本人でした。私は、同じ日台のハーフで、同じように日本語しかできないのに、台湾籍だった。なんでなんだろうと不思議に感じていました。
――日本の国籍取得の後は、台湾のパスポートは使っていないのですか。
使っているのはすべて日本のパスポートです。台湾のパスポートは失効しています。
――期限切れで、そのままになっているということですね。その後は使ったり、再取得したりしたことはありますか。
ありません。日本のパスポートだけ使っていました。

日本国籍取得後、台湾のパスポートは使わず
――お父さんご自身は台湾籍を放棄しないまま亡くなったのでしょうか。
詳しいことは何も聞いていません。私は1985年に日本国籍の取得で、母の戸籍に入って斉藤蓮舫になりました。父は母の戸籍に入っていません。ですので、日本国籍ではなかったのかも知れませんが、はっきり分かりません。
――中国に留学したときも完全に日本人として手続きしたのでしょうか。いわゆる台湾人の「台湾同胞証」を使ってはいませんか。
いません。日本人としてビザを取っていきました。
――台湾の身分証やIDナンバーも持っていませんか?
持っていません。
――お父さんが90年代半ばに亡くなったときも、台湾の財産を台湾籍として取得したことはなかったでしょうか。台湾出身者は二重国籍を保持して台湾で納税したほうが税制上、優遇措置を受けられるケースもあります。
父は台湾に遺産なかったようです。そうしたことはまったくありません。
――報道によれば、過去に「CREA」という雑誌のインタビューで自分が「台湾籍です」と語っているという指摘を受けています。
そのとき、私の記憶では「台湾籍だった」と過去形で語っていました。当時の取材で、中国に留学した理由を尋ねられたので、台湾には助けてくれる父の友人もいるぐらいなので、いままで知らなかった中国を見てみたいという思いだったことを説明しました。そこでは「台湾籍だった」と言ったつもりでしたが、当時の編集者を探してテープで確認するわけにもいきません。
――先ほども質問しましたが、「生まれたときから日本人でした」とか、日本国籍を取得したのが、18歳と言ったり、17歳と言ったりしたとか、説明がぶれた点が、疑問や批判を深めたというところはなかったのでしょうか。
まず私には、自分がいわゆる「二重国籍」であるという認識はありませんでした。日本人であると普通に考えていたので、メディアに質問されても、何が聞かれているのかはっきり頭の整理がついておらず、説明の仕方が十分に統一されていなかった印象を与えたことは申し訳なかったと思っています。
――過去の選挙広報で「帰化」という言葉を使っていたこともありましたが、厳密に言うと、帰化は成人の場合にのみ使うので、正しくは国籍取得ですね。
広い意味で国籍取得も帰化も同じように日本人になったことを指すと思って使っていたのであり、他意はありません。
――1985年から現在に至るまで、すでに30年以上が経過しています。台湾籍を持っていないのかと問題提起されたことはなかったのですか。
ないですね。大臣になったときもまったく話にでなかった。今回が初めてです。

