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こんなハズではと後悔しても、もう遅い!!
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2016/08/22 08:11 半歩前へU
一党独裁の中国に、西欧式の「市場経済」を導入したのはケ小平である。彼は「改革開放」を掲げ、文化大革命によって疲弊した中国の近代化に全力を挙げた。その中国にどこよりも早く協力したのが日本である。
日本は、戦前の「帝国ニッポン」が中国にひどい目に遭わせた、とのしょく罪意識からから、可能な限りの協力を惜しまなかった。ケ小平が初来日した1978年当時、電気、造船、製鉄などで日本は、世界の最先端、トップを走っていた。
企業機密であるそれらの最先端技術を、ケ小平の求めに応じて日本は中国に提供。北京や上海など現地に出向き、技術指導を行った。資金面での援助を繰り返した結果、すべての産業の基礎となる製鉄所も建設した。中国最大の宝山製鉄所の誕生である。
空港も、港湾も、道路も新設した。それもこれも、官民総力を挙げた日本の支援で中国が「民主的な国家に生まれ変わる」ことを期待してのことだった。ところが、現実は真逆の国家、覇権国家が登場した。
ケ小平の本音は、「韜光養晦」(とうこうようかい)だった。韜光養晦とは、「ひたすら才能や野心を隠して、周囲を油断させ、その間に己の力を蓄えていく」という処世術である。
日本の官民挙げての経済、技術協力で基礎を固め、自信をつけた中国は、その後、欧米の技術も取り込んで世界第2の経済大国に成長した。
その「自信」がいつの間にか「傲慢」に代わり、「南シナ海全域が中国のもの」と言う始末。他方、東シナ海では国連調査で尖閣周辺で大量の地下資源が眠っていると分かると、急に「尖閣は中国のものだ」と騒ぎ出した。
現代のフランケンシュタインの生みの親は誰あろう、この日本である。こんなハズではなかったと後悔しても、もう、遅い。
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