>本当に日本人先祖伝来の仏心慈悲布施菩薩大和魂を世界に示したいなら、芸能界を去ってひとりの老年の日本人女性として、無償で「すべての声は訴える」をはじめとする峠三吉原爆詩集ほかの朗読活動を、世界中でしなければならないでしょうね。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ ひとさまに厳しい訓示を垂れる前に、 まずもって、おのれが率先して身を呈するコトこそ要求される。 日本人騙しに加担すること』は、いまの政治経済産業金融構造のシステム現状内では 日本人全員がやっているコトに、気が付く必要がある・・・。 おのれを真っ先に神棚に上げて何が変わるんだ・・・・。 >90.__ 峠三吉「すべての声は訴える」の朗読拡散活動は、 キミが率先して、ヤルべきシゴトなんじゃないか? こんなトコロで、こちょこちょと、屁を垂れていないで・・・。 。
直近の歴史も__知る、検証する、思い込みを解く。 _________________________
< 戦前は学校でも軍隊でも体罰が絶対禁止だった >
拙著 『戦前の少年犯罪』 の参考文献にも使った江森一郎 『体罰の社会史』 なんかを基に、欧米のように殴ったりせず子どもをのびのび育てる日本の江戸時代からの伝統をまとめた 「日本の体罰の前史」 というページがあるんですが、途中で戦前には体罰がなかったとかあったとかいう妙な話になっています。
我が国の歴史の基本的な処がこうも混乱したままで、正しい日本像が日本人に共有されていない状態では困りますので、整理しておきます。 戦前にも体罰はありましたが、戦前は体罰が絶対悪で、明確に「犯罪」として処理されていたのです。 なんか、戦中は違うと読み取る方が多いみたいなので、念のため書き加えておきますが、戦時中も体罰が絶対悪で、明確に「 犯罪 」として処理されていたのです。 変わったのは戦後になってからです。 戦前の新聞を読んでいる方なら、教師が生徒を殴ったりすると警察が出てきて傷害罪で取り調べをすることはご存じのはずです。 学校内での生徒同士の傷害事件や、戦前にはよくあった生徒が教師を殴るような事件には警察はまず手を出しませんが、教師には厳しく臨みます。新聞が体罰事件を大きくあつかって、常に教師を袋叩きにしていたことも影響しているのでしょう。 戦前は生徒たちも自尊心がやたらと高くて反逆的で、小学生でさえ何かというと徒党を組んで同盟休校や教師の吊し上げをし、体罰教師のクビを要求します。 戦前の親は権利意識が強くてすぐに学校に怒鳴り込んできますし、訴訟を起こします。学校側は平謝りで、治療費を出したり加害者教師を他校に追いやったりすることでなんとか示談に済ませようとします。 法律で体罰は禁止されているのですから、訴訟となると教師に勝ち目はありません。校長も責任を取らされるので平身低頭してもなんとか訴訟まで行かないで収めようとするのです。 このあたりは、拙著 『 戦前の少年犯罪 』 を参照していただければ。 『 職工事情 』 では、明治時代の工員を虐待する事件が数多く掲載されていますが、加害者である経営者はみんな逮捕されて、禁固刑などの刑罰を食らっていることが記録されてます。 陸軍で体罰が発覚すれば、傷害罪で軍法会議に掛けられ戦時中は罰金20円ほどを取られました。( 陸軍法務官で軍法会議の判事を務めていた原秀男の 『 二・二六事件軍法会議 』 参照 ) 伍長の給料一ヶ月分、上等兵の二ヶ月分です。兵隊は衣食住が支給で、給料はこずかいみたいなもんですから安く、当時の銀行員大卒初任給75円で換算すれば、いまの5-6万円の罰金と云ったところでしょうか。実際に取られるとなると結構痛い額です。 現代も、体罰教師や従業員を虐待する経営者を、戦前のように「 犯罪者 」としてきちんと罰すればそれでいいんですけど、なぜやらなくなってしまったのか。そこが問題なのです。 日本の軍隊がなにゆえ体罰に厳しいかと云いますと、明治維新で徴兵制をはじめたときにあちこちで暴動とか起って大変なことになったからです。死人が大勢出ています。 徴兵制の軍隊が国民からそっぽを向かれては成り立ちませんから、「 軍隊というところは、家族的で暖かくてとってもいいとこなんですよ。体罰なんてとんでもございません 」と一生懸命宣伝したのです。口先だけで内容が伴ってないと、若者たちが故郷に帰って「 あれ嘘だったよ 」って云われてまた暴動とか起きたら大変ですので、国民に愛される軍隊目指して頑張ったのです。 