革命政党と認定 2016年(平成28年)夏の参院選に向けて野党との協力を打ち出し、国会の開会式にも出席して柔軟路線のアピールに余念がない日本共産党。だが、現在も警察や公安の監視対象になっていることは、一般にはあまり知られていない。日本共産党は地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教や、朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)などとともに破壊活動防止法(破防法)の調査対象団体になっているのだ。 1952年に施行された破防法は、団体の活動として暴力主義的破壊活動を行った組織に対する必要な規制措置を定めている。第3条2項には 《この法律による規制及び規制のための調査については、いやしくもこれを濫用し、労働組合その他の団体の正当な活動を制限し、又はこれに介入するようなことがあつてはならない》 と、組合活動などに対する弾圧を戒めているが、規制の対象と認定された団体には、活動を一定期間禁止させることができ、解散を請求することもできる。 公安調査庁は毎年、前年の「公共の安全に関わる」国内外の諸情勢をまとめ、「内外情勢の回顧と展望」として冊子やホームページでも公開している。 2016年(平成28年)1月発刊の構成は、国外情勢と国内情勢に大別される。国外情勢は「北朝鮮・朝鮮総連」「中国」「ロシア」「中東・北アフリカ」「国際テロ」「我が国に対する有害活動」の6項目に分かれ、国内情勢は、@オウム真理教A社会的に注目を浴びた事象をめぐる諸団体の動向B過激派C共産党D右翼団体などーの5項目で構成されている。 日本共産党については「安倍政権との対決姿勢を強調し、存在感をアピールした共産党」との見出しが付けられている。2015年春の統一地方選で大きく議席を伸ばしたことや国民連合政府構想の提唱などで 《野党間で主導的な役割を果たす党の姿勢を誇示した》 と指摘しているが、興味深いのは、2016年夏の参院選に向けた行動の分析だ。日本共産党による安全保障関連法案の反対運動について、こう記述している。 《無党派・青年層の運動に着目し,「政党として連帯し,さまざまな形でサポートする」(7 月の志位委員長の記者会見)として,志位委員長ら国会議員が学生団体「SEALDs」(自由と民主主義のための学生緊急行動)などが主催する集会に参加し,「安倍政権をみんなの力で打ち倒そう」と呼び掛け,無党派・青年層などとの連携姿勢をアピールした》 公安当局も、日本共産党と若者の接近を無視できず、その行方を注視している様子がうかがえる。 国民連合政府構想を「55年前の政府構想と同様の『国民連合政府』構想」としてバッサリ切り捨て、日本共産党を「革命政党」と断じた「コラム」はここでの見立てとほぼ同一である。全文は次の通りだ。 《「国民連合政府」の党綱領上の位置付けについて,志位委員長は記者会見(9 月)で,「『さしあたって一致できる目標の範囲』での統一戦線の政府」に当たると説明している。また,「国民連合政府」が実現した場合の日米安保条約への対応について,「政権として廃棄を目指す措置はとらない」と述べる一方で,「党としては,日米安保条約廃棄という大方針を一貫して追求する」と述べており(10 月の記者会見),党綱領路線を変更したわけではない。 そもそも共産党は,「60 年安保闘争」直後の昭和 35 年(1960 年)7 月にも,名称は異なるものの,安保反対の政府構想を提唱している。当時の提唱について,共産党は,「民主勢力が安保反対の目標では一致できるという当時の情勢のもとで,当面の中心目標にもとづく統一戦線政府の方向を明らかにした,画期的な提唱でした」と自画自賛している(「日本共産党の八十年」など)。今回の提唱は,55 年前の政府構想の焼き直しと言える。 共産党が今回の構想の先に見据えるのは,「民主連合政府」による「民主主義革命」を経て「社会主義をめざす権力」を作り,最終的に「社会主義・共産主義の社会」を実現することである。同党が,こうした綱領路線を堅持する「革命政党」(6 月の幹部会決議)であることに変わりはない。》 民主党政権下でも調査対象 日本共産党は別の項目でも登場する。安保関連法案への反対運動などを取り上げた「社会的に注目を浴びた事象をめぐる諸団体の動向」だ。日本共産党などが 《党派を超えて政権批判活動を展開》 し、安全保障関連法案について 《「戦争法案」と決め付け,政権打倒を目指した大規模な抗議集会やデモを実施》 としている。 実態を的確に反映した記述とはいえ、一般に誰でも読むことができる公安調査庁の公式な冊子で、ここまで”断罪”しているのだ。 ちなみに日本共産党は民主党政権下でも一貫して公安調査庁の調査対象だった。民進党は、そのような政党と「連合政府」やら「選挙協力」といった議論がよくできるものだ。「左派色」の強かった菅直人政権下で公表された平成23年(2011年)版の「内外情勢の回顧と展望」でさえ、日本共産党の動向について次のように分析している。 《民主党政権の「異常な対米追従」や「大企業の横暴な支配」の打破を訴え、無党派層や民主党批判層などの取り込みに力を注ぐものとみられる》 最新の平成28年版には、国会周辺で行われた法案への抗議行動に 《志位和夫委員長ら党国会議員や党員を継続的に参加させて》 《反対運動の盛り上げを図った》 とも書いている。公安当局の認定でも、主催者が参加者12万人と発表した2015年8月30日の国会周辺の抗議活動などについて、「共産党員らの動員」が影響しているとみているのだ。 