http://www.asyura2.com/16/senkyo207/msg/804.html
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「もうこれを「近代市民社会」と呼ぶのは難しそうです:内田樹氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/20198.html
2016/6/16 晴耕雨読
https://twitter.com/levinassien
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フジヤマガイチhttps://twitter.com/gaitifujiyama
舛添に残された最後の仕事は、絶対に自分から辞めないで、都議会を解散することだ。
こんなアホらしいことを許しちゃいけない。
石原や甘利が許されて、舛添がなぜ許されないのか?
都議会解散することで見えてくるものもあろうて。
そして解散の際には、舛添には有権者への判断材料として、石原、猪瀬時代の積み重なってる五輪招致、神宮外苑再開発、新国立競技場等の関連資料を全開示してもらいたい
都として現時点最大の問題は舛添の参議院議員時代の話でなく東京五輪でしょ?
前回の招致活動の高額経費問題と関連書類の紛失、そして今回の賄賂疑惑。
金のかからない五輪を標榜しながら五輪の歴史上最も金のかかる五輪になろうとしている現実。
当然ながらそれらを支えてきた都議会の責任が問われる番だ
そして付け加えるならそうした数々の疑惑があり、また現在進行形であるにも関わらず、その問題を深く追及しない大手メディア、特にテレビ報道の問題の大きさは指摘しなきゃいけないと思う。
何せ国をあげての五輪キャンペーンに今現在も無批判に乗っかってるんだから。
ある意味都議会与党と同罪だよ
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Shoko Egawa https://twitter.com/amneris84
マスメディアは、「とにかく舛添のクビをとる」ことが目的化した、祭状態。
一刻も辞めさせないと勘弁ならないほど酷い問題があるなら、それを都知事選の前も、就任後も、文春が報じて騒ぎになるまで、まったく都民に伝えなかった自分たちを、少しは省みたらどうか、とは誰も言わないのか。
マスメディアはどこも、「舛添は早くやめるしかない」と、「この道しかない!」の報道ぶり。
こういう時だからこそ、舛添都政のプラスとマイナスを冷静に点検・論評し、都民に複数の選択肢を示しつつ、そのメリットデメリットを解説してくれるようなメディアはないのか?
舛添氏は、不信任決議が可決されたら、まずは都議会を解散したらよいと思う。
都議選で、現職は、今回の騒ぎになるまでに都知事の問題について自分が何やってたのか都民に説明しなくてはならなくなる。
どっちみち知事選はあるんだろうから、知事と都議の両方を選び直す。
もうそれしかないのでは?
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僧侶の方から「60〜70代の人の非宗教的傾向にどう対応したらよいでしょう」というご相談メール。
40代以下は言われるままに儀礼を守るのに、この世代は押し黙って読経にも参加しないのだそうです。
わかる気がしますね。
僕たちはきわめて「非宗教的・反宗教的な時代」の子どもでしたから。
うちは神社の借地住まいでしたが、境内を通るときに父が本殿に手を合わせるのを見たことがありません。
戦中派の人たちの国家神道への反感の深さがどれほどだったか、70年経つともうみんな覚えてないんですね。
『納税通信』という媒体に「納税のすすめ」を書きました。
租税回避する人たちは自分の手で国民国家の土台を掘り崩していることを自覚して欲しいですという話。
税金払いたくない気持ちはわかるけれど、それなら「国民はいかにあるべきか」とか偉そうに言うのだけは止めてね。
AERAの来週号の原稿だん。
都知事辞任について。
このトピックにおいてはメディアの論調とネット論調の乖離が目立ちます。
僕はメディアの嗜虐的な報道につくづく嫌悪感を感じました。
メディアは「反撃できそうもない相手を攻撃するときはどこまでも残酷になれる」ということがよくわかりました。
彼らは機会があったら、それが「面白い」と思ったら、僕を相手にしても「同じこと」をするでしょう。
もう一度書きますけれど、批評性というのは暴力性とも攻撃性とも粘着性とも関係ありません。
知的批評性というのは、自分がどんな文脈の中にいて、いかなる役割を果しているのかを、自分から離れて鳥瞰できる想像力のことです。
今の日本のメディアにはそれがありません。
「赤旗日曜版」の取材。
選挙の争点について。
「Aという政策とBという政策ではどちらが適切か?」という話形が成立するのは、有権者が「論理的に考えた末に、自己利益が安定的に確保できる政策の方を選択できる」くらいに賢いということが前提になっています。
近代市民社会論はそれを前提にしている。
市民たちが真に利己的に判断した場合にどうふるまうか、ロックもホッブズもルソーもそこから考えて市民社会論を打ち立てました。
でも、現代日本では有権者たちは「自分たちの自己利益の安定的な確保」よりも「目先の愉悦」を優先しますので、もうこれを「近代市民社会」と呼ぶのは難しそうです。
結果的に自分が「ひどいめ」に遭うリスクがかなり高くても、「なんか面白そう」だからとか「みんながそう言うから」とか「あいつが唱えることなら中身に関係なく反対」とかいう理由で投票行動をする人たちを相手に何ができるのかをもうちょっと真剣に考えましょうね、というお話をしました。
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