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ミスター共産党・不破哲三が、野党連合、アベノミクス、天皇制を語り尽くす
http://mainichibooks.com/sundaymainichi/column/2016/06/19/post-923.html
サンデー毎日 2016年6月19日号
倉重篤郎のサンデー時評 連載99
独裁色を強める安倍政権に対して、いち早く野党共闘による選挙協力を訴えて、政局の鍵を握る存在となった日本共産党。元委員長で、党の理論的支柱でもある不破哲三氏(86)に、「サンデー時評」倉重篤郎が迫る。
▼アベノミクスの失敗を世界経済のせいにするのは卑怯
▼安倍暴走に抗する市民運動が野党共闘を後押しする
▼天皇ご夫妻は憲法と節度を心得ている
▼大企業本位の安倍政治では、格差・貧困は当たり前に
安全保障環境の激変時には、必ず国内政治勢力の再編が起こる。
と、これまで何度か本誌で主張してきた。冷戦開始時には保守合同と左右社会党合体による55年体制が発足し、冷戦終焉(しゆうえん)時には自民党分裂、55年体制の崩壊、連立時代への突入があった。そして、今また、中国の台頭、米国の後退という安保新局面は、日本政治に新しい変化をもたらしている。
一つは、安倍晋三首相率いる自公政権が過去の保守政権の枠を超える右傾化だ。集団的自衛権行使容認、秘密保護法制定、武器輸出自由化......。これら一内閣一課題級の軍拡政策を一気に強行したにもかかわらず政権は求心力を保ち、国民からも一定の支持を受けている。
今一つは野党再編である。中間政党が分裂、合体を繰り返し、民主党が民進党に切り替わるといった変化が進展中である。ただ、最大の変数は日本共産党にある。安保法制が成立した2015年9月19日、いち早く会見で野党共闘による「国民連合政府」樹立、選挙協力を打ち上げ、以来一貫して野党再編政局の主導権を握ってきた。
私が政治記者として見てきた共産党は、ある意味唯我独尊政党であった。自分たちだけが正しくて、非妥協的にあらゆる政策に批判を向ける原理原則の政党であった。そこが大きく変身した。天皇臨席の国会開会式に初出席、国会活動も原則より連携に配意した。何よりも選挙である。同党最大の資産である組織的集票力を野党共闘のため惜しみなく使いつつある。
その結果何が起きたか。衆院北海道5区補選では保守地盤であるのに自公候補に1万余票差にまで肉薄した。参院選では32の全1人区で野党共闘を成立させた。安倍首相がダブル選に踏み切れなかった一因に、この共産党軸の野党共闘への警戒心があったと臆測する。
政局とは無縁と思われていた共産党がなぜこの局面で動いたのか。不破哲三氏に聞きたいと思った。「ミスター日本共産党」と呼ぶべき人物である。党中興の祖・宮本顕治氏から引き継ぎ1982年から24年間委員長、副議長、議長と党中枢をつとめ、現委員長・志位和夫氏へのバトンタッチ以降も党中央委常任幹部会委員として党運営に関与してきた。取材は5月30日代々木の党本部で行った。
―まずはサミット評価を。
「三つある。現世界経済をリーマン・ショック時と同列に論じた件はアベノミクスの失敗を世界経済に転嫁するもので、各国の同意も得られなかった。ひどすぎる。国家神道の総本山・伊勢神宮に各国首脳を連れて行くのも日本国首相のすべきことではなく、日本会議(神社本庁をはじめとする多数の宗教団体が関わる右派運動団体)のやる企画だ」
「オバマ大統領の広島訪問は大きな一歩として評価する。今後残された任期の中で核廃絶に向け前向きな態度を取れるか否か、そこに広島訪問の価値が試される」
「三つ目は沖縄の(女性殺害)事件への対応だ。安倍氏は一応抗議めいたことは言ったが、辺野古(基地新設)の方針は変えない、という。大統領も『深い』はつけたが、遺憾の意に留(とど)めている。沖縄問題の深刻さを認識していないことが露呈した。今の沖縄の事態は、ちょうど復帰前の60年代後半の沖縄の状況に近い、それを超える所まで来ていると思う」
◇「オール沖縄」から始まった野党共闘
―その安倍政権に対抗するための野党共闘が進んでいる。
「野党共闘が32選挙区(1人区)で全部できた。我々もこんなにできるとは思わなかった。民進党の内部事情は複雑だし、いろいろ困難もあった。その中で粘り強くやり、結果的に筋が通った。大きな力になる」
―なぜ共闘を主導したのか?