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設に対する抗議行動でも、 《共産党や過激派は,移設作業を「沖縄の民意を踏みにじる暴挙」などと批判し,抗 議行動に取り組んだ》 とし、日本共産党と過激派の”共闘”を報告。原発再稼働反対などを訴える抗議行動でも、 《共産党は,官邸前や国会周辺での抗議行動(平成 24 年〈2012 年〉3 月末〜)に党国会議員らを参加させ》たとしている。 こうした日本共産党が関与した一連の抗議行動を結び付け、公安当局は総括的に次のように記している。 《共産党系の「原発をなくす全国連絡会」が,反原発団体などとともに,平和安全法制反対運動に取り組む若者グループやヘイトスピーチに反対するグループなど他分野の団体を糾合しながら,官邸前などで抗議行動を実施し,その中で,志位委員長が「どの分野でも安倍政権が行っていることは,国民多数の民意を踏み付けにする民主主義破壊の独裁政治」と訴えるなど政権批判を繰り返した》 他にも、戦後70年の安倍談話に関して、日本共産党が 《政権への揺さぶりを企図》 したと記載するなど、赤裸々に日本共産党を分析している。ちなみに冊子の表紙には、北朝鮮朝鮮労働党委員長の金正恩らの写真とともに、日本共産党も参加した安保関連法案に反対する集会を撮影した写真が掲載されている。 破壊活動防止法 (昭和二十七年七月二十一日法律第二百四十号) 最終改正:平成二六年六月一三日法律第七〇号 http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S27/S27HO240.html 公安調査庁 回顧と展望 平成27年 http://www.moj.go.jp/content/001177477.pdf 内外情勢の回顧と展望 平成23年1月 http://www.moj.go.jp/content/000060342.pdf 敵の出方によっては暴力もあり得る 選挙で選ばれた国会議員を輩出している日本共産党が、なぜ公安や警察の監視対象になっているのか。「テロ集団」であるオウム真理教などと同列に扱われていることに驚きを禁じ得ない人もいるかもしれない。あるいは、言論、集会の自由を保障した法治国家の政府としてやり過ぎではないかと感じる人もいるだろう。 だが、公安当局は日本共産党の主張が気に入らないから監視しているのではない。破防法の調査対象団体という明確な法的根拠が存在するからだ。政府は、めったにこの事実を公表してこなかったが、安倍内閣は2016年3月22日、日本共産党について「現在においても破壊活動防止法に基づく調査対象団体である」とする閣議決定を行った。 1952年の破防法施行以来、日本共産党は一貫して対象だったとはいえ、閣議決定で明示するのは、政府関係者が「聞いたことがない」というほど異例の対応だった。 無所属の衆院議員、鈴木貴子の質問主意書に答えた形の答弁書では、日本共産党について 《警察庁としては、「いわゆる敵の出方論」に立った「暴力革命の方針」に変更はないものと認識している》 と明記したのだ。 「敵の出方論」とは、日本共産党が唱えている「権力側の出方によっては非平和的手段に訴える」との理念を指す。 日本共産党は、破防法が制定される前年の1951年の第5回全国協議会(5全協)で 「日本の解放と民主的変革を平和の手段によって達成しうると考えるのはまちがい」「武装の準備と行動を開始しなければならない」 との方針を決定。「51年綱領」と呼ばれるこの方針に基づき、騒乱事件や警察襲撃事件が相次いで引き起こされた。答弁書も 《政府としては共産党が日本国内で暴力主義的破壊活動を行った疑いがあるものと認識している》 と指摘している。 日本共産党は当時の暴力的な事件について「分裂した一方が行ったこと」として党の関与を否定しているが、当時の日本共産党が武装闘争を掲げて、様々な問題を起こしたことは消せない歴史的事実となっている。 武装闘争路線は国民の恐怖と嫌悪の対象でもあった。終戦後に合法化した日本共産党は、現行憲法下で初めて行われた1949年1月の衆院選で、いきなり35議席を獲得した。ところが、武装闘争が激化した後の1952年10月に行われた次の衆院選では、197人の立候補に対して当選ゼロという大惨敗に終わった。 日本共産党は方針を転換し、1958年に「51年綱領」を廃止。1961年に民主主義革命から社会主義革命に至る「二段階革命」を規定した綱領を採択した。だが、この頃、革命が「平和的になるか非平和的となるかは結局敵の出方による」との「敵の出方論」が登場。二段階革命論の表記は現在の綱領では消えているが、政府としては、日本共産党の「暴力革命の方針」は依然として変わらないという見方なのだ。 朝日新聞はベタ記事のみ 質問趣意書を提出した鈴木貴子は質問の約1ヵ月前の2016年2月26日、所属していた民主党に離党届を提出した。北海道を地盤とする新党大地の代表代理でもある鈴木貴子は2016年4月の衆院北海道5区補欠選挙で、民主党が日本共産党などとともに連携して無所属候補を支援することに反発していた。 鈴木貴子の実父である新党大地代表の鈴木宗男は2016年3月7日のブログで、こう記していた。 テーマ:ムネオ日記 2016/3/7 16:45 http://ameblo.jp/muneo-suzuki/entry-12136654553.html 《夏の参院選挙に向け、1人区で民主党と共産党の連携が進み、宮城選挙区で共産党が候補を取り下げている。4月に行われる衆院北海道5区補選と同じ構図になってきた。かつて共産党は、政策のすり合わせもなく一緒に組むのは「野合」と批判していたのではないだろうか。 