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村上正邦元自民党参院幹事長「日本会議幹部は明治憲法復元のため闘った同志」〈週刊朝日〉
http://www.asyura2.com/16/senkyo208/msg/875.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 7 月 06 日 07:45:45: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

                かつて生長の家の組織内候補だった村上氏 (c)朝日新聞社
   

村上正邦元自民党参院幹事長「日本会議幹部は明治憲法復元のため闘った同志」〈週刊朝日〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160705-00000158-sasahi-pol
週刊朝日  2016年7月15日号


 安倍政権との親密な関係で注目される任意団体「日本会議」の田久保忠衛会長が〈日本会議への誹謗・曲解を正す〉と題した寄稿を「月刊Hanada」8月号に掲載した。特筆すべきは、日本会議事務総長の椛島有三氏らと自民党参議院で大きな影響力を持っていた“ある元大物政治家”をめぐる騒動の真偽である。

 田久保氏が寄稿の中で事実誤認と指摘したのが、「参院のドン」と呼ばれた村上正邦・元自民党参院幹事長に関する話だ。
 
 その記述はジャーナリストの魚住昭氏の著書『証言村上正邦』にある、1995年の戦後五十年決議の文案をめぐる攻防について。このとき、決議反対の立場で加藤紘一政調会長(当時)らとの調整に臨んだ村上氏を、参院幹事長室に詰めかけた前出の椛島日本会議事務総長ら日本青年協議会のメンバーが突き上げたというくだりだ。

〈最終的な決議案文面変更に怒った椛島氏らが、村上氏のネクタイを摑んで怒鳴り散らした──とあるが、これは事実に反する。椛島氏ら終戦五十周年国民委員会の役員は村上氏に呼ばれて部屋に入ったのであって、怒鳴りこんだわけでもないし、ましてやネクタイを摑んでもいない〉
 
 実際はどうだったのか。村上氏は次のように語る。

「当時、椛島さんら何十人もの人が押しかけていて『あんた騙されてるんだ』とか、ネクタイを摑まんばかりの勢いでガーガーと吊るし上げてきた。そうした雰囲気を表現したのであって、現場を見てもいない田久保氏に言われたくない。当時は椛島さんが『経緯を知りたい』と言うから部屋に入れたのであって、私が呼び込んだのではない。彼らから相当なプレッシャーが私にかかっていたことは事実ですよ」
 
 村上氏は椛島氏と同じ生長の家の信者として、日本会議の前身である「日本を守る会」や「日本を守る国民会議」の中心だった人物。キーマンとされる椛島氏についてはこう語る。

「私も椛島さんも、生長の家の創始者である谷口雅春先生の考え方である明治憲法復元を具現化していこうという同志で、先方がどう思っているかわかりませんが、今も精神的には非常に近い思いを持っています。椛島さんは表に立つ人ではなく、後ろで弾を運ぶタイプの人です」
 
 また、著述家の菅野完(すがの・たもつ)氏が『日本会議の研究』の中で「運動の中心人物」と指摘したA氏についてはこう語った。

「生長の家が83(昭和58)年に政治から撤退した後、椛島さんは外に出たが、Aさんは定年まで組織に残った。雅春先生の後継として、病気治しの奇跡を起こせる人という信頼感があった。組織に残りながらも椛島さんとは連絡を取り合い、後ろで活動を指導していた。椛島さんとAさんはもう同一という認識。雅春先生の教えを忠実に実施している人だと思っていましたよ」

“源流”が生長の家にあることは間違いないようだ。(本誌・小泉耕平)

 

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コメント
 
1. 2016年7月06日 10:32:42 : NhAltsTcBM : tckkg3zpe9Y[2]
面白いのはこの村上正邦が安倍自民と日本会議の動きに批判的であることだ。

村上正邦ブログ
不惜身命(ふしゃくしんみょう)

http://blog.shunpunokai.com/

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共産党を石もて追われた筆坂秀世が花田や藤岡ら劣化保守イデオローグの徒党に安々と組みこまれてしまい、自民党時代、保守ゴリゴリの現憲廃止と明治憲法復活を訴えていた村上正邦が安易な憲法改正に反対するという不可思議さ。

村上が自民党というより生長の家の教祖の教えを成就したいと自民党を選択したのとは異なり、筆坂は活動家として共産党という党にたいする思慕、すなわち共産党に恋焦がれて党に入党し、国会議員にまで上り詰めたのに共産党に切られた絶望と怒りが反転して容易に敵側にひっくり返るのはよくわかる。
筆坂にとって自身の青春は共産党にこそあったわけで、どっぷり党派的体質が体に染み込んでいる。
共産党から出て行けば、反対の党派性体質に取り込まれてしまうのは業のようなものなのだろう。

道理で左翼が右翼に転向することは容易にあるが、右翼が左翼に転向することは滅多にない。

村上正邦はもちろん左翼に転向したわけではない。
信条である弱い者の立場に立つという言葉を貫いたら、反安倍反自民党になってしまったということである。
村上が在籍していたころの自民党は党派的体質からほとんど遠い党でもあった。
なにしろ、村上のような右翼から社会党より左といわれた鯨岡兵輔や宇都宮徳馬まで派閥が競い合っていた時代であるから、今の「安倍に在らずば自民に非ず」というような自民党は村上の眼から見ると昔の共産党のように見えるのだろう。

村上が変わったのではなく、自民党が変わったのである。

民明書房「共産党転向哀史」より抜粋。


2. 2016年7月07日 00:09:02 : oRvJXhjEX2 : 5yTaMrLXY3s[2]

菅野完 ‏@noiehoie · 7月4日

村上先生の歴史的証言ってのは、この写真で見切れてる範囲じゃないからね。この写真の次のページ。そこに書かれていることを立証するのが、拙著『日本会議の研究』の目的だったわけ。村上先生は、拙著の内容を裏書してくれた。本当にかたじけない。

菅野完 @noiehoie 今日売りの『週刊朝日』、僕のとこよりも、村上正邦先生が、核心つきまくりの歴史的証言を… いやぁ。これはすごい。村上先生、すごい。これは本当に、かたじけない… http://ift.tt/29ikz6V

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