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日本国憲法の土台となった“物語”とは・・・(写真はイメージ)
自民党の「憲法改正草案」が時代に逆行している理由 未来の合意形成のために:日本国憲法のルーツをたどる
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47466
2016.8.1 矢原 徹一 JBpress
7月10日に投開票が行われた参議院選挙の結果、憲法改正に前向きな党派の議員が3分の2を占めるに至り、憲法改正の発議が可能な条件が生まれた。一方で、SEALDsなどの市民団体の呼びかけに応えて日本共産党が民進党など他の野党と共闘するという大きな変化が生まれ、野党統一候補が接戦区の多くで与党候補に競り勝った。
今後はこの選挙で生まれた政治的力関係の下で、憲法改正についての議論が開始されるだろう。今回は、この選挙結果を念頭に置きながら、社会をより良い方向に変えるにはどのような方法が適切か、という問題について考えてみたい。
■生物の進化と社会の進歩
私がこの問題を考える手がかりは、生物の進化と社会の進歩の類似性だ。どちらも、誰かがデザインしたものではない。生物の進化の場合、さまざまな突然変異が特定の環境の下で試され、生存率や繁殖力を高める効果を持ったものが集団中に広がることで、環境への適応が進む。この単純な手順が、人間の知能を含む、生物界に見られる多種多様な機能を生み出したのは驚くべきことだ。
社会の進歩の場合にも、さまざまな制度や商品が歴史や市場の中で試され、社会や消費者に支持されたものが普及していくことで、制度や商品が改良されてきた。そして私たちの社会はより安全になり、物質的に豊かになってきた。
ただし、社会の場合にはときどき激変が起きて、社会を混乱に陥れてきた。革命や戦争などの社会的激変の背景には、ほとんどの場合にイデオロギーの対立があった。経済的な利害対立だけで激変が起きたケースは少ない。
このような生物進化と社会進歩の比較から、激変を避けて少しずつ改良を重ねることが、社会を進歩させる王道だと考えられる。これは、フランス革命の急進主義を批判したエドマンド・バークの結論であり、社会主義による計画経済を批判したフリードリッヒ・ハイエクの結論であり、そしてジョセフ・ヒースによる「スロー・ポリティクス」の提案とも調和するものだ。
この結論を導くために、まずは保守主義とリベラリズムのルーツをたどり、そこから日本国憲法への歴史の道のりをたどってみよう。進化を理解する場合と同様に、社会を理解する上でも、歴史をたどることでさまざまな事柄を関連づけ、全体を俯瞰して見ることができる。
■日本国憲法の土台となった“物語”
『社会はなぜ右と左に分かれるのか』においてジョナサン・ハイトは保守主義とリベラリズムの典型的な主張を、「物語」として紹介している。この紹介法は、私たちの脳(認知システム)にとって、論理よりも物語のほうが分かりやすいことを考慮したものだ。
保守主義の物語として紹介されているのは、1980年に民主党のジミー・カーターに勝利してアメリカ合衆国の大統領となったレーガンの主張だ。
<昔々、アメリカは輝きを放っていました。そこへリベラルがやって来て、自由市場の見えざる手に手錠をかける巨大な連邦行政機関を打ち立てました。そしてアメリカの伝統的な価値観を破壊し、あらゆる方法で神と信仰に反対しました。
国民に自ら生計を立てるように求めるのではなく、額に汗して働くアメリカ人の手から収入をもぎとって、福祉にばらまいたのです。伝統的な家族の価値観、忠誠、自己責任を尊重せずに、フェミニストの主張を称賛しました。
そして世界中の悪漢どもの成敗に軍事力を行使するのではなく、軍事予算を切り詰め、軍服を軽蔑し、国旗を燃やし、交渉と多国間主義を選択しました。その後アメリカは、自国を崩壊に導こうとするそんな輩から国を奪い返すことにしたのです>
(注:一部を省略し、文章を短縮した)
これは一種の英雄物語だが、防衛のヒロイズムだとハイトは書いている。上記の物語において「リベラル」を「占領軍」に置き換え、占領軍が日本国憲法を押し付けて日本の伝統的な価値観を破壊し、自衛権を奪い取ったという筋書きにすれば、安倍首相の主張とそっくりだ。