安倍首相が夏の参院選挙は、「自公」対「民共」と言われたが、段々とその構図になりつつある。 読者の皆さん「破壊活動防止法」という法律をご存じだろうか。簡単に言うと、暴力によって国家転覆を図ろうとする危険な組織、団体に対して規制をする法律である。 共産党はその法律の調査対象になっている。このことをよく考えなくてはならない。 民主党はじめ他の野党が、共産党の考えと自分達の政党の理念、志と一緒なのかどうか、それを理解しての選挙協力なのか、国民は疑問に思っていることだろう。 》 鈴木宗男は2015年末から安倍首相と会談を重ね、新党大地は北海道5区補選で自民党公認候補を推薦した。鈴木宗男は自身の将来的な政界復帰への意欲を隠さず、鈴木貴子もいずれ自民党入りするとの見方がある。鈴木貴子が質問趣意書を提出したのは鈴木宗男のブログから1週間後の2016年3月14日だった。そして鈴木宗男は答弁書が閣議決定された直後の2016年3月22日のブログで、こう記していた。 テーマ:ムネオ日記 2016/3/22 16:12 http://ameblo.jp/muneo-suzuki/entry-12141936368.html 《鈴木貴子代議士が出した日本共産党と「破壊活動防止法」に関する質問主意書に答弁書が出た。 「日本共産党は、現在においても、破壊活動防止法に基づく調査対象団体である」と答えている。 また「政府としては日本共産党が昭和20年8月15日以降、日本国内において暴力主義的破壊活動を行った疑いがあるものと認識している」「警察庁としては、現在においても、御指摘の日本共産党の『いわゆる敵の出方論』に立った『暴力革命の方針』に変更はないものと認識している」とも答えている。 政府答弁書は閣議決定で決済される。国会答弁よりも重いと私は認識している。 この答弁書から見る限り、このような団体と選挙協力する民主党から離党した鈴木貴子代議士の判断は正しいものと理解するものである。 》 安倍首相は2016年夏の参院選の対決の構図を「自公vs民共」と位置づけ、共闘する民進党と日本共産党勢力との戦いと強調している。安倍首相と鈴木親子のタッグが今回の異例の答弁書閣議決定に至ったと考えることは想像に難くない。 なぜ鈴木宗男はここまで日本共産党批判をするのか、その理由は作家で元外務省主席分析官の佐藤優が「SANKEI EXPRESS」2016年3月26日号「佐藤優の地球を斬る」(第379回)で明らかにしている。 【佐藤優の地球を斬る】真実に口を拭う共産党は信用できぬ 2016.3.26 09:00 http://www.sankeibiz.jp/express/news/160326/exa1603260900001-n3.htm 《筆者自身についても、2002年の「鈴木宗男疑惑」に際して、「佐藤優主任分析官の保管していた書類」なる怪文書を共産党委員長が用いて、記者会見で鈴木氏を非難する会見を行った。この文書は、私が保管していた文書とは異なる改竄(かいざん)が加わった謀略文書だった。この文書が、外務省に存在しないことは、当時の外務大臣も認めている。このあたりの都合が悪い真実について口を拭っている共産党は信用できない。》 日本共産党は参院選に向け、安保関連法廃止を目指した「国民連合政府」構想を提唱した。他党の「日本共産党アレルギー」の前に構想の理解は得られず、選挙協力を優先して凍結したとはいえ、日本共産党はなお政権参画の意欲を強めている。 だが、鈴木貴子による質問主意書が引き出したこの重大ニュースは、産経新聞が翌2016年3月23日付朝刊(東京版)1面で「共産党は破防法対象/政府答弁書『暴力革命を継続』」と詳細に伝えてたが、テレビニュースなどで伝えられることはほとんどなかた。 SEALDsや日本共産党によるデモは詳しく伝える朝日新聞は翌日付朝刊(東京版)で、「『暴力革命』認識変えず」という主語のない見出しを取り、4面ベタ記事で短く報じただけだった。 2016.3.23 07:30 政府が「共産党は破防法調査対象」と答弁書を閣議決定 http://www.sankei.com/politics/news/160322/plt1603220039-n1.html 否定できない過去の暴力 日本共産党が破防法の調査対象であるという事実は拭えない。だが当然、日本共産党も反論した。書記局長(当時)の山下芳生は2016年3月22日の記者会見で「極めて厳重な抗議と撤回を求めたい」として、こう訴えた。 《わが党の綱領でも明らかなように、私たちは日本の政治社会の変革については、言論を通じて国会、あるいは地方議会で多数を占めて、国民とともに有権者とともに一歩一歩、政治と社会を進歩、前進させるという立場に立っている。これがわが党の変わらぬ綱領路線であり、いささかも憲法違反である破防法の対象になるようなことは過去も現在も将来にも一切ない。公党に対する、あるいは憲法上の結社の自由に対する不当な侵害だ》 山下芳生はこのタイミングでの閣議決定についても 「共産党も含め5野党が力を合わせて安倍政権打倒、『戦争法』廃止を掲げて選挙の協力までやろうと一歩一歩今、前進している。このタイミングでの質問は、明らかに不当な攻撃を加えたいという意図を感じる」 と分析した。 「しんぶん赤旗」も2016年3月24日付で、 「『議会の多数を得ての革命』の路線は明瞭 政府の『暴力革命』答弁書は悪質なデマ」との記事を掲載した。 