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ゴジラ退治に、自衛隊は「防衛出動」できるか
「シン・ゴジラ」、私はこう読む
2016年9月5日(月)
潮 匡人
日経ビジネスオンラインでは、各界のキーパーソンや人気連載陣に「シン・ゴジラ」を読み解いてもらうキャンペーン「「シン・ゴジラ」、私はこう読む」を展開しています。
※この記事には映画「シン・ゴジラ」の内容に関する記述が含まれています。
話題沸騰の映画「シン・ゴジラ」を封切り直後に、夏期休暇でたまたま帰省中だった防衛大学校生の長女と一緒に鑑賞した。
「もはや怪獣映画ではない。これは国防映画である」−−8月8日に生出演したニッポン放送のラジオ番組「ザ・ボイス」で、そう評した。加えて、官邸のシーンや自衛隊が活躍する場面に高いリアリティを感じたとも語った。「私が旧防衛庁長官官房(現在の防衛省大臣官房)広報課で積極的な対外広報を担っていた1992〜93年当時にゴジラ映画への全面協力体制が始まり、その成果が今回の最新作に結実した」――そう感想を述べた。
その後、さまざまなメディアからコメントを求められた。いずれの媒体にも好意的なコメントを寄せた。事実、親子ともどもこの映画に感動した、そこに嘘はない。徹底したリアリズムを感じたことも本当である。作中、陸海空自衛隊の主要装備品が次々投入される。多くの場面で実機や実在する基地の格納庫や滑走路などが使われていた(と判断する)。例外は、都心上空における陸上自衛隊のヘリによるゴジラ攻撃シーンなど一部だけであろう(あれはCGと判断する)。
防衛省の幹部に対して防衛出動が命じられた(©2016 TOHO CO.,LTD.)
日本映画史上最高の自衛隊リアリティ
戦闘機や護衛艦、戦車といったモノだけではない。登場する自衛官の役職名や階級、セリフや話し方に至るまで「本物」である。実機が基地から離陸するなどなどの映像に加え、言わば、脚本の中の自衛隊や自衛官も「本物」である。しかも本作では、小隊単位に至るまで実在の部隊名にこだわっている。自衛官の細かな立ち居振る舞いに至るまで「本物」である。自分(の役職名)が登場する幹部自衛官はもとより、登場する部隊に所属する現役隊員らも自然に感情移入できたのではないか。最終盤、主人公の政治家が「自衛隊は最後の砦」と鼓舞する場面に、みな感動したはずである。げんに、われわれ親子は感動した。
他方、これまで日本映画に登場した自衛隊の大半が「偽物」であった。実在しない役職や部隊が平気で出てきた。現実にはあり得ない場面が目についた。自衛隊に対する制作サイド(ないし観客)の無関心が背景にあったと思う。自衛隊関係者が自然に感情移入できた作品は少ない。
東宝の佐藤善宏プロデューサーによると「脚本の初期段階から」自衛隊とのミーティングを重ねたらしい。同氏は関連サイトでこう明かしている。
「例えば自衛隊員の号令など、セリフはとことん調べ尽くして、伝わりやすさではなく、リアルなセリフに拘っています。完成した映画でファンタジーなのはゴジラだけというくらい突きつめています。昨年の秋に自衛隊の組織改定がありましたが、階級をその時に変更されたものに合わせたり、劇中の“巨大不明生物”という呼び方も、実際に官僚の方の発言からいただきました」(シネマトゥデイ「庵野秀明、エヴァからゴジラへ創造の裏側2」)
大言壮語ではあるまい。本作のリアリズムは徹底している。少なくとも自衛隊に関するかぎり、日本映画史上最高のリアリティと断じて間違いない。
防衛出動か、それとも…
以上を前提に、私なりの視点にこだわった愚考を表明しておきたい。上記サイトはこうも明かす。「脚本の初期段階から、自衛隊の方々に読んでいただきました。こういった巨大な生物が現れた場合、防衛出動になるのか、治安出動になるのか、そんなところからスタートして、どのような武器で対処するのか、など何時間もかけて話をお聞きしました」(佐藤)
だとすれば、いくつか専門的な疑問が湧く。ここでは「防衛出動になるか、治安出動になるのか」、そこにこだわりたい。防衛出動は国際法上の自衛権行使、つまり武力行使を可能とする、言わば切り札である。他方、治安出動は国内法上の警察権行使であり、武力行使が許されない。
映画では自衛隊に防衛出動が下令される。本来なら自衛隊は災害派遣で対応するのが現実的だが、それでは武器の使用すらできない。一方、武力行使を可能とする法改正を待っていたら、間に合わない。
石破茂・元防衛大臣は「超法規的措置としての防衛出動」に疑念を表明している。自身のブログに「防衛出動が自衛隊に下令されることには違和感を覚える」と書き、炎上を招いたが、結論から言えば、石破説が正しい。防衛出動を定めた自衛隊法第七十六条はこう明記する。
「内閣総理大臣は、次に掲げる事態に際して、我が国を防衛するため必要があると認める場合には、自衛隊の全部又は一部の出動を命ずることができる。(中略)
一 我が国に対する外部からの武力攻撃が発生した事態又は我が国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至つた事態
二 我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態(以下略)」
