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広島の平和記念公園で、原爆被害者を抱きしめるバラク・オバマ米大統領(2016年5月27日撮影)〔AFPBB News〕
原爆投下を日米の報道機関はどのように伝えたか オバマ大統領広島訪問、ジャーナリズム魂の原点を徹底比較
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46970
2016.5.31 森 清勇 JBpress
バラク・オバマ米国大統領の広島訪問では、原爆投下について謝罪をするか否かがクローズアップされ、「謝罪を意味しない」という了解のもとで実現した。
過去の行為に対し後世の人が謝罪することは簡単ではない。現在の倫理観からは断罪すべき行為も、当時は正当化され、多くの国民は納得していたからである。
帝国主義の時代は弱肉強食であり、戦争に勝ち他国を支配することが文明の証ともみられた。こうして欧米列強は世界の隅々まで進出して現地の文化を抹殺し、原住民を殺戮していった。しかし、文明化したとの視点から謝罪などは一切していない。
ここでは、原爆投下の謝罪に関して若干の考察をするとともに、日米の当時のマスコミは原爆投下自体をどう報じたかを見て、ジャーナリズムの健全性を検証する。
■米国の「謝罪」ノー
原爆投下によって更に危惧された日米双方の被害を抑え、早期に戦争を終えさせることができたというのが、米国の言い分である。
パールハーバーや戦艦アリゾナで、太平洋戦争の戦没者慰霊祭などが行われるたびに、歴代大統領は原爆投下(と謝罪問題)について質問を受けている。しかし、どの大統領も、当時のトルーマン大統領が決心したことで、現大統領の私が「原爆投下の正否を言うべきではない」と述べてきた。
1991年12月の開戦50周年時には、当時のブッシュ(父)大統領が真珠湾攻撃について「一方的に、または相互に謝罪を求めることはない」と発言しながらも、原爆投下については「謝罪しない」と断言している。
過去の事象を現在の倫理基準で判断してはならないという、当たり前の原則の確認でもあろう。
この原則が覆されるならば、米国が独立当時、Manifest Destiny(明らかな運命)と称して英国本土を脱出して北米大陸の東部から、インディアン(先住民)を惨殺して西部を開拓していった歴史は汚点まみれになるであろう。
何も240年前に遡らなくて、ベトナム戦争やイラク戦争などについても大義がどうであれ、「米国の都合」で参戦し、多大の被害をもたらした面もある。
国家の上に立つ国際機関はないので、国家が最上最高の決定機関であり、国家が行った過去の行動は基本的に正しいという前提である。国民も当時の為政者の決心に従って「正しい」行動をしたという認識で歴史を紡いできたわけである。
オバマ大統領の広島訪問に関して、ホワイトハウスはわざわざ「原爆投下に対する謝罪を意味しない」と強調した。
謝罪することは罪を謝ることであるから、犯した罪が明確に存在し、その罪の償いとして精神的・道義的に、あるいは金銭的・物理的に補償が求められ、または行う必要が生じてくる。
原爆投下が、無辜の市民を多数犠牲にしたことは確かであるが、それは戦時における戦略上の必要からで、しかも米国人だけでなく日本人の命も救ったとして、米国にとっては原爆投下自体が犯罪ではなかったという確認である。
■実現した広島訪問
今回の大統領の広島訪問に当たっては、米国の有力紙が肯定的に報道し、また日本の世論調査でも「謝罪」を求める声は十数パーセントと報道され、米国の核抑止力に依存して国際情勢に対処すべきであるという意見が多かった。
ことの大小によって一概に言えないが、元来、日本人は「過ちては改むるに憚ること勿れ」「過ちを改めざる 是を過ちと謂う」の諺にあるように、お互いに「済みません」で済ませる傾向がある。
自分は謝罪しても、相手には強く謝罪を求めないという民族性でもある。