「党の綱領路線を百八十度ねじまげている」 とし、 「敵の出方論」を根拠としていることにも 「日本共産党が、かつての一連の決定で「敵の出方」を警戒する必要性を強調していたのは、反動勢力を政治的に包囲して、あれこれの暴力的策動を未然に防止し、社会進歩の事業を平和的な道で進めるためであって、これをもって「暴力革命」の根拠とするのは、あまりに幼稚なこじつけであり、成り立つものではありません」 と猛反発した。 しかし、「議会の多数を得て社会変革を進める――これが日本共産党の一貫した方針」との主張には無理がある。少なくとも非合法組織だった戦前は議会で多数をとることは不可能だったのであり、暴力による革命を当然視していた。したがって、「”過去”も現在も将来にも一切ない」「「暴力革命」など縁もゆかりもない」との主張は言い過ぎだろう。 結果的に事実を肯定している面もある。「しんぶん赤旗」では 《党の正規の方針として「暴力革命の方針」をとったことは一度もない》 と強調した。裏を返せば、「党の正規の方針ではないところ」では、「日本共産党」の看板で暴力を行ったことは認めたことになる。 「しんぶん赤旗」は 《1950年から55年にかけて、徳田球一、野坂参三らによって日本共産党中央委員会が解体され党が分裂した時代に、中国に亡命した徳田・野坂派が、旧ソ連や中国の言いなりになって外国仕込みの武装闘争路線を日本に持ち込んだことがあります》 と正直に指摘している。 記事では、前議長の不破哲三「本名は上田 建二郎(うえだ けんじろう)」らには肩書を付ける一方、除名された徳田球一、野坂参三はやはり呼び捨てだ。しかも、 《旧ソ連や中国の言いなりになって》 などのくだりは、日本共産党が、コミンテルンの日本支部として創設された経緯などなかったかのような言い分である。全ては、除名された者たちが「勝手にやった」ことだと言いたいようである。 記事ではさらに、 《党が分裂した時期の一方の側の行動であって、1958年の第7回党大会で党が統一を回復したさいに明確に批判され、きっぱり否定された問題です》 とも強調しているが、何であろうと日本共産党による暴力があったという事実は残っているのである。 記事ではさらに、 《日本共産党が綱領路線を確立した1961年の第8回党大会では、日本の社会と政治のどのような変革も、「国会で安定した過半数」を得て実現することをめざすことを綱領上も明確にしました。これは外国の干渉者たちが押しつけてきた武装闘争方針を排除したことを綱領上はっきり表明したものでした》 と言っている。 ここに重要な事実がある。日本共産党の暴力革命は 《旧ソ連や中国の言いなりになって》 《外国の干渉者たちが押しつけてきた武装闘争方針》 ということを日本共産党も認めている、ということである。 「議会の多数を得ての革命」の路線は明瞭 政府の「暴力革命」答弁書は悪質なデマ 2016年3月24日(木) http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2016-03-24/2016032401_03_0.html 1955年の6全協で、日本共産党は武装闘争をやめた。これもソ連や中国共産党の指示だった。 日本共産党の武装闘争の統計的検証 中国とソ連の共産党は、なぜ日本共産党に武装闘争戦術を取らせたのだろうか。それは1950年6月に始まった朝鮮戦争の計画の一環で、日本から出動する在日米軍の留守を狙った後方攪乱のためであった。 日本共産党ウオッチャーで、ブロガーとして著名な宮地健一は、朝鮮戦争をソ連共産党、中国共産党、朝鮮労働党という社会主義国の党と、日本共産党という資本主義国の党の、4党による合作だったと位置づけている。日本共産党の軍事行動は、朝鮮戦争の一部だった。この意味では、「戦争反対」を看板にしている日本共産党だが、戦後の日本で、「戦争を戦ったことのある唯一の党」が日本共産党なのである。ただし、日本共産党は事前に戦争の計画を知らされず、戦争が北の侵略であったことも知らなかった。 日本共産党の武装闘争は、どの程度の回数と規模で行われたのだろうか。例えば、火炎瓶事件とは一体どのくらい起こったのだろうか。宮地健一が作成した表から、集計表の一部を転載させていただく。 ◇後方基地攪乱・戦争行動の項目別統計(総数) 1、警察署等襲撃(火炎瓶、暴行、脅迫、拳銃強奪)(96) 2、警察官殺害(印藤巡査1951・12・26、白鳥警部1952・1・21)(2) 3、検察官・税務署・裁判所等官公庁襲撃(火炎瓶、暴行)(48) 4、米軍基地、米軍キャンプ、米軍人・車輛襲撃(11) 5、デモ、駅周辺(メーデー、吹田、大須と新宿事件を含む)(29) 6、暴行、傷害(13) 7、学生事件(ポポロ事件、東大事件、早大事件を含む)(11) 8、在日朝鮮人事件、祖防隊・民戦と民団との紛争(23) 9、山村・農村事件(10) 10、その他(上記に該当しないもの、内容不明なもの)(27) ◇武器使用指令による朝鮮戦争行動の項目別別表(総数) 1、拳銃使用・射殺(白鳥警部1952・1・21)(1) 2、警官拳銃強奪(6) 3、火炎瓶投てき(全体の本数不明、不法所持1件を含む)(35) 4、ラムネ弾、カーバイト弾、催涙瓶、硫酸瓶投てき(6) 5、爆破事件(ダイナマイト詐取1・計画2・未遂5件を含む)(16) 6、放火事件(未遂1件、容疑1件を含む)(7) 法治国家としてこれらの行為を取り締まることは、国家存立の根幹に関わる不可欠なことである。1952年に、日本共産党の軍事行動への対応のために成立した破防法は、第4条第1項で、暴力主義的破壊活動に当たる行為を列挙し、刑法上の内乱、内乱の予備又は陰謀、外患誘致等の行為をなすこと、政治上の主義若しくは施策を推進し、支持し、又はこれに反対する目的をもって刑法上の騒乱、現住建造物等放火、殺人等の行為をなすこと等、と定義している。 