「二」が、いわゆる集団的自衛権の限定的な行使となる「存立危機事態」であり、本年3月に施行された平和安全法制(いわゆる安保法制)」で新設された。「一」は個別的自衛権の行使に当たる旧来の要件である。ここでは「二」の是非は論じないが、「一」「二」ともに「武力攻撃」が要件とされている点に注目いただきたい。
本来なら論じるまでもないが、ゴジラは「武力」ではない。政府答弁も「国または国に準じる組織」に限定している。したがって政府は防衛出動を発令できない。ゆえに武力行使できず、ゴジラは倒せない。実は映画のなかで官僚が上記条文を読み上げ、防衛出動に異を唱えるが、結局、発令に至る。監督らは、無理を承知で防衛出動をかけた。そういうことであろう。
もしゴジラで防衛出動が許されるなら…
自衛隊に防衛出動をかけなければ、ゴジラ映画は成立しない。すぐれたエンターテインメントではあるがドキュメンタリーではない本作を非難するつもりは毛頭ない。ただ、石破代議士(と私)を除き、誰ひとり、以上の論点に敷衍しない現状には疑問を覚える。
ゴジラで防衛出動が許されるなら、「存立危機事態」でも出動できる(よう法整備した)のは至極当然である。もしゴジラ来襲で超法規的出動が許されるなら、国民の生命が根底から覆される明白な危険のある場合(存立危機事態)の出動は当然であろう。だが、後者を護憲派は「戦争法案」と呼び、「立憲主義が揺らぐ」と非難し、「徴兵制になる」と扇動した。だがゴジラなら誰も超法規の出動に異を唱えない。これまでの議論は何だったのか(詳しくは9月刊の拙著『そして誰もマスコミを信じなくなった』飛鳥新社)。
ゴジラで防衛出動が許されるなら、集団的自衛権の行使に加え、防衛出動が発令される前に奇襲を受けた場合の個別的自衛権(武力行使)も当然行使できる。だが、奇襲を受けた際の超法規的行動に言及した自衛官のトップ(栗栖弘臣・統合幕僚会議議長、当時)は罷免された。たとえ外国軍の奇襲を受けても超法規的行動が許されないのなら、ゴジラ来襲での超法規的出動も許されないはずだ。憲法と自衛隊を巡る戦後日本の議論は、いったい何だったのか。強い疑問を禁じ得ない。
蛇足ながら、映画では永田町や霞が関が壊滅するなか、皇居は登場しない。総理以下、主要閣僚らが犠牲になるなか、天皇及び皇族の安全が確保された形跡はない。万一あれが戦後日本の現実なら、そんな政府に存在意義はない。以上の問題点をスルーしておきながら、石破ブログを炎上させたネット保守陣営にも呆れる。右も左も、底が浅い。
「いざとなったら、超法規で防衛出動」は、ゴジラ映画の中だけにしてほしい。現役防大生の父親として、心からそう願う。
潮 匡人(うしお・まさと)
軍事ジャーナリスト。拓殖大学日本文化研究所 客員教授。
1960年、青森県八戸市生まれ。早稲田大学大学院法学研究科博士前期課程修了。
早稲田大学法学部卒業後、航空自衛隊に入隊。
第304飛行隊、航空総隊司令部、長官官房勤務等を経て三等空佐で退官。
その後、聖学院大学専任講師、防衛庁広報誌編集長、帝京大学准教授などを歴任
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映画「シン・ゴジラ」を、もうご覧になりましたか?
その怒涛のような情報量に圧倒された方も多いのではないでしょうか。ゴジラが襲う場所。掛けられている絵画。迎え撃つ自衛隊の兵器。破壊されたビル。机に置かれた詩集。使われているパソコンの機種…。装置として作中に散りばめられた無数の情報の断片は、その背景や因果について十分な説明がないまま鑑賞者の解釈に委ねられ「開かれて」います。だからこそこの映画は、鑑賞者を「シン・ゴジラについて何かを語りたい」という気にさせるのでしょう。
その挑発的な情報の怒涛をどう「読む」か――。日経ビジネスオンラインでは、人気連載陣のほか、財界、政界、学術界、文芸界など各界のキーマンの「読み」をお届けするキャンペーン「「シン・ゴジラ」、私はこう読む」を開始しました。
このキャンペーンに、あなたも参加しませんか。記事にコメントを投稿いただくか、ツイッターでハッシュタグ「#シン・ゴジラ」を付けて@nikkeibusinessにメンションください。あなたの「読み」を教えていただくのでも、こんな取材をしてほしいというリクエストでも、公開された記事への質問やご意見でも構いません。お寄せいただいたツイートは、まとめて記事化させていただく可能性があります。
119分間にぎっしり織り込まれた糸を、読者のみなさんと解きほぐしていけることを楽しみにしています。
(日経ビジネスオンライン編集長 池田 信太朗)
このコラムについて
「シン・ゴジラ」、私はこう読む
「現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)」。大ヒットとなった映画「シン・ゴジラ」(庵野秀明総監督)は、現実の日本に、ゴジラという虚構をぶつけることで、日本人、特に組織の中で生きる人間に対して、自らの弱さ、強さ、そして「仕事」を、強烈に意識させる作品になった。オトナとしてこの社会の中で生きている日本人たちに、それぞれの立場からの、シン・ゴジラへの読み解きを寄せてもらった。
日経BP社
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/16/083000015/083100001
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