一方で、リベラリズムの物語としては、社会学者のクリスチャン・スミスの主張が紹介されている。
<昔々、大多数の人々は、不公正で抑圧的、かつ不衛生な社会や制度に苦しめられていました。これらの伝統的な社会は、根深い不平等、搾取、そして不合理な伝統主義を非難されてしかるべきものでした。しかし自立、平等、繁栄を切望する人類は、貧窮や抑圧と果敢に戦い、やがて現代の民主的、資本主義的でリベラルな福祉社会を築き上げることに成功したのです>
日本国憲法はこのリベラリズムの物語を土台にして作られている。敗戦後の日本において、日本に民主主義を根付かせようと考え、日本国憲法を起草した人たちが依拠したのは、この物語だ。この物語のルーツをたどれば、フランス革命にたどりつく。
■近代民主社会の原点
フランス革命の精神を盛り込んだ「フランス人権宣言」(人間と市民の権利の宣言)17条から最初の3条を紹介しよう。
第1条(自由・権利の平等)
人は、自由、かつ、権利において平等なものとして生まれ、生存する。社会的差別は、共同の利益に基づくものでなければ、設けられない。
第2条(政治的結合の目的と権利の種類)
すべての政治的結合の目的は、人の、時効によって消滅することのない自然的な諸権利の保全にある。これらの諸権利とは、自由、所有、安全および圧制への抵抗である。
第3条(国民主権)
すべての主権の淵源は、本質的に国民にある。いかなる団体も、いかなる個人も、国民から明示的に発しない権威を行使することはできない。
この「フランス人権宣言」(1789年)にまとめられた近代民主社会の基本原理は、フランスだけの力で確立されたものではない。
その背景には、アメリカ独立宣言(1776年)があり、イギリスで起きた産業革命(1760年代〜)があった。さらに歴史をさかのぼれば、立憲君主制を築いたイギリスの名誉革命や権利章典(1689年)に行きつく。
近代民主社会は、国民投票による代議制、政党政治、三権分立、個人の権利と自由の法的保護、集会の自由、報道の自由などの多くの要素から成り立っており、それは長い歴史を通じて少しずつ改善を加えられた結果として成立したのだ。
■「急激で荒っぽい抜本的改革」という悪行
フランス革命が勃発したとき、イギリス国内にもフランス革命を称賛する急進的な政治主張が現れた。これに対して、イギリスの伝統的な立憲政治を守る立場から、フランス革命を激しく批判したのがエドマンド・バークだ。
彼は「世界史に革命は数あれど、フランス革命ほどメチャメチャなものはかつてない」と断言し、その急進的改革を以下のように批判した。
<経験に学ぶなど、パリではおよそはやらないようだが、あえて言わせてもらおう。私は数多くの優れた政治家を知る機会があったし、彼らの仕事に協力もしてきた。ここから学んだのだが、いかに立派なリーダーであれ、完璧な計画をひとりでつくることはできない。見識の点ではずっと劣る人々の意見を取り入れることが、しばしば計画を改善するうえで役にたつのである。
ゆっくりと、しかし着実に進んでいけば、一つひとつの段階において物事がうまくいっているかどうかを確認できる。それにより、変化のプロセス全体が安全になるのだ。システムの内部に矛盾や破綻が生じることはない。またどんな計画にも、何らかの弊害がひそんでいるものながら、これらとて表面化した段階できっちり対処できる>
(佐藤健志・編訳、新訳フランス革命の省察「保守主義の父」かく語りき PHP研究所)
要するにバークは、PDCAサイクルのような適応学習によって経験に学び、小さな改善を積み重ねることによってこそ、社会をうまく変えることができると主張している。
そして、そこで必要なのが「熟慮」だとバークは強調している。
<利害対立のもとでは、どんな決定も熟慮に基づいてなされなければならない。したがって、物事を変える際にも妥協がつきまとうことになり、変化は穏やかなものにとどまる。こうやって生じるバランスこそ、「急激で荒っぽい抜本的改革」という悪行を防ぐのだ>
「保守主義の父」と呼ばれるバークの主張は、生物進化を学んだものとして、とても納得がいく。
多くの生物は環境によく適応しているので、その状態を大きく変える突然変異は、ほぼ例外なく生存力や繁殖力を下げてしまう。驚くべき適応の数々を生み出した生物進化は、微小な効果しか持たない突然変異を素材にして、生物の性質の小さな改善を積み重ねることによって成し遂げられた。
