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“解散”という区切りをつけ、新たなスタートを切る準備を始めたSEALDsと奥田愛基氏
SEALDs解散! 奥田愛基インタビュー「来るべきときに『まだ弾は残ってるがよ』って言えるように」
http://lite-ra.com/2016/08/post-2498.html
2016.08.17. SEALDs解散!奥田愛基インタビュー リテラ
先日15日、日本は戦後71年目を迎えた。しかし70年目の節目だった昨年のその日から、この国のかたちは大きく様変わりした。安保法制の成立。参院選での改憲勢力の議席3分の2確保──。
そんななかでひとつの希望となってきたのが、学生団体「SEALDs」の存在だろう。昨年、安保法制に反対する緊急行動として5月に結成され、夏には国会前で大規模なデモを展開。自分たちの言葉で社会に向かって声をあげたメンバーたちは、閉塞感が蔓延しきったこの国を、たしかに変えた。
SEALDsは、政治とかかわってこなかったような人びとがプラカードを持って路上で声をあげる、という風景をつくり出しただけではない。ネット右翼や政権にかかわる政治家たち、「どっちもどっち」と嘲笑う冷笑系が躍起になってSEALDsの行動を叩く中、数十万人規模にふくれあがったデモの様子をメディアがどのように報じるかが、政権を忖度しているかどうかの「踏み絵」ともなった。立場はどうであれ、民主主義や立憲主義にどういうスタンスをとるのかを、SEALDsの存在が迫ったのだ。
しかし、15日の終戦の日をもって、SEALDsは解散した。
なぜ、いま解散なのか。野党共闘ははたして失敗だったのか。そして、今後予想される衆院解散や憲法改正を、どう捉えているのか。──解散を控えた今月12日、中心メンバーの奥田愛基氏に話を聴いた。
■野党共闘はメディアのいうように失敗だったのか
──まず、なぜいまSEALDsを解散するのか、その理由を教えてもらえますか?
もともとSEALDsをつくったときから、今回の参議院が終わったら解散する、というのはSEALDsの立ち上げからメンバーの間で決めていたことなんです。すごくドライに言うと、これからあと10年くらいつづけるのなら別かもしれないですけど、それができないなら、どこかで1回、区切りをつけたほうがいい。ある程度、期間を決めて。計画を立ててやっていくほうが自分たちは動きやすかったので。
社会運動ってつねに新しいことを試していくことが大事だと思うんです。これまでに見えてきた足りなかったことを次につなげていく、そういうことがないとダメだし、新しいかたちも考えていかなきゃいけない。でも、足りない部分を補うにも、補えるだけの自分たちのスキルは必要で、ちゃんと勉強して学校を卒業して……ってことも大事。それに、自分たちの人生をきちんと過ごすという基本があったほうが社会運動としていいと思う。誰かの人生を犠牲にしたりとかすれば、短期的にしか物事を考えてない気がするし、やっぱり誰かを消費しながら進んでいくんですよね。はっきり言って、運動のその中心に誰がいなきゃいけないなんてことはなくて、誰でもいい。必要なら、新しい人が出てくるんじゃないかな、といまは思っています。
──SEALDsは、参院選では野党共闘を後押しし、都知事選もその流れを汲みました。都知事選は小池百合子の圧勝というかたちになり、参院選のほうもメディアは野党共闘を失敗だと断じましたが……。
参院選は、野党共闘していなければ一人区はほぼ全敗だったのではないでしょうか。2013年の参院選で野党が議席確保したのは、小沢一郎さんの看板がある岩手県と後のオール沖縄につながる統一候補が立った沖縄県だけで、当時の民主党は1議席も一人区では獲得していない。それにくらべて、今回は3分の1強が野党統一の候補だったわけで、野党共闘していなかったら厳しかったはず。その効果は、民進党の議員がいちばんよくわかっているんじゃないでしょうか。
でも、結果に大満足かって言えば、けっしてそうではない。参院選も都知事選も──都知事選は鳥越俊太郎さんの第一声のときにぼく個人としてスピーチしたくらいでSEALDsとしてはかかわっていないんですが──野党共闘それ自体が「目的」ではない。何をメインのイシューにするのか、何をこれから訴えていくべきなのかということを考えたときに「安倍政権NO」と言うだけでは弱い、というのは当たり前の話で、そこは勘違いしちゃいけないところですよね。選挙ですから、そのうえで何をするのかという話も担っていかないといけない。
安倍さんは参院選のとき、「野党はバラバラじゃないですか」みたいなことを言っていましたよね。まあ、そう言っている自公も政策、全然違うんですけど(笑)。でも、違っていても「いっしょにこういうことやります」っていうのはある。それは当然なんですよね、違う政党が協力し合うわけだから。そもそも、議員内閣制の国で、一党だけで政権を維持できている国なんて、そんなにないのだし。
