http://www.asyura2.com/16/senkyo208/msg/587.html
Tweet |
嘉数高台公園の展望台から見た普天間基地=2015年7月、沖縄県宜野湾市(撮影/安田浩一)
沖縄二紙が「基地ばかり」を報道する理由 「偏向」批判に抗する記者たち〈dot.〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160629-00000131-sasahi-soci
dot. 6月30日(木)7時0分配信
“嫌沖”という言葉がある。身勝手、左翼の島、反日……。一部保守論壇やネットを中心に流布する言葉を、何の検証もなしに鵜呑みにし、対象を歪め、貶め、侮蔑する。それだけに、対象が与えられる傷は深く、悲しみは底知れない。
「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない」
この“嫌沖”発言をきっかけに、ジャーナリストの安田浩一は、『沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか』(朝日新聞出版)を書き上げた。
槍玉に挙げられたのは「琉球新報」と「沖縄タイムス」2紙だ。両紙の新人記者から編集トップまで、安田はとにかく話を聞いて回った。地元紙を批判する人や、2紙に代わる新聞を立ち上げようと奔走した人にも取材した。
1年を費やした取材のなかで、安田が到達した結論とは……。
* * *
なぜ、基地の問題にこだわるのか──。
沖縄紙の記者たちにそれを問い続けてきた。
「すべての事象が基地につながるから」
多くの記者がそう答えた。
沖縄で取材を続ければ、なにを追いかけていても、必ず基地と戦争にたどり着く。避けることはできない。事件記者も、政治記者も、経済記者も、島を分断するように張り巡らされたフェンスの前で立ち止まる。いや、立ち止まらざるを得ない。
国土の0.6パーセントの面積しか持たない島に、全国の米軍専用施設の74パーセントが置かれているのだ。過重負担もいいところだ。それは、沖縄が望んで誘致したものではない。押し付けられたものだ。
沖縄は、ずっとそうだった。同化を強いられ、戦争に巻き込まれ、多くの県民の命が奪われ、米軍に統治され、基地負担を背負わされた。主権を奪われ続けてきた。
社会の隅々に、生活のあらゆる場面に、基地の存在が重くのしかかる。戦争の記憶が染みわたっている。
だから書かざるを得ない。無視することなどできない。地元の記者が書かずして、いったい誰が書くというのだ。
基地問題に触れずに済むのであれば、むしろそうであってほしいと、記者の多くが望んでいた。
「取材したいことはほかにも山ほどある」と若手記者は訴えた。
「基地問題に追われ、視界に映ることのなかった問題もあったかもしれない」とベテラン記者も嘆いた。
基地問題をやりたくて沖縄紙に入ったという者は、実はそれほど多くはなかった。一部の記者は、こっそり私に打ち明けた。家の近所だから就職を決めた女性記者がいて、寒いところが嫌いで南の果てを選んだ県外出身の記者がいて、大手マスコミの入社試験に落ちまくり、たまたま合格したのが沖縄紙だったという記者がいる。
しかし、カメラを担いで走り出せば、基地はいつも目の前に立ちふさがる。目をそらしたって、戦闘機の爆音は耳に飛び込んでくる。沖縄で記者をするというのは、そういうことだ。
それを「偏向」だとする声がある。沖縄紙が県民を「洗脳」しているのだとする声もある。沖縄紙を「敵」として認知し、叩くことで、排他の気分に乗っかる者たちがいる。
いまからちょうど1年前、自民党の学習会で、作家・百田尚樹氏は「沖縄の新聞はつぶさないといけない」と話した。これをきっかけに、沖縄紙への攻撃はますます強まった。
「偏向」とはいったい何なのか。では、新聞が果たすべき役割は何なのか。
それを確かめたくて、私は沖縄に通い続けた。
あるベテラン記者はこう漏らした。
「一方に大きな権力を持つ者たちがいる。もう一方に基本的な人権すら奪われた者たちがいる。その不均衡をメディアはどう報ずるべきなのか。そのとき、権力と一体化して奪われた者たちを批判するのであれば、それこそ恥ずべき偏向なのではないか」
さらに別の記者はこう続けた。
「洗脳なんてできるわけがない。読者の信頼を失ったら、新聞はそれで終わりです」
かつて沖縄には数多くの新聞が存在した。「保守」を掲げる新聞もあった。激しい競争のなかで生き残ったのが、「琉球新報」と「沖縄タイムス」の2紙だった。それが県民の選択である 。
さらにいえば、基地問題を深掘りし、国や政府に厳しい姿勢でのぞみ、歴史の責任を問うのは、沖縄紙のありかたとして県民が望んだことでもあったのだ。
そこに軸足を置いて報じていくしかない。
ある若手記者は私にこう打ち明けた。
「本当は貧困の問題を追いかけたい。なかでも子どもの貧困問題は深刻です。基地によって、そうした切実な風景までかすんでしまうのが、たまらなくつらい」
だが、貧困問題を追いかけていても、突き詰めていけば基地にぶち当たる。日本が高度成長を謳歌しているときに、沖縄だけが取り残された。日本国憲法でさえ及ばなかった時期がある。成長よりも安保が優先されてきた。その「遅れ」が、いまでも経済の「足枷」となっている。
「だから、沖縄ではすべての問題が基地と地続きなんですよ。この島で新聞記者をしていれば、いやでもその現実と格闘しなければならないのです」
地域に寄り添って生きていくのが地方紙の役割であるのならば、沖縄紙はその役割を忠実に果たしているにすぎない。
中央に偏った視線では、それが「偏向」に映るのであろう。沖縄紙は「偏っているのはどちらか」と問い続けているのである。(ジャーナリスト・安田浩一)
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK208掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。