●伊勢神宮(伊勢志摩)サミット 鎮守の森を9割伐採した三重県 世相を斬る あいば達也 2015年06月07日 http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/c2ae733f9a70cd12f6ab35ec737e2b5b(以下、冒頭部分を引用) 一昨日の拙コラムは偶然のように伊勢神宮を頂点とする、日本人の歪んだ天皇頂点イデオロギーを定着させるため、長州陣営や官僚らが企てた明治後期における「神社合祀」について取り上げたが、これ程偶然の一致のタイミングで、G7首脳会議(サミット)が、「似非神道」のシンボルである伊勢神宮のある三重県に決まるとは驚きである。 西洋猿真似の長州人による明治以降の日本の姿が「善」と思い込んでいる政治家や国民が本当に多い。問題なのは、欧米文化が善と云う認識よりも、それ以前の日本の歴史は「野蛮・悪」と云う、国策的プロパガンダに一色に染められてしまった、現代の日本が問題なのだと思う。特に、三重出身の民主党の岡田が手放しで喜ぶのは仕方ないとしても、他の野党の連中も、こぞって喜びを口にしている。三重県においては、「神社合祀」によって、地域共同体の精神的拠り所であった地域の神社、及び鎮守の森の9割が閉鎖統合伐採された事実を確認しておこう。口の悪い言い方をすれば、伊勢神宮に「神道」のすべてを集中させる為に、地域の神社を片っぱしから潰したのが三重県である。 南方熊楠の言うところの「エコロジーを破壊した」と糾弾する「神社合祀」の悪夢のような忌まわしき陰謀の歴史を、今の政治家は知りもしないに違いない。三重県は明治期の「神社合祀」により、県下全体の9割の神社が、伊勢神宮に権力を集約せんと、合祀、取り壊された。三重の鎮守の森は9割伐採の憂き目に遭った。このような事実をまったく知る由もない政治家と云うものは、どうにも救いがたい。一言くらい触れられる政治家がいて欲しいものだ。先ずは、この件に関し、調査取材不足、歴史検証不足な記事が目立つ。記者クラブの報道管制下で行われた公式発表のみの報道だ。重複するが、朝日の記事をふたつ読んで頂こう。 (以下略) ●悪くない 東京の2割が空家、熊楠歓ぶ、タヌキや粘菌と共存か? 世相を斬る あいば達也 2015年06月05日 http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/4434da8eedc9fcea0d52fcaf7de72c09 (以下中途より引用) 熊楠が、那智を離れ、田辺に移転した意味合いは、色々推測されているが、決定的な説はないようである。ただ、田辺町の転居と政府の神社合祀に対する反対運動を、熊楠が積極的に関わった事実がある。田辺町の近所にある糸田猿楽祠が合祀の対象となり「鎮守の森」の伐採が決定した。右翼系の人々が熊楠の思想を、愛国主義的な捉え方をして、褒めそやすが、熊楠の国粋は東洋であり、当然ながら、偏狭なナショナリズムとは明確に異なる。 注:神社合祀の目的は、神社の数を減らし残った神社に経費を集中させることで一定基準以上の設備・財産を備えさせ、神社の威厳を保たせて、神社の継続的経営を確立させることにあった。また、教派神道は宗教として認めるが、神社は 宗教ではなく「国家の宗祀」であるという明治政府の国家原則(宗・政・祭体制に従って、地方公共団体から府県社以下神社に公費の供進を実現させるために、 財政が負担できるまでに神社の数を減らすことにもあった。(Wikipedia抜粋) この官僚的西洋合理主義が鎮守の森をめくら滅法に破壊し、共同体までも破壊した。高度経済成長時の集団就職による共同体の崩壊と同様の西洋文化かぶれの、悪しき行いが官僚によってなされたのである。理屈上は、伊勢神宮と宮中祭祀を頂点とするヒエラルキーを人的に作り上げ、「神道」を持って、日本人のイデオロギーに統一しようとしたらしいが、明治政府には“樟脳”の材料となる“楠(くすのき)”を大輸出産品にしようと云う企てから、鎮守の森に育っていた楠が目当てだったと云うオマケの目的もあったようだ。土佐藩では、外貨獲得のために樟脳づくりに励んだ歴史も残されている。当然、和歌山、三重の鎮守の森も楠の宝庫だった。 ただ、三重、和歌山の神社が、この神社合祀に積極的であったことは、伊勢神宮を頂点にしたがる勢力の目的が顕著だった。この合祀により全国にあった神社は20万社が13万社になったのだが、三重県い至っては、県下全体の9割が合祀され取り壊された。熊楠にとって、糸田猿楽祠の鎮守の森で、人生初の「粘菌」を発見した場所であり、思いでも森であり、そういう私的な思い入れもあったものと思われる。ただ、秀才天才なだけに、反対の理由も、非常に思想的で且つ論理的だ。 当時の粘菌学の権威であった英国・リスター父娘に送った書簡で西洋が生みだした「近代化」=帝国主義・植民地経済政策など、日本人の美的感覚、愛国心までもを踏みにじろうとしている、と主張している。≪こうした野蛮な行為は、この国では近年日常的に行われており、やがて、日本人の美的感覚だけでなく、愛国的感覚をも壊し、後戻り出来ないところまに追い込むことになるでしょう。わたしはラスキーやカーライルと共に、近代の進化が本当の意味で人間に恩恵をもたらすものかどうか疑っています≫(山本幸憲著―南方熊楠・リスター往復書簡)と主張している。 リスターから、強い同意と励ましを受けた熊楠は、地元新聞社の紙面において論陣をはり、反対運動を本格化させた。このような政府の稚拙な振舞いは、日本世論に限らず、世界の自然を守る義務が人間にあると云う重要な問題と定義している。村や町の神社を取り壊すことは、周辺の自然を壊すことであり、鎮守の森が消滅し、日本の生態系そのものが壊されると主張した。熊楠の自然・風景・生態系は曼荼羅の如く、複雑に織りなすものゆえに、バランスが命だ。一時の利益のために人為的に行われるべきだはない。グリンピース顔負けの生態系論者だが、自然の恵みへの造詣は深い。 (以下略)
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