蓮舫氏の説明が本当ならば、1985年に日本国籍を取得した以降、台湾の国籍放棄については、本人は台湾政府に確認していないし、確認が必要だという認識もなく、その点について家族からも説明はなかったので、一切の放棄のための行動を取ってこなかったということだ。一方で、蓮舫氏が台湾籍であることを自覚し、パスポートを取得して台湾に入国したり、投票や納税などの権利・義務を行使したりしたことはなく、台湾の国籍者としての具体的な振る舞いはなかったということになる。
そうなると、残された問題は台湾籍が形式上残っているかどうかである。日本の国籍法上、二重国籍者は認められていないが、外国籍の離脱は努力義務にとどまり、離脱していなくても罰則はなく、厳格な運用は行われていない。もし台湾籍が残っていた場合、蓮舫氏はどう対応するのだろうか。
現在、国籍有無を確認中で放棄手続きも行う
――現在、台湾に対して、具体的にどんな手続きしているのでしょうか。
台北駐日経済文化代表処を通して、私の台湾籍がどうなっているのか、確認をしてもらっていると同時に、これも代表処を通して、台湾の内政部に国籍の放棄の申請をしています。
――台湾籍の有無の結論はどのぐらいで出てきますか?
向こうの判断、作業ですから分かりませんが、時間がかかるかも知れないと言われています。そうなると、いまちょうど代表選の最中ということでもあり、また家族への攻撃という問題もあったので、私の意思の表明として、念のため、国籍放棄の手続きをしたということです。
――お父さん、お母さんの手続きミスかまたは別の何らかの理由で、蓮舫さんの台湾籍が残っていた可能性もありますね。もし残っていたとすれば、その間、台湾籍を有しながら、日本の国会議員になり、大臣も務めていました。日本では日本国民であれば、国会議員になることができるので、法的な問題はありませんが、道義的にどうなのかという声も出ていることは確かです。
私が日本人であることは、法的にも気持ち的にも解決している
私が日本人であるということは法的にも気持ち的にも解決している話です。日本のために尽くしたい、働きたいと考えて国会議員に3回手をあげてきて、日本の法律のもとで議員として、大臣としても務めてきました。
少し法律的な話になりますが、(日本と中華民国が断交した)1972年以降、私の国籍は形式上「中国」になっています。仮に中国の国内法では外国籍を取得した者は自動的に喪失をしているので、二重国籍にはなりません。
また、日本と台湾は国交がないので、台湾籍を有していたとしても法的に二重国籍だと認定されることもありません。しかし、父の生まれた地である台湾のことでもあり、疑問を持たれることがあるならば、ここはしっかり払拭するべきだと考えて、今回、台湾籍の放棄の手続きを取りました。ここに尽きると思います。

2010年発足の菅内閣では、行政刷新担当相として入閣(写真:Nasuki Sakai/アフロ)
――しつこいようで申し訳ありませんが、お父さんから生前、「台湾の国籍をなんとかしなさい」と言われたことはありませんか?
一回もないです。日本の国籍取得証明が送られて、ずっと日本人という考えで過ごしてきました。台湾に行くときも日本のパスポートで外国人として行っていました。自分が日本人だと一度も疑ってきませんでした。
――お父さんが勘違いか何かで蓮舫さんが台湾籍を抜く手続きが必要だと考えていなかった可能性もあると思います。
とにかく父からは「お前は日本人になった」という説明でした。それ以上は何の話もないまま、父は亡くなったので、台湾に籍があるかもしれないという認識は、この間、持ちようがありませんでした。
――ちなみに息子さんお二人の国籍はいかがですか。
完全な日本人です。夫は日本人で、日本人同士の結婚になっていますから。
――ご家族にもバッシングが向かったと主張されていますね。
ネット上で、私の息子と娘の名前が中国風でおかしい、という書き込みがありました。しかし、名前は個人のアイデンティティです。親が娘や息子に対して思いをもってつけてあげた名前をヘイトスピーチ的に否定されるのは耐えがたい気持ちになりました。
蓮舫という名前に何の違和感もない
――夫の姓である「村田蓮舫」で選挙に出るべきだという指摘もありましたね。
私は謝蓮舫でしたし、(日本の国籍取得後は)斉藤蓮舫でもありました。結婚して村田蓮舫にもなりました。そのなかで唯一変わっていないのは蓮舫という名前です。その名前を使って芸能界でデビューし、ニュースキャスターもやらせていただきました。蓮舫という名前を使って政治活動を行っていることには何の違和感もないものです。

