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(回答先: 「幕藩体制」に追放された舛添知事 東京の本当の問題は「無駄遣い」ではない 政治家1人を殺すのに刃物は不要、扇動でいい 投稿者 軽毛 日時 2016 年 6 月 17 日 13:03:30)
舛添氏の答弁はなぜあれほど怒りを買ったのか
遙なるコンシェルジュ「男の悩み 女の嘆き」
改めて考えてみた、8つのポイント
2016年6月17日(金)
遙 洋子
(ご相談をお寄せください。こちらのフォームから)
ご相談
舛添知事の一連の疑惑、いろいろ問題がありそうで怒りを禁じ得ません。しかしふと、自分が感じているこの怒りの大きさは、どこからくるのだろうとも考えてしまいました。これまで、もっと大きな問題を起こした人もいますが、これほどの怒りを感じていなかったように思います。メディアの取り上げ方の加減かとも考えましたが、それともまた違うような…。何やらモヤモヤが消えません。(40代女性)
遙から
ここしばらくメディアを席巻してきた「舛添狂想曲」は15日の辞職表明で、ひとまず幕が下りた。諸々の疑惑が解明されたわけではないが、議論や解決が必要とされている、その他の様々な大事な事案がすっかり放置されるという残念な状況は、一区切りを迎えたわけだ。
「怒りの買い方」を考える
今後の展開も興味深いが、今回は「怒りの買い方」について考えておきたい。
質疑を経るごとに高まった舛添氏への怒り。彼はなぜ人をここまで怒らせたのか。所作か、言葉づかいか。今回はそもそも政治資金規正法に問題がある、とか、自民公明の政局が絡むとか、法的にいかばかりかとか、私人としてはどうか、といったことは棚に上げる。なぜ、彼はこうも見る者の怒りを買ったのか。8つの「怒点」で整理し、他山の石ともしたい。
1)相手によって態度を変える。
怒声で相手をはね付けることもあれば、しおらしく頭を下げて声のトーンも落とす。相手との関係性により出す顔が違う。
それを目の当たりにしたのは、まず今の騒ぎになる以前、外国人の記者が舛添氏の政治資金の使途について批判めいた質問をした時だった。舛添氏はその外国人記者に向かって指をさし、不機嫌をあらわに激しい口調で「批判を否定する証拠もある。見にいけ!」的な発言をして一喝した。
もうこの時点で、冷静に対処すればいい話じゃないかと思うが、百歩譲って「根も葉もない批判に敢然と反論するリーダー」を演じ、頼もしさをアピールするというのも、政治家としてはありとしておく。しかし、痛いところを突かれたことですっかり余裕をなくし、声を荒げたとすれば、何ともお粗末な態度だ。
さて、答えはいずれか、と興味を持って見ていると、当初、疑惑を追及する日本の記者たちに対しても、居丈高な態度で接していた。やましいところは一切ないということであれば、その態度を貫き、謂れなき疑惑を払拭し、かえって頼もしいリーダーとしてのイメージを獲得して、リオ五輪の閉会式にも勇躍、出向けたことだろう。
しかし立場が苦しくなると、態度は一変、伏し目がちに低姿勢を貫くようになった。ご心配をおかけし…、ご迷惑をおかけし…、と口にしながら何度も頭を下げた。
まったく同じ内容を指摘されているのに、相手によって、状況によって、答える内容を平然と変え、態度をころっと変えられるというのが、何ともイライラさせられる。
形はあるが、心はない
2)ポジティブな言葉には語気を強め、詫びを入れる言葉には頭を必要以上に下げる。
