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祈りと行幸を軸とした象徴天皇が安定的に続くようにと願う「お言葉」。しかし代替わりによって「天皇制の姿は必ず変わる」と原氏/2016年8月8日、街頭の大型ビジョンにも天皇の姿が。大阪市北区 (c)朝日新聞社
検証・天皇の「お言葉」と敗戦の「玉音放送」 こんなに似ている〈AERA〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160906-00000203-sasahi-soci
AERA 2016年9月12日号
国民の多くが共感したとされる天皇の「お言葉」。この言葉を「玉音放送」と聞きくらべた人がいた。歴史家・原武史氏だ。天皇が抱く「危機感」が垣間見えた。
NHKの続けざまのスクープで、「その日」の詳細は次第に明らかになっていった。天皇に「生前退位の意向」があると報じられたのが7月13日。天皇の「お言葉」が8月8日頃、テレビなどを通じて国民に伝えられると報じられたのが7月29日。
報道を横目に、放送大学の原武史教授(日本政治思想史)はツイッターに書き込んだ。
<8月8日に北海道の登別温泉に一泊し、翌日に神秘の湖・倶多楽湖を訪れる予定を前々から入れていた。航空券も旅館もおさえてある。それが今日の報道でキャンセルを検討せざるを得なくなった>(7月29日)
●実録と原盤の影響か
「お言葉」のニュース価値を認めたことだけが理由ではなかった。ある条件を満たせば、この「お言葉」の本質、つまり「お言葉」を近現代天皇制のなかでどう位置づけるべきかが垣間見えるという考えがあった。
「条件」とは、「事前の告知の有無」だと原氏は言う。
<告知されれば1945年8月15日の玉音放送にますます近くなる。暗に国民全体が見るように促すことにつながるからだ>(7月30日のツイッター)
NHKが「(お言葉の)放送は8月8日15時から、約10分間行われる」と特報したのは、このつぶやきから5日後だった。
終戦の詔書を読み上げた昭和天皇の肉声がNHKのラジオで放送された、いわゆる「玉音放送」の場合、放送前日の8月14日21時と当日の15日7時過ぎの2回にわたり、「重大放送がある」という内容の予告があった。その事実と今回の「お言葉」をめぐる一連の動きが、原氏の中で重なった。迎えた2016年8月8日15時。原氏は、2人の天皇の肉声がその内容でも符合していることに驚くことになる。
14年には『昭和天皇実録』が公開され、昭和天皇が過去にどのような発言をしたか、活字で読めるようになった。さらに同年、劣化が進んでいた玉音放送原盤の音声が復元され、翌15年、原盤とともに公開された。天皇と皇后、皇太子および秋篠宮の4人も公開に先立ってこれを聞いたとされる。原氏は言う。
「これらが影響を与え、昭和天皇の言葉が、今回の天皇の言葉に受け継がれた箇所がいくつかあると思っている」
その一つが、天皇と国民の関係について語った部分だ。
玉音放送にはこうある。
常ニ爾臣民ト共ニ在リ……
今回の「お言葉」でも、天皇の務めについて述べた文脈のなかにこんな一文がある。
常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました
結びでも、現天皇は言う。
これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり……
●私の意をよく理解して
大日本帝国憲法下における天皇と臣民、日本国憲法のもとでの天皇と国民はそれぞれ異なる存在で、関係性も違う。帝国憲法下の天皇が「統治権の総攬者」だったのに対し、新憲法下では「国民統合の象徴」で、主権は国民のものだ。それなのに、両天皇は「国民と共にある」という共通の理想を掲げている。原氏はこう解説する。
「昭和天皇は『朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ』(私は、ここにこうして、この国のかたちを維持することができ、忠義で善良なあなた方国民の真心を信頼し、常にあなた方国民と共に過ごすことができる)という言葉で、国体の中核とは『君民一体』を指すと強調している。そこにあるのはあくまで天皇と臣民の関係であって、政府や議会などの機関については語られていない。天皇は直接、臣民に向けて語りかけているのです」
同様の語りかけはまだある。