対して、4野党は今回、15本の政策協定を出したんですが、その中身を大々的に打ち出すことをしなかった。選挙中、「何だったら一緒にできんの?」という具体的な話があんまり見えてこなかった気がします。次に衆院選を野党共闘でやるのだったら、今回よりもう一歩越えて、具体的に何を協力してできるのかというところを問われると思います。
ただ、思い出してみてほしいんですが、2014年の衆院選のとき、当時の民主党の代表が誰だったかを覚えている人、いますか?っていう。渋谷の街角で100人に訊いたら5人くらいしか覚えていないと思うんですよ(笑)。答えは海江田万里さんなんですけど、海江田さん、落選しましたからね。比例復活したけど、元首相の菅直人さんも。今回の参院選で、代表の岡田克也さんは地元の三重県が取れなかったら代表を辞めると言ってましたけど、たぶん2014年だったら負けていたと思いますよ。岡田さんのお膝元って、当時はすごくネガティブなイメージだったはずで、どんなことを民主党がアピールしても、いまの民主党に期待できない、っていうかそのまえに反省しろ、みたいな空気だった。
でも、それがやっと、原発や安保法制、TPPに反対してきて、その「反対」というのが積み重なったときに、じゃあ野党として何か言ってみろよ、って話になってきたと思うんです。2014年のときは、民主党の話なんて誰も聴きたくなかったはずだけど、あのときよりははるかにましになってきたんじゃないか、と。いまはむしろ聞きたいですよね。民進党として何を打ち出すのか。
■「やっぱりダメだったじゃないか」で終わらせないために
「安倍政権NO」だけではダメっていう話にもつながるんですが、いまやっと、生活イシューにボールが回ってきた。安保法制が終わったあと、「保育園落ちた日本死ね」というブログがあれだけ盛り上がって、国会前で「保育園落ちたの私だ」とスタンディングする人たちが出てきたり、奨学金の問題も各党やたら言いはじめたり……。もちろん、自民党だって抱き合わせで同じような話をしてくると思うんですけど、アベノミクスを掲げているかぎりはできないことがたくさんある。「いま、生活のためにこんな政治をやってほしい」ということを語りたい──そういう空気に、今後はしていかなきゃいけないんじゃないかと思うんです。
憲法学者の樋口陽一先生は、専門家たちの選択が人びとの運命を左右するような可能性があるときに「それは危ない道だよ」と言うことが専門家の義務だと語っていました。その上で専門家同士が厳しく向き合うだけでなく、「市民知」とも向き合わなきゃいけない、と言っています。素人の、日々の生活のなかで気がついたこと。「最近、野菜高いな」とか、「いやいや、そうは言っても八百屋は値段をあげないと潰れちゃうよ」とか。それが「市民知」。その「市民知」って、「生活、全然豊かになってないんですけど」って声をあげていくことでもあるのだと思う。
いまの社会保障の仕組みは、所得が低いほど負担が重くて、払えば払うほど貧困になっていくっていう逆進性の高さが指摘されていますよね。5人に1人と言われる、子どもの貧困が問題になっていますが、OECD(経済開発協力機構)の調査でも日本は公的な教育への対GDP支出は最低ランクで、でも、国は予算がないと言いながら、官民合わせて5年で30兆円の資金をリニア中央新幹線の大阪への延伸前倒しや整備新幹線の建設などに投じると言っています。
しかも、リニアが完成したとき、人口がどれだけ減ってるかとか、考えているようにも思えない。
こういう状況なのだから、そんなふうに使われるお金をもうちょっと生活に使ってくれと「市民知」の感覚で言うことは、大事だと思う。「ふつうに考えておかしくない?」と言うことに、もっと自信もっていいはずで。そこからはじまっていいと思うんです。いわゆるカッコ書きの「政治」からこぼれ落ちてしまっている、政治の問題をもっと指摘するべきだと思います。たとえば、都知事選では主要候補者3人が保育園の視察に行ったり、解決策について検討していましたけれど、これはやっぱり保育園問題を訴え続けた人々がいたからですよね。それはまだ一歩だけど、ちゃんと双方向のコミュニケーションがとれるあり方を探っていく……。
──SEALDsがデモでコールしてきた、「言うこと聞かせる番だ、俺たちが」ですね。
政治家と有権者って、いまは一方通行のコミュニケーションしかないじゃないですか。市民から政党や政治家に対する批判か、政党や政治家から、市民への上から目線の先導か。その双方向性型の政治のコミュニケーションのあり方を考えていかなきゃいけないのかなと思います。
