http://www.asyura2.com/16/senkyo211/msg/420.html
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「死ね」は、美しい国、日本の祝辞だった。道理で、ネトウヨどもが頻繁に口にしたがるはずだ
http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/a2e49dd7c6bb44432a6b314053c8bbc6
2016年08月18日 のんきに介護
☆「戦時の校長祝辞『死ね』に慄然(りつぜん)」(作家 早乙女勝元。東京都・84歳。8/17M)〇関西のある町の、市民団体による平和集会に招かれた。会場には戦時資料が並べられていた。1点は「修了記念」と印刷された卒業アルバムで、昭和18年3月、京都市本能国民学校(小学校)のもの。冒頭には校長先生の祝辞が出ていて、「征(ゆ)け、戦へ、死ね」とある。この時期の戦局は急な下り坂だったが、学校長ともあろう者が、記念アルバムで「死ね」とは非常識を越して、異常である。その異常が異常と感じられないところまで、戦争は人間的な感性と教育のありようをゆがめていたことに慄然(りつぜん)とした。▲わたしが通った京都市立光徳小学校のS校長は、敗戦(終戦)を挟んで校長職に在り続けた。浩さん(1932年生まれ)も正ちゃん(1935年生まれ)もS校長時代の生徒だった。しかし彼に「戦争と教育」を振り返った様子はない。おそらく彼には「正しいとされることを子どもたちに伝えただけで、それが何か?」という弁解が用意されていたのだろう。この程度の人物が教育に関わっていたとは、恐ろしいことだ。
http://kowaiko-fk.doorblog.jp/archives/49329321.html
「征け、戦へ、死ね」
— 千風(戦争法⚡原発再稼働NO!) (@Remember311919) 2016年8月17日
戦時の校長祝辞「死ね」に慄然。
「時の権力が戦争のために真っ先に狙うのは教育の管理統制ではないのか。異常が異常と感じられないところまで、戦争は人間的な感性と教育のありようを歪めていた」
作家:早乙女勝元氏。 pic.twitter.com/elINTruTH3
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