西郷隆盛が「過ちを改るに、自ら誤ったとさへ思ひ付かば、夫れにて善し、其事をば棄てて顧みず、真に一歩踏み出す可し。過ちを悔しく思ひ、取繕はんと心配するは、譬へば茶碗を割り、其缺けを集めて合わせ見るも同にて、詮もなきこと也」(南洲遺訓)と述べている通りである。
過ちに気付いて反省すればいいのであって、それにこだわり過ぎては前進がないというのである。今回のオバマ大統領の広島訪問は、両国が未来志向を確認し合ったことで実現したと言える。
オバマ大統領は核兵器の惨害の大きさを確認することで、「核なき世界」を求めた2009年のプラハ演説からより具体的な一歩を踏み出し、「日本の悲願」ともいうべき核廃絶への道筋の先鞭をつけたいという明確な意思があったものとみられる。
■日本人を洗脳した「眞相箱」
ここで、当時の日米の紙誌が原爆投下をどのように報道したか、その報道姿勢を確認しておくことも重要ではないかと思われる。そのことを、桜井よしこ著『「眞相箱」の呪縛を解く』)で見ることにする。
「眞相はこうだ」や「眞相箱」はCIE(GHQ民間情報教育局)の指示で、敗戦から4か月も経っていない時期に、NHKラジオ第1、第2で同時放送されたものである。
日清戦争以降、日本は世界制覇を試みてきたと言わんばかりの宣伝で、大東亜戦争もその一環で日本が始めたとするもので、日本は犯罪国家であるという東京裁判史観への誘いであったのだ。
第1回は「我が国が台湾、樺太、朝鮮を領有したのは日清、日露両戦役で、いわゆる侵略によってこれを奪い取ったものであるという解釈についてご説明下さい」である。
日清・日露戦争は、「19世紀末から20世紀初頭にかけての国際社会の価値観から外れる戦いではなかった」(桜井本、以下同)し、台湾や朝鮮の帰趨は日本が勝利した結果としての国際条約に基づくものであった。
しかし、「眞相はこうだ」の設問は、「侵略によってこれを奪い取ったものである」として、その謂れを縷々述べる。そこには「全て日本が悪かった」という見方を日本人に植え付け、「日本悪辣国家」という自虐史観を植えつけようとする意図が強く感じられる。
第2回以降は「対支二十一箇条の要求」、「日本を支配せる関東軍」、「東条首相の思想統制」、「ルーズベルト大統領の親書」などと続く。
質問に答える形で、世界制覇を目論む日本が国際社会に耳を傾けず、軋轢を生むような政策を進めていったという一方的な断罪である。米国などの思惑には一切触れないで、世界制覇を目論んだ日本は裁かれなければならない悪い国という印象操作である。
このように、「眞相箱」で語られた多くのテーマでは、米国の正当性と日本の悪辣非道ぶりが強調された。しかし、原爆投下に関してだけは例外で、原爆の開発・投下を叱責する報道もあり、ジャーナリズム魂の勇気ある本性発揮である。
■眞相箱が報じた原爆投下
米国では、「戦争を可及的速やかに終結させる手段であり、この爆弾の一撃で都市を破壊しても、小型爆弾を連続投下して都市を破壊しても、そこには何らの道義的差異はない」という主張もしている。
また、「膨大な被害を出した戦いをなお続けようとするなら、日本は迅速かつ徹底的な破壊を被るという連合軍側の予告を、日本の指導者が無視し、(ポツダム宣言に)何ら回答しなかったために投下された」という理由づけもしている。
そうした正当性主張の一方で、「原子エネルギーを動力化したことは、科学の一大発展であったということは何人も否定しませんでした」としながらも、週刊誌の「タイム」や「ニューズウィーク」、また新聞の「ニューヨーク・タイムス」、そして著名な大学教授や宗教指導者の発言を伝えている。
タイム誌は「(原爆が)無生物に対してではなく、生物に対してその力を表示したことは、わが民族の良心に底知れぬ傷をつくった」と述べる。「人間」ではなく「生物」というところにいやらしさはあるが、原爆投下を非難していることに変わりはない。
ニューズウィーク誌は「(トルーマン大統領が原爆完成の指導に当たった科学者や軍人をホワイトハウスに招致して今後の使用と管理について意見を求めた折)、暫くは一座黙して急には答える者もなかった。が、やがて指導的な科学者の一人が突然『成功して遺憾千万だ』といった。すると軍人の一人が『アーメン』と唱えた」という。