蓮舫氏の事務所には「蓮」の字が飾られていた
――今回の問題をどう受け止めていますか。
国際化、開かれた日本、インバウンドの増加が叫ばれている日本と、純血主義が団結力の証明である日本。そこのつなぎがうまくできていない部分があると実感しました。今回の問題を自分はあくまでもポジティブに受け止め、そうしたギャップがどうやったら改められるかに取り組んでいきたい。
台湾と日本の関係は複雑だ。台湾を統治した日本は敗戦で台湾を放棄し、戦後、共産党に敗れて大陸から台湾に撤退した国民党政権と正式な外交関係を結んだ。しかし、1972年に日本は大陸の中華人民共和国を選んで台湾を事実上「捨てた」形になった。その間、蓮舫氏の家族を含め、多くの台湾の人々が国籍や身分の度重なる変更を求められ、日本人には想像のつかない苦労や心配を重ねてきた歴史がある。蓮舫氏のケースを含めるかどうかは別に、台湾の人々が絡んだ国籍の問題に対し、日本人は慎重で包容力のある議論の仕方が求められることは間違いない。
一方で、日本と台湾との間の密接な人的な絆は、いまも日台関係の支えにもなっている部分もある。例えば、蓮舫氏の父親、謝哲信氏の家族は台南の出身である。祖父の謝達淋氏は日本統治時代の台南で医師として働いていた。台湾の民進党の陳水扁政権で外交部長や国家安全会議秘書長を歴任した陳唐山氏は、蓮舫氏の親戚にあたり、つい最近は、蔡英文政権から政府系シンクタンクのトップに任命された。先々週に来日した際には蓮舫氏を訪ねて、日台関係について意見交換をしたという。
父が育った台湾を愛し、日台関係に努力
――台湾の国籍を持っている認識はないという説明ですが、台湾と日本との関係について、あるいは、中国と日本との関係について、どう考えますか。
夫の故郷である長崎のことをとても大切に思っているのと同じように、父が育った故郷である台湾を愛して、台湾が素晴らしいところだと思っている気持ちは否定しません。そのなかで自分が政治家としてできる活動として、日台関係の発展や友好のために働きたいという気持ちもあります。
日本にとって台湾も中国も大切な隣人です。台湾との人的交流はすごく深まっています。一方、経済は中国とは切っても切れない。確かに国民感情は中国とは十分に分かり合えていません。距離感という意味では、台湾と中国とでは、対照的なところがあります。台湾と中国、それぞれの特異性を尊重しつつ、外交努力などを通して関係をできるだけ近付けていきたいと思います。
――政治家になろうと思ったのはいつでしょうか。
2004年、36歳のときでした。私の子供が小さく生まれたものですから、子供の問題をなんとかしたい。小児科や産婦人科の少なさや、高齢出産の問題もあり、長く生きられない子供も多い、少子化対策と言いながら、行政サービスで子供を支える政治の気配りや予算が圧倒的に少ない。そのとき、出馬のお話をいただき、子供の問題を政治で解決したいと考えた。それが大きいです。
――将来、民進党を率いることになったら、何を実現したいですか。
子どもと若者に政治に期待や希望を持てる政策を進めたい。彼らを豊かにすれば、20年後に高齢者を支える原動力になる。現役世代を次の世代につないでいく政治、それを軸にしたいと考えています。

民進党代表選挙は9月2日に告示され、同日、3候補による共同記者会見が行われた。(写真:Natsuki Sakai/アフロ )
――国民の多くは民進党がダメだと思っている。なぜそう思われるのでしょうか。
政策が見えていなかった。いままでは過去に刹那的に出した政策を謝罪しているという印象がぬぐえなかった。でも、民進党にもいい政策はあるんです。それが見せられるような作業をしていきたい。
――いまの民進党に足りないものは。
団結力、リーダー力。支持率があればリーダーに求心力が生まれ、団結します。支持率が10%を切ると党内で誰かの責任にしないと居ても立ってもいられない。野党には権力という求心力がないので、執行部批判がいちばんのストレスの発露になってしまっていますね。
――改めてうかがいますが、首相にもなりたいと思っていますか。
はい。
――そのときに実現したい思いは。
予算のあり方を大きく組み替えたい。日本の人口構成を考えた時に次の世代に予算を振り向けていくのが最大の課題です。