玉音放送では、国家再建に向けた思いを語る最後段で、
任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スへシ
(任務は重く道のりは遠いと自覚し、総力を将来の建設のために傾け、踏むべき人の道を外れず、揺るぎない志をしっかりと持って、必ず国のあるべき姿の真価を広く示し、進展する世界の動静には遅れまいとする覚悟を決めなければならない)
と述べ、こう続ける。
爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ体セヨ
(あなた方国民は、これら私の意をよく理解して行動してほしい)
これに対し現天皇は、
これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました
と語り、最後に訴えた。
国民の理解を得られることを、切に願っています
「玉音放送の『世界ノ大勢』『時運ノ趨ク所』といった言葉に呼応するように、現天皇も『日々新たになる日本と世界』といった言い回しを使っている。勢いやなりゆきといった共通した意味を反映した言葉です。天皇が公的に発する言葉のボキャブラリーが限られていることを踏まえれば、現天皇は玉音放送を意識しながら『お言葉』を組み立てたのではないかと推察できます」(原氏)
昭和天皇と現天皇の言葉を比べることで浮かび上がったのは、国民と一体となることを呼びかける一貫した姿だった。
原氏は、現天皇の「お言葉」からはさらに強い思いを読みとることができるという。それは、
私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました
という部分。原氏は<何よりもまず>という言葉に注目する。
「象徴天皇の務めとして大切なのは、祈ること。第二が行幸。国事行為よりもこの二つに力点が置かれています」(原氏)
祈りとは宮中祭祀であり、これは天皇の私的行為。皇后とともに訪れる被災地慰問や戦地への慰霊の旅は行幸(行啓)と呼ばれ、これは公的行為に当たる。「お言葉」からにじむのは、憲法で規定された国事行為以上に国民に寄り添う活動を重視する、現天皇の意思だ。
●昭和天皇よりも強固
現天皇は即位の際や80歳の誕生日など、ことあるごとに憲法順守の意思を表明しているが、その憲法は「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ」(第4条)と定める。
「矛盾があると思いませんか。憲法に忠実に従えば、宮中祭祀や行幸はやらなくていいことになる。私は現天皇に昭和天皇との連続性を感じます」(原氏)
昭和天皇は皇太子時代と戦後の2回、全国を回る行啓や行幸を行っている。数万〜数十万単位の人々が各地で熱狂的に出迎え、君が代斉唱や万歳を通して「君民一体」を体験した。
そして、皇太子・同妃時代から、広島、長崎、沖縄、硫黄島、サイパン、パラオ、フィリピンなどかつての激戦地を訪れてきたのが、現在の天皇と皇后。即位後の91年に雲仙・普賢岳が噴火した際は、長崎県の避難所で被災者の前に両ひざをついて向き合った。原氏は言う。
「憲法が変わって天皇の地位が変わり、戦前と戦後には断絶があると言われるが、宮中祭祀や行幸は変わっていない。むしろ、昭和天皇のスタイルをより徹底したのが現天皇と言える」
宮中祭祀も行幸も憲法に規定されていないのだから、やめても縮小してもいい。しかし「お言葉」には、現在のあり方を次世代も継承してほしいという思いが透けて見える、と。
「そこに怖いくらいの強い思いを感じる。昭和天皇が全国を回ることで築いた君民一体の国体を継承したい、という思いです」
そして、昭和天皇の「君民一体」が「1対多」の関係だったのに対し、現天皇のそれは<市井の人々>との間で結ばれたより強固な「1対1」の関係で成り立っている。原氏は言う。
「被災地などで天皇が一人一人に語りかけ、一人一人に天皇の姿が刻まれる。そうした双方向性が『平成流』の君民一体。現天皇が、完成形ともいえるいまの象徴天皇の安定をこれほど強く願う背景に、天皇制の将来への危機感があるように思います」
(ライター・宮下直之)
※玉音放送の現代語訳は、2015年8月1日付の朝日新聞から。
国文学研究資料館・寺島恒世氏、国立国語研究所・間淵洋子氏の監修を受けたもの
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