http://www.asyura2.com/16/senkyo211/msg/241.html
Tweet |
靖国「A級戦犯合祀」の黒幕にされた男〜靖国問題"発生"の舞台裏を明かす 戦後特別企画・伊藤智永さんインタビュー
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49352
2016年08月14日(日) 週刊現代 :現代ビジネス
■過酷な「実務」になぜ耐えられたのか
――戦中は陸軍高官として全国から召集された兵士を戦地に送る作業を担い、戦後は官僚として復員や遺骨収集、さらに戦死者の靖国合祀や千鳥ケ淵墓苑の創設に尽力した美山要蔵。伊藤さんがこのたび上梓された『靖国と千鳥ケ淵 A級戦犯合祀の黒幕にされた男』は、その足跡を辿りつつ、いわゆる「靖国問題」がどのように生じたのかを解き明かした長編ノンフィクションです。
小泉純一郎政権の時代に、靖国問題がクローズアップされたことが本書執筆のきっかけでした。
そもそも、靖国神社が問題視されるようになったのは、A級戦犯が合祀されてからです。そこでまず、靖国神社内部でA級戦犯合祀に動いたのは誰なのか取材しました。
しかし合祀は、靖国神社が単独で勝手に行えることではありません。手続きとしては、国が合祀にふさわしいと判断した戦死者を「祭神名票」に記載し、靖国神社に通知して、この名簿に基づき、靖国は合祀を行うわけです。
では、国の側で祭神名票をまとめた中心人物は誰だったのか。そこを詳しく取材する過程で美山要蔵という人物に興味を持ったんです。
――農家の五男として生まれた美山は陸軍幼年学校、士官学校、陸軍大学校を優秀な成績で卒業。開戦時は陸軍参謀本部の「編制動員課長」でした。
本人は作戦参謀として華やかに活躍したいという思いもあったようですが、実際に配属されたのは「裏方」とも言うべき編制動員課でした。
この部署は、国内外に展開する何百もの部隊を、列車のダイヤを組むかのように配置するのが仕事です。太平洋戦争では、4年間で260万人が海外に派兵されましたが、大半は美山が動員課長の時期に送り出されました。
召集された兵士の家族から見れば、自分の夫や息子を戦地に送りこみ、ひどい場合は戦わずに餓死させてしまった計画の責任者が美山ということになる。とても重い役割を担っていたんです。
――何万もの人々の生死を左右する立場にあった美山は、相当な重圧を感じていたのでは?
現代人にとっては、それが普通の感覚でしょう。
しかし、日記を読んでも、どんな気持ちで任に当たっていたのかを示す記述は一切、ありません。
書類に埋もれた美山には「生身の人間を戦地に送っている」という実感が遠かったのかもしれません。官僚機構の怖いところですが、兵士ひとりひとりの名前や顔が見えないからこそ、過酷な作業ができたとも言えます。
ただ、私はそんな美山を責める気にはなれません。記録には残っていませんが、彼なりの苦しみは当然、あったと思う。
■千鳥ケ淵戦没者墓苑の創設へ
――終戦後、復員庁を経て厚生省職員となった美山は、復員・引き揚げや、戦没者の遺骨収集といった敗戦処理に邁進します。
終戦当時は軍人・民間人合わせて660万人もの日本人が海外にいましたが、美山が中心となり集中的に事業を進めた結果、わずか1年半後に500万人が帰還しました。
また、彼は遺骨収集のためビルマを訪れた際、「(現地で戦没した)8万7000の英霊と一つになる。失敗したらビルマに永住する」という強い気持ちを語っていた。
これほど「戦争の後始末」に執念を燃やした背景には、贖罪にも似た気持ちがあったのではないかと思います。
戦時中こそ、自分の任務に疑問を抱いていなかったものの、敗戦を機に「自分がやってしまったこと」の重さを感じるようになったのかもしれません。
――帰国事業や遺骨収集に目途がついた後、美山の情熱は戦死者の靖国合祀に向けられます。
生きている者が帰ってきたので、次は死んだ者たちの魂を靖国に合祀しようという流れになったわけですが、ここでも美山は非凡なテクノクラートぶりを発揮します。
彼は、軍人恩給や弔慰金の申請をする戦没者の遺族をリストアップする過程で合祀対象者を確定するという手法を編み出し、祭神名票にまとめて次々と靖国神社に送った。
美山がこの事務を仕切る立場になってから10年間の合祀者は170万柱を越えますが、この数は靖国神社に祀られた神霊約246万柱のうち、実に3分の2を占めます。
――美山はB級、C級戦犯も合祀対象としましたが、A級戦犯だけは対象にしませんでした。
私が取材した結果を総合すると、A級戦犯を合祀すべきか否かについて、美山に特段の主張はなかったのだと思います。
実際、美山が厚生省を退官した後の'78年にA級戦犯が合祀されますが、当時の彼の日記にも関連する記述はない。靖国問題を巡っては、美山こそがA級戦犯合祀の道を拓いた「黒幕」だという報道も散見されますが、実態は違う。彼は「黒幕にされた男」だったんです。
――一方で、美山は千鳥ケ淵戦没者墓苑の創設にも大きく関わります。
千鳥ケ淵には当初、「戦没者全体の象徴的な墓」とする構想がありましたが、そうなると自らの存在意義が低下すると考えた靖国神社から様々な妨害工作を受けました。
これに対し、美山は厚生省在職中から千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会理事に名を連ね、苦悩しながらも靖国との共存を模索し、墓苑建設を実現しました。
どちらが戦没者慰霊の中心かを巡って靖国神社と千鳥ケ淵は微妙な緊張関係にありますが、一連の経緯を踏まえれば、その礎を築いたのは美山と言えるでしょう。
しかし、当の美山に特定のイデオロギーはなかった。彼は戦没者慰霊に、その実務能力を発揮しただけなんです。もし、美山が今日の議論を聞いたら「え、私のせい?」と困惑するでしょうね。
(取材・文/平井康章)
いとう・ともなが/'62年東京都生まれ。東京大学卒。毎日新聞入社。政治部、ジュネーブ特派員などを経て、現在は編集局編集委員。コラム「時の在りか」を執筆。新著に『忘却された支配 日本のなかの植民地朝鮮』(岩波書店)
『週刊現代』2016年8月13日号より
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK211掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。