これは先般の審議会での彼の発言からもたくさん拾える。「全身全霊」「一生懸命」など選挙演説で言い慣れたフレーズは、その都度、同じように語気に力が入る。これらの単語は「ここにフォルテシモでアクセント」という形状記憶のようなパフォーマンスが繰り返される。そして「断腸の思い」「不徳の致すところ」「ご心配を」「ご迷惑を」といった言い回しは、神妙な顔つきで何度も頭を下げながら口にする。形状記憶のワンセットという様相だ。
残念ながら、そこに「心」は感じられない。お詫びの言葉を神妙に弱々しい調子で口にしようとするものの、その言葉と裏腹に、プライドを抑えるのに必死なのか、結局、平板な口調になる。頭を下げるのも形状記憶的条件反射だから、いやいやながらの心中が漏れ出てしまう雑さが目につく。もはや、ただ言葉を弄する者でしかない、と皆のイライラを誘う。
3)糾弾や批判の言葉を、助言の言葉として受け流す。
厳しい批判を受けるたびに「ありがとうございます」と目を大きく見開き、いま気づいたとばかりに“助言”として受け入れる。
相手の批判をいったん受容することで、矛先を曖昧模糊とさせ、批判すればするほど感謝されるという、おかしな状況に相手を巻き込む。
当人はうまい手を打っているつもりだったかもしれないが、しかし、どこにも出口はない。その不毛さにイライラが募る。
何とも脇が甘い
4)つじつまが合わなくなる。
多摩地区で「東京23区だけが東京じゃないっ!」とマイクを握った演説の後に「湯河原は多摩より近い」発言がある。あるいは、待機児童対策、子育て支援は重要課題と言いながら当選したのに、関連の審議会には出席せず、保育園の視察は一度もせずと聞く。
何という脇の甘さだろう。「不適切な支出は返す。仕事の内容を評価してくれ」とはよく言ったものだ。
「緊急かつ重大な会議」についても、何とも脇が甘い。「緊急」は緊急そうに、「重大」は重大そうに、いちいち「き!んきゅうで、じゅ!うだいな」とフォルテシモで彼は発音した。それほど断言した重要な会議なのに、記憶は曖昧で、出席者は「事務所関係者ら」から「出版社社長へ」とそのメンバーも変わる。違うじゃないかとツッコめばまた「出版社社長も大枠の意味では関係者になる」。
その場その場を言い逃れでやり過ごす法則を身につけてしまったタイプの人がついやってしまいがちなことで、取り繕うために何かを言えば、その何かでまた過去の言い逃れがばれていく。過去の発言のあちこちに自らが地雷を埋め、次の保身でその地雷を踏み、いつもどこかの人を怒らせてしまう。
5)反論できると思ったときのハゲタカのような眼光と語気の強さ。
例えば「中国服」の件。
「私は柔道をやっていましたので、筋肉が邪魔になり…」。だから高額な中国服が必要だという。何とも珍妙な説明だが、どうやら本人は批判をチャンスにとばかりに、自己アピールを試みている気配が。少しでも失点を挽回しようと、ギラリと眼を光らせ、語気を強める。
この瞬間、「この期に及んで何を言ってるんだ?」的怒りが人々の中に充満する。
いや、これだけ珍妙な答えはさすがに不自然なので、もしやこの先に逆転の一手でも隠し持っているのか、などと思って続きを待つ。そこで「だったら袖なしを着れば?」と問われると、反論は「気温が下がったら?」。…幼稚なレベルに議論が落ちていく。
これほど悪いタイミングでちょっと得意げに柔道を語る姿は何とも、見ている側をイラつかせる。
うっかり屋さん
6)そして矛盾がとっ散らかる。
得意げに、柔道をやっていたので肩の筋肉が、といいながら、以前には、神妙に、股関節の病気のリハビリを、との発言がある。場当たり的対応のモデルケースか。大阪的に言うと、強いのか弱いのかどっちやねん、ということだ。
つまり、大きい意味でのイメージ戦略とか、極力足元をすくわれるようなウソはつかないで生きるとか、政治家なら特に求められる条件が欠落しているように思えてならない。
7)「詐欺師」か?