成り立たない共産党の反論 日本共産党の山下芳生書記局長(当時)は2016年3月22日、国会内での記者会見で、政府が、日本共産党について、現在でも「破壊活動防止法に基づく調査対象団体である」「『革命暴力の方針』に変更はない」などとする答弁書を閣議決定したことに反論した。反論内容は6項目にわたっているが、その内の1つで、山下芳生は次のように述べた。 《わが党が党として正規の機関で「革命暴力の方針」をとったことは1度もない。わが党の綱領でも明らかなように私たちは日本の政治社会の変革については、言論と選挙を通じて議会で多数を占めて、国民・有権者とともに一歩一歩、政治と社会を進歩前進させるという立場に立っている。これがわが党の変わらぬ綱領路線であり、いささかも憲法違反である破防法の対象になるようなことは過去にも現在ももちろん将来にも一切ないということは改めて述べておきたい。》 この発言に見られる論理は、共産党の中で宮本顕治の指導権が確立した後に、その責任逃れのために編み出したものである。3つのポイントを指摘したい。 第1に、「わが党が党として正規の機関で『革命暴力の方針』をとったことは1度もない」というが、党は5全協で武力闘争路線を決めた。それは党が分裂していた時期に、徳田球一らの「分派」が決めた方針だから無効だと言いたいのだろうが、それは成り立たない。 兵本達吉によれば、徳田球一主流派と宮本顕治国際派の力関係は、一般党員レベルでは9対1、専従活動家レベルでもせいぜい7対3くらいで、「『分派』はむしろ宮本顕治の方であった」という。それに宮本顕治は5全協に幹部として出席している。党が分裂していた当時に、分裂していた一方の側がやったことで、我々には責任はない、という言い方が成り立たないことについて、兵本達吉は次のように言っている。 「ある会社が罪や不法行為を犯す。そして社長が退任する。そこで次の社長になった者が、『あれは前の社長がやったことであり、しかも自分は前の社長とは仲が悪かった。だから、我が社は責任を取ることができない』と主張しても世間では全く通用しないであろう」『日本共産党の戦後秘史』(産経新聞社、新潮文庫)。 第2に、山下芳生は「破防法の対象になるようなことは過去にも現在ももちろん将来にも一切ない」と言うが、破防法は1952年、共産党の武装闘争が果敢に展開された後に、その対処として成立したのであり、詭弁というほかない。 第3に、山下芳生は、先の会見で、破防法を「憲法違反」だと言っている。語るに落ちたとはこのことで、山下芳生は、かつての「戦争」、「武装闘争」をやりたい放題やらせよ、と言っているに等しい。日本共産党が暴力革命を捨てていないことの証拠である。 不破哲三「本名は上田 建二郎(うえだ けんじろう)」VS公安調査庁の論争 日本共産党の山下芳生も「しんぶん赤旗」の反論記事も、破防法の対象であることの不当性として、1989年2月の衆院予算委員会での不破哲三の質疑を例示した。公安調査庁が1952年から当時までの三十数年間、日本共産党は調査の「対象組織」ではあっても、暴力的破壊活動を行う恐れのある団体だとして適用を申請したことは「1回もなされていない」と訴えている。 当時のやりとりを振り返ると、中央委員会副議長だった不破哲三は予算委で、首相の竹下登に「リクルート事件」を追求し、厚相の小泉純一郎に生活保護の問題などを質した後、公安調査庁長官の石山陽を相手に破防法に切り込んだ。 不破哲三は公安調査庁が日本共産党に対して、隠しカメラの設置や”スパイ”を潜入させて不当な調査を行っていると主張。不破哲三が「団体活動に対する不当な侵害が一方的に行われている」と批判すれば、石山陽は「過去に破壊活動を行った者が将来そのような行動に出る恐れがあると認められる時に対し適用されるべき法律だ」と正当性を訴える丁々発止の質疑となった。 不破哲三は36年間で1回も「規制の請求をしたことがない」との石山陽の答弁を引き出し、重ねて不当性を訴えた。だが、石山陽も負けていない。 不破哲三 「わが党を過去に破壊活動を行った団体と認定する根拠はどこにあるのか」 石山陽 「破防法が制定された当時はそのような社会的事情があり、それに共産党が大きく関わっていたと考え、過去に破壊活動的な暴力活動があったという認定をしている」 不破哲三 「破防法制定当時は、わが党が分裂していた時期だった。分裂した側の一方が、わが党は極左冒険主義と言って非難しているが、今日の我々にとっても肯定し得ない活動や方針を取ったことは確かにある。しかし、それは分裂した時期の分裂した一方の側の行動、路線であり、党の統一後に明確に批判され、きっぱり廃棄された。だから分裂を克服した後の共産党の根拠として扱うのは極めて不当だ」 攻めていたはずの不破哲三が、日本共産党の消し難い武装闘争の過去を認めたのだ。さらに質疑は続いた。 石山陽 「単純な分派活動による一部のはね上がりだけがやったという認定を私どもはしていない」 不破哲三 「分裂時代は、中央委員会から排除された現在の宮本(顕治)議長とかが誰も参加しないでやられた会議だから、我々は分裂した一方の側の会議だと言っている」 苦しい弁明に追われた不破哲三は、話題を「将来の危険」の根拠がどこにあるかに変えた。これにも石山陽は明確に答弁した。 石山陽 「昭和36年(1961年)発表の党綱領の中に将来に向けて共産党の指針ともいうべき政治方針が示されている。