野嶋剛(のじま・つよし)
ジャーナリスト。1968年生まれ。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学・台湾師範大学に留学。1992年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学の後、2001年からシンガポール支局長。その間、アフガン・イラク戦争の従軍取材を経験する。政治部、台北支局長、国際編集部次長、AERA編集部などを経て、2016年4月からフリーに。中国、台湾、香港、東南アジアの問題を中心に活発な執筆活動を行っており、著書の多くが中国、台湾で翻訳出版されている。最新刊に『故宮物語』(勉誠出版、2016年5月)『台湾とは何か』(ちくま新書、2016年5月)。
公式サイト
http://news.yahoo.co.jp/feature/349


 


「日本旅券、嫌だった」蓮舫氏、朝日新聞で発言の過去(追記あり)
2016年09月09日 08:30


八幡 和郎
八幡 和郎
蓮舫さんが声明出すも昨日の夕刊フジをご覧になっていない様子

蓮舫さんがネットに二重国籍問題について所見を出されました。良いことだと思います。しかし、いろいろ突っ込みどころがあります。とくに、昨日発売の夕刊フジに『日本のパスポートになるのがいやで、寂しかった』(朝日新聞1992年6月25日夕刊)と蓮舫さんが気が進まないまま日本国籍を選んだことをかつて告白されていることが明らかになったのですが、それを知らないで書かれたような気がします。その声明全文は下記の通りです。

蓮舫氏FB

※蓮舫氏の声明(Facebookより)

私は日本人です。 日本で生まれ、日本で育ち、日本の風土で育てられ、日本で結婚し双子を育ててきています。

そして、我が国のために働きたいと国会議員として仕事をしています。日本を良くするために、まだまだ努力をしようと強く思っています。

私は、生まれたときから日本人だという気持ちが強いのですが、法律的には、女子差別撤廃条約の締結を目前にして改正国籍法が施行(昭和60年1月1日)された直後の昭和60年1月21日、日本国籍を取得しました。17歳のときでした。

日本法の下で適正な手続きを行い、国籍の届出を行いました。私は、日本人です。
私が台湾法において、籍があるのかというご指摘がありました。

高校生の時、父親と台湾の駐日代表処に赴き、台湾籍放棄の手続きを行ったという記憶があります。私は、台湾籍を放棄して今日に至っているという認識です。

この点について、今般、確認を行いましたが、いかんせん30年前のことでもあり、今のところ、確認できていません。

今後も確認作業は行いたいと思いますが、念のため、台湾の駐日代表処に対し、台湾籍を放棄する書類を提出しました。

この間、大好きな父が否定されるかのような。また、最愛の娘と息子にまで言及する 書き込みに触れました。家族が本人に責任のない中傷誹謗にあうのは母として耐えられませんでした。

日本の法律では、私が日本国籍しか持っていないことは明らかになっていますが、台湾法での問題について、ご心配をおかけしたことをお詫びいたします。

少し解説しましょう

私は日本人です。 日本で生まれ、日本で育ち、日本の風土で育てられ、日本で結婚し双子を育ててきています。(中略)主観の問題ですか私は、生まれたときから日本人だという気持ちが強いのですが、ここは大変問題です。
上記の朝日新聞のインタビューによると、この手続きの数年後の24歳のとき、以下のように仰っています。

「父が台湾人、母が日本人、19歳のとき、兄弟の就職もあって日本に帰化したが。東京で生まれ育った身にとって暮らしに変化はなかったけど、『赤いパスポートになるのがいやで,寂しかった』(父や祖母を通して触れた台湾、アジアのアイデンティティは『日本』とは違うと感じる) 注;赤いパスポート=日本のパスポート
このインタビューのほかにも、政治家になる以前の蓮舫さんが、日本人としてより強烈な華人、ないし台湾人としての意識をもっていることを表明されている記録を私もこの件が話題になってからいろんな方が提供して下さるので拝見しています。

昭和60年1月21日、(法改正で)日本国籍を取得しました。17歳のときでした。 日本法の下で適正な手続きを行い、国籍の届出を行いました。私は、日本人です。私が台湾法において、籍があるのかというご指摘がありました。
高校生の時、父親と台湾の駐日代表処に赴き、台湾籍放棄の手続きを行ったという記憶があります。私は、台湾籍を放棄して今日に至っているという認識です。
85年と87年の手続きの記憶を混同?