頑張ったからと云って体罰を完全に無くせたわけではないんですが、ともかく体罰は絶対禁止で「 犯罪 」として厳しく取り締まったのです。やってたのは、あくまでも不法な「 私的制裁 」であり、つまりは「 いじめ 」です。 明治維新で小学校ができたときにも、あちこちで暴動が起きて校舎焼き討ちとかされたんですけど、戦前は何かというと父兄が学校に怒鳴り込んできて、生徒も徒党を組んで同盟休校とかするのは、この流れなのだろうと思います。 学校も軍隊も、父兄にものすごく気を遣っていたことが、戦前の新聞を読むと判ります。いまの父兄のように甘くはないので、へたすれば暴動で焼き討ちですから。 西洋的な学校だとか軍隊だとかの日本の伝統に反するシステムを庶民に受け入れてもらうだけでも流血の騒ぎになったのに、さらに日本の伝統に反する体罰が受け入れられるはずもなく、絶対禁止にせざるを得なかったわけです。 体罰を軍隊を弱くする犯罪として嫌い、徹底的な調査や対策を取っていた陸軍も、戦前は一部の者だけがやっていると認識していたようで、ある程度の封じ込めには成功していたようです。 『 国民皆兵 』というのはまったくの嘘で、戦前の徴兵率は極めて低く、徴兵検査を受けた男子の二割しか実際には軍隊に入っていないので、いずれにしても一般社会への影響はあまりありませんでした。 ところが、日中戦争がはじまると「 支那事変下に於ける軍隊の内務は遺憾なから極めて不振 」「 私的制裁其の跡を絶たざる 」と、体罰が日常化して軍紀が乱れているのでなんとかやめさせろと陸軍上層部が全連隊に警告する事態になります。( 陸軍省『支那事変ノ経験ヨリ観タル軍紀振作対策』。『軍紀・風紀に関する資料 十五年戦争重要文献シリーズ6』収録 ) これは戦前にはいなかった三年兵以上が出てきたためです。徴兵は二年なのでその間はある程度おとなしくしているものなのですが、やっと兵役が終ったと思っても日中戦争が泥沼化するとまた続けて召集され、いつ故郷に帰れるのか判らなくなって不満が爆発し、無茶苦茶をやりはじめたのです。 強姦や強盗なんかをやるようになったのもほとんどは三年兵以上。新兵を殴るだけではなく、上官を殴ったり刃物で刺したりする事件が続発するようになり、軍隊が学級崩壊しました。( 陸軍省『大東亜戦後ニ於ケル対上官犯ノ状況』。上記シリーズ6収録 ) 兵隊が増えると将校や下士官も足りなくなったために、大卒のが促成栽培で仕立て上げられ、しかしこんな即席の素人将校や素人下士官が反抗的な部下を制御なんかできませんから、安易に殴るようにもなります。 学徒出陣が始まる前の大卒のは歳も食ってて、妻子や仕事を抱えてるのに強制的に将校にされて、三年兵以上と同じ不満を抱えて、彼ら自身が上官殴ったりの非行を働いたりしますし。 そのために、体罰が「 犯罪 」だという観念が将兵全員からなくなってしまいました。 陸軍上層部は、「 体罰はなにより大切な軍の団結を挫き、民間人の軍隊忌避感情を掻き立て、軍を弱くする 」「 部下には慈愛を持てという軍人勅諭の教えにも反する 」「 天皇陛下の股肱たる兵を殴るとは何事か 」と、体罰が軍にも天皇にも反逆する恐ろしい「 犯罪 」であることを説いてなんとかやめさせようとしたのですが、誰も聞かなくなってしまったのです。ほとんど全員が関わるようになってくるので、軍法会議も追っつきません。 最後には東條英機陸軍大臣が出てきて、『 戦陣訓 』で軍紀を正して、強姦や強盗、体罰もやめるように呼び掛けますが、まったく効果がありません。 軍隊経験者でも、体罰が軍に反逆する「 犯罪 」であることを知らず、軍の正式な制度だと思い込んでいる人が結構います。ほとんどがそうですかね。軍ヲタも、あんまり理解していないんじゃないでしょうか。 海軍も士族出身者しかいなかった創設当初は、お手本であるイギリス海軍流の体罰を導入することに抵抗したようですが、やがて完全なる西洋かぶれとなり果てて、日本の伝統に反する体罰を制度として正式にやるようになりました。 徴兵された一般国民がほとんどで体罰は絶対に受け入れられずに禁止された陸軍とは違い、海軍は極めて少数のためほぼ全員が志願兵で、また海軍に志願する者は西洋的なものに憧れてやってくるので、そういう西洋的な体罰も受け入れたのでした。 「 俺を恨むな。恨むなら英国海軍を恨め 」( 阿川弘之 『軍艦長門の生涯』 )と云いながら殴ったり、英語で「バッター」と呼んでたり、が日本の伝統にはない西洋伝来のものだということは強調されてました。 