それと並び、当時はいろいろ民主社会主義に基づいてあくまで議会主義を貫いて平和的な革命を行われるという政治志向を持っておられるのか、あるいは時と場所により敵の出方、つまり権力側の出方によっては非平和的な手段にも訴えることがあるのか、この辺が十分に解明できていないし、20年、30年の問題ではなく、遠い将来共産党が政権近しと思われる時分になったらどういう方向に出るかがなお疑念なので調査を継続している」 この答弁に対し、不破哲三が敵の出方論は「民主主義のルールに則った対処だ」と正当性を主張すると、石山陽はさらに反論した。 石山陽 「ご存知の通り、政権確立した後に不穏分子が反乱的な行動に出て、これを鎮圧するというのは、たとえどなたの政権であろうとも当然に行われるべき治安維持活動である。ところが、党の文献等を拝見していると3つの出方がある。 1つは、民主主義の政権ができる前にこれを抑えようとという形で、不穏分子を叩き付けてやろうという問題だ。 それから民主主義政権は一応確立された後に、その不満分子が反乱を起こす場合、 3番目は委員ご指摘のような事態(政権運営時に従わない勢力が出た時)だ。 だから、それらについて一部おっしゃているが、その全部について敵の出方論があり得るということを私は申し上げている」 つまり、政権を取る「直前」「直後」「その後」の全てにおいて、日本共産党が信用に足る団体ではないと暗に述べているのである。 安倍内閣が閣議決定した答弁書は、まさに石山陽のこの答弁を引用して「(石山陽が)答弁している通り」とし、現在も日本共産党が「暴力革命」を捨てていないとの認識を示した。石山陽の答弁から27年たった後も政府の対応方針は何も変わっていないことを明らかにしたのだ。 「議会の多数を得ての革命」の路線は明瞭 政府の「暴力革命」答弁書は悪質なデマ 2016年3月24日(木) http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2016-03-24/2016032401_03_0.html 警察庁広報誌が指摘する日本共産党史 安倍内閣の答弁書が異例の対応だったのは、それまで政府は日本共産党が破防法の調査対象団体であることをめったに明示してこなかったからだ。 国会で不破哲三「本名は上田 建二郎(うえだ けんじろう)」の質問以外としては1982年と1999年の参院法務委員会で、当時の公安調査庁長官が日本共産党を破防法の調査対象団体と明言したことがある程度だ。しかも、かなり遠慮した形での答弁だった。 例えば、1982年4月1日の参院法務委員会で行われた社会党の寺田熊雄と公安調査庁長官の鎌田好夫の質疑は以下のようなやり取りだった。 寺田熊雄 「破壊活動を行う団体というのは、ちょっとあなた方としては言いにくいだろうけれども、大体幾つぐらいを対象にしておられんです」 鎌田好夫 「現在はいわゆる左翼系統といたしまして7団体、右翼系統といたしまして8団体程度を調査の対象として推進しております」 寺田熊雄 「左翼7団体、右翼8団体ですか」 鎌田好夫 「はい、さようでございます」 寺田熊雄 「その個々の名称、団体名は言っていただけますか」 鎌田好夫 「現在、公的に申し上げることはいかがと思いますけれども、2、3申し上げますと、左翼関係としましては日本共産党、在日本朝鮮人総連合会等でござます。右翼団体といたしましては護国団、大日本愛国党等でございます」 警察庁も日本共産党の過去の歴史に言及した上で、堂々と警鐘を鳴らしている。日本共産党が現在の綱領を制定した直後の2004年9月に警察庁が発行した広報誌『焦点269号 警備警察50年』が、その理由を如実に記している。「暴力革命の方針を堅持する日本共産党」として、日本共産党の「暴力」の歴史を丁寧に紹介した該当部分を記載する。 警備警察50年 https://www.npa.go.jp/archive/keibi/syouten/syouten269/index.htm 《【暴力的破壊活動を展開(昭和20年代)】 1 占領下での勢力拡大 第二次世界大戦終了後、公然活動を開始した日本共産党は、敗戦直後の国民生活の窮乏と社会不安を背景に党勢の拡大に努め、昭和24年1月の衆院選では35議席を獲得し、10数万人の党員を擁するようになりました。 2 「51年綱領」に基づく暴力的破壊活動を展開 日本共産党は、同党の革命路線についてコミンフォルムから批判を受け、昭和26年10月の第5回全国協議会において、「日本の解放と民主的変革を、平和の手段によって達成しうると考えるのはまちがいである」とする「51年綱領」と、「われわれは、武装の準備と行動を開始しなければならない」とする「軍事方針」を決定しました。そして、この方針に基づいて、20年代後半に、全国的に騒擾事件や警察に対する襲撃事件等の暴力的破壊活動を繰り広げました。しかし、こうした武装闘争は、国民から非難されるところとなり、27年10月の衆院選では、党候補は全員落選しました。 ところで現在、日本共産党は、当時の暴力的破壊活動は「分裂した一方が行ったことで、党としての活動ではない」と主張しています。しかし、同党が20年代後半に暴力的破壊活動を行ったことは歴史的事実であり、そのことは「白鳥警部射殺事件」(27年1月)、「大須騒擾事件」(27年7月)の判決でも認定されています。》 【白鳥警部射殺事件】 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%B3%A5%E4%BA%8B%E4%BB%B6 1952年(昭和27年)1月21日午後7時30分頃、札幌市警察白鳥一雄警部が自転車で帰宅途上、北海道札幌市南6条西16丁目路上で併走する自転車に乗る犯人から射殺され、犯人は逃走している。 白鳥は、札幌市警警備課課長として当時半ば非合法に活動していた日本共産党対策に従事していたことから、捜査当局は共産党関係者を中心に捜査している。