ここは少し分かりにくいところです。法改正によって、17歳のときにそれまで中華民国単独籍だったのをういったん日本との二重国籍にする手続きをして、その後。日本国籍選択宣言をされたということなのではないかという気もします。

というのは、先の朝日新聞インタビュー、あるいはなど1990年代に行われたインタビューや1997年の「天声人語」などでは、日本国籍を選択した(以前はご自身、帰化したという表現を使われることも多かったようです)は19歳のときと大体されており、このふたつを混同されているようなのです。

今年の夏の週刊ポストの報道では伝聞ですが、国籍選択のときにはお母さんと手続きにいったのであって、お父さんとではなかったようでもあります。

つまり、17歳のときに法改正で日本国籍がとれるようになったので、1985年1月21日にお父さんと一緒に区役所に行って合法的二重国籍になって、引き続きそのむねを東京にある台湾の代表所に届けに行かれた。

1987年になって、お母さんと一緒に区役所に行って日本国籍選択宣言をしたが、中華民国国籍の離脱手続きはしていない(少なくとも誰と手続きをしに行ったかも含めて実際に代表処に行ったとは言及されていない)ということなら、すべて辻褄が合います。

もちろん、辻褄が合うと言うだけで、蓮舫さんやご健在でばりばり活躍されているお母様から具体的な証言がないということで、断定などできませんから、あくまで蓮舫さんの記憶がよみがえるのをお手伝いしたいということです。

それから、日本国籍を選択した日は、台湾当局に問い合わせなくても戸籍謄本をみればわかります。さらに、中華民国の国籍を離脱するのを、そんなことないと思いますが、失念していたとしても、中華民国籍のままだというお父様が1994年にお亡くなりになったときに相続手続きをとる過程で分かるはずだと思います。

いずれにせよ、遠からず中華民国籍の離脱時期の証明書類が出てくるでしょうからあとはどうでもいいことですから、このあたりをしつこくいうつもりはありません。

この間、大好きな父が否定されるかのような。また、最愛の娘と息子にまで言及する 書き込みに触れました。家族が本人に責任のない中傷誹謗にあうのは母として耐えられませんでした。
日中・日台の問題で日本側に立って「行動」できるか

大好きな父が否定されるというのは、この議論の過程で、昭和41年11月1日の日本の国会でバナナの輸入利権について、公明党の黒柳明議員から蓮舫さんの祖母である陳杏村さん、父親の謝哲信さんの絡んだ案件で追究が行われたことが明らかになったを指すのでしょうか。しかし、これは国会の議事録にのっていることです。また、お子様については、「翠蘭」「琳」という中国人らしい名前をつけたことは蓮舫さん自身が従来から公開されていることです。それから、お父様については、父が忘れたのでないかといって亡くなったお父様に責任を押しつけられたのは、蓮舫さん自身です。

そして、我が国のために働きたいと国会議員として仕事をしています。日本を良くするために、まだまだ努力をしようと強く思っています。
大いに結構なことですが、尖閣問題を初め、山積する日中・日台の問題について日本の側にたって断固戦うという見解を明確にされ実行されることが抽象的一般的な決意表明より重要です。アメリカの上院議員だったダニエル・イノウエ氏など晩年はともかく若い頃は非常なる対日強硬派でしたし、そうであればこそ、日系の上院議員でありえ日米友好の増進に迂遠ですが貢献されました。また、台湾のために北京の機嫌を損じても戦うと宣言されるなら、それは多くの日本人も歓迎するのでないでしょうか。

そもそも、私が蓮舫さんの問題を取り上げたのは、少なくとも都知事だ首相という日本を代表する顔になっていただくには、日本文化への愛着、日本の国への忠誠という点ではっきりして欲しいことが多いという意識からであって、国籍問題だけが課題ではないのです。

(追記9:40)

