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公金食い 舛添要一の“卑しき品性” <第5回>「マスゾエが殺しに来る」…義理の兄が戦慄した夜
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2016年5月24日 日刊ゲンダイ 文字お越し
(C)日刊ゲンダイ
公金の私的流用問題を巡って大炎上中の舛添要一東京都知事(67)。地元・北九州市の市政関係者からも、「公金流用とは、政治家として一番やってはいけないことだ」「都知事を辞めるべきじゃないか」「会見の“言い訳”はお粗末だった」と、与野党を問わず擁護の声は皆無だった。
さらに、自民党のベテラン市議は、舛添知事が起こしたある“事件”を明かしてくれた。
■“パトカー騒動”の発端も「母の介護」
「もう亡くなっていますが、私は舛添さんの一番上のお姉さんの旦那とは古くからの付き合いだったとです。旦那によると、1997年のある日、舛添さんは『母親の介護のため』に当時建てたというアパートに帰ってきとって、母親と一緒におったそうです。その際、長姉の家におった旦那は、舛添さんと母親の介護を巡って電話で1時間ほど口論になった。舛添さんは相当なけんまくだったといい、旦那は最終的に『今からそっちに行くから』と伝え、電話を切った。旦那は何を言われたのか分かりませんが、『舛添が殺しに来る』と相当慌てて、警察に通報した。旦那が実際にアパートに行くと既に外は暗く、旦那の通報がもとでパトカー7、8台が周辺を取り囲んでいた」
当時、旦那は市議に「舛添に殺されるかと思った」と打ち明けたという。
いくら母親の介護で揉めていたとはいえ、「殺しに来る」とは穏やかではない。長姉夫婦の娘であり、舛添知事の姪にあたる女性(48)に確認すると、「確かに当時、そんなトラブルがあったことを覚えています」と言って、こう続けた。
「私の父とあの人(舛添知事)は、おばあちゃんの介護を巡って何度も口論になっていました。あの人は、政治学者としてテレビにしょっちゅう出ていて忙しかった。そんな状況で、できもしないのに『母さんの面倒はオレが見る』と言って聞かなかった。ちょうどその頃から、介護の件で揉め始め、おばあちゃんが2000年に亡くなってからは、一度も私たちの元に来たことはありません」
初当選した01年の参院選や、07年の厚労相就任後も舛添知事は「私は母親の介護を経験し、厚労行政に通じている」とアピール。“母親思いの息子”という自己演出のためだけに、周囲を振り回したのなら、自分勝手にも程がある。
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