事件発生2日後に党北海道地方委員会が「党との関係は何とも言えない。この事件は愛国者の英雄的行為」と関与を匂わせる旨の声明を発し、党員が市内で「見よ、天誅遂に下る!」のビラを配布していたことから党関係者へ疑惑が抱かれるも、事件直後に村上由党北海道地方委員が「党と白鳥事件は無関係」と関与を否定する声明を発している。一方、白鳥がある信用組合の不正に関与していたことから当該信用組合経営陣が殺し屋を差し向けたとの噂も喧伝されていた。 事件発生から4か月後、党員の通報により白鳥殺害に関与しているとの情報が得られて村上国治党札幌地区委員らが逮捕され、共犯として逮捕されたTが「1月3日から1月4日頃に村上ら7人が集まり、白鳥警部殺害の謀議を為した」と供述するも、村上らの逮捕後も犯行に用いられたとされるピストルは発見されず、事件発生2年前に幌見峠で射撃訓練した際のピストル銃弾のみが唯一の物証として裁判に提出されている。直接の実行犯は当時日本と国交が無い中華人民共和国へ不法出国して逃亡している。 検察側は村上を殺人罪の共謀共同正犯で、共犯2人を殺人罪の幇助犯として起訴し、「村上らは武装蜂起の訓練のため幌見峠で射撃訓練をした。そして、彼らの活動の邪魔になる白鳥警部を射殺した」と主張している。第1審札幌地裁は共同謀議を認定し、村上を無期懲役、共犯1人を懲役5年・執行猶予5年と判決している。途中から公判分離されて共同謀議を自供した共犯Tは、1957年(昭和32年)に懲役3年・執行猶予3年と判決されて確定している。控訴審札幌高裁は村上を懲役20年に減刑し、共犯1人は控訴を棄却している。1963年(昭和38年)、最高裁判所が上告を棄却して判決が確定している。 唯一の物証であるピストル銃弾は2年前に発射された銃弾としてはほとんど腐食無く、「旋条痕が白鳥警部の遺体から発見された銃弾と一致したとする鑑定結果はアメリカ軍による鑑定」との証言が上告棄却後に得られて捏造の可能性が疑われ、村上は1965年(昭和40年)に再審請求して最高裁判所へ特別抗告するも1975年(昭和50年)に棄却されている。 【大須騒擾事件】 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%A0%88%E4%BA%8B%E4%BB%B6 中華人民共和国の北京で、日中貿易協定の調印式に臨んだ日本社会党の帆足計と改進党の宮越喜助の両代議士が帰国し、1952年7月6日(日曜日)に名古屋駅に到着した。両代議士の歓迎のために約1000人の群集が駅前に集合、無届デモを敢行したが、名古屋市警察によって解散させられた。その際に12人が検挙されたが、その中の1人が所持していた文書から、翌日の歓迎集会に火炎瓶を多数持ち込んで、アメリカ軍施設や中警察署を襲撃する計画が発覚した。 1952年7月7日(月曜日)当日、名古屋市警察は警備体制を強化し、全警察官を待機させた。午後2時頃から、会場の大須球場(名古屋スポーツセンターの敷地にかつて存在した球場)に日本共産党員や在日朝鮮人を主体とする群衆が集まり始め、午後6時40分頃に歓迎集会が挙行された。 午後9時50分に集会が終わると、名古屋大学の学生がアジ演説を始め、その煽動によって約1000人がスクラムを組みながら球場正門を出て無届デモを始めた。警察の放送車が解散するよう何度も警告すると、デモ隊は放送車に向かって火炎瓶を投げ込み炎上させた。警察は暴徒を鎮圧すべく直ちに現場に直行したが、デモ隊は四方に分散して波状的に火炎瓶攻撃を行うなど大須地区は大混乱に陥った。また、大須のデモ隊とは別に、アメリカ軍の駐車場に停めてあった乗用車を燃やしたり、中税務署に火炎瓶を投下する別働隊の事件も発生している。 この事件で、警察官70人、消防士2人、一般人4人が負傷し、デモ隊側は1人が死亡、19人が負傷した。 名古屋市警察は捜査を開始、最終的に269人(その内、半数以上が在日朝鮮人)を検挙した。捜査の結果、この事件は共産党名古屋市委員会が計画し、朝鮮人の組織である祖国防衛隊とも連携しながら実行に移されたことが判明した。 名古屋地方検察庁は騒乱罪等を適用し、152人を起訴した。裁判は当初の予想よりも長期化したが、1978年9月4日、最高裁判所第二小法廷は上告を棄却し、有罪が確定した。 いずれも60年以上前の事件であり、現在とは社会情勢も大きく違うが、最高裁で有罪が確定した事件まで、「なかったこと」にはできない。 警察庁の広報誌はさらにこう続ける。 警備警察50年 《【「51年綱領」の廃止と現綱領の採択】 1 「51年綱領」の廃止 日本共産党は、昭和30年7月の第6回全国協議会(6全協)で、20年代後半に行った武装闘争を「誤りのうちもっとも大きなものは極左冒険主義である」(=革命情勢がないのに武装蜂起した)などと自己批判しました。そして、33年7月の第7回党大会で、暴力革命唯一論の立場に立った「51年綱領」を「一つの重要な歴史的な役割を果たした」と評価した上で廃止しました。 2 現綱領の採択 同大会では、「51年綱領」に代わる党の新綱領が「党章草案」(綱領と規約を一つにしたもの)として示されましたが、現状規定や革命の性格等について反対意見が多く、党内の意思統一を図ることができませんでした。そうしたことから、草案の綱領部分は引き続き討議することとし、この大会では規約部分のみの採択となりました。 その後、宮本顕治書記長(当時)の指導の下、3年間にわたる党を挙げての綱領論争と、いわゆる反党章派の幹部の除名等を経て、昭和36年7月、第8回党大会が開催されました。