また、ニューヨーク・タイムス紙は「僅か一日で原爆は我が国歴史の汚点となるものである」「これは集団殺戮、全くのテロ行為だ」「そんなものは、一切合財大西洋か太平洋に投げ込んでしまえ。弱い人間がこのような強大な破壊力を所有することは危険である」などと、読者からの投書があったことを伝えている。
さらに、各派の宗教指導者から「野蛮な、非人道的戦争方法である。その使用は許し難い」「キリスト教国家をもって自任する我が国が、原子力をかかることに使用して、何ら道徳的呵責を感じないとするならば、他の国も又これに倣うであろう。かくて、唐突にして決定的な人類破滅の舞台は設けられることになるであろう」などの意見が発せられたという。
■日本の報道は
このように、米国では原爆投下については批判的な報道もあったことを示している。
桜井氏は「米国の原爆投下を許すことは、到底できない」と難詰する一方で、「あの戦時中に、政府の軍事作戦について、これだけの賛否両論が表明されたことは、米国のデモクラシーの力である。戦時中の政府批判は平時においての政府批判よりも、報道する側には負担が大きい。(中略)しかしそれでもなお、どんな状況でも行うべき批判は行わなければ社会の健全性は保てない」と述べる。
そのうえで、「戦争によって大いに部数を伸ばした『朝日新聞』は、きたるべき日本の敗戦の情報をどう処理したか」について、編集局長であった細川隆元氏の『実録朝日新聞』を引用しながら批判する。
終戦の5日前に下村(宏)情報局総裁談話で「戦局は最悪の状態」と発表された。一般国民は知る由もなかったが、新聞社は日本の敗戦を示唆した初めての政府声明と受け取っていた。
しかし、細川氏は「軍を刺戟して、戦争終結に支障を与えることにならぬとも限らず、新聞はむしろ知らぬ顔をして、従来の『国体護持、一億団結』を表に出していった方がよかろうと、私は自分の編集方針を堅持していた。もちろん数日中に敗戦による戦争終結が到来するとの客観情勢は、はっきりと把握しつつも・・・。編集総長の千葉雄次郎も全く私と同意見であり、また政治部長の長谷部忠も全然同じ線を歩いていた」と記す。
また、8月14日の同紙社説では原爆の残忍性を糾弾し、「これに対しては報復の一途あるのみである」と書き、「幾多の同胞は戦災者となってもその闘魂は微動だもせず・・・一億の信念の凝り固まった火の玉を消すことはできない」と戦いを煽っている。
「敗戦の来るのを知っていて、国民を欺く報道を展開した『朝日』の罪は深い。メディアとして実に恥ずべきではないか」と桜井氏は問う。
戦後は検閲にかかり、思潮をがらり転換する。占領が解かれた後も自虐史観を報道し続けたことは言うまでもない。朝日が戦前を含めて立ち位置を極端に変えるのは、健全なジャーナリズムからも、ジャーナリズム魂からも程遠いようである。
■おわりに
朝日新聞は慰安婦問題でも南京事案でも真実からかけ離れた捏造報道をしてきた。ここでも、ジャーナリズム魂から逸脱していると言わざるを得ない。
政府も慰安婦「強制連行」の資料が発見されなかったにもかかわらず、強く反論することを避け、相手国の要求を受け入れ安易に「謝罪」してきた。
南京事案でも同様で、戦闘状況から市民が巻き添えを食って犠牲になったことは伺えるが、「大虐殺」どころか虐殺さえも一切確認されていない。それでも、従来は純然たる戦史・歴史問題として歴史家の研究に委ね、反論を避けてきた。
しかし、中国が世界記憶遺産に登録した時点で政治問題になったわけで、日本政府にとっては反論の好機到来である。
慰安婦同様に政府が全力をもって研究し、世界のマスコミをも動員する形で、「中国の欺瞞」を国際社会に向かって堂々と訴えなければならない。
日本のマスコミも国益を損ねるような自虐史観から脱出し、あるべきジャーナリズム魂に戻るべきではなかろうか。さもなければ、テレビやインターネットなどとの競合にも立ち向かえないであろう。
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