志願兵だけで一般社会とあまり接点がなかったので、海軍が体罰を受け入れても世の中への影響はなかったのです。 しかし、そんな閉じた組織だった海軍が、戦争末期には肥大化して徴兵された一般人や少年志願兵を大量に迎えるようになって、西洋的な「 正しい体罰 」を経験させたことは大きかったかも知れません。 戦後はこういう体罰体験をした大勢の若者が社会にあふれ、学校などでも体罰が「 犯罪 」であるという観念がなくなってしまったわけです。軍隊の影響とは、体罰そのものを覚えたことではなく、日本伝統の正しい善悪の基準が崩壊してしまったところにあるのです。 戦後すぐは、体罰というのは若い教師がやることだということになってまして、軍隊の秩序崩壊を直接経験した世代から価値観が変わったことが判ります。 自由をはき違えたアプレ世代がこういう軍の学級崩壊の「 いじめ 」である体罰が当たり前だと主張するようになって、戦前のきちんとした規律と伝統を壊してしまったのでした。まともな規律も守れず、日本の伝統に無知蒙昧なる輩がはびこるのはまったく嘆かわしい限りです。 その価値観の転換によって歯止めが無くなり、実際に戦前より戦後は学校内の体罰が激しく日常的になったと云っていいと思います。 日中戦争勃発時に30歳以上で軍隊に行っていない世代が学校でもマスコミでも現役だった昭和30年代くらいまでは、まだ体罰が「 犯罪 」だという観念は残っていたと思いますが。 英海軍の実態よりも帝国海軍がどのように考えて受け入れたのかのほうが重要で、なんであんな鼻持ちならない貴族意識ができてしまったのか、経緯をご存じの方はご教示をよろしく。8年も留学して、日本でも英語を使って嫌われた東郷元帥がやはり関わっているんでしょうか。留学と云っても、イギリス海軍兵学校へは入れなかったことが、妙な捻れを生んでるような気がしないでもないですが。
まあ、日本ではラグビーをやってる人たちのように、何故か自分がイギリス貴族になったような妙なエリート意識を持つおかしな人種がいるので、そう不思議でもないかも知れません。 宮内さんは、日本の海軍士官について「鵜の真似する烏」と形容しています。 戦前の学生が教師を殴りまくっていたことについては、 拙著 『戦前の少年犯罪』 を読んでいただければ。
いずれにしても、体罰が日本の伝統に反する、 海外から入ってきたものであることには変わりありません。 『帝国陸海軍事典』 大浜徹也 小沢郁郎 編 『日本の海軍』 池田清
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戦前は小学生の人殺しや、少年の親殺し、動機の不可解な異常犯罪が続発していた。 なぜ、あの時代に教育勅語と修身が必要だったのか? 戦前の道徳崩壊の凄まじさが膨大な実証データによって明らかにされる。 学者もジャーナリストも政治家も、真実を知らずに妄想の教育論、でたらめな日本論を語っていた! ___________________________ ●道徳感情はなぜ人を誤らせるのか 〜冤罪、虐殺、正しい心 /管賀 江留郎 ●戦前の少年犯罪 /管賀 江留郎 (著) 昭和2年、小学校で9歳の女の子が同級生殺害 昭和14年、14歳が幼女2人を殺してから死体レイプ 昭和17年、18歳が9人連続殺人 親殺し、祖父母殺しも続発! 現代より遥かに凶悪で不可解な心の闇を抱える、恐るべき子どもたちの犯罪目録! なぜ、あの時代に教育勅語と修身が必要だったのか? 発掘された膨大な実証データによって戦前の道徳崩壊の凄まじさがいま明らかにされる! 学者もジャーナリストも政治家も、真実を知らずに妄想の教育論、でたらめな日本論を語っていた! 目次 1、 戦前は小学生が人を殺す時代 2、 戦前は脳の壊れた異常犯罪の時代 3、 戦前は親殺しの時代 4、 戦前は老人殺しの時代 5、 戦前は主殺しの時代 6、 戦前はいじめの時代 7、 戦前は桃色交遊の時代 8、 戦前は幼女レイプ殺人事件の時代 9、 戦前は体罰禁止の時代 10、戦前は教師を殴る時代 11、戦前はニートの時代 12、戦前は女学生最強の時代 13、戦前はキレやすい少年の時代 14、戦前は心中ブームの時代 15、戦前は教師が犯罪を重ねる時代 16、戦前は旧制高校生という史上最低の若者たちの時代
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