この原理は社会の進歩にもあてはまるだろう。重要なポイントは、「完璧な計画をひとりで(あるいは中央政府で)つくることはできない」という点にある。社会は生態系と同様に複雑であり、常に変化している。
しかも、生態系と違って社会には価値観の多様性がある。このような複雑な社会を変えるには、多くの人の意見を取り入れながら漸進的に改善を積み重ねるのが最も良い方法だ。
■世界共通の価値観を受け入れた日本国憲法
フランス革命が採用した“急進的・暴力的な革命”という社会変革の方法は、ロシア革命などの社会主義革命に継承され、多くの人命を奪い、社会を混乱させた。この暴力革命という社会変革の方法を支持するわけにはいかない。
しかし、「フランス人権宣言」にまとめられた近代民主社会の基本原理が、その後多くの国に広がり、国際社会の発展を支えてきたことも事実だ。フランス革命については、その社会変革の方法と、そこで提唱された基本原理を区別して評価する必要がある。
その基本原理は100年の時を経て明治初期の自由民権運動に引き継がれ、フランス人権宣言の思想を軸とする自由党(党首・板垣退助)やイギリスの立憲政治を軸とする立憲改進党(党首・大隈重信)の結成へとつながった。
その後の明治政府による弾圧と、弾圧への抵抗運動の歴史を経て、1889(明治22)年2月11日に、明治憲法と衆議院議員選挙法及び貴族院令が発布され、日本における立憲民主政治の基礎が敷かれた。
その後の国際社会は、ファシズムという大きな脅威に直面した。言うまでもなく日本はドイツ・イタリアと同盟を結んでその脅威に加担し、第2次世界大戦が開戦した。
戦後敗戦国となった日本は、GHQ占領下で日本国憲法を制定した。それは確かに外圧によって制定されたものだが、主権を天皇から国民に移し、内閣と内閣総理大臣(首相)に行政権を預け、言論・宗教・思想の自由や基本的人権などの、明治憲法に欠けていた近代民主社会の基本原理を補うことによって、世界の民主主義社会と共通する価値観を受け入れたものである。その憲法を変えるなら、この価値観にもとづく社会をさらに発展させる方向を目指したい。
■社会主義はなぜ失敗したか
フランス革命は個人に基礎を置く近代民主社会の基本原理を確立する一方で、個人よりも社会や政府の役割を重視する思想を生み出し、社会主義という怪物を育てることにもつながった。
アメリカ独立戦争に従軍し、フランス革命に賛同して爵位を放棄したサン=シモンは、産業こそが社会発展の原動力であると考え、政府による計画的な産業振興を重視した。
経済学者のフリードリヒ・ハイエクは『隷属への道』(邦訳:ハイエク全集I別巻、西山千秋訳、春秋社、1944年)においてサン=シモンを「計画主義者の先駆的存在」と呼び、計画委員会の命令に従わない個人の権利を奪ってもよいとする彼の主張を批判している。
カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスはのちにサン=シモンの思想を「空想的社会主義」と批判したが、個人よりも社会を重視し、経済成長を政府が計画できるとする考えの点で、彼の思想は社会主義・共産主義のルーツとみなせる。
マルクスとエンゲルスは、経済成長における市場の役割を的確に理解していた。彼らは共産党宣言においてこう述べている。
<大工業は世界市場をつくりだした。これは、アメリカの発見によってすでに準備されていたのである。世界市場は、商業に、航海に、陸上交通に、はかりしれない発展をもたらし、その発展がまた、工業の拡大に作用した。そして、工業、商業、航海、鉄道の拡大に比例して、ブルジョアジーは発展し、その資本をふやし、中世からうけつがれたすべての階級を背後におしやった。これで知られるように、近代ブルジョアジー自身が、長い発展行程の産物、生産と交通との様式におけるかずかずの変革の産物なのである>
(http://redmole.m78.com/bunko/kisobunken/sengen1.html より)
これほど的確に市場と交易の役割を理解していながら、市場を廃止すれば経済が停滞することをなぜ予見できなかったのか、不思議だ。
ハイエクは『隷属への道』において、政府が社会を計画し、個人の権利を制約する点で、ファシズムと社会主義は同根のイデオロギーだと批判した。彼の見解は、フランス革命を批判したエドマンド・バークの主張を継承し、深めたものだ。