日刊ゲンダイが中国籍放棄の手続きを自分でする必要があると報道

民進党代表選前になぜ…蓮舫氏“二重国籍騒動”混迷の真相
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/189446/1
日刊ゲンダイにしては穏当な記事です。注目すべきは「一般論として言えば、台湾国籍を持つ人が日本国籍を選択した場合、日本が国家として承認している『中華人民共和国』の法制によって規律されます。日本国籍の取得と同時に中国国籍を失うことになるのです。ただし自分で中国への国籍離脱の手続きを行わなければなりません」(法務省民事局民事第1課担当者)としていること。「一般論としては」という部分が含蓄があるのですが(実は台湾はその例外ということが言外にある)、いずれにせよ、自分で離脱手続きが必要ということです。
http://agora-web.jp/archives/2021343.html

民進党代表選に水さす蓮舫「出演拒否」と玉木「いじめ」
政治・社会 2016.9.10
PRESIDENT Online
ジャーナリスト 安積明子=文
AFLO=写真
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写真=AFLO
“遅刻数分”で締め出された玉木候補
9月15日に投開票が行われる民進党代表選で、不可解な出来事が起きている。まずはまるで子供のいじめのような“玉木外し”だ。

それは9月7日午後、長野市内で開かれた民進党代表選演説会のことだ。会場となった長野駅前には代表選に出馬している蓮舫代表代行、前原誠司元外相、玉木雄一郎国対副委員長の3人が顔をそろえるはずだった。ところが3人の候補が並ぶべき街宣車の上には、玉木氏の姿だけ見ることができなかった。なんと午後4時10分の開始時間を数分遅刻したため、締め出されたというのである。

玉木氏が遅刻した原因は、長野1区選出の篠原孝元農水副大臣の地元集会に顔を出していたためだった。この時、玉木氏は地元農家によるシャインマスカットの栽培を視察し、「年間12人の新規就農者が生まれている」ことを評価しながら、「農業輸出などよりも、学校給食や介護の食事で地産地消を推進すれば、1000億円規模の国内市場になる」「農業を21世紀型の田園都市国家構想の柱にしたい」とフェイスブックに日本の農業への期待を綴っている。

「玉木さんに篠原さんの地元集会に参加を勧めたのは私だ。篠原さんは一生懸命に玉木さんを応援しているし、せっかく長野県に行ったのだから、玉木さんに長野県の農業を見てほしいと思った」

玉木氏の選対本部長を務める荒井聡元経済財政政策担当大臣はこう語っている。荒井氏と篠原氏はともに農水省の元キャリア官僚で、玉木氏自身も兼業農家の出身。祖父は地元の農協の組合長を務め、父親は経済連(経済農業協同組合連合会)に勤務した。日本の農業を重視している立場は共通だ。

「もっとも交通機関の関係で、演説会にはやや遅れるだろうことはあらかじめわかっていた。しかしわずかな時間であるし、演説会に支障が出るわけでもない。私のモットーは“義理、人情、浪花節”で、略してGNN。ルールを厳守することはもちろん大事だが、忘れてはならないもっと大事なものがあるということだ」

ところが、同じ政党に所属する仲間同士だから多少の融通はきかせてもらえるだろうという荒井氏の思いは裏切られる。民進党選挙管理委員会の判断は非常にクールだったのだ。

「定刻に間に合わないかもしれないとのことだったので、事前に玉木選対と何度もやりとりを行った。玉木議員には重ねて遅刻しないように申し入れたが、それでも時間を守ってもらえなかった。会場に入れなかったのは当然だ」(党本部関係者)

結局、党職員によって玉木氏は演説を阻まれた。職員は駅の改札口で玉木氏を待ち伏せ、「遅刻しましたからしゃべられません」と演説の現場に近寄らせなかったという。ちなみに演説会は5分遅れてスタートし、23分ほど続いた。その光景を遠くから見ながら、玉木氏は何を思っていたのか。

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蓮舫代行“TV出演拒否”