「客観条件と主観条件がある。客観条件は、1980年から2014年まで日本政界を支配していた『共産党を除く』という動きが、安倍氏暴走と市民運動によって崩れたというのが一つの要素だ」
不破氏はここで戦後の野党共闘史を俯瞰(ふかん)した。60年安保前後の社共統一戦線、美濃部亮吉都政をはじめとした革新首長全盛時代があった。73年以降は国会での共闘も始まり、70年代後半には両党の首脳会談で革新統一戦線を目指す合意を何度も交わした。ところが、80年の社会・公明の連携合意以降、共産党が野党戦線からはずされる歴史が続いた。
「80年代は自社2党支配。90年代は自民対非自民という対立構図。2000年代は自民、民主両党によるいわゆる2大政党時代。これが一番(共産党にとって)きつかった。その中で我々は無党派との共闘を軸に運動を進めてきた」
―その中央政界における共産党はずしがどこで変わったのか?
「最初に党派を超えた共闘が実現したのは沖縄だ。辺野古問題で名護の市長選(2014年1月)、知事選(同11月)、総選挙(同12月)があり、オール沖縄の団結を旗印に共闘ができあがった」
「私も議員引退後は選挙応援に行かなかったが、その時だけ沖縄に行った。1区では共産党候補を元自民党基幹勢力から財界までが皆応援する。そこが危ないとなると他はいいから1区に行けという調子で、そんな団結が沖縄にできあがった」
「これで共産党を除く、との壁が崩された。その後に来たのが戦争法だ。名もなき市民が戦争反対のために起(た)ち上がり、野党を共闘させる一番大きな背景になった」
「それにしても、あの運動の起こり方はサプライズだった。仏や伊では街頭に出て活動するのが身についている。だが、日本にはそれがなかった。60年安保は労働組合組織中心の運動だった。私は鉄鋼労連だったが、動員をかけていた。今回は動員する司令部はなかった。集まってきた人たちの中から学生組織が生まれ、ママさん組織が生まれ、地域組織が生まれた。マイクを持ったことのない人がマイクを持ち、プラカードを持ったことのない人がプラカードを持った。日本で初の市民革命だという声も広く上がった」
「30年余にわたる共産党を除くというアレルギー体制を社会の流れと運動が打ち破った。それには安倍氏の暴走が貢献した。彼がいい政治をしたらこうはならない」
―主観条件はどう整えたのか? 2004年の不破議長時の綱領変更で、天皇制と自衛隊を容認したことが大きい、といわれる。
「憲法の天皇条項は君主制条項ではないとの解釈を明確にした。国政への権能を持たない君主はありえない。それを保障された英国に比べ、天皇は象徴だからその権能がない」
◇憲法9条を生かした外交を
―昭和天皇時代とは違う?
「だいぶ違う。昭和天皇は憲法を守ってない。講和・安保問題では米政府に何度もメッセージを送り、交渉に直接介入し、政府に交渉経過の『内奏』も要求した」
―それに比べて現天皇は?
「節度を持っている。今の憲法とその精神を心得ているご夫妻だと思う」
―9条についてはどうか?
「なかなか難しい問題だった。我々は自衛隊違憲論を持ってはいるが、それを実現するため安保条約を無くした後でも、自衛隊の解消で国民多数の合意を得るには過渡的段階が必要になる。9条の評価は国際的に高い。私も驚いたことだが、米国の在郷軍人会が9条を高く評価する声明を出している。9条を全面的に生かした外交で、アジア諸国との関係改善も含め、平和的体制確立の主導力になることで道を開いていくことを綱領に明記した」
―04年綱領から12年。長い苦節が今の粘りと主導力を生んだ。
「選挙での野党共闘の成立は大前進だが、これは新しい政治への第一歩だ。国民連合政府の問題は横に置いた。ただ、国会で多数を取っただけでは戦争法の廃止はできるが、集団的自衛権を合憲とした閣議決定は生き残る」
―政権入りを相当意識した?