最近のいい流れだなと思うのは、これまで選挙は結果でしか見られてこなかったけれど、選挙の過程にかかわろうという人が増えているということ。候補者の選び方や候補者が出す政策に目が向きはじめていることは、いいことだと思う。政治家もやっぱり人間なんで、完璧な人なんていませんけど。もっとこういうふうなことを言ってほしいとか、こういう政策をしてほしいとか、聞こうとする/聞かせようとする人がいて、やっと成り立つものだと思います。
さらに、もう一歩踏み込んで、「こういうこと言ってほしい」「もっとこうやったらいいのに」と外から思うことがあったら、積極的にアプローチして働きかけていけばいいんです。もちろん、それにはリスクも伴います。何かあると「あんな人、応援してんの?」ってなるし。でも、結果を待って「やっぱりダメだったじゃないか」と言うより、ずっといい。だって選挙は、政治家のためのものじゃなく、自分たちのものなんだし。
■「最低限」が守られないギリギリの状況で
──ただ、デモには参加しても、選挙にかかわるのはハードルが高いと感じる市民は少なくないと思います。選挙や政党政治にそこまで期待できるのか?という……。
政治家や政党に対して、「がっかりするようなこと言わないでくれよ」というのはありますよね。基本的にはぼくも冷笑なんで(笑)、距離感をもっているところがあります。政治に過剰に期待するのはよくないっていうか、選挙のときも「入れないより入れたほうがいいな」みたいな消極的な姿勢で投票する部分もある。
ただ、「こっちの人もあっちの人もなんだかなあ」って思ってる間に、政治は進んでいく。そう考えたら、よりマシなほうに少しでも動くしかない。みんなから「この候補者いいよね」って言われるような人が出てきてほしいと、正直思いますよ。政治家に「ほんとに尊敬してます」みたいなこと、一度は言ってみたいとも思う(笑)。でも、「投票したいと思う政治家がいない」と話す人は多いけれど、さっきも言ったように自分の考えと100パーセント一致する政治家なんているわけがない。だから、よりマシなほうに投票することや、「こういう問題もあるよ」と政治家に声をあげていったりすることで、よりよくしていくしかない。
──「どっちもどっち」で終わらせないということですね。全然、「基本的に冷笑系」とは思えないですけど……。
いや、がんばってる人を見ると難癖つけたがる中学・高校時代を過ごしまして。国連とかユニセフとか見て「ケッ」って言うみたいな。
──(笑)。国連とかユニセフの何に「ケッ」って?
社会科の授業なんかでユニセフとかが出てきて、「困ってる子たちが世界中にはたくさんいます」みたいな説明がありますよね。そういうときに「困ってる人は日本にもいるだろ」とか「そんなことしても何も変わんねーよ」と毒づいていたというか。だって、国際機関だとか政治家だとかがどんながんばっても自殺する人は変わらないだろうし、いまある悩みは解決しない。どんなに良い制度ができても、救われない人はずっと救われないから……っていうような具合で何かしら文句をつけていた(笑)。お金の回り方とか、キャンペーンの仕方とか調べたらいくらでも批判できますからね。
それが震災以降は、「最低限のことが大事じゃん」と思うようになった。だって、ユニセフが「飢え死にするのは、ある程度しようがない」とか「肌の色で助ける対象変えます」みたいなこと言い出したら、それはすごくヤバいから。
でも、日本でいま起こっていることって、そういうことじゃないですか。政治家が真面目に「シナと戦争して勝つ」みたいなこと言い出すし、ポジティブに集団的自衛権のことを「積極的平和主義」とか言うのは、やっぱりこわい。
そう考えると、政治家は嘘でもいいから「戦争反対」って言ってたほうがいい。政治で全部が救われるとは思わないけど、「最低限」を守ってくれたら、まだずっとましな世の中だと。そういう感覚がもてるようになって、やっと「人助けする人たちがこの世界にいてくれてよかった。いいことやってんじゃん」って思えるようになったんです(笑)。
■「憲法改正」とどう戦うべきか
──でも、「最低限」という意味では、ついに憲法改正にまで議論が移ってきました。
ぼくはスピーチでもよく「戦後70年間、曲がりなりにも日本は平和を守ってきた」って話を入れてきたんです。もちろん、その「平和」には、沖縄への負担があるし、米軍は沖縄からベトナム戦争に行ったことやイラク戦争の給油活動にかかわってきた事実もある。全部肯定できる「平和」じゃない。けれど、それでも軍隊を戦地に送らないっていう建前があって、集団的自衛権はやらないと言ってきたわけです。それくらい守れよ、と思うんですが、それが覆されて、ついに憲法まで話が行き着いてしまった。余裕のある状況ではないと思います。
