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上・大橋巨泉オフィシャルウェブサイトより/下・OG's Diaryより
小倉智昭に“大橋巨泉の弟子”を名乗る資格なし!『とくダネ!』では巨泉の遺言を封殺、“裏切り”行為も
http://lite-ra.com/2016/07/post-2435.html
2016.07.22. 小倉智昭が師匠・大橋巨泉に裏切り行為 リテラ
やっぱりこの男は裏切り者だ──。大物司会者・大橋巨泉の死を報じるテレビ各局のワイドショーをチェックしていて、そう確信した。この男というのは、巨泉と40年にわたって師弟関係にあり、自ら巨泉を「師匠であり恩人」と公言していたフジテレビ『とくダネ!』の司会者・小倉智昭のことだ。
もちろん表向き、小倉は身内のように巨泉の死を悼んでいた。巨泉の死を最初に伝えた7月20日の『とくダネ!』では、小倉は開口一番、「巨泉さんがいなかったら、今こうやって『とくダネ!』の司会をやってるということはなかった」と発言。自分を抜擢してくれた巨泉への感謝の思いをとうとうと述べていた。そして、間近で見た巨泉の人柄、テレビ界に果たした役割、夫人から聞いた闘病の様子などを涙ながらに話した。
小倉は同日の『直撃LIVE グッディ!』(フジテレビ)にも生出演し、ここでも涙を流しながら、巨泉の思い出話を語った。さらに、翌21日の『とくダネ!』では、自分の結婚式の写真を紹介しながら、巨泉に仲人をしてもらったエピソードを公開。千葉の家までテレビの配線をしに出かけたこと、大量のレコードを譲り受けていたことなども明かし、いかに自分が巨泉と身内同然の関係にあったかを強調した。
しかし、小倉はその一方で、巨泉が最後に一番伝えたかったメッセージを完全に黙殺してしまったのだ。
周知のように、巨泉は晩年、病床から憲法をないがしろにする安倍政権の危険性を必死で訴えていた。そして、直前の「週刊現代」(講談社)7月9日号の連載コラム「今週の遺言」最終回では、「安倍晋三の野望は恐ろしいものです。選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい」「このままでは死んでも死にきれない」と、まさに遺言ともとれる壮絶な安倍批判の言葉を残していた。だが、小倉は巨泉のこうした政権批判について一秒たりとも触れなかったのだ。
もちろん、巨泉の安倍批判を無視したのは、小倉だけではない。とくに「安倍晋三に一泡吹かせて下さい」という遺言については、『NEWS23』(TBS)以外、どのテレビ番組も取り上げなかった。
しかし、小倉は自他共に認める「巨泉の弟子」である。師匠が「このままでは死んでも死にきれない」と言いながら発したメッセージは、体を張ってでも伝えるのがスジではないか。
しかも、小倉の態度は他の番組MCよりもっと悪質だった。実は、7月20日の『とくダネ!』では、コメンテーターの深澤真紀氏が「週刊現代」のコラムのことを取り上げようとしていたのだが、小倉がそれを封じ込めていたのだ。
「(「週刊現代」の連載で)世界情勢だったり、日本の政権だったりということにずっと問題意識をもって、ずっと怒ってらっしゃっていて、俺はこのままでいいのか、日本は……っていうことを最後まで書いてらっしゃった」
こう話を切り出した深澤。ところが、小倉氏はこれを完全にスルー。菊川怜に向かって「実は巨泉さんはこの番組を見てくれていて、最近の怜ちゃんの仕事を褒めていた」と全く関係のない話を始めた。
ようするに、自分が巨泉の安倍政権批判を口にしなかっただけでなく、師匠の“遺言”を番組が取り上げること自体を許さなかったのだ。これが「裏切り」でなくて、なんだというのか。
いや、そもそも、小倉の巨泉への裏切りは今回の“遺言封殺”という問題だけでない。「愛弟子」「恩人」などといいながら、小倉はとっくに、巨泉を切り捨てていたという見方がテレビ業界では根強い。