「だから、国民連合政府を提案した。政権問題で前向きの合意ができるよう追求する」
―これまで政権に入って物事を変えていこうというスタンスはあまりなかったのではないか?
「国民連合政府を21世紀の早い時期に実現しようというのが我々の大目標だ。かなり幅のある形で目標を立てている」
―政権入りで政策を自己実現した公明党に触発されたことは?
「ない」
―今回の共産党の変身に公明党が相当警戒している。
「公明の反共攻撃にはいろいろ経緯がある。昔は野党としての地位争いがあった。今は自民党との与党になり、国民本位という従来の主張と矛盾する立場に落ち込み、それを防衛するための反共攻撃になっている」
―他党に組織票を提供する決断は難しくなかったか?
「自民議席を減らし、戦争法廃案のため全力を挙げることには何の問題もない。我々が踏みこむと有権者全体に喜ばれるし、推薦しただけのことがあったとこっちも喜ぶ。統一候補陣営は非常に元気だ」
―アレルギーがなくなった?
「ここにくるまでアレルギーということも言われた。ただ、全部解決して32選挙区で統一ができたのだから、アレルギー問題というのはその中で試されて乗り越えてきたんじゃないか」
◇戦争が美しいものに見えてしまう安倍首相
―参院選の最大テーマ。安倍政治とは何だったのか?
「自民党政治には昔から対米従属、大企業中心、憲法軽視という体質があったが、最も強引に極端化した政権だ。致命的なのは戦争観。日本人にとって、戦争体験はつらいことだが、あの時代が美しい時代に見えてしまう。サミットの持ち方一つにもそれが出る」
「安倍さんの自立論は米との軍事同盟の中で自分の役割を大きくしたいだけで、その従属体制に手を付けるものではない。司令部はいつも米だ。日本が独自に戦略たてて行動する力はない。それに甘んじて、もっと軍事面での役割で米に評価されることをやろうというのが今回の戦争法だ」
―中国の台頭と北朝鮮の無謀にどう対応するか?
「中国は、その行動に問題点がいろいろあるが、外交的にきちんと対応するのが道だ。尖閣問題でも日本は外交交渉しないという方針だ。これでは日本にいる外国人記者団が皆中国の主張になびく」
「北朝鮮問題でも軍事対応の悪循環が一番危険だ。相手側だって怖い。日本が国連決議の実行をはじめ、外交活動の先頭に立つべきだ」
―日本はなぜ外交力がない?
「歴史的背景がある。戦争中は軍部依存の外交で、戦後は米依存の外交だ。だから自分がない」
―アベノミクスはどうなる?
「今、すでに行き着く先に来ている。これだけ格差、貧困問題が日本社会で当たり前のように横行している。一度底に落ちたら浮かび上がれず、非正規への差別が厳然としてある。そういうことが当たり前の社会になってしまった。今までの自民党政権も大企業本位だったが、表向きは、所得倍増、列島改造という別の看板を掲げた。安倍氏は大企業さえ儲(もう)ければうまくいくとの看板を初めから掲げ政策の中心に据えている」
―共産党主導の政局は続くか?
「主導権を握ったのではなく問題提起した。それを粘り強く進めようとしているというのが正確だ。誰も主導されたと思ってない」
「共闘は相手があるからわからない。だが、かなり持続し前進できるんじゃないか。戦争法廃止から出発したが、地域によって課題はさまざまだ。沖縄がいい例だ。今度の沖縄の事件では県議会が海兵隊の撤退まで言い出した。そういう変化がジワジワ起きている」
1時間半のインタビューは終わった。以下は私の感想である。今回の共産党の変身には長い準備期間があった。ただ、それが顕在化するきっかけはやはり安保環境の変化だった。安倍氏が示した選択肢、つまり一連の軍拡路線に対する国民の違和感、反発がうねりとなり、その時代要請が共産党に新しい役割を与えたように見える。
だが、果たして野党共闘の中から安倍路線に代わるきちんとした選択肢が出てくるか。その一つのカギは不破氏の言う外交力の強化をどうするか、にあると思う。
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■人物略歴
◇ふわ・てつぞう
1930年東京都生まれ。日本共産党前中央委員会議長。元衆院議員。130冊以上の著書があり、共産党の政策・理論をリードしてきた。
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