ハイエクは、「どんな単一のセンターも、様々な商品の需要・供給状態に常に影響を与える諸々の変化を、細部に到るまですべて把握」することは不可能であり、市場における価格という情報だけが需要・供給関係を調整できると考えた。
また、「人間の想像力には限界があり、自身の価値尺度に収めうるのは社会の多様なニーズ全体の一部にすぎない」と指摘し、国家による市場の統制は個人の自由を制約すると考えた。
生物進化と社会の進歩の比較という観点から見ても、このハイエクの考えは納得がいく。複雑な生態系の中でどのような変化がより有利かを予測し、変化をデザインするのは不可能だ。さまざまな突然変異が環境の中で試され、自然淘汰という「見えざる手」による微小な改良が積み重ねられることによってはじめて、適応進化は進む。
同様に、複雑な需給関係と多様な価値観の下で、経済の変化をデザインするのは不可能だ。個人の自由な意思決定と競争に委ねてはじめて、需要・供給のバランスをとることが可能である。
もちろん、このような自由な個人による競争を促し、一方でその弊害を最小化する社会制度は必要だ。ハイエクはこのような、市場を適切に機能させるための制度的制約を置くことに反対しているわけではない。
市場自体をコントロールすることは不可能であり、もし政府による統制を行えば必ず非効率が生じることを指摘しているのだ。この指摘はきわめて妥当であり、この理解を誤ったことが、社会主義の失敗の大きな原因だ。
■2つの失敗からの教訓
「市場経済をデザインすることはできない」というほぼ自明の理を、マルクスをはじめとする知性のある学者や思想家たちがなぜ理解できなかったのだろうか。
おそらくそれは、17世紀から18世紀にかけての啓蒙主義(世界には基本法則があり、それは理性によって解明できるとする考え方)が産業革命の成功を通じて知識人の間で支配的な思想となったことに関係しているだろう。
マルクスは、原始共産制から資本主義を経て再び共産制に至るという図式を基本法則とみなした。今日の時点で見れば、社会の歴史には生物の歴史と同様に基本法則などなく、そのときどきの環境や社会状況の下で、ある制度や商品が選ばれてひろがっていくという一種のアルゴリズムがあるだけだ。
未来を決めるのはそのときどきの国民(個人)や政府の意思決定だ。そして個人の自由を制約することによって政府が未来をデザインする試みは、社会主義とファシズムという2つの社会的失敗を生み出した。
この失敗から学ぶべき教訓は、個人の自由を最大限に尊重し、その創造性を最大限に生かしてはじめて、私たちは社会を少しずつより良い方向に変えていくことができるということだ。ハイエクが指摘しているように、「公共の福祉」の名のもとに政府が個人の自由を制限すれば、結局は経済的自由を損ない、社会が停滞するのだ。
しかしながら、自民党の「日本国憲法改正草案」では、第3章「国民の権利及び義務」の第12条に「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」と加筆されるなど、全体として「公益及び公の秩序」を強調する内容となっており、個人の自由よりも国家の秩序を優先する方向に踏み出していないか、やや気がかりだ。
■緊急事態における個人の自由
自民党の憲法草案でもっと気がかりなのは、新たに設けられた第9章「緊急事態」だ。
Q&Aによれば、「国民の生命、身体及び財産という大きな人権を守るために、そのため必要な範囲でより小さな人権がやむなく制限されることもあり得る」としており、緊急事態において個人の自由の一部を制約する意図があることが明らかにされている。制約される対象に、個人が自由に意見や情報を発信する権利が含まれていないか、気がかりだ。
よく考えてみよう。平常時ですら、複雑な社会状況を正確に把握し、的確な判断を下すことは難しいのだ。緊急時の、さらに予測が難しい状況においては、国家の権限を強化したところで、現場の状況がより正確に把握でき、より的確な対策がとれるわけではない。むしろ、個人の自由な判断を信じて、個人の創意性に委ねるほうが、良い結果が期待できるだろう。