そして、同大会で「現在、日本を基本的に支配しているのは、アメリカ帝国主義とそれに従属的に同盟している日本の独占資本である」とする現状規定や、民主主義革命から引き続き社会主義革命に至るという「二段階革命」方式等を規定した現綱領を採択しました。 また、両党大会や綱領論争の過程における党中央を代表して行われた様々な報告の中で、革命が「平和的となるか非平和的となるかは結局敵の出方による」とするいわゆる「敵の出方」論による暴力革命の方針が示されました。》 疑念は消えず 2013年12月5日付の「しんぶん赤旗」は、公安調査庁を 《テロリストなどの治安情報を収集することを口実に活動している》 と指弾し、 《過去に組織的犯罪をした団体に限らず、合法的に活動していても政府に批判的な政党や労働組合、市民団体などを対象に違法な諜報活動をしています》 と反論している。 2008年11月19日付の「しんぶん赤旗」では、読者の質問に答える形で「破壊活動防止法は治安維持法の戦後版?」と題した記事を掲載した。 それによると、 《軍国主義的な支配勢力は、あくまでも日本共産党や民主的な勢力にたいする弾圧体制、弾圧法規の存続をめざして抵抗をした》 と指摘した上で、破防法そのものについては 《暴力主義的破壊活動の名目で、言論・集会・結社の自由などの基本的人権を抑えつけようとする悪法です》 と批判。 《憲法違反の「治安維持法の戦後版」といわれる理由があります。ですから、破防法は本来廃止されなければならない法律です》 と強調している。 むろん、言論や結社の自由を抑え付けるような法律はないにこしたことはない。だが、その対象となっている団体が、いくら憲法違反だと理屈を並べても説得力はあまりない。しかもこの団体は過去の過ちを全く認めていないのである。 公安調査庁や警察当局を敵視する日本共産党は、警察のテロ防止の取り組みも気に入らないようだ。2016年5月の伊勢志摩サミット(三重県)開催に向けて、「しんぶん赤旗」は2016年3月19日付で「愛知県警『密告』奨励ポスター まるで戦中『ひそひそ話で通報を』」と題した記事を掲載した。三重県に隣接する愛知県警がテロ防止のため一般の人に協力を求めたポスターに 《市民から批判があがっています》 という表現でケチをつけたのだ。 ポスターは「おかしいな?と思ったら通報を!」と呼び掛け、具体的には、 「見知らぬ人がウロウロ」 「変な荷物を持っている」 「上着が異様に膨らんでいる」 「身を寄せてヒソヒソ話」 「不審な車・船が出没」 を挙げているが、2015年以降、フランスやベルギーで起きた事件のように、最近のテロは不特定多数が利用する駅などの「ソフトターゲット」を狙ったものが多い。 愛知県警が情報提供を呼び掛けた内容もテロ防止には欠かせないことばかりだが、これを「しんぶん赤旗」は 《市民の日常の行動を監視対象としている》 と大げさに断じるのである。それほど「不審者」や「不審な行動」が通報されるのが怖いのだろうか。それとも日本共産党自身に何かやましいことがあるのか、もしくは日本共産党自身がテロリストだからなのか。 しかも、「市民から批判があがっています」と表現しておきながら、記事では具体的な市民の声を何一つ紹介せず、記事の最後では 《テロ防止を口実に、体制批判は許さないという狙いが透けて見えます。市民同士で監視させる、戦前ばりの監視社会を当然視する県警の姿勢が問われます》 と独自の見解を表明している。日本共産党は一体どういう神経をしているのだろうか。日本共産党とはおおよそ常軌を逸した感覚の持ち主としか思えない。 要するに《市民》とは日本共産党自身であり、日本共産党自身の見解なのだ。このような独善的で無理筋の主張をして、警備活動を批判する政党に警察や公安が目を光らせるのもうなずける。ましてや我が国の政権を、仮にその一角ではあっても任せることなど想像もできない。 過去の暴力事件は確かに「終わったこと」かもしれないが、公安調査庁や警察庁が問題視しているのは、民主主義革命から引き続き社会主義革命に至るという「二段階革命」とも言える方針を現在の日本共産党も綱領で堅持していることだ。 日米安保条約の廃棄や自衛隊解消を棚上げしてまで他の野党に国民連合政府構想を呼び掛け、天皇陛下が臨席された国会開会式にも出席するなど、日本共産党が進めるソフトイメージ路線は確かに浸透しているのかもしれない。だが、過去の事実を率直に受け止めず、「一部の反党分子がやったこと」として何の反省もせず、いまだ綱領に「革命」を明記している限り、日本共産党に対する疑念が消えることは決してないだろう。 公安調査庁 原発ゼロ・消費税反対も監視 2013年12月5日(木)「しんぶん赤旗」 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-12-05/2013120514_02_1.html 破壊活動防止法は治安維持法の戦後版? 2008年11月19日(水)「しんぶん赤旗」 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-11-19/ftp20081119faq12_01_0.html 「愛知県警『密告』奨励ポスター まるで戦中『ひそひそ話で通報を』」 2016年3月19日(土)「しんぶん赤旗」 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2016-03-19/2016031901_04_1.html
[32初期非表示理由]:担当:要点がまとまっていない長文
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