批判コメントで「もう詐欺師ですね」という指摘を聞いた。が、それには違和感がある。
詐欺が成り立っていない。誰も騙せていない。
知事になった時は、事はうまく運んだが、疑惑が噴出して以降は誰も騙せていない。それどころかどんどん怒らせていっている。詐欺師ならもっとうまかろう。
少なくとも自分が過去どういう発言をしたかにつじつまを合わせようとするはずだ。多摩発言にせよ過去の発言のことは彼の頭から消えているのか。詐欺師なら、こういう初歩的ミスを犯すだろうか。彼は詐欺師ではない。“うっかり屋さん”なのだ。
8)「ストロングハート」か?
この表現もよく耳にするが、違うのではないか。批判を批判として受け、それに向き合い、それでもなお譲らないなら、ストロングだ。が、それとは違う。
「猶予がほしい。でないと選挙だ」といった懇願と脅迫をセットにできることが、それを物語る。
世間の怒りや不快感が無視できないレベルになったのを受け、議員たちは質疑をしていた。世間の怒りをバックボーンに、その代替要員として議員たちは怒りの姿勢を示した。もはや何かを“交渉”できる状況になく、そう自らを追い詰めたのは自分自身のこれまでの言葉。それがわからないからできる“交渉”だ。「いや、当然わかったうえでやっている」ということだとすれば、それはそれでまずかろう。
海外のパレードの映像が印象的だった。おそらく世界的にそう有名でもない彼が上機嫌でオープンカーで手を振っている。路上の人たちは「誰?」と怪訝な顔で彼を見つめている。その怪訝な人たちに彼は、笑顔で手が振れる。
人々が怒りをあらわにしている中、「ご心配をおかけし…」という言葉を使える。周りが自分のことをどう思っているかを受信するセンサーが故障しているのか。
例えば「君が好き」という相手に、「私はあなたを好きではない」という態度を示しても通じず、やがて「嫌いだ」と宣告しても通じない。どうやっても通じない。このタイプだろうか。
振られた事実を受け入れることができず、被害感情だけを募らせる。辞職ではなく解散を選択するのでは?と懸念した人が多かったのは、彼のこうした傾向を感じてのことではないか。
「知識」をどう生かすのか
一連の騒動の中で我々は「ああ、こういう態度を取ると、みんなの怒りを買うのだな」というケーススタディーをかなり得た。
しかし、そうした行為で周囲をイライラさせるのは彼だけではない。彼は、実はそこかしこにいる「鈍く幼稚な大人」の一人だ。
「一生懸命」という言葉を、一生懸命に強く発音すると、一生懸命に映る。何ともシンプルな技法にうっかり乗ったのは我々だ。言葉を弄する人に乗った自省も必要かと思う。
次こそは、いっそう目を凝らし、耳を傾けなければいけない。世界的に見れば国家クラスの予算を持つ強大な権限を、「あ、この人、知ってる」レベルで決めては断じていけない。
そもそも、疑わしい点があれだけあって、違法な点は一つもないと言うのは、つまり、適法違法の境目を熟知したうえで、巧妙にそれを避けなければ難しかろう。そうだとすれば「うっかり」より、よほど始末が悪い。
「法に触れなければ、何をやってもいいんですか?」。子供たちにそう聞かれて、答えに窮する人は勘弁だ。
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このコラムについて
遙なるコンシェルジュ「男の悩み 女の嘆き」
働く女性の台頭で悩む男性管理職は少なくない。どう対応すればいいか――。働く男女の読者の皆様を対象に、職場での悩みやトラブルに答えていきたいと思う。
上司であれ客であれ、そこにいるのが人間である以上、なんらかの普遍性のある解決法があるはずだ。それを共に探ることで、新たな“仕事がスムーズにいくルール”を発展させていきたい。たくさんの皆さんの悩みをこちらでお待ちしています。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/213874/061500027
前シリーズは「男の勘違い、女のすれ違い」
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