まだはっきりとはわかりませんが、最初の改憲で緊急事態条項を出してくると言われていますよね。それだって、いつまでが緊急事態なのかとか、権限の範囲だとか、ある程度、改憲のために譲歩してくるだろうし、「民進党さんもこれなら乗れるでしょ」と分断しようとしてくるでしょう。みんなが賛成しやすい、つまり反対しづらいかたちにもっていく。それが喫緊の政治課題なの? みんなが乗りやすいものにしようとすればするほど、あんまり意味のない改憲になりそうな気がするのですが。衆院法制局の試算だと1回の国民投票で約850億円かかるというけれど、そんなにかける意味あるの? という疑問も当然ありますが。
「ぼくら死ぬわけじゃないし、関心がなくなったわけでもない」
──緊急事態条項のなかでも、衆議院解散の任期延長の条項のみに絞ってくるとも言われていますね。
でも、いまの自民党の改憲草案を見るかぎり、自民党に改憲を任せるのは危険だから今回の改憲に反対だ、というのは、結構テクニカルな話だと思う。しかも、国民投票には公選法のようなルールがないから、CMもばんばん流せるし、番組を買い上げちゃってアピールもできる。……だから3分の2を獲らせたくなかったんですけど(苦笑)。
──そうしたとき、もうSEALDsはいないわけですよね。それで安保法制のときのように大きなうねりをつくり出せるのか……。
最近、取材を受けているとよく言われるんですよ、「いま解散していいんですか!?」って。ただ、ぼくら死ぬわけじゃないし、関心がなくなったわけでもない。おのおのが勝手に動いていくはずで。
それに、いまのネット社会のいい部分だと感じるのは、パッと手を挙げて出てきた人をひとりにしないところがあると思う。SEALDsだって、昨年の5月にはじめて、8月にはあんなことになったわけですから。
もちろん、いまから準備をしていかなきゃいけないと思います。憲法改正の発議から60日以後180日以内に国民投票が行われるわけですが、その日がきたときに、すぐ動き出せるようにこれからやるべきでしょう。
たとえば、「自民党支持だけど、あの憲法改正草案は無理だ」という人も、少なからずいると思うんですよ。だから、ゆるやかなネットワークみたいなものを、いまから準備するべきだとぼくは思います。いまの政治のなかで憲法改正草案の中身のどこがどんなふうにダメなのかということをきちんと整理して、身近なところでいろんな人に広げていく。
■来たるべきときに「まだ弾は残ってるがよ」と言えるように
──ただ、参院選で改憲勢力が3分の2を獲ってしまったという状況下で、憲法改正阻止を諦めてしまったり、落胆している人も多いと思うんですが……。
俳優の菅原文太さんが、2014年の沖縄知事選のとき、翁長雄志さんの応援演説に立ったんですね。このとき、菅原さんは「仲井真(弘多)さん。弾はまだ残っとるがよ」と言った。『仁義なき戦い』の、裏切り者のところに組織なしに行って打ちまくるシーンでの台詞です。
この「弾」って何なのか。それを菅原さんは「週刊プレイボーイ」(集英社)のインタビューで「その弾の正体は、自分がこれまで勉強してきたことや、周囲の人たちから受けた愛情や支えだと思えばいい。で、本当に自分が勝負を賭けたいときに、その弾をブッぱなせばいいんだ」と話しているんです。──どんなに絶望的な状況であっても自分のなかにまだ弾は残っている、そうやって強がって生きればいいんだ、と。
出会った人、学んできたこと、誰かからやさしくされたとか愛されたとか、そういうものが自分のなかで弾として残る。それを一発一発、残していって、大事なときにぶっ放す。そういう気持ちが、ぼくのなかにはまだ、ある。
あと、菅原さんはこの翁長さんの応援で沖縄に駆けつけ、翁長さんが知事選に勝利して間もないころに亡くなりましたが、同じ年、菅原さんは都知事選では細川護煕さんの応援演説にも立っているんです。都知事選がダメだったら、翁長さんの応援も「ちょっとしばらく政治は……」って気分になっちゃうと思うんですよ。でも、負ける戦いも経験しながら、菅原さんは弾を放った。そこが重要なのかなって。
参院選や都知事選の結果によって、これから先、国民投票や衆院選はどうなってしまうだろうと思っている人もいると思うんですけど、でも、まだある。時間もあるし、自分たちのなかにまだ弾は残ってるだろうし、さらに次の弾もいまから準備できる。来るべきときに、「まだ弾は残ってるがよ」って言えるように。
──では、また国会前に奥田さんが立つこともある?
授業がなければ(笑)。いまは次の弾のためにも勉強しなくちゃと思っているので。「これをやれてないな、あれもやれてないな」って、できていないことはたくさんある。いまだに「もっとこうしようよ」とか言って、メンバーには呆れられているんですけど(笑)。
ただ、SEALDsにかんしては、やっぱりちゃんと「終える」ってことが大事だと思うんです。1回終わらせないと「出来事」にならないですから。「出来事」になるから距離をもって反省できるし、何度でも思い出せるんだと思います。
(構成/編集部)
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