蓮舫代行“TV出演拒否”のなぜ?
その後、ホテルメルパルク長野で行われた候補者討論会で、玉木氏が声を詰まらせる一幕もあった。旧民主党政権時の失敗を謝罪する前原氏の姿に、逆風に耐えている落選中の仲間や地方議員の姿が重なり、胸にこみあげてきたものがあったという。

この時、しんみりした雰囲気が会場に漂ったが、それを吹き飛ばしたのは「男が泣くな」という蓮舫氏の言葉だった。会場からは笑いも沸き起こっている。

このように相手には単刀直入に切り込む蓮舫氏。だが、自分については突っ込まれるのが苦手なようだ。というのも、かねて問題視されている“二重国籍疑惑”について、あたかも追及を極力かわそうとするかのように、蓮舫氏は民進党代表選に関して各テレビ局が企画した候補者討論番組に出演を拒否している。冒頭で述べた不可解な出来事のもうひとつは、せっかくの代表選を国民にアピールして盛り上げようとしない蓮舫氏の行動だ。

たとえばBS11は、9月6日と14日に放送の「インサイドアウト」で討論会を企画したところ、前原氏と玉木氏からは快諾を得ることができた。ところが蓮舫氏は地元日程などを理由に出演を断ったという。

そこで前原選対と玉木選対は、8日夕方に党の選管に対して申し入れを行った。その内容は公開討論会を開くこと、その際には蓮舫氏の“二重国籍疑惑”については話題にせず、専ら政策談議のみとすることをも盛り込んだ。蓮舫氏の“二重国籍疑惑”は本人のみならず、むしろ本気で政策論議を行って代表選を闘おうとする2人にとって迷惑なものなのかもしれない。

現在のところ、テレビその他で民進党代表選の討論会を中継する予定はない。もっとも選挙期間の後半に入り、郵送によらなければならない地方票は投票済みになるため、そのような討論会を行っても意味がないという意見もある。

しかし実際の得票数に影響を与えなくても、代表選の様子をオープンにすることは、国民に対する党のイメージ一新に寄与することは確実だ。

蓮舫氏を支持する岡田克也代表でさえ、8日午後に行われた最後の代表記者会見で「できるだけ多くの皆さんが、3人の候補がどういう考えを持っているのか、民進党がどうなのかがわかるチャンスをできるだけ生かしていく方がいい」と述べて、公開討論会開催に理解を示している。

現在のところ、蓮舫氏の圧倒的優位が報じられ、1回目の投票で決着がつくとも言われている。新代表に就任すれば蓮舫氏は、マスコミに対応しなければならず、逃げ隠れできるはずがない。そもそも代表選出過程から不可解な出来事を抱えて、党の刷新は可能なのか。民進党の行く手はこれからも長く険しいだろう。
http://president.jp/articles/-/20168
 

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コメント
 
1. 2016年9月11日 02:28:20 : DJU8EQxgik : y0Y6vkNm9SY[1]
ノダブタ得意の薄汚い戦術だろうな。
レンホウ圧勝圧勝と報道三昧なのは何故か。レンホウに期待していないサポーターも多いはず。レンホウの後ろにノダがいるかぎり、小沢管代表戦時の不正選挙で圧勝させるのだろう。アベ不正選挙とノダ不正選挙は一体なのだ。
アベとノダは改憲とアベ政権継続のために、レンホウを代表にするのだろう。
野党切りくずしを担うノダ支配。ダメだこりゃ。
腐ったブタを追い出すしか民進党の生き残る道はない。


2. 2016年9月16日 13:00:06 : v2a3rMZ49W : aia38H1U2W8[1]


nicozon

【速報】蓮舫氏には、「日本人」の血が1滴も入って無い可能性が浮上 (((

.2016/09/14 11:27:03 投稿
http://www.nicozon.net/watch/sm29645656

じゃっくんろーる!

アニメと食とファッション  2014•10•18

男心をくすぐる新宿の秘密基地的な定食屋「慕麗路(ボレロ)」
http://www.jacknrollll.com/entry/2014/10/18/172845


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