もちろん、大規模災害などの緊急時には、緊急車両通行のための移動制限や、安全性と緊急避難を目的とした家屋の取り壊し(財産権の制限)などが必要になる。しかしこのような緊急対応については、災害対策基本法などがすでに整備されている。熊本地震などの経験をもとにさらにこれらの法整備を進めることは必要だ。
緊急事態への備えとして必要なのは、徹底した実務的準備と訓練だ。一方で、このような準備が想定していない緊急事態に対しては、現場を知る人物の創意性と現実的判断に委ねるのが最も良い結果を生むはずだ。
■緊急時には「現場判断」を優先すべき
ティム・ハーフォード著『アダプト思考 予測不能社会で成功に導くアプローチ』(ランダムハウスジャパン)には、イラク侵攻後に米軍がどうやって治安回復をある程度成功させたかについての興味深いエピソードが紹介されている。
ここで取り上げられている事例は、国家と個人の関係とは異なるが、緊急時にはトップの判断ではなく現場の判断を優先することが良い結果を生むことを示す良い例である。
イラク戦争は失敗の連続だった。そもそも大量破壊兵器は存在しなかった。フセイン拘束後は、フセインが率いたバース党の党員を階級に関係なくすべて排除する「非バース化」という方針によってイラクの社会秩序を破壊し、混乱を拡大させた。バクダッドに駐留した米軍は、自爆テロなどによる過激派の抵抗にあい、多くの住民は報復をおそれて米軍に協力しなかった。
この状況を変える糸口を作ったのは、マクマスター大佐である。彼は、ベトナム戦争介入時の意思決定に関する研究によって博士号を取得した人物であり、現場の状況を無視した意思決定がいかに大きな失敗を招くかを熟知していた。
彼は上官から指示された戦略が間違っていると感じれば、それを無視した。階層組織が圧力をかけてきたら、ジャーナリストを通じて自分の意見を伝えた。「大局」情報には頼らず、任地の状況を重視し、都市部の前哨地を指揮する下級士官に権限を委譲した。
彼は「上官よりも前線の兵士のほうが、よい助言を見つけ出すのがずっと早く、状況に適応しようとする意欲がずっと強い」ことをよく理解していた。マクマスター大佐のように、現場を見ようとしない上官の命令を無視し、徹底して現場での最適解を追求した何人かの人物によって、イラクにおける治安は好転し、やがてこのような批判的人物から教訓を引きだしたペトレイアス大将が、司令官としてイラク駐留米軍の指揮をとるに至った。
ハーフォードは、マクマスター大佐が採用した徹底して現場に根差した考え方を「アダプト思考」(adapt)と呼んでいるが、これは生物の適応進化に学んで「なすことによって学ぶ」方法、すなわち適応学習(adaptive learning)のことだ。
戦時下のような緊急事態において、トップがすべての状況を把握し、的確な判断を下すことなど不可能だ。現場に判断を委ね、現場から常に学ぶことによって初めて、よりよい解決策が導かれるのだ。
■理性的な判断に時間を惜しまない
今後、憲法改正に向けての議論が進むと予想されるが、個人の自由への制約を強化するようなトップダウンの発想は時代遅れだ。おそらく、自民党の憲法草案がそのまま議論に乗せられることはないだろう。
自民党はいまや野党ではなく、与党として政権に責任を負っているので、そこまで非現実的な判断はしないものと思う。少なくとも、国家を個人より上に置いた社会主義やファシズムの失敗から学び、日本国民だけでなく国際社会に対して説得力のある議論をする必要がある。
国民にとっては、フランス革命以後の近代民主主義社会の歩みをふりかえり、これからの社会のあり方について考える良い機会かもしれない。国民投票が行われるとすれば、その結果を決めるのは国民だ。過去に学び、理性的に考え、冷静な議論をしたい。
社会主義とファシズムの失敗を理由に啓蒙主義を批判し、理性の限界を強調する立場があるが、ジョセフ・ヒースが『啓蒙思想2.0』で述べているように、私たちは時間をかけさえすれば理性的に考えて、より良い結論を下すことができる。
そしてスティーブン・ピンカーが『暴力の人類史』で立証したように、理性は暴力を減らし、より民主的な社会を築く原動力なのだ。
※ 『啓蒙思想2.0』については、「美女の誘惑に『即イエス』の決断は正しいのか」、『暴力の人類史』については、「人類はどうやって暴力を減らしてきたのか」を参照されたい。
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