小倉はテレビ東京のアナウンサー時代、上層部と対立して進退きわまった際、大橋巨泉に拾われて1976年に「大橋巨泉事務所」(現オーケープロダクション)入りした。当時小倉には多額の借金があり、しかも仕事も鳴かず飛ばず。そんな中、『大橋巨泉の日曜競馬ニッポン』(ニッポン放送)に小倉を起用し、『世界まるごとHOWマッチ』でブレイクさせたのが巨泉だった。
その後、小倉は巨泉を師匠として仰ぐようになり、まさに『とくダネ!』で語ったような身内同然の関係になるのだが、しかし、その関係は実際には09年頃から大きく変化していた。
原因は、巨泉が「オーケープロダクション」の株式を売却、同社が大手テレビ制作会社「イースト・グループ・ホールディングス」の完全子会社になったことだった。当初は、それでも、オーケープロダクションの社長だった巨泉の実弟が引き続き社長を務めたのだが、しかしほどなくして社長の椅子を追われ、そのため巨泉と「オーケープロダクション」の縁が切れてしまう。
このとき、多くのテレビ関係者は、小倉も巨泉の弟と一緒に事務所を出るのだろうと思ったようだが、小倉のとった行動は逆だった。小倉はもともと同社の株式を持ち取締役に就任していたが、そのまま居残っただけでなく、イーストと蜜月関係を築き、一気に経営への関与を強めていった。そして、「オーケープロダクションの事実上の経営者」と呼ばれるくらいに大きな影響力を持って君臨するようになる。
「この小倉さんの変わり身に、古くから巨泉さんを知る局員の中には『裏切り者』呼ばわりする人もいたようです。実際、その後、小倉さんは巨泉さんと疎遠になり、あまり会っていないという話もある。今回の『とくダネ!』でも小倉さんは巨泉の病床の様子を話していたが、全部、夫人からのまた聞きで、直接、見舞いにいっている感じはしませんでしたからね」(テレビ局関係者)
そして、小倉のスタンスが変わっていったのも、この頃からだった。権力に迎合するような姿勢が目立ち始め、巨泉との師弟関係があった頃には絶対にしなかったような発言を口にするようになった。
その典型がかつてオーケープロダクションに所属していた俳優・萩原流行のバイク事故死についてのコメントだった。昨年4月23日放映の『とくダネ!』で、小倉は萩原が事務所が反対する中国の“反日映画”に出演したことが原因で事務所を辞めたなどと、事実無根のレッテルを張り、萩原を貶めるような発言をした。萩原への「反日」攻撃は明らかに濡れ衣なのにもかかわらずだ。その後、萩原の未亡人が警察による事故隠蔽を告発して大きな話題となったが、しかし小倉氏は未亡人を擁護することはなく、切り捨てた。
政治的にも、自民党や安倍政権に擦り寄るような発言をしきりに始め、14年12月に起こった韓国のいわゆる「ナッツリターン」事件では、「韓国の人は自分の責任は認めないで他人の責任にするのか」「韓国人は日本人を見習わないと追いつけない」といった上から目線のヘイト発言をして大きな批判を浴びた。
「小倉さんが変わったというより、本音を出せるようになったということじゃないですか。それまでは巨泉さんの手前、リベラルなふりをしていたけど、巨泉さんがいなくなったことでタガが外れ、もとから持っていた本性があらわになったんじゃないですかね」(前出・テレビ局関係者)
そう考えると、今回、小倉が大橋巨泉の安倍批判を封殺したのも当然というべきだろう。安倍政権のPR放送局の情報番組キャスターという地位に大満足しているこの男はおそらく端から、利用価値がなくなった“元師匠”の遺言など歯牙にもかけるつもりはなかったのだ。
7月20日の『直撃LIVE グッディ!』に生出演し、司会の安藤優子から「巨泉の後継者」などと持ち上げられた小倉はまんざらでもないという様子で「継げないでしょうね、大きすぎて」などと発言した。
しかし、小倉が巨泉の後継者になれないのは、大きさの問題ではない。最後まで権力に対峙し、命を削りながら憲法を守るために発言を続けた昭和の名司会者と、世間の空気に迎合し無自覚な差別意識を垂れ流す電波芸者とでは、志が決定